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天使が訪れる

2 ひとりぼっちじゃない

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 ある建物の前で、ステファン=ベルジュは車を停めた。
「あれ、駐車場は地下だよ、ステファン」
 助手席で、ヤン=ハイゼがやんわり促す。
「僕は、ここで待ってるよ」
 ステファンの態度は頑なだ。ヤンはわざとらしくため息をついた。
「じゃ、僕は一人で行って来るよ。ステファンはここで待ってて」
 ヤンはステファンの腕をそっと握って、車から出た。
 ヤンの姿が見えなくなってから、ステファンはため息をついた。
 保護されたオイゲン=シュナーベルは逮捕され、鑑定留置となった。精神鑑定を受けるが、三ヶ月程かかるらしい。その間に、アーロンが云ったように、相手に感化される性質なのかどうかが診断される。
 エイリヒ=ブスも容疑者として勾留され、それによってゲロルト=ブリングマンに関する被害届けは不受理となった。
 しかしゲロルトには、エイリヒを暴行したことは不問という訳にはいかず、厳重注意が云い渡された。
 ステファンとゲロルトは、あれからずっと、会っていない。いつも三人だったから、ステファンとヤンの二人だけ、というのはなんだか落ち着かなかった。ヤンの再三の頼みにステファンが応じて、今日は、ゲロルトを職場まで迎えに来た。
「事件を担当してなければこの時間には帰れる、てゲロルト云ってたから、大丈夫」
 そう云ってヤンはステファンを連れて来た。そして10分と経たずに建物から出て来た。
「運転免許取り立てホヤホヤなんて、大丈夫なのか、ヤン?」
「実はあんまり自信ないからさ、───」
 ヤンに着いて出て来たゲロルトは、目ざとく車を見つけて踵を返す。
「ちょっと、ゲロルト!」
「仕事を思い出した。悪いがヤン、今日はムリだ、俺」
 ヤンも慌ててゲロルトを捕まえる。
「僕の説得に、やっと折れてくれたんだよ、ステファンはっ。それでここまで来てくれたのに、断るなんてヒドいよ、ゲロルト!」
「ああ、そうだ。俺はヒドいヤツだ。だが仕事があるんだから仕方ないだろ」
 建物の前でスーツのジャケットを引っ張り合って揉める二人。ステファンはうんざりして、車のギアに手をかける。
「おい、ヤン、車!」
「えっ、ちょ、ステファン! ステファン!?」
 メタルブルーとホワイトのツートンカラー。おシャレでかわいいコンパクトカーは、建物の前で揉み合う二人に向かって突進してきた。
「あぶない!」
 市街を歩くギャラリーの悲鳴が轟く。
「す...ステファン」
 ヤンはボンネットに縋り、ゲロルトは建物のドアと車の隙間に倒れて背中を打った。車が止まった事に安心すると、ゲロルトの後頭部がガラスドアをコツン、とノックした。
 車から出て来たステファンは、冷たい視線で見下ろす。
「ぐずぐず云ってないで、さっさと乗りなよ」
 3分後、ゲロルトは車に乗った事を後悔していた。
「次の信号を左だからね、ヤン」
「さっ左折、左折、左折!?」
 車は左ハンドル、右側通行。市街の大通り。そのハンドルを握るのは、ヤン。助手席にステファンが座ってヤンの面倒を見る。
 体が大きめなのに、抱え込むようにハンドルを握るヤン。肩に力が入っている。ブレーキもアクセルも踏み込むのについ力が入ってしまう。
 後部座席のゲロルトは意外に落ち着いて座っていたが、最後までシートベルトを両手で握っていたらしい。
 うるさかったのはヤン。何か操作をする度に、きゃあきゃあ悲鳴を上げる。
「止まって!」
「動いて!」
「来ないで!」
「危ない!」
「やだやだやだ~!」
 ステファンはナビをしながら、笑いをこらえるのに苦労した。
 なので、目的地に着いた時、ゲロルトは命が保った事に心底安堵し、ヤンは過度の緊張に疲労困憊し、ステファンは笑ってはいけない我慢から解放されてホッとした。
 目的地はスーパーマーケット。料理のできるステファンがメニューを決めて、材料をカゴに入れる。
 ステファンとゲロルトは意志の疎通が悪く、無言で食材の出し入れの攻防を繰り返す。ヤンはただ、オロオロするばかり。
 スーパーを出るとステファンの自宅マンションへ向かった。
