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チーム

1 ヴェルナー

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 あじさいの城でハリーと会った日。
 ドライバーTのミニバンでそのままボチェクのオフィスへ向かった。
 時刻はまさに、通勤ラッシュ。
 大きくはないが、多少の渋滞もある。アーロンには慣れない事。
 駐車場の中も混雑し、上手くないテクニックのドライバーもいる。
 エレベーターも、この前来た時は誰にも会わなかったのに、この日はボチェクとはぐれそうになる。オマケに、向かい合わせの女性職員に熱い視線を注がれるし。
───朝からナンパする気か?
「このビル、まさかとは思うけど、複合ビルじゃないよ───ですよね、ボチェク部長」
 ニヤリ、と口角を上げるボチェク。エレベーターが空になったので機内は二人だけだが、防犯カメラは付いている筈だ。
「一応、この国の防衛に関する様々な機関が入ったビルだ。大方、事務の人間ばかりだがな」
 友人関係なのだから敬語を使わなくても今は問題にはならないだろうが、上司として接することに慣らしておかなければならない。
「いい心掛けだ、アーロン」
 アーロンは横を向いて眉を上げた。
 ボチェクに着いていくと、今回は事務所に通される。が、ドアの外で待てと云われた。
「おはようございます、ボチェク部長!」
 彼等はボチェクがドアを開けるなり、一斉に挨拶した。
───これだから軍はキライだ。
 ボスを中心とした群れ社会。絶対服従は、どうもアーロンの性に合わない。
 しかし、書類にサインをしたら、従わなければならない。
 ボチェクはヴェルナー=ゲーゲンバウアーを呼ぶ。
「お前のチームに新人が入る」
 そう云って、アーロンを呼び入れた。「アーロン=ワイアットだ」
 顎をしゃくるボチェクに従ってアーロンがドアの内側に一歩踏み入れると、歓声が上がった。よく見ると、それぞれが悲喜こもごもの表情。
「なんだ、日付当てたヤツ、3人もいるのか」
「まさか、賭けをしてたんですか、部長」
 ボヤくボチェクに、ジト目を向けると、更に彼は面白くない顔をする。
「お前と接触出来るのは俺だけだから、お前が断る方に賭けさせられた。負けるに決まってる」
 ボチェクは再度、ヴェルナーを呼ぶ。
「アーロンに署名させろ。済んだらすぐ書類をデータで送れ。10分だ。その後は半日で仕事を全部覚えさせろ」
 ヴェルナーの返事を待たずに、ボチェクは出て行く。すれ違いざま、
「ヴェルナーがお前のリーダーだ。困らせるなよ」
 と、肩を叩いて出て行った。
 アーロンは改めて振り返ると、素早く全員の顔を確認する。どいつもこいつも、あのジムにいたメンツだった。
「アーロン=ワイアット!」
 ヴェルナーに呼びつけられる。タレ目は目が合っても、今日はニコリともしない。
 指示された机はヴェルナーの隣だった。ノートパソコンと、ボールペンだけが置いてある。座ると同時に、ドサッと書類が置かれた。
「質問はなしだ。署名箇所全部にサインしろ」
 ヴェルナーの生真面目さをからかってやりたかったが、この後覚えるべき事に興味を持ったアーロンは、素直にサインをしていく。
 サインをすると、済んだ書類から次々に取り上げられ、スキャンされていく。スキャンされた書類は容赦なくシュレッダーに飲み込まれた。
 サインが全て終わると、同僚を紹介された。といっても、警護担当者は既に見知った顔。
「今事務所にいるのは俺の班の連中だけだ。もう1つの班はハリー殿下の警護中だ」
 恐らく、あじさいの城にハリーを迎えに来た連中だろう。
 それと、サインした書類を処理していた男女も面識がない。
「事務を担当する二人だ。今後は何かと世話を焼いてもらうから、親しくしておけよ」
 ヴェルナーが歩き出そうとすると、呼び止められる。
「入館証を申請するのに、写真を撮りたいんですけど、今宜しいですか、中尉」
「アーロンは客じゃないんだから、いつもの通りに呼べよ、少尉」
 事務員は苦笑いをしながらカメラを持って、アーロンを壁際に立たせた。カメラを構える事務員に話しかけるヴェルナー。
「バックの壁は白でいいのか?」
「パソコンで処理します。服装もスーツに替えときますね」
 ハリーとあじさいの城に立ち寄ったままのアーロンは、勿論、私服。
「身分証の写真なのにいいのか、合成で?」
「これくらいは問題ありません」
「───だそうだ。何か注文はあるか、アーロン?」
「じゃあ、ヒゲを蓄えたいですね」
 アーロンの答に、二人とも意外そうな顔で見返す。
「ヒゲは無理ですけど...。顔をイジるんですか、イケメンなのに?」
「年を取ってた方が信頼されるでしょ、医者は」
 ヴェルナーは口角を上げただけで何も云わなかった。
 事務所を出て、エレベーターで移動する。
「あの時、何故振り返らなかった?」
 ヴェルナーが唐突に云った。事務所と応接室の間にある部屋に、アーロンが待たされた時の事を云っている。ノックもせずに、ヴェルナーはいきなり入ってきたが、アーロンは何のリアクションもしなかった。
「ビビって何も出来ませんでした」
「ごまかすな」
 アーロンの答に被せ気味に否定するヴェルナー。
「あなたの方こそ、機転のきく会話でした。カレル───ボチェク部長も、あなたを高く評価していましたよ」
 そんな風に云われては悪い気はしない。が、それで機嫌を良くする程、ヴェルナーは脳天気ではない。
「部長が高く買ってるのはお前の方だ、アーロン」
 ヴェルナーは初めて振り返り、チラリとアーロンの顔を見た。
「ハリー殿下との噂が出た頃から、ボスはお前に目を付けていた。まさか、自分の肉体改造までするとは、驚きを通り越して、羨ましいと思ったよ」
 もう一度振り返って、肩をすくめて見せた。
───ジェラシーか。
 恋愛感情ではない。学校の先生に気に入られたい、優等生が転入生に抱く感情と同じだ、とアーロンは気付いた。
───カレルが可愛がる訳か。
 そう思うと、アーロンにもこの男が可愛らしく見えてくるから、人間は不思議だ。
「ハリー卿に充てがうためですよ、私は」
「実際のところはどうなんだ? その...殿下とは、ナニを...イタしてるのか?」
 上手い表現が出来ずに、意味なく手を振っている。
───カマトトか!
 内心でツッコみつつ、首を振るアーロン。
「友人ですよ。ボチェク部長は、くっつけたいらしいですけどね。飴玉というか、顔の前にぶら下げる人参にしたいんでしょ」
 エレベーターは地下階で停まった。降りずにドアが閉まると、ヴェルナーは一気にまくし立てた。
「とりあえず、利用するフロアを案内しておく。今停まった階は射撃訓練施設だ。所持品はデスクの引き出しに入れて、施錠を忘れるな。消耗品は事務員に頼め。直属の上司は俺だ。単独で用事がある場合は俺にお伺いをたてろ。事後報告も逐一俺にしろ。肩書は殿下の主治医補佐だが、殿下のお世話係だと思え。それ以外の事も、命令されたら何でもやらなければならない。今日からはハリー卿ではなくハリー殿下だ。分かったか!?」
「ヤヴォール!」
 アーロンが軍隊式に返事をすると、ヴェルナーはフッと笑った。



