上 下
94 / 100
油断禁物

5 選択

しおりを挟む

 突然、ハリーのポケットのスマホが震えた。
 急いで取り出すと、アーロンから。エナに断って電話に出る。
『すみません、侯爵。事故渋滞に巻き込まれました』
「事故渋滞? 迂回はできないのか?」
 ハリーはできるだけ穏やかに云った。
『他の車も考える事は一緒なので、迂回路も渋滞が始まりました。交通整理が始まれば、抜け出せると思います。エナは来てますか?』
 アーロンも気になっていたようだ。ハリーは「ああ」とだけ答えた。
『もしかしたら、ラファエルも巻き込まれたかも知れません。もう少し頑張って下さい』
「ああ。慌てた車に巻き込まれないように、気を付けて帰れ」
 ハリーはこっそりため息をついて、電話を切った。
 すると部屋に入って待っていた執事が、
「ラファエル様からお電話がありました」
「渋滞か?」
「左様でございます」
 執事が出ていくと、ハリーは英語でエナに説明した。
「渋滞...」
 呟くエナも残念そうだ。
 ハリーはふと思い出して、
「そう云えば、前回来た時、アーロンの車に乗ったそうですね」
「はい」
 返事をするエナの表情が曇る。ハリーはその話を思い出して、
「災難でしたね。アーロンに変わって謝罪します」
 エナには知る由もないが、いつになくハリーは神妙に謝った。
「気にしないで。怪我はなかったし。それより───」
 なんとか話を繋ぐ。「ハリーは、アーロン先生と一緒に住んでるの?」
 エナが以前、ニューエンブルグ邸に来た時に、会話の所々でそんなニュアンスが受け取れた気がしていた。
「ええ。私達は結婚していますから。それと───」
 人差し指を立てる。「私の事は『侯爵』と呼んで下さい、エナ」
「ああ、すみません、侯爵」
 エナは慌てて云った。そして、口をつぐむ。
───この国、同性婚ができるんだ...。
 カミルと婚約をしてから、エナは自分なりにカミルの母国の事を調べたりしたが、法律の細かい部分は情報が少ない。数字的な事にはあまり興味がなくて覚えられないし、そもそもヨーロッパでEUに加盟していない国がある事も知らなかった。
「不安になるのも無理のない事です」
 急に黙ってしまったエナに、ハリーは気を遣う。
 エナは「そんな理由で黙った訳じゃないから気にしないで」と云おうとして、云えない。ポンポン言葉が出てくるタイプではない。
 ハリーはそんなエナには気付かず、
「結婚を決めるだけでも不安になるものです。それが外国ともなれば、尚更です。しかもへぃ───ラファエルとあなたは人種まで違う。当然、文化も食べ物も常識も違う。勢いで結婚するような二人ではなくて、私達貴族は安心です」
 勢い───それも大事だと云う人もいる。エナの母は、習うより慣れろと云った。結婚に当てはめる言葉ではないと思うが。
 庭では、めっちゃ大きな犬がお座りして、トレーナーを見つめていた。
「公爵は、どうしてアーロン先生と結婚したのか、訊いてもいいですか?」
 変わった結婚をした人が、目の前にいた。
「私達は、もともと一緒に暮らそうと思っていました。結婚は...ラファエルがチャンスを下さったから、その形をとったまでです」
ラファエルカミルが?」
 それはいったいどういう意味?
「ラファエルは、私達の為だけではありませんが、やがて訪れるであろう、少子化問題に備えて、同性婚を考え、何人かの政治家と一緒に法案を出しました。法改正ができたので、私達は結婚したんです」
「カミルが、法案を...」
 うっかり国王の名前を呟くエナに、ハリーは咳払い。
「あなたの国とは違い、この国では国王も政治に参加します。しかし彼は民主化についても学んでいらっしゃるので、いずれは政界から身を引く事もお考えかも知れません。まあ、考えているだけで実際には、譲位するまで政治に関わろうとなさるかも知れませんが」
