いきなりクレイジー・ラブ

桧垣森輪

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1巻

1-2

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 完成までにあともう一息のところまできている仕事がある。如月くんとの案件を抱えながらこの仕事を私が仕上げるのには若干じゃっかんのペースアップが必要なため、少しでも時間を切り詰めておきたい。

「引きぎしないんですか? あの仕事よりこっちのほうがでかい案件なんですよ?」
「仕事に大きいも小さいもないわ。それに、あと少しだから最後までやり切りたいの」

 私の所属する設計部製図課は通称「図面屋」と呼ばれ、設計士がデザインした建築デザインをより精密せいみつに製図していく作業を担当している。
 建物をひとつ建てるのに必要な設計図は数十枚から場合によっては数百枚単位にまで及ぶ。同じ場所であっても、見る角度を変えたり拡大したりとその都度つど図面が必要になるからだ。
 私は仕事の正確性と仕上がりの早さを買われ、お陰様で取引先から好評をいただいている。自分のことを信頼して任せてくれた案件を、他の人に任せるのは気が進まなかった。

「だからといって、こっちの仕事に手を抜くこともないから安心して」

 なにしろ、このプロジェクトには自分の夢がかかっている。

「本郷さんが手を抜くなんて考えてませんけどね。俺としては、車の中で二人きりでじっくりと親睦しんぼくを深めたかっただけなんですけど。……あ、もしかして俺と二人きりになるのが嫌だったとか!?」

 人が真面目まじめに話しているのに、如月くんのノリは軽い。

「……それもあるかもね」
「ひどいなぁ。パートナーなんだから、もっとお互いのことを知ったほうがいいと思いません?」
「思わない」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよー。一緒に仕事をするんなら人間関係も円満なほうが絶対にいいですって」

 それはそうだけれども、第一印象が好ましくなかったこともあり、どうしても彼に対しては苦手意識が先行してしまう。
 だが、如月くんはどんなに私が怪訝けげんな顔をしていてもまったく気にする様子はなく、子犬のようにんだ瞳をまっすぐ向けてくる。

「それは……そうね」

 あきらめのため息を吐きながら言ったのに、如月くんはそれを了承りょうしょうとらえたようで顔を輝かせた。

「ね、本郷さんはどうして建設業界に入ったんですか?」
「それは――」

 私が建設の道をこころざしたのは、幼い頃から習っていた剣道にルーツがある。
 片親となって経済的負担が大きい中でも高校卒業まで続けていたのは、父親の影響や心身の鍛練たんれんのためだけではない。
 一歩足を踏み入れただけで自然と背筋が伸びる、剣道場の、あの独特な雰囲気が好きだった。
 特に、大きな試合で使用される武道場の中には有名建築家がデザインしたものもあり、私はその建物にせられた。デザイン性の高い外観はもとより、高い天井に美しい模様を描くはり壮観そうかんだ。
 それらは不思議と私に安心感を与えてくれた。
 試合前の緊張した気持ちや、勝ったときの嬉しさ、負けたときのくやしさ……
 その時々の自分の気持ち次第で、見上げた天井はいつも違う顔を見せた。

「大学進学を機に剣道は引退したけれど、いつか自分でそういった施設を建ててみたいと思ったの。だから、建築学科に進んだのよ」
「へえ、そうなんですね。自分で設計してみたいとは思わなかったんですか?」
「そりゃ、最初のうちは思っていたわよ。でも今の仕事が、思いのほか自分の気質と合っていたみたい」

 設計のイロハを覚えるためにと入社当初に配属された今の部署だったが、図面と向き合い細かい計算をしてコツコツと組み立てていく地道な作業はしょうに合っていた。
 節約と計算は、幼い頃から身についているのだ。
 それに、納期が迫れば残業続きで時には徹夜もある体育会系な職場は、まさに自分にはうってつけだった。
 そんなことをしていたから、気がつけば女子では一番の古株になっていたのだけれど……