「何にもないんだな」
 ゲロルトがつい、呟いた。
 ステファンは部屋に物を置かない。音楽も本も情報も、全てネットで検索してその場で見たり聞いたりする。写真だってスマホの中にあるから、部屋の中は基本、引っ越して来た時のまま。私物は服くらいだ。
「だからさ、これ」
 ヤンがカバンいっぱい持って来たのは、プラスチックブロックの積木でできた、おもちゃのオブジェ。城や車や大きな帆船。
「これ、お前が作ったのか、ヤン?」
「うん。子供の頃から大好きなんだ」
 大きさと再現性の高さに、ゲロルトは感嘆するばかりだ。
 色使いも派手過ぎず、作品ごとに統一感があって、何もないステファンの部屋が、却っておしゃれになった。
「座って、二人とも」
 テーブルセッティングをして、呼びかけるステファン。テーブルクロス、皿、グラス、カトラリーが、センス良く配置され、ランクの高いレストランのようだ。
 ステファンがスマホに命じて、BGMを流す。モーツァルトのメヌエットニ長調が流れ出した。
「ステファンは料理上手だよね」
 ヤンはプロ級のディナーに舌鼓をうつ。前菜、スープ、メイン、スイーツまで、全てが本格的。
「ご両親に教わったの?」
 ヤンの質問に、ステファンは否定の答え。
「じゃあ、どこかで修行したの?」
───ちょっと修行したくらいじゃ、こんな腕、身につかねえぞ。
 ヤンの質問を聞きながら、ゲロルトは美しい盛り付けや絶妙な味付け、火の通り具合に舌を巻く。食に詳しい訳ではないが、良し悪しくらいは多少は解るつもりだ。
「レムケにいた頃に、身につけたんだ」
 食後、ワインやウィスキーを飲みながら、ヤンの持って来たブロックのおもちゃで遊ぶ。
「そんなに興味を持ってくれるなら、もっとたくさん持って来ればよかったな」
 ゲロルトはすぐに飽きてしまったが、ステファンはブロックで出来た車を観察して、制作にも挑戦したが、パーツが足りなくてあえなく断念した。それでも熱心に帆船を観察していた。
「僕の事も見てよ、ステファン」
「はっ...んむ...」
 ステファンは突然ヤンに抱きすくめられ、深く口づけられた。一度離れても、何度もステファンの口を塞ぐヤン。
 いつもならヤンの行動をからかったりしながら、次のアクションのアドバイスをするゲロルトが、今夜は黙って知らんぷり。
「仲直りしてよ、二人とも」
 ヤンにも思い描くシナリオがあったのかも知れないが、酔ってしまってはもう、直接的な言葉しか云えない。
 しかも仲直りしろと云いながら、
「スローフォックストロットの曲をかけて!」
 とスマホに指示する。
「社交ダンス!?」
 ステファンの言葉を聞いて、吹き出すゲロルト。
「踊れなくてもいいよ、ステファン。僕がリードしてあげる」
 社交ダンスとは、なんだかヤンにマッチしてるが、何故か滑稽な響きだ。そうゲロルトは思ったが、ヤンだけでなくステファンまで、美しく踊っている。
「ステファンて、本当に何でも出来るんだね」
 とヤンは喜ぶが、ステファンは複雑なようで。
───踊れる自分がコワい。
 女性パートを踊りこなしている。コワいも何も、レムケに入社してから仕込まれたのだから、踊れて当然なのだが。
 しかし5分も経たないうちに、ヤンはステップを踏むのをやめた。
「チークにしようよ、ステファン」
「ち、チーク?」
 身長差があり過ぎて、ステファンはまるでヤンにぶら下がっているように見える。
───こんなので、ヤンは満足してるのかな?
 と、遠慮がちにステファンが見上げると、ヤンと目が合った。途端にヤンの目の色が変わる。
「かわいい、ステファン!」
 ヤンはステファンをひょいと抱き上げ、ソファに押し倒した。
「ふ、ぁっ...んん」
 ヤンは鼻息荒く、むさぼるようにステファンに口づける。乱暴に服を捲り上げると、ステファンの華奢な胸に吸い付く。
「あっ、ヤン...いたっ」
 ヤンに吸い千切られるかと思った。
「僕もう我慢できない、ステファン!」
「ちょ、まっ、ヤン、や...ああっ!」
 ボトムを剥き取られ、まだ固くないステファンの中心を咥えられた。驚きと戸惑いとは裏腹に、ステファンのモノは固くなり、昂められていく。
「っ...ヤンっ!」
 性急なヤンの動きに、何も考えられないステファンは首を反らせる。そこに影が差す。
───ゲロルト...っ!
