四季を指揮する。

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春、恨めし(1)

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車両が駅に滑り込み、他の乗客が開いた扉から各自降りていくのを眺めながら、僕達もゆっくり腰を上げる。
長い夏が終わり、やっと涼しくなったと思いきや、もうすぐ寒い冬が来ることが明らかに身近になった秋のとある日に京都の嵐電嵐山駅を降りると、目につくのは『京友禅』が入っている高さ2m程のポールだった。

『キモノフォレスト』の言葉通り、600本のポールはやはり、意識せずとも目に入ってくる。
ご多分に洩れず彼女も楽しそうに見つめている。夜になるとライトアップもするそうなので、さぞやロマンチックになるだろうと思う。
今の時期なら帰る時に見られたら良いと心から思う。

駅のホームにある足湯を彼女が少し見やった時に、入ろうかと声をかけると、女心が分かってないなぁ…と、バシバシと背中を叩く。
そのまま駅を出て、ロールケーキの『アリンコ』を横目に見ながら左に曲がり渡月橋に向かう。

週末なのか、やはり歩道は凄い人だった。
香水の甘い匂い、整髪料の匂い、すえた匂い。さまざまな香りと物理的に押し潰されそうになりながら、一歩一歩進み、ふと彼女の手を探す。
まるで、俺の行動を、一時も見逃さないぞ。とでも言うようにすぐさま握りしめてくる。
顔を見ると、まるで犬が投げたボールを取ってきたかのように自慢げな表情を見せながらも少し頬を赤らめる。
どうやら、いつまで経っても手を繋ぐのは慣れないらしい。

歩いて数分、お目当ての渡月橋が眼前に広がる。
川を見つめながら、人混みのせいで少し息を切らしている彼女の肩越しに見える橋の向こう、山の辺りが赤、黄色、緑と色鮮やかに染まっている。
後で調べた所、橋の向こうがいわゆる地図で言うところの『嵐山』らしい。
ちょうど、橋の辺りに人力車が居たので、そのまま乗らせて貰うことにする。

みるみる橋と逆方向を走っていく、思ったより早いスピードに彼女ははしゃぎ、変わり行く景色を楽しんでいる。
嵐山駅も越えて、少しすると右も左も住宅地の中を通り抜けるようになる。
当たり前の事だけど、観光地にも人は住んでいる事に少し驚く。
ここの人達もどこかに買い物に行き、どこかに散歩に行き、俺達が目的地として降りたった嵐山駅から帰路に着くんだろう。
そんなことは今まで感じた事がなかったのだけど、それは恐らく隣にいる彼女の影響なのだろう。

『…人にこれから…どんな想い…私には…』

あの日、あの時、あの場所で聞いた彼女の言葉が頭から離れない。
俺はどうすれば良いんだろう、これが正しいのかどうかもいつか答えが出る日が来るんだろうか。

そんな物思いに耽っていると、急に肩を揺さぶられる。
心配そうな顔の彼女がこちらを見てくる。
「大丈夫ですか?」と人力車のお兄さんも不安げな表情でこちらを伺ってくる。
「ごめんなさい、少し考え事を…」訝しながらも、2人とも納得したようでそれ以上何も言われなかった。

どうやら、目的地に着いたらしく人力車のお兄さんに少し待ってて頂き、大覚寺の隣、砂利道を歩き木製の門をくぐり抜け、大沢池を見て回る事にする。

大沢池は現存する日本最古の人工の池庭らしく、名勝地として有名で、嵐山から距離があることもあり人もまばらで観光として穴場だと思う。

ゆっくり、噛み締める様に池の回りを歩き、御神木まで行った時に池から沢山の鯉がこちらに向け、口を開けてエサを催促していた。
その様子を見ながら、何度か転けそうになりながら来た道を戻っていくと入ってきた入り口の門近く、池の岸から木の桟橋が池の中心に向かって10mほど伸びており最後は正方形の広場になっている。が、広場に向かう入り口が柵で封鎖されており、橋自体に足を踏み入れられない仕様になっていた。
そして、その封鎖された場所に1人の男性が立っていた。