「本郷さんって、長女気質ですよね」

 黙って話を聞いていた如月くんが急に小さく微笑む。

真面目まじめでしっかりしていて、お姉ちゃんって感じ。本郷さんがいつもりんとしているのは、剣道を習っていたからなんでしょうね」

 りんとしているというのはめ言葉なのかもしれないが、融通ゆうずうの利かないストイックな侍という見方もある。
 この性格から、妹キャラだと思われたことは一度もない。お姉ちゃんならまだよくて、男らしいと言われることは最早もはや日常茶飯事にちじょうさはんじだ。
 本当に、生まれてくる性別を間違えたのかもしれない……

「でも、いくら武道の心得があるからといっても、痴漢ちかんと戦うのはほどほどにしてくださいね」

 ふいに、如月くんの声が低くなる。
 これまでとは違うトーンに少し驚いて顔を上げると、彼は意外なほど真面目まじめな顔をしていた。

「……どうして?」

 もしもあのとき自分が助けなければ、被害を受けていた女性は一生消えない心の傷を負っただろう。それに、目の前で犯行がおこなわれているのに見て見ぬふりをするのは、自分も荷担かたんしたのと同じじゃないのか。
 私はキッとにらみつけたが、如月くんにひるむ気配はなかった。
 それどころか、まっすぐに向けられた真摯しんしな表情に心臓が大きくトクンと音を立てた。

「だって、本郷さんが危険な目にう可能性だってあるじゃないですか」

 心地よい低音が耳に響いて、目の前が大きく揺らぐ。
 それは、気のせいではなく物理的に、だ。
 次の駅が近づいたため電車の速度がゆっくりになって、よろけたのである。
 次の瞬間。身体が、力強い腕に支えられた。

「ちょ、ちょっと……」

 突然の出来事に動揺しているせいで声が上ずってしまう。
 ――これって、抱き締められているようなものじゃない!?
 彼はふらついた私を支えただけであって、今も他の乗客の邪魔じゃまにならないように身を寄せているに過ぎない。けれど、男性に免疫めんえきがない私は極度に緊張してしまう。
 期せずして如月くんのスーツの胸元に添えてしまった両手。
 彼の胸板は、意外にも硬く引き締まっている。
 簡単にふらついてしまった私とは違って、如月くんは衝撃にも微動びどうだにしなかった。
 華奢きゃしゃだと思っていた身体は、体幹たいかんがしっかりとしている。それに、腰に回された腕だって筋肉質で……って、私ったら、なにを考えてるの!?

「いい加減、離れなさいよ」

 いつの間にか電車は動き出して、私たちの周囲には大人二人が立つのに十分なスペースが確保されていた。目の前の身体を押しのけようとするものの、これがまたビクともしない。
 ――ふいに、頭頂部になにかが触れた。

痴漢ちかんと戦って、あなたにもしものことがあったら、どうするんですか?」

 彼の言葉に合わせるように、頭に吐息がかかる。
 多分、私の頭に触れているのは、如月くんの唇だ……
 私のように身長の高い女性は、男の人に頭のてっぺんを見られることは滅多めったにない。まして頭にキスされるなんて初めてのことで、動揺するのもおかしくはないだろう。
 ただでさえドキドキとうるさい心臓に、如月くんはさらに追い打ちをかける。

「どんなに強くても……本郷さんは女の子なんですよ?」

 甘いささやきに、不覚にも胸の奥がキュンとうずいてしまった。
 ――この男、天然ものの王子だ!
 どんな女性に対しても紳士的で優しい言葉が自然と出てくるなんて、生粋きっすいの王子以外にあり得ない。

「お……女の子って、私はもうすぐ三十になるんだけどね?」

 彼の発言に不覚にもときめいてしまったけど、私はいい年をした大人だ。ちょっとくらい女扱いされたからといって、目に見えて狼狽うろたえるわけにはいかない。
 それに、からかわれているのかもしれないし……
 無駄むだにジタバタと抵抗するのを止めたら、如月くんの腕からも力が抜けていく。緩んだ腕にゆっくりと手を当て押すと、簡単に身体から離れられた。

