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油断禁物
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しおりを挟む突然、ハリーのポケットのスマホが震えた。
急いで取り出すと、アーロンから。エナに断って電話に出る。
『すみません、侯爵。事故渋滞に巻き込まれました』
「事故渋滞? 迂回はできないのか?」
ハリーはできるだけ穏やかに云った。
『他の車も考える事は一緒なので、迂回路も渋滞が始まりました。交通整理が始まれば、抜け出せると思います。エナは来てますか?』
アーロンも気になっていたようだ。ハリーは「ああ」とだけ答えた。
『もしかしたら、ラファエルも巻き込まれたかも知れません。もう少し頑張って下さい』
「ああ。慌てた車に巻き込まれないように、気を付けて帰れ」
ハリーはこっそりため息をついて、電話を切った。
すると部屋に入って待っていた執事が、
「ラファエル様からお電話がありました」
「渋滞か?」
「左様でございます」
執事が出ていくと、ハリーは英語でエナに説明した。
「渋滞...」
呟くエナも残念そうだ。
ハリーはふと思い出して、
「そう云えば、前回来た時、アーロンの車に乗ったそうですね」
「はい」
返事をするエナの表情が曇る。ハリーはその話を思い出して、
「災難でしたね。アーロンに変わって謝罪します」
エナには知る由もないが、いつになくハリーは神妙に謝った。
「気にしないで。怪我はなかったし。それより───」
なんとか話を繋ぐ。「ハリーは、アーロン先生と一緒に住んでるの?」
エナが以前、ニューエンブルグ邸に来た時に、会話の所々でそんなニュアンスが受け取れた気がしていた。
「ええ。私達は結婚していますから。それと───」
人差し指を立てる。「私の事は『侯爵』と呼んで下さい、エナ」
「ああ、すみません、侯爵」
エナは慌てて云った。そして、口をつぐむ。
───この国、同性婚ができるんだ...。
カミルと婚約をしてから、エナは自分なりにカミルの母国の事を調べたりしたが、法律の細かい部分は情報が少ない。数字的な事にはあまり興味がなくて覚えられないし、そもそもヨーロッパでEUに加盟していない国がある事も知らなかった。
「不安になるのも無理のない事です」
急に黙ってしまったエナに、ハリーは気を遣う。
エナは「そんな理由で黙った訳じゃないから気にしないで」と云おうとして、云えない。ポンポン言葉が出てくるタイプではない。
ハリーはそんなエナには気付かず、
「結婚を決めるだけでも不安になるものです。それが外国ともなれば、尚更です。しかもへぃ───ラファエルとあなたは人種まで違う。当然、文化も食べ物も常識も違う。勢いで結婚するような二人ではなくて、私達貴族は安心です」
勢い───それも大事だと云う人もいる。エナの母は、習うより慣れろと云った。結婚に当てはめる言葉ではないと思うが。
庭では、めっちゃ大きな犬がお座りして、トレーナーを見つめていた。
「公爵は、どうしてアーロン先生と結婚したのか、訊いてもいいですか?」
変わった結婚をした人が、目の前にいた。
「私達は、もともと一緒に暮らそうと思っていました。結婚は...ラファエルがチャンスを下さったから、その形をとったまでです」
「ラファエルが?」
それはいったいどういう意味?