黒いYシャツに黒いパンツ、黒一色を身に纏い、背は高く、黒い髪はオールバックにし後ろをヘアゴムで縛っている、年齢は壮年期ではあるだろうが、それ以上は判断出来ない。
その男は池の向こうの木々を超えて、遥か遠くを見ていた。
服装は別として特に何の変哲もない情景なはずだ。
でも、その立ち姿、表情、オーラというか雰囲気がなんと言うか…全身で表現しているようだった。

「あの、何をそんなに悲しんでいるんですか?」恐らく彼女も感じたのだろう、そう声をかけた彼女に対し、件の男性はゆっくりとこちらを振り向いた。

「悲しんでいる…そう見えますかな?お嬢さん」
低めの声、黒縁眼鏡の奥底からすら光が失われた様な力のない目。こちらを向いてるのに目が合わない視線。
それでも、怪しい人に思えないのは悲しいオーラの中にとても穏やかな空気を身に纏っているからだろう。
だから彼女も声をかけたんだと思う。

「えぇ、とても…いえ、実際悲しいというより何故だか分からないんですけど、元々あったものが無くなったかのような雰囲気に見えまして…変なこと言ってるとは思うのですが。」
そうなのだ、何か足りないような。それでいて、それがとても大事なものだったかのように、錯覚するほどの。
鯉を見ていた時から目の端にはこの人を認識していたが、この場所にずっと立っていたといっても微動だにしていなかった訳ではない。
時折、虚空を掴むように左手を差し出し、そしてゆっくりと手を戻し、左側を見ようとして顔を傾けたけれど、ゆっくりとまた木々に目を見やる。
そんなことを繰り返していた。だから、おそらく…

「そちらの彼も…そう思いますかな?」光の灯らない目からの視線にこちらもゆっくりと頷く。

「そうですか。昔、私が君達位の年齢の時はこの立ち入り禁止の柵がなかったんですよ。鯉のエサやりも実際はどうか分かりませんが、少なくとも見える所には書いていなかった。私がさっき何処を見ていたか分かりますかな?」
「この池の向こう、正面の木の辺りですよね?」
「そう、朝早くにこの大沢池にバイクでやってきて、この桟橋を渡り、あの正方形の所まで行って鯉や鴨にエサをやってるとゆっくり、あの木の辺りから朝日が昇るんですよ。」
「それは、とても素敵な時間ですね。」ねっ?と彼女がこちらを見て微笑む。
その仕草を見て、子供の話を聞いたお父さんのような顔をして彼が笑う。

「良いでしょう?そして、また鴨や鯉にエサをやってゆっくりここで過ごしたら北山にある進々堂にモーニングを食べに行く、そんなことを良くしていました。」遠い日を思い出すかのような、それでいてまるで昨日の事の様に話している彼を見ていると何故だか涙が出てきそうになった。
「二人でね。今は大阪に住んでますが、昔は京都の伏見に住んでいたので妻と良く来てましたよ。」緩慢にまた顔を木々に戻す。
「彼女を失って2年になります。案外、思い出というのは最近の事より昔の事の方が鮮明だったりするものです。」彼女は男性が自分を見なくなってもその姿を見続けている。
「喪失感が未だにあるんですね。」
「そうですねぇ…悲しい、というよりはその言葉の方がしっくりくるかもしれません。何かが足りない、自分の体でもないのにね。」そう言うと、こちらを見やり俺と目が合う。
「君はこの子の彼氏さんかな?君がしたこと、これからする事に後悔もあるかもしれない。それでも君が彼女にすることに間違いはないと僕は言っておくよ、これは妻が僕に言った言葉なのでね。」

頷き、ゆっくりと俺も大沢池からその先にある木々を見つめる。
いつか、この場所から朝日を見に行こうと心に決めながら。
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