「それに、私より強い男なんてそうそういないのよ? 如月くんなんて、身体も細いし喧嘩けんかも弱そうじゃないの」
「そうですか? こう見えて、格闘技とかも習ってるんですけどね」

 下げた両腕を腰に当てて、如月くんがポーズを取る。それは往年のプロレスラーのような格好で、つい口元がほころんでしまった。
 だってやっぱり、ちっとも強そうには見えない。

「ずっと好きな人がいて、その人のタイプは強い男だと聞いたんで、きたえてるんです」
「へえ……」

 私は如月くんのファンでもなんでもないから、彼に想い人がいると知ってもショックなんて受けるはずがない。
 なのに、さっきまで高鳴っていた胸の鼓動が急速に静まっていく。
 ――好きな女の子、いるんだ……
 社内の女子の人気を集めている彼だけれど、これまでに浮いた噂を耳にしたことはなかった。それに、社内外問わずモテるであろう彼が、好きな女性を振り向かせるために身体をきたえているというのも、意外な話だ。

「格闘技って、どんな?」

 恋愛話に首を突っ込む気にはなれなくて、特に興味もない格闘技の種類について聞いてみた。

「一応剣道も習ったけど、一番力を入れてたのは居合いかな? あとは、空手、柔道、合気道、ジークンドー、総合格闘技MMAとか、いろいろと」

 すると、出るわ出るわ。しかも後半は聞いたこともない格闘技ばかりだ。

「……なんだか、珍しいものもあるわね」
「まあ、スポーツというより護身術というか、実戦的なものが多かったから――」

 そこまで言うと、如月くんは急にぷいとよそを向いてしまった。
 ……はて。実戦的とは、なにかと戦うことでもあったのか?
 もしかすると学生時代はいじめられっ子で、いじめっ子と戦うために格闘技を習っていたのだろうか。
 あまりそういうタイプには見えないが、人は見た目によらないとも言うし、なんとなくこれ以上は立ち入ってはいけないような気もする。
 急に黙り込んでしまった彼のことを、車窓越しにじっと見つめた。
 黒目がちな彼の瞳はガラス越しでも存在感を放つ。時折額をおおう前髪をふわりとき上げる仕草なんかはさまになっていて、さすがに王子と称されるだけのことはある。
 年下らしくあどけないかと思ったら、不意に男らしさを感じさせたり、急に無口になったりで、なんだかつかみどころがない。
 さっきは一瞬ドキッとさせられたけど、彼を男性として意識することはないだろう。
 入社四年目の彼は、ちょうど自分の弟と同い年。だから絶対に如月くんを好きになることはないと思うのだけど……ほんのわずかな時間で色々な面を見てしまった私は、少しだけ彼に興味を持ち始めていた。
 この不思議な感情の正体はなんだろうか。よくわからないものの、深追いする気もない。
 その後、目的の駅に着くまで、私たちは無言のまま電車に揺られた。


 電車を降りた私たちは、朋興建設の本社ビルの前へとたどり着いた。
 日本有数のゼネコンだけあり、地上三十階建ての自社ビルはなかなかの存在感だ。いざ目の前にすると迫力がある。
 この胸の高揚感こうようかんは剣道の試合前に似ている。私はこんなに大手の会社を訪問するなどほぼ初めてで、実のところ、緊張していた。
 一階の受付でアポイントメントを伝えると、そのままロビーの応接セットへと通された。
 担当者を待つ間に、如月くんが口を開く。

「朋興の責任者さんとうちになにかつながりがないかと調べたら、その人と本郷さんって偶然にも同じ大学だったんですよ」
「……なるほど、それもあって私を指名したのね」

 この業界は妙に体育会系なところがあって、縦のつながりや同族意識が強い。同じ大学出身というのは話のきっかけになりやすく、貴重な武器だ。

「でも、同じ大学だからといって知り合いとは限らないわよ?」
「とりあえず顔と名前を覚えてもらうきっかけになればいいんですよ。でも、念のため……責任者は三枝晃司さえぐさこうじって人なんですけど、知ってます?」
「え、三枝先輩……!?」