「ラファエルは、私達の為だけではありませんが、やがて訪れるであろう、少子化問題に備えて、同性婚を考え、何人かの政治家と一緒に法案を出しました。法改正ができたので、私達は結婚したんです」
「カミルが、法案を...」
うっかり国王の名前を呟くエナに、ハリーは咳払い。
「あなたの国とは違い、この国では国王も政治に参加します。しかし彼は民主化についても学んでいらっしゃるので、いずれは政界から身を引く事もお考えかも知れません。まあ、考えているだけで実際には、譲位するまで政治に関わろうとなさるかも知れませんが」
ハリーは肩をすくめた。
カミルの考えている事など、ハリーには予想もできない。アーロンやヴァルターがそう云ってるのを聞いただけだ。
しかしエナにとってハリーの話は、カミルが国王である事をさら、と口にした様子の方が刺さった。エナに対して気遣っているようで、しかしハリーからは、説得のようなものが感じられない。事実をただ、常識のように口にしただけ、みたいな。
「侯爵───」
不意に云い出すエナ。「わたし、結婚してもいいのか知ら?」
何を突然!? しかもハリーの話、全然聞いてなかったな! 所詮、女の子だ。そう思いながらも答えるハリー。
「さあ。私が反対したら、婚約を解消するんですか?」
「......」
判らない。エナ自身も、何故ハリーに訊いたのか。
「まあ、私に云える事は、あなたとの結婚を解消しても、ラファエルはいずれ誰かと結婚をしなければならない。そこに愛などなくてもね」
ハリーには、エナを引き止める気などない。二の足を踏むなら、婚約もやめてしまえばいいのに、とまで思っている。云わないけど。
「侯爵はどうして、アーロン先生と結婚───一緒に住もうと思ったの?」
「私達に、離れて暮らすという選択肢は、はじめからなかっただけです」
エナはまた押し黙った。
カミルは以前、エナにこう云った。
「結婚という形を取らなくてもいい。海を越えて、離れて暮らしても構わない」
と。そして彼は、こう続けた。
「どんな形でも、エナと、繋がりを持っていたいんだ」
だからエナが母国に帰っても、なんらかの連絡は取りたいとも、カミルは云っていた。
「じゃあもし、アーロン先生と離れ離れになってしまったら、侯爵はどうしますか?」
エナの質問に、ハリーはフッと笑った。愚問だ。
「そうならない為に、私は王位継承権を捨てました。一瞬たりとも、それを後悔した事はありません」
エナの目には、ハリーは自信満々に映った。言葉に偽りなし、という事か。
同時に、王位継承権、という言葉も印象に残った。───そうか。ハリーはカミルの叔父さんだったな。
「カミ───ラファエルがわたしに云ったの。離れていても繋がりは持っていたい、て...」
呟くように云うエナに、
「それがラファエルの、どれだけの気持ちを表した言葉なのかは私には分かりません。しかし私はアーロンと結婚、というか、一緒に暮らして良かったと思っています。彼が、分かち合う喜びと、共に乗り越える勇気と、沢山の幸福を私に教えてくれたから」
そう云うハリーは、誇らしげで満足げで、エナはちょっと羨ましかったが、自分もそうなるだろうか、と考える。
結婚しなかった場合、今までと変わらない。あ、でもカミルは誰かと結婚しなくちゃいけないんだ。
結婚した場合、───ハリーくらい幸せになれる? 共に乗り越える、なんて本当に出来るもの? 国王の妻、て何すればいいの?
庭の犬が、緊張する。耳が動くのは、音を探してる? 犬はトレーナーを無視してどこかへ走り出した。
「アーロンが帰って来たようです」
ハリーも犬の様子に気付いてそう云った。
少しして、入って来た執事がハリーに告げる。
「アーロン様と、それから、ラファエル様もお着きになりました」
「一緒にお迎えに上がりますか、エナ?」
聞こえた名前に反応したエナに、ハリーは云った。エナは一度躊躇ってから、立ち上がった。
当主としてハリーがラファエルを出迎え、挨拶をした。案内に立とうと振り返ると、思い詰めた表情のエナがいた。ハリーは大きく一歩、距離を取る。
「エナ...!」
飛びつくように駆け寄ったエナを、カミルは抱きしめた。
───礼儀も慎みもない。
と呆れた目で見るハリーの肩に、アーロンの大きな手が置かれる。
「よろしいじゃないですか、今は」
振り返ると、肩越しにアーロンの微笑み。ハリーはため息をついて、大きな手を握った。
リーヴァイはもうすぐ四歳になる。
「本当に、リーヴァイに云うのか、アーロン?」
ハリーはアーロンの腕の中で、寝落ちしてしまう前に訊く。アーロンはハリーのダークブロンドを手で梳きながら、
「もちろんだよ。ハリーだって、ショックだっただろ?」
ハリーは、異母兄弟にあたる前国王が崩御するまで、自分が王家の血を引くなんて1ミリも知らなかった。そのショックは、まるで父親に捨てられた気分だった。しばらくハリーは義父、ヒエロニムス=フリートウッド公爵に会おうとはしなかったし、会ってもわだかまりを抱えたまま、打ち解ける事が出来なかった。
「でも、───」
ハリーは少し体を浮かせる。「リーヴァイはたった四歳だぞ」
「充分だよ。リーヴァイは賢いしね。それに、今理解できなくても、ちゃんと聞いてるから、少しずつ理解していくよ、彼なら」
しかしハリーの眉間のシワは消えない。
我が子が賢い事は、ハリーにも解っている。しかし、早すぎはしないだろうか。自分の出自について聞かされるのは。
「一般的にも、四歳くらいが適当な時期らしいよ」
「一般的に?」
そうは云っても、同性婚で子供をもうける家庭は、この国には数える程しかない筈。
「例えば、養子だ、とか、同性婚じゃなくても、片方の親とは血縁関係にない、とかね」
アーロンの云い方はちょっと理解し辛いだろうな。そう思いながら、ハリーはアーロンの腕の中に戻る。
「五歳になってから云うのはマズいよ。皇太子としての発表があるんだから、その前後はマズい」
それじゃハリーの時と全く同じになっちゃう。王宮側がどんな方針を取るか分からない。
「ラファエルも、人工授精で子供作ったらいいのに」
「それはいよいよ、てなったらだよ。まだ若いんだし、婚約者もいるんだから、当分先だよ」
ハリーとしては、カミルはヴァルターとでも結婚して、卵子提供を受けて子供をもうければいいと思っている。以前、それをアーロンに云ったら、二人ともその意志は1ミリもない筈だと云われた。ハリーにはエナの存在は薄い。
「それはそうと、リーヴァイの誕生日プレゼント、考え直した?」
「それな...。オーギュストの知り合いに、ツテがあって、ポニーが手に入るかも───」
と話している最中に、ハリーはアーロンに肩を掴まれ持ち上げられた。───えーと、自重で痛いよ、アーロン。
「あ、ごめん。びっくりしちゃって...。だってこの前、馬はダメ、て云ったじゃん」
四歳の誕生日プレゼントが馬!?