 ハリーは肩をすくめた。
 カミルの考えている事など、ハリーには予想もできない。アーロンやヴァルターがそう云ってるのを聞いただけだ。
 しかしエナにとってハリーの話は、カミルが国王である事をさら、と口にした様子の方が刺さった。エナに対して気遣っているようで、しかしハリーからは、のようなものが感じられない。事実をただ、常識のように口にしただけ、みたいな。
「侯爵───」
 不意に云い出すエナ。「わたし、結婚してもいいのか知ら?」
 何を突然!? しかもハリーの話、全然聞いてなかったな! 所詮、女の子だ。そう思いながらも答えるハリー。
「さあ。私が反対したら、婚約を解消するんですか?」
「......」
 判らない。エナ自身も、何故ハリーに訊いたのか。
「まあ、私に云える事は、あなたとの結婚を解消しても、ラファエルはいずれ誰かと結婚をしなければならない。そこに愛などなくてもね」
 ハリーには、エナを引き止める気などない。二の足を踏むなら、婚約もやめてしまえばいいのに、とまで思っている。云わないけど。
「侯爵はどうして、アーロン先生と結婚───一緒に住もうと思ったの?」
「私達に、離れて暮らすという選択肢は、はじめからなかっただけです」
 エナはまた押し黙った。
 カミルは以前、エナにこう云った。
「結婚という形を取らなくてもいい。海を越えて、離れて暮らしても構わない」
 と。そして彼は、こう続けた。
「どんな形でも、エナと、繋がりを持っていたいんだ」
 だからエナが母国に帰っても、なんらかの連絡は取りたいとも、カミルは云っていた。
「じゃあもし、アーロン先生と離れ離れになってしまったら、侯爵はどうしますか?」
 エナの質問に、ハリーはフッと笑った。愚問だ。
「そうならない為に、私は王位継承権を捨てました。一瞬たりとも、それを後悔した事はありません」
 エナの目には、ハリーは自信満々に映った。言葉に偽りなし、という事か。
 同時に、王位継承権、という言葉も印象に残った。───そうか。ハリーはカミルの叔父さんだったな。
「カミ───ラファエルがわたしに云ったの。離れていても繋がりは持っていたい、て...」
 呟くように云うエナに、
「それがラファエルの、どれだけの気持ちを表した言葉なのかは私には分かりません。しかし私はアーロンと結婚、というか、一緒に暮らして良かったと思っています。彼が、分かち合う喜びと、共に乗り越える勇気と、沢山の幸福を私に教えてくれたから」
 そう云うハリーは、誇らしげで満足げで、エナはちょっと羨ましかったが、自分もそうなるだろうか、と考える。
 結婚しなかった場合、今までと変わらない。あ、でもカミルは誰かと結婚しなくちゃいけないんだ。
 結婚した場合、───ハリーくらい幸せになれる? 共に乗り越える、なんて本当に出来るもの? 国王の妻、て何すればいいの?
 庭の犬が、緊張する。耳が動くのは、音を探してる? 犬はトレーナーを無視してどこかへ走り出した。
「アーロンが帰って来たようです」
 ハリーも犬の様子に気付いてそう云った。
 少しして、入って来た執事がハリーに告げる。
「アーロン様と、それから、ラファエル様もお着きになりました」
「一緒にお迎えに上がりますか、エナ?」
 聞こえた名前に反応したエナに、ハリーは云った。エナは一度躊躇ってから、立ち上がった。
 当主としてハリーがラファエルを出迎え、挨拶をした。案内に立とうと振り返ると、思い詰めた表情のエナがいた。ハリーは大きく一歩、距離を取る。
「エナ...!」
 飛びつくように駆け寄ったエナを、カミルは抱きしめた。
───礼儀も慎みもない。
 と呆れた目で見るハリーの肩に、アーロンの大きな手が置かれる。
「よろしいじゃないですか、今は」
 振り返ると、肩越しにアーロンの微笑み。ハリーはため息をついて、大きな手を握った。