 久しぶりに聞くその名前に、ついつい声が大きくなった。

「……知り合いなんですか?」
「同じゼミの先輩なの。私より五つ年上だから顔を合わせることは少なかったけど、院生だった先輩がよく教授のアシスタントをしていたから。ただ、向こうが私を知っているかどうかはわからないけれど……」

 三枝先輩は、なにを隠そう大学時代にあこがれていた人だ。
 だから私は三枝先輩のことをよく知っている。
 アメフト部に所属していて、よくきたえられた筋肉に高身長。日焼けした肌からのぞく白い歯がさわやかで、スポーツマンの王道を行く風貌ふうぼうはとにかく目をいた。
 分厚い胸板、太い二の腕、逆三角形のフォルム――男らしくてたくましい先輩は、まさに私の理想にドンピシャだった。
 夢だった仕事に、あこがれの先輩。――これは、ついに私にも運が巡ってきた!?
 私の反応に如月くんの眉がひそめられたのだけれど、予期せぬ再会に浮かれていた私は、さして気に留めていなかった。

「まさか本当に知り合いだったとは、想定外……」

 彼が小さくつぶやいたとき、ロビーの向こう側にあるエレベーターから、一際ひときわ体格のいい男性が降りてきた。

「――あっ」

 私たちの姿を見つけた男性は、スポーツマンらしく小走りでこちらにけ寄ってくる。
 その一歩一歩が、私にはまるでスローモーションのように見えた。

「匠コンストラクションの如月さんですか? お待たせして申し訳ありません」

 色黒の肌に白い歯を輝かせながらやって来た男性から発せられたのは、聞き覚えのある声。
 ああ、間違いなく、三枝先輩だ……!
 あの頃はラフなTシャツやポロシャツ姿だったのが、すっかりスーツが板についている。だけど、日焼けした肌や、ワイシャツのボタンがはち切れんばかりの分厚い筋肉は当時のままだ。
 久しぶりに会うあこがれの人は、昔に比べてさらにどストライクな見た目になっていた。
 年齢を重ねたことで男の深みが増している。パワーあふれる二十代とはまた違った、大人の色気をかもし出していた。

「お忙しいところをおそれいります、匠コンストラクションの如月です」

 如月くんがスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出すのを見て、慌てて私もそれにならう。

「ほ、本郷です、よろしくお願いします……」
「ご丁寧ていねいにありがとうございます。担当の三枝です」

 先輩はにっこりと微笑みながら私の名刺を受け取った。その先輩が不思議そうに尋ねる。

「私の顔に、なにかついていますか?」
「あっ、いえ、失礼しました」

 ――いけない、つい見入ってしまった!
 急いで先輩の顔から目をらし、先ほど交換した先輩の名刺に視線を落とす。
 肩書きは課長。一流大学出身者がひしめく大手ゼネコンにおいて、なかなかの出世だと思われる。強靱きょうじんな肉体に加え収入も安定しており、社会的地位もあるなんてすごい。三十歳を目前にして、憧れの相手と再会できた感動に、その後の社交辞令しゃこうじれい的なやりとりは私の耳を上滑うわすべりしていくだけだった。


「本郷さんって、ああいうのがいいんですか?」

 帰り道、どことなくテンションの下がった如月くんに問いかけられた。
 あれほど早く帰って残りの仕事を片付けたいと思っていたのに、今はこのビルを出るのに名残惜なごりおしささえ感じている。あちらは大手のゼネコンの営業で、ビッグプロジェクトを抱えるエリートなのだから、打ち合わせ時間が限られてしまうのは致し方ないのに。

