四季を指揮する。

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春、恨めし(2)

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 大沢池から人力車の所へ戻り、言葉少なにそのまま次の目的地へ向かってもらう。
 車力の人も何かを感じたのか運転中、本当は案内をしなければいけないのかもしれないが、黙って走ることに心の中で感謝する。

 先ほど、言われた言葉を反芻する。

『君がしたこと、これからする事に後悔もあるかもしれない。それでも君が彼女にすることに間違いはない』
 そうなのだろうか?
 そうなら、どんなに嬉しいだろうか。
 今、してる『これ』も間違いじゃなかったと言える日がいつか来るんだろうか。

 今してる事がいけないことなのは分かっていた。その罰を受ける覚悟もある。
 あの日、あの場所で彼女と話した約束を守らなければいけない、そんな使命感めいた気持ちを彼女が喜ばないのは分かっているのに。

「うわぁ、凄い!」彼女の嬉しそうな声に思わず我に返る。
 見上げる程、高く伸びた竹林。
 上の方で竹がしなり、葉が擦れ、サーッ、サーッと音がなる。
 嵐山の有名な観光地、竹林の小径だ。
 俺が考え事をしてる間に彼女が車力の方にお願いして、目的地まで遠回りだがここを通ってくれるように頼んだらしい。
「私ね、竹の葉っぱが擦れる音好きなんだよね。あとね、海の波の音も!」先程の事があっても、あっけらかんとしている彼女に少し笑ってしまう。
「おっ、笑ったねぇ。そうだよ、せっかくの旅行なんだから楽しまないと。」その通りだ。
「そうだね。」と軽く返していると一気に人通りが少なくなっている。
どうやら人力車専用の道があるらしい。
途中、少し開けた場所で人力車に乗ったまま記念撮影してもらう。

写真はあまり好きじゃない。
いつも撮った後の自分を見ると『誰だ、これ。』と思ってしまうからだ。
何かで見た事があるが、鏡に写る自分は左右反転だから本当の今の自分を見る方法は少ない。

でも…彼女の。
本当に、心の底から嬉しそうにスマホの画面を見るのを見つめていると『まぁ、良いか』と思えてしまう。

竹林の小径を抜けて少し行くと次の目的地『祇王寺』に着いた。
ここで、人力車の方に別れを告げ、中に入っていく。少し心配そうな顔をしていたが、そちらを向き二、三度頷くと漸く来た道を去って行った。
茅葺きの門をくぐり、中に入ると苔の庭が目に入る。
それを囲う様に参道があり、目線を上げると空の半分以上を緑色が占める。
何とか青もみじを見ることが出来て、思わず顔を見合せ笑い合う。

大覚寺の大沢池と、祇王寺の青もみじ。
日帰りで行ける、二人とも行った事がない場所を旅行雑誌で探す作業が報われた思いだ。

それでも…そろそろかと、スマホの画面を見やる。
チラリと確認したあとで、彼女を見ると少し先を歩いていた。御機嫌なのか、歌う様に足を動かす。

(足元に気を付けてね)という言葉を飲み込んで、今度はこちらから近寄り、彼女の右手をそっと握る。
この温もりが逃げていかないように。

苔庭の奥に茅葺きの建物が見えるので、そちらに向かう。
草庵の軒先に『竹みくじ』というものがあり、彼女が興味津々に見ていたので、1つやってみた。
おみくじ結びの状態のおみくじを広げる。
上にでかでかと『大吉』とかかれてあり、また二人で顔を見合わす。
すると、中に『逢』と書いてあるキーホルダーが透明な袋に入っていた。
一言守りというラッキーチャームらしい。

良く見てみるとチャームの後ろに何やら文字が書かれている紙が入っていた。
それを見てみると、短い文章の中に『逢えてよかった。そう思える相手とともに生きる幸せが』の一文があり、まずいと思いつつも、気のないフリをして彼女の顔色を横目で伺う。

その時の彼女の表情をどう説明したら良いだろう。
単純な喜怒哀楽だけでは表せない、物悲しさ、愛おしさ、慈しむ。そのどれでもなくどれでもあるような。
大袈裟かもしれないけれど、俺が彫刻家なら今すぐアトリエに戻り、すぐに作業に取り掛かりたくなるような、そんな表情をしていた。

彼女は竹みくじをおみくじ掛けに置いていかず、大事に鞄にしまいゆっくりと出口に向かう。
祇王寺を出て、すぐの坂を下り嵐電嵐山駅までゆっくり歩いていく。大沢池で男性に逢った後でそんな提案をされ、最初は反対したのだか、どうしても歩きたいらしい。
色んな話をした。
初めて逢った時の話、この旅行の計画を話し合った時、子供の時の話。