 リーヴァイはもうすぐ四歳になる。
「本当に、リーヴァイに云うのか、アーロン?」
 ハリーはアーロンの腕の中で、寝落ちしてしまう前に訊く。アーロンはハリーのダークブロンドを手で梳きながら、
「もちろんだよ。ハリーだって、ショックだっただろ?」
 ハリーは、異母兄弟にあたる前国王が崩御するまで、自分が王家の血を引くなんて1ミリも知らなかった。そのショックは、まるで父親に捨てられた気分だった。しばらくハリーは義父、ヒエロニムス=フリートウッド公爵に会おうとはしなかったし、会ってもわだかまりを抱えたまま、打ち解ける事が出来なかった。
「でも、───」
 ハリーは少し体を浮かせる。「リーヴァイはたった四歳だぞ」
「充分だよ。リーヴァイは賢いしね。それに、今理解できなくても、ちゃんと聞いてるから、少しずつ理解していくよ、彼なら」
 しかしハリーの眉間のシワは消えない。
 我が子が賢い事は、ハリーにも解っている。しかし、早すぎはしないだろうか。自分の出自について聞かされるのは。
「一般的にも、四歳くらいが適当な時期らしいよ」
「一般的に?」
 そうは云っても、同性婚で子供をもうける家庭は、この国には数える程しかない筈。
「例えば、養子だ、とか、同性婚じゃなくても、片方の親とは血縁関係にない、とかね」
 アーロンの云い方はちょっと理解し辛いだろうな。そう思いながら、ハリーはアーロンの腕の中に戻る。
「五歳になってから云うのはマズいよ。皇太子としての発表があるんだから、その前後はマズい」
 それじゃハリーの時と全く同じになっちゃう。王宮側がどんな方針を取るか分からない。
「ラファエルも、人工授精で子供作ったらいいのに」
「それはいよいよ、てなったらだよ。まだ若いんだし、婚約者もいるんだから、当分先だよ」
 ハリーとしては、カミルはヴァルターとでも結婚して、卵子提供を受けて子供をもうければいいと思っている。以前、それをアーロンに云ったら、二人ともその意志は1ミリもない筈だと云われた。ハリーにはエナの存在は薄い。
「それはそうと、リーヴァイの誕生日プレゼント、考え直した?」
「それな...。オーギュストの知り合いに、ツテがあって、ポニーが手に入るかも───」
 と話している最中に、ハリーはアーロンに肩を掴まれ持ち上げられた。───えーと、自重で痛いよ、アーロン。
「あ、ごめん。びっくりしちゃって...。だってこの前、馬はダメ、て云ったじゃん」
 四歳の誕生日プレゼントが馬!?
「だから、馬じゃなくて、ポニーだから」
「それも馬だろ!? 何百万円するの?」
「ポニーは30万円くらいだ。グレートデーンの方が高いぞ」
 アーロンは額に手を当てる。やっぱりお金持ちの感覚は次元が違う。
「せめて...ポニーくらいの大きさのぬいぐるみじゃダメなの?」
「お前ならどっちが欲しい?」
 どっちも興味ない!
「ポニーに乗せるくらいなら、ミロに乗せても変わらないだろ?」
「たてがみないだろ、ミロは。それに、リーヴァイが大きくなったら乗れない」
「ポニーだって限度はあるだろ?」
「その時こそ、馬に乗ればいい!」
 いずれは馬を与えるつもりだよ、このひと!
「じゃあ、それまではミロで」
「犬用の鞍なんて、見た事も聞いた事もないぞ」
 このまま云い争ってると、リーヴァイの誕生日プレゼントが決まらない。
「一旦、動物に乗る、て話は置いといて、ちゃんとしたプレゼントの話しようよ、ハリー」
 するとハリーは頬を膨らませて、不満を顕にした。かわいいけど、それとこれとは別。許せ、ハリー。
「じゃあ、お前は何がいいと思うんだよ、アーロン?」
「何か思い出になる体験とかはどうかな、それこそ乗馬とか。ハリーと二人で乗れるだろ?」
 ハリーは迷惑そうに眉をひそめる。
「予約とか必要なんだから、もう少し早く云って欲しかったよ。警備の問題もあるんだし」
「ごめん。いろいろ考えても、物質的なプレゼントが思い付かなくて。でもまだ一ヶ月はあるだろ?」
 アーロンが頭を掻くのを見て、ハリーはヘッドボードに手を伸ばす。
「トラウゴットに調べさせるよ」
 その手をアーロンが掴む。
「待って、ハリー。秘書に連絡するのは、明日でいいよ。ね?」
 プライベートの時間の業務連絡は、パワハラと取られる事もあるらしいしね。
 ハリーは手を引っ込めて、されるがまま、アーロンに握らせる。アーロンはその手もろとも、ハリーを抱き寄せた。
「リーヴァイは馬を怖がるかな?」
「馬が人を選ぶ事もある。あの子は素直だから、馬の方が彼を気に入るだろ」
 ハリーの親バカに、微笑むアーロン。
「しあわせだよ、ハリー」
 胸に抱くハリーのぬくもりに、アーロンは思わず告白。
 クローンとして造られた自分が、美しく頼もしいキングのような伴侶を得て、ふたりの間には男の子まで授かった。
「ばーか。なに云ってんだ、いきなり」
 クスクス笑いながら云うハリー。しかしアーロンは、
「違うだろ、ハリー」
「はいはい。愛してるよ、アーロン」
「オレも愛してる、ハリー。あと、リーヴァイの事も愛してる」
 アーロンはダークブロンドに顔を埋める。大好きなハリーの匂いに安心する。
「あとは、お前の子供だな、アーロン」
「...まだだよ」
 アーロンの返事には少し、間があった。
「心配なのか? 胎児は三人とも順調らしいじゃないか。大丈夫だ、アーロン」
 ハリーは見上げるように上向いて、アーロンの顎に口づける。するとアーロンは、ハリーを抱く腕に力を込めて、小さく「うん」と云った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

処理中です...