「あの人は本郷さんになんの反応もしませんでしたけど」
「仕方ないわよ……」

 私の名前を聞いても顔を見ても、残念ながら先輩は私を覚えてはいなかった。私と先輩のつながりを期待していたはずの如月くんも、会話の中で一度もそのことに触れなかったのは、微妙な空気を感じ取ったからに違いない。
 それもそのはず。だって、先輩と会話らしい会話をしたのは、今日が初めてだったのだから。
 先輩にあこがれてはいたが、アプローチをしたことはない。剣道の対戦相手と向き合う心構えは持っているけれど、好意を抱いた相手とどう接していいのかはまるでわからないのだ。
 道場の仲間やただのクラスメイト、職場の同僚という関係であれば男女分けへだてなくコミュニケーションもとれるのに、そこに恋愛感情が絡んだだけで途端とたんにダメになってしまう。これこそが、私が今まで誰ともお付き合いできなかった最大の要因だろう。
 一方的に見つめるだけで、話しかけることなんてできなかった。
 それが、今になって再会できるなんて――

「ふーん。俺には脳筋のうきんゴリラにしか見えませんでしたけどね」
「……っな」

 ――ゴ、ゴリラ、だと!?
 人の理想の相手に向かってなんてことを言うんだ。許せん!
 振り返ると、如月くんは両手を頭のうしろで組んで、だるそうに歩いている。

「素敵な男性だったじゃない。社会的地位もあるし、君よりよっぽど頼りがいがあるように見えたけどね」
「えー、だから俺、きたえてますって。なんなら脱いでみせましょうか?」
「脱がなくてよろしい! そもそも君はまず、その軟派なんぱな態度をどうにかしなさい」

 ジャケットに手をかけて本当に脱ごうとする彼を一喝いっかつして、これ以上構うものかと歩調を上げる。

「でもこれ、わざとなんです。可愛い弟キャラのほうが、お姉ちゃん気質の本郷さんには親しみやすいかと思って」

 早足で追いついてきた如月くんが隣にピッタリと並ぶ。
 確かに、彼の前では緊張しない。でもそれは親しみやすさからではなくて、如月くんに対して恋愛感情を抱いていないからだ。

「弟には見えなくもないけど、社会人としてはどうかと思うわ」

 彼の態度は、母や私の前ではわがまま放題の弟を彷彿ほうふつとさせた。でも、弟だって外ではちゃんと社会人としての顔を持って、立派に会社勤めをしている。

「そうですか……。なんとなく男性が苦手そうに見えたから、同い年の弟さんっぽくしてみたんですけどね」

 ――はて? 如月くんとうちの弟が同い年だなんて、話したっけ?
 それに今の説明だと、まるで彼は私のためにキャラ作りをしているような口ぶりだけど……
 だがそんな疑問を口にする間もなく、話題は次へと移る。

「本郷さんは、男性には社会的地位があるほうがいいんですか?」
「ないよりはね?」

 母子家庭出身をめるな。有り余るほどの財力までは望まなくとも、お金がなくて苦労するのはできる限り避けたい。
 父の死後に苦労してきた経験は、私の根底にしっかりと根付いている。

「だったら俺にも、まだチャンスはあるかな……?」

 ――如月くんの声はオフィス街を吹き抜ける風にかき消され、はっきりとは聞き取れなかった。



   第二話 夢のような初体験


『はい、本郷です』

 電話の向こうから聞こえてきたのは、妹の真奈美まなみの声。受話器を通して聞く彼女の声は母に似てきていて、随分ずいぶんと成長したと改めて実感させられる。

「もしもし? 私よ」
『あ、お姉ちゃん!』

 妹の声がワントーン明るくなった。
 八歳下の妹は現在大学四年生。そんな年になってもまだ姉からの連絡に喜ぶのかと思うと嬉しくなって、自然と顔がほころぶ。
 実家には今、母と弟、妹の三人が暮らしている。
 私が一人暮らしをすると決めたとき、弟は高校生、妹は中学生で、彼らを残して家を出るのはあまりに忍びなかった。だけど費用や通勤時間を綿密めんみつに計算した結果、現在の形が一番ベストという結論に至ったのだ。