 他に、医局に案内されたり、資料庫や保管庫等のフロアをざっと案内された。
 最上階にはジムがあったが、一般的な、キレイなトレーニングジムだった。
「あのジムにいましたよね、中尉」
 ボチェクの紹介してくれた、アーロンが使っていたジムの事を云っている。
「あのジムなら地下で繋がってる。少し距離はあるが車で行くより早い」
 ヴェルナーは、それと、と付け加える。
「チーム内ではファーストネームで呼び合うようにしている。俺のことはヴェルナーでいい」
「分かりました、ヴェルナー」
 ヴェルナーは面白くもなさそうに、フンと鼻を鳴らした。
 チームの他のメンバーと親しくなるのには時間は必要なさそうだ。ジムで親しくしていたから。
 ボチェクが直接人選した者が多く、ハリーファンの割合が高かった。
───ハリーの為なら、命を惜しまない連中で固めたのか。
 ハリーはその行動でマスコミに取り上げられ易い存在だったが、その容姿も行動以上にマスコミを寄せ付ける材料には違いなかった。だからこそ、アーロンと連れ立って歩く姿は目立ち、マスコミがこぞって取り上げた。もっとも、二人が付き合っていないと分かると潮が引くように、マスコミはアーロンには近付かなくなったが。
───ハリーはプレイボーイだしな。
 パートナーがころころ変わる。それもマスコミには恰好の的だった。ただしここ最近は入れ替わりが激し過ぎて、マスコミに嗅ぎつけられる前に別れてしまっていたようだったが。
───あいつ、頑張ってんのかな。ハリー...。
 相変わらず、アーロンからもハリーからも連絡を取る事はできなかった。それにボチェクにも釘を刺されていた。
「ハリーを驚かすんだ。摂政就任のサプライズにしてやる。絶対にハリーに漏らすなよ、アーロン」
 ボチェクに口酸っぱく云われた。彼がいちばん楽しみにしているようだったが。
───カレルこそハリーファンの筆頭だな。
 そういえば、ヴェルナーが云っていた。ハリーとの噂が出た頃からボチェクはアーロンに目を付けていた、と。それならハリーの事は?
 ハリーの出生の秘密を、もしかしたらボチェクが暴露するつもりだった、とボチェク自身が云っていた。
───時々ハリーを監視していたんだろうな。
 あの男らしい、と今なら分かる。気の良いオヤジさん、というアーロンの見立ては間違っていた。が、嫌いじゃない。それは彼の視線のどこかに柔らかさがあるからだ。
 ボチェクには、人の成長を見守るのを楽しみにしているような視線を感じる。ハリーに対しても、ヴェルナーに対しても。
───人心掌握術、てとこか。
 アーロンはその手腕を、じっくりと近くで見させてもらうことにした。