でも、竹林の小径を抜けた辺りから、彼女の体調が思わしくなくなってきた。
明らかに歩く速度が遅くなり、目に見えて顔色が悪い。
何度か、人力車を呼ぼうとしたが、その都度彼女に止められたけど、こんな事になるならもっと早く行動に移すべきだった。
「もう、流石に…」
「まだ、ダメ。」
「いや、これ以上は…」
「お願い…今日くらい、最後までデートをちゃんとしたいの。」
「また、いつでも来れるから…今度は、」

「もう、無いもん!」
彼女が思わず声を荒げ、周りの何人かがこちらを振り返る。
こんな事は初めてだった。
いや、一度だけ…彼女と初めて逢う前に、病室の扉の向こうで彼女が父親に対し大声を張り上げるのを聞いた。
「ごめんなさい、でも、お願い…せめて駅までは。」息も絶え絶え、咳き込みながら小さく話す彼女。

大声のあとで、すぐ謝るのもあの時と良く似ていた。

彼女の父親の顔を思い出す。
つまらない怪我で入院した病院、彼女は手術のためにこの病院に来たらしく、そこで知り合った。

しょんぼりとした顔で病室から出てきたスーツ姿の男性に声をかける。
「今の私の年齢まで生きられないんだ、あの子は。しかも、安静に心穏やかに過ごした場合でもね。」
「だからか最近は、穏やかで聞き分けが良くてね…昔は良く笑う子だったんだけど。だから、むしろこんなに感情を爆発させてくれて、少しほっとしてる。」
そして、父親が帰った後に彼女と出逢い、色んな話をしてる内に惹かれていった。

いつか、彼女が言った言葉を思い出す。
『色んな人にこれから逢えて、その人達がどんな人か、どんな生き方をするのか、どんな想いを抱えているのか。それを知れるのって、凄くワクワクすると思わない?私にはもう出来ないからさ。』

通行人の邪魔にならないよう端に寄り、右手で彼女の背中を擦る。
この旅行はおそらく、彼女の最後のワガママなんだろう。本人にしか分からない、日に日に落ちていく体力の中で一度でも、好きな人と好きな事をしたい。そんなささやかな想いを叶えてあげたい。左手のポケットの中で、スマホを操作する。

「落ち着いた?」
「うん、ありがとう…」
「じゃあ、ほら。」
つぶらな瞳を目一杯広げて、俺の目と差し出した左手を見つめてくる。
「デートなんでしょう?」
渡月橋に行く時に比べて力が弱いけれど、それでもしっかりと握り返してくる。
「うん!」
一歩一歩、駅に向かう。
彼女は息切れしながらも、今日の出来事を楽しそうに話す。それに返事をしながら、少しでも彼女の顔を長く見つめる。
この笑顔が、いつまでも続きますようにと願いながら。

夕暮れ前の嵐山駅は、まだまだ人が多い。
少し混んでいたが、運良く空いてるベンチに座り少し休憩していると、息を切らしてこちらに向かう人影が見え、俺の視線に気付き彼女もそちらを見やる。
驚く彼女と、肩で息をする彼女のお父さん。

彼女は教えていないが、事前にお父さんと話して今日ここに来るのは説明していた。
おそらく、中々の葛藤があったのだろうが、最後はすぐ連絡を取れる様にする事を条件に許してくれた。

息を整え、彼女に声をかける父親。
怒られるかと思い、身構える彼女。
「楽しかったかい?」
えっ、と自然に声が出た後で彼女が破顔一笑する。
「今日はどんなところに行ったのかな?」
「うん、あのね!」
彼女が嬉しそうに父親に話してるのを見て、思わず涙ぐみそうになる。
これが正しいのか分からない。
それでも、この二人の姿を見て、こちらも嬉しい気持ちになる。
ある程度、話したであろう二人がこちらに向き合う。
「今日はありがとう、車で来ているんだが君も乗って帰るかい。」
「いえ、今日はゆっくり帰ります。たまには親子でゆっくり話してください。」
彼がゆっくり頷き、そうさせてもらうよ。と言った。
「それと」
「ん?」
「今日は娘さんを連れ出して申し訳ありませんでした。」深々と下げた頭に向かって穏やかな声が降り注ぐ。
「しょうがない、どうせこの子が、」ちらりと娘を見る「ワガママを言ったんだろう。」笑う様に喋る彼を初めて見る。
彼女もそうだったらしく、父親の顔を見て、笑いながら腕を掴む。

「またね」と手を振る彼女に振り返し、その姿が見えなくなるまで動かなかった。
そうして、1人残された後で改札に向かい、そこでやっと彼女にライトアップされたキモノフォレストを見せられなかった事をしっかりと後悔した。



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