『どうしたの? 電話なんて珍しいね。なにかあった?』

 無邪気むじゃきな妹に、用件を伝えることを一瞬躊躇ちゅうちょした。

「実は明日、急な用事が入って帰れなくなったの」
『えー!?』

 心底ガッカリしたような声に心が痛む。けれど、これも仕事なのだから仕方がない。
 ――事の発端ほったんは、昨日のことだった。


『は? パーティー?』

 パソコンに向かって一心不乱に図面を入力していた私のもとへ、ふらりと如月くんが現れた。そして彼は手にしていた封筒をこれ見よがしに振りかざした。

『そう。朋興主催しゅさいのパーティーが来月あるんですけど、そこに三枝氏も来るんです。お近づきになれないものかと画策かくさくした結果、もぐり込めることになりましたー!』
『……声が大きい』

 それはつまり裏でこそこそと手を回したということなのに、こんな大々的に発表してどうするつもりだ!?
 チラチラとこちらに投げられる同僚たちの視線が気になって、如月くんの腕をつかむと設計部のフロアを出て、同じ階の隅にある自販機コーナーまで引っ張っていった。
 自販機と背の高いテーブルがひとつ置かれたスペースには、私たちの他には誰もいない。
 如月くんは相変わらず黒目がちな瞳をキラキラと輝かせながら、手柄をめろと言わんばかりに胸を張り続けている。……犬か、君は?

伝手つてを頼って苦労してゲットしたんですよ? すごいと思いません?』
『あー、はい。エライエライ』

 一応めてやると、如月くんの背後にぶんぶんと左右に揺れる尻尾しっぽが見えた。
 だが突然、幻覚の尻尾しっぽがピタリと止まる。

『でも、ひとつ問題があって。このパーティー、ドレスコードがあるんですよね。本郷さん、ドレスとか持ってます?』
『持ってるわけないじゃない』

 同僚の結婚式のために購入したセレブレイトスーツのたぐいならあるが、それ以外は着たこともない。
 第一、ドレスなんてキャラじゃない。
 ――でも、本当は私だってドレスを着てみたい。いつか自分の結婚式では……とひそかに憧れている。
 キャラ的には白無垢しろむく綿帽子わたぼうし文金高島田ぶんきんたかしまだのほうがしっくりきそうだが、ウエディングドレスでお姫様抱っことかされてみたいの……!
 そんなことを考えていると彼は、なぜかパアッと顔を輝かせた。

『ですよね? だから、一緒に買いに行きましょう!』
『――は? 今から?』
『嫌だなあ。仕事中に堂々とショッピングなんて、サボりですよ?』

 腰に手を当てた如月くんが、サボりはダメだと偉そうに首を振る。
 ――くっ、なんか調子狂う。

『今度の土曜、予定はありますか?』

 如月くんが指定した土曜日は、実家に顔を出すことになっている。
 まあ、どうしても帰らなければというわけでもないけど……いや、それよりも。

『買い物はいいとして、どうして君と一緒に出かけなきゃならないの?』
『だって一応パートナーとして同伴どうはんするんですから、ちぐはぐな格好をしていたら可笑おかしいじゃないですか。それに、出席者は朋興を筆頭ひっとうに一流企業ばかりで、量販店にあるような服ってわけにはいきませんよ。本郷さん、一人で百貨店とか行けます?』

 ――うっ、なんで私の考えをお見通しなのよ!?
 私の買い物の定番は、値段が手頃で良心的なお店。たまに百貨店に足を運ぶことはあっても、身体に染みついた貧乏人根性のためか萎縮いしゅくしてしまうのだ。
 そんな私の心情を察してか、如月くんは知り合いの店を紹介してくれるという。

『俺、百貨店に当てがあるんですよ。知り合いだから少しは融通ゆうずうもつけてもらえるし、心強いと思いません?』


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