 ウィスキーのグラスを揺らしながら、薄っすらと笑みを浮かべて覗き込んでいた。
「や...ヤン、ヤンっ...ダメ...っ」
「それじゃ、ヤンを煽ってるみたいだぜ、ステファン」
 ヤンの蹂躙を受けるステファンを見て、ニヤニヤ笑うゲロルト。ステファンは悔しさと屈辱で涙目になる。
「げろる...たす...」
 溢れた涙が目尻を滑り落ちると、乱れたブロンドの巻毛をかき上げて、
「ヤン! もっと優しくしろ、バカ!」
 ゲロルトが怒鳴った。ヤンは飛び起きてステファンの顔を見下ろす。
「ご、ごめん、ステファン! 大丈夫? 痛かった?」
 うろたえるあまり、今度は指先で触れる事さえできないヤン。しかしステファンは涙をヤンに見せたくなくて、両手で顔を覆った。それを見てヤンの方も泣きそうになる。
───ったく、世話の焼ける奴らだ。
 ゲロルトは呆れた顔で肩をすくめ、
「もっと飲むか? それともコーヒーにするか?」
「コーヒーにする。ステファンは?」
「僕も...コーヒー...」
 ゲロルトがコーヒーを淹れてやると、二人はやっと落ち着いた。
「ホントにいいの、ヤン? 狭いだろ?」
 ベッドの上からステファンが覗き込んだ。その視線の先には、ベッドに沿うように置いたソファに、横たわる大柄なヤン。
「いいんだ。また夜中に我慢できなくなって、ステファンを襲ったら僕は二度と、君に会えそうにないから。そっちこそ、二人でいいの?」
 ベッドにはステファンと、ゲロルトが一緒に寝る。
 コーヒーをゲロルトに淹れて貰ったら、ステファンとの溝が少し埋まったようだ。元々二人とも、ヤンのようにはしゃぐ質ではないが、言葉もあまり交わさずに、並んで横たわる。
───どうしてこうなったんだろう、僕たち。
 ゲロルトがオイゲンの事でヒントをくれたのは、別に恨んだりはしない。確かに、クリストハルトの死の真相を知ったからといって、彼が生き返る訳じゃないけど。
───アーロンは、知りたくなかったみたいだ。思い出を大事にして、クリスを大事に想ってないのかな...。
 目を閉じたまま、ステファンはあの場面を思い出す。
───そうだ。アーロンは、思い出を美しいままにしておきたい、て云ったんだ。そのまま終わらせようとして...。
 ゲロルトが変貌した。本音というか、悪いところを見せたというか。
 ステファンは隣にいるゲロルトをそっと見上げた。狭いベッドで横向きになり、肘枕で目を閉じている。
 ステファンはそのまま、また目を閉じた。
───アーロンは、ゲロルトの事も思い出にするつもりなのかな。ハリーとの結婚を条件に、それまでの交友関係を絶とうとしてるの?
「眠れないのか?」
 ゲロルトの囁く声が降ってきた。ステファンは目を開けて、小さく首を振る。
「アーロンを恨んだり憎んだりしないで、ゲロルト」
 ステファンが囁くと、ゲロルトはゆっくり深呼吸して、眉を上げる。
「あいつは俺のこれまでの人生で、いちばん輝いてるよ。───」
 ゲロルトの手が、巻毛を撫でる。「これからの人生は、俺はお前らと一緒に輝く」
 おどけた顔で、肩をすくめた。
───これが、アーロンの云ってた『ゲロルトの優しさ』なのかな。
 巻毛を撫でられて、ステファンの気分が落ち着く。
───僕には、僕の人生しか生きられない。僕たちはそっくりに生まれたけど、そっくりな人生にはならないんだね、クリス。
 不意に、下の方から言葉にならない声がした。覗き込むと、ヤンが苦しそうに寝返りをうったところだった。
 おかしさを堪えるステファンの後ろで、ゲロルトも息を止めて堪えていた。
───僕とゲロルトは一緒にいる事で、アーロンへのこだわりが強くなってしまったんだ。でも、そんな必要は最初からなかったんだ。
 ヤンがいてくれて、ゲロルトもいる。それでいいんだ。
───アーロンなら、大丈夫だよ、クリス。きっと死ぬまで、彼は一人ぼっちにはならない。
 ゲロルトが毛布をかけ直してくれる。そのまま置かれた腕の重みが、ステファンには頼もしかった。
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