 アーロンが入所してから何度目かの射撃訓練の後、同僚数人に拉致られた。
「ヴェルナー、調子悪かったな」
 射撃の訓練ではいつも成績の良いヴェルナーが、今日は命中精度が良くなかった。
「体調が悪いんじゃないのか?」
「専門家から見て、どうだ、アーロン?」
 何人かで集まって、物陰からヴェルナーの様子を伺っている。
「そうだな。専門家目線であの状態を説明できるとすれば───」
「すれば?」
 視線の先で、大あくびをするヴェルナー。
「寝不足じゃないか?」
 残念な空気が流れる。
「なんでっ、寝不足なんだよ」
「オレが知るか」
「使えない医者だな。お前なんの為にいるんだよ」
「ハリー殿下の為」
 再び残念なため息達が床を転がっていく。
「分かってるけど、せっかく医者がここにいるのに!」
「カウンセラーが医局にいるだろ。それに寝不足で射撃の成績が良くないくらいで───」
「いざ、て時に困るだろ」
「ボスとのクッション役なんだよ、ヴェルナーは」
「調子悪いと機嫌悪くなるし」
「借金の返済が...」
 何の話?
「お前行けよ、アーロン」
「面倒見てもらってるから最近親しいだろ」
「機嫌悪いと八つ当たりしてくるし」
「借金ないだろ、アーロン」
 だから、何の話なの?
 もみ合っているうちにアーロンはヴェルナーの前に突き飛ばされた。
「何遊んでんだ、アーロン」
 喫茶室でコーヒーを飲もうとしていたヴェルナーに、不機嫌そうに見下ろされた。
「リーダー思いの先輩達に、リーダーを診察しろと命令された」
「診察ぅ?」
 首を振って、ヴェルナーは自販機のボタンに手をかけ、飲むか、と訊いた。アーロンは貰う、と答えてカップを受け取る。
「リーダーが調子悪いだけで心配になるらしい。『みんなは一人の為に』だな」
「ただの寝不足だ」
「その、ただの寝不足の原因を探って来いとさ」
 鼻を抜けるコーヒーの香り。
「そういえばお前、医者だったな」
「今もそうだ」
「子供を診察できるか?」
「何歳だ?」
「3歳3ヶ月」
「4ヶ月よ、3歳4ヶ月」
 ヴェルナーの家に着くと、早速夫人に訂正された。
「珍しく早く帰ったと思ったら、まさか医者を連れて来るなんて」
「俺だってあの子の事を考えてる」
「そうみたいね」
「掛けて待っててくれ、アーロン」
 リビングのソファに案内され、夫人───ヘッダにコーヒーカップを渡された。
「時々、娘が夜中に熱を出すの。昨夜は吐いてしまって」
「病院には行った?」
 ヘッダは肩をすくめる。
「朝になると熱は下がるのよ。それに、病院は嫌いなの、娘も私も。先生には悪いけど」
「オレも子供の頃は嫌いだった。あの匂いが」
 アーロンも鼻の頭にシワを寄せた。
 ヘッダは気さくに尋ねてくる。
「夕食、まだでしょ」
「あ、お構いなく」
「訊いてみただけよ」
 ウィンクして行ってしまった。
 どこかで聞いた台詞だと苦笑いを浮かべていると、ヴェルナーが女の子を抱いて戻って来た。


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