「だから、馬じゃなくて、ポニーだから」
「それも馬だろ!? 何百万円するの?」
「ポニーは30万円くらいだ。グレートデーンの方が高いぞ」
アーロンは額に手を当てる。やっぱりお金持ちの感覚は次元が違う。
「せめて...ポニーくらいの大きさのぬいぐるみじゃダメなの?」
「お前ならどっちが欲しい?」
どっちも興味ない!
「ポニーに乗せるくらいなら、ミロに乗せても変わらないだろ?」
「たてがみないだろ、ミロは。それに、リーヴァイが大きくなったら乗れない」
「ポニーだって限度はあるだろ?」
「その時こそ、馬に乗ればいい!」
いずれは馬を与えるつもりだよ、このひと!
「じゃあ、それまではミロで」
「犬用の鞍なんて、見た事も聞いた事もないぞ」
このまま云い争ってると、リーヴァイの誕生日プレゼントが決まらない。
「一旦、動物に乗る、て話は置いといて、ちゃんとしたプレゼントの話しようよ、ハリー」
するとハリーは頬を膨らませて、不満を顕にした。かわいいけど、それとこれとは別。許せ、ハリー。
「じゃあ、お前は何がいいと思うんだよ、アーロン?」
「何か思い出になる体験とかはどうかな、それこそ乗馬とか。ハリーと二人で乗れるだろ?」
ハリーは迷惑そうに眉をひそめる。
「予約とか必要なんだから、もう少し早く云って欲しかったよ。警備の問題もあるんだし」
「ごめん。いろいろ考えても、物質的なプレゼントが思い付かなくて。でもまだ一ヶ月はあるだろ?」
アーロンが頭を掻くのを見て、ハリーはヘッドボードに手を伸ばす。
「トラウゴットに調べさせるよ」
その手をアーロンが掴む。
「待って、ハリー。秘書に連絡するのは、明日でいいよ。ね?」
プライベートの時間の業務連絡は、パワハラと取られる事もあるらしいしね。
ハリーは手を引っ込めて、されるがまま、アーロンに握らせる。アーロンはその手もろとも、ハリーを抱き寄せた。
「リーヴァイは馬を怖がるかな?」
「馬が人を選ぶ事もある。あの子は素直だから、馬の方が彼を気に入るだろ」
ハリーの親バカに、微笑むアーロン。
「しあわせだよ、ハリー」
胸に抱くハリーのぬくもりに、アーロンは思わず告白。
クローンとして造られた自分が、美しく頼もしいキングのような伴侶を得て、ふたりの間には男の子まで授かった。
「ばーか。なに云ってんだ、いきなり」
クスクス笑いながら云うハリー。しかしアーロンは、
「違うだろ、ハリー」
「はいはい。愛してるよ、アーロン」
「オレも愛してる、ハリー。あと、リーヴァイの事も愛してる」
アーロンはダークブロンドに顔を埋める。大好きなハリーの匂いに安心する。
「あとは、お前の子供だな、アーロン」
「...まだだよ」
アーロンの返事には少し、間があった。
「心配なのか? 胎児は三人とも順調らしいじゃないか。大丈夫だ、アーロン」
ハリーは見上げるように上向いて、アーロンの顎に口づける。するとアーロンは、ハリーを抱く腕に力を込めて、小さく「うん」と云った。
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