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イベントは国王主催で

7 勝組アーロン

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 ゲロルトの話はまさに、青天の霹靂だった。
 オイゲンがクリストハルトを殺した、というのだ。
「確かなの?」
「本人がそう云った。エイリヒに、やらせた、て」
 ゲロルトの表情は強張っていた。アーロンは、俄には信じられない。
───今更、何を云い出すんだ!?
 信じられない。なのに、目の前が一瞬砂嵐になる。視線を逸らすフリをして、アーロンは俯いて、車に腰で寄りかかる。
「方法は?」
 早まる呼吸を抑えて、短く声を絞り出す。
「クリスが寝込むようになると、食事もベッドに運んでた。そのスープに、少しずつ洗剤を混ぜてた、てオイゲンは云ってた」
 食事を運んでたのは確かだ。アーロンも運んだ事があった。でもその時は、キッチンに直接アーロンが取りに行って、誰にも渡さなかった。
「エイリヒ...」
 クリスに食事を運ぶ程になってからは、エイリヒは近づかなかった筈だ。確かに彼は、クリスとは決して仲は良くなかったが。
「アーロンが卒業してからだそうだ。お前がいる間は、殆ど付きっきりだったからだ、て」
「信じないよ、オレは。───」
 アーロンは無意識に腕を組む。「疑問だらけだし、本人から聞かないことにはね」
「今オイゲンは...逃げてる」
 ゲロルトは初めてアーロンから目を逸らした。
「話したの、ステファンに?」
「俺じゃない。ステファンは直接オイゲンに会いに行って、問い詰められたオイゲンが話したらしい」
 ステファンはどうして───ゲロルトに掴みかかりそうになり、アーロンはその手を額にあてる。
「ゲロルトは───」
「俺は、オイゲンが店から逃げる直前に電話してきた時、ステファンが会いに行ったのを知った。あの子が何故クリスの事を知ったのかは分からない」
 アーロンは眉をしかめる。今更クリスが殺されたと云われても、信じられない。まずはオイゲンから話を聞かなければならない。
───取り敢えず、現状を正確に把握しよう。
「ステファンが、オイゲンの働いてる店に、問い詰めに行ったんだね。そしてオイゲンはクリスを殺したと話して、店から逃げた。───今はまだ、オイゲンは逃げてるの?」
 アーロンの問いの一つひとつに頷くゲロルト。
 ステファンが追いかけて逃げ切れるなんて...。
「オイゲンは、一人じゃないの?」
「クローンと一緒らしい」
 マシューのクローンか!
 ステファンが手間取る理由が分かった。繋がりや理由は分からないが、クローンがオイゲンを逃したのか。ステファンと渡り合えるなんて、普通の人間ではあり得ない。
「ステファンは、今どこにいるんだ、ゲロルト?」
「僕はここにいますよ、先生」
 振り向くと、ステファンは車の向こうにいた。こめかみ辺りを切ったらしく、目尻の横に赤い筋があった。
「先生も、行くでしょう?」
「やめろ、ステファン!───」
 怒鳴るゲロルト。「止めてくれ、アーロン」
 アーロンは息を吐いて、ステファンに云った。
「行かないよ、オレは」
「どうして!?」
 ステファンは冷静ではない。ブルーの瞳も声も、いつもの冷静さが失われていた。
「オイゲンがクリスを殺したという、証拠がない」
「本人が云ったんだっ、僕の目を見て!」
 怒鳴るステファンに、アーロンはわざと杓子定規に反論する。
「自供が必ずしも事実とはいえない。自供に基づいて証拠を揃えて───」
「クリスが死んだのは事実だ!」
 今のステファンは、逆上している。あんな顔は見たことがない。自分の事なら、まるで捨鉢なくらいに冷静なのに。
「エイリヒの証言だって必要だ」
「オイゲンから話を聞けば分かる! あの態度を見れば、アーロンだってヤツを許す事はできない!」
「クリスは喜ばないよ、ステファン」
 アーロンが静かに云うと、ステファンは目を見開き、唇を噛んで、そしてアーロンを睨む。まるでアーロンを責めているように。
「もし私がクリスなら、ステファンにはそんな事して欲しくはない」
 ステファンは俯いてしまう。しかしその拳は、より固く握られる。
「そりゃそうだよね。アーロンはもう、ハリーと結婚するんだもん。もう随分前から、クリスの事なんてどうでもいいんだ。そうなんだろう?」
 ステファンの声は震えている。怒りを抑えながら、吐き捨てるように云った。
「どうでもいいとは思わない。でも、クリスを理由に人を傷つけるのは嫌だし、君にも傷つけて欲しくないよ、ステファン」
「じゃあ、どうすればいいの? 殺されなければクリスは、アーロンと一緒に、暮らせたかも、知れないのに...」
 ステファンの声は、嗚咽に変わっていた。
「ああ。そうかも知れないな」
 そう云ってアーロンは、辺りを見渡した。
 そこはおそらく林業に使われる道で、アーロンの乗ってきた王宮の高級車は場違いだ。乱立しているように見えて、一定の間隔で生えている木々。きちんと刈られた下草と、剪定された隙間から溢れる陽光。それと、鳥の声。
 もしクリスとこんな所へ来ていたら、静かに寄り添いながら本を読み、賛美歌か学校で習った歌でも歌いながら歩いて帰るのだろう。
「クリスとの思い出は美しい。そのまま、そっとしておいてくれないか、ステファン」
 アーロンは歩み寄って、ステファンの小さな肩を抱いた。ステファンはアーロンの胸に縋りながらもイヤイヤをしたが、強くは抵抗しなかった。
「どいつもこいつも、自分勝手だな」
 それは、ゲロルトの声だった。アーロンは振り向いて、拳銃を構える幼馴染を見た。
「どこまでが、本当なの、ゲロルト?」
「俺が嘘を云ってると思ってるのか、アーロン? 全部本当だ!」
 ゲロルトは本当に捜査官。さすがにその怒鳴り声には、ドスがきいている。
「エイリヒ=ブスが被害届を出してるそうだ。彼を暴行したの?」
 アーロンは他愛ない会話のように尋ねる。しかしゲロルトの頬が引きつる。そして鼻で笑う。
「クリストハルトの名前を出したら、それだけで謝り出したんだ。でも謝るばっかりで何も云わないから、ちょっと手をあげたら全部吐いた」
「オイゲンは、認めたの?」
 すると今度はつまらなそうに、
「最初はオイゲンが、呑んだ時に漏らしたんだ。『スープに洗剤でも混ぜたら、弱ってるからすぐ死んじゃうよ』て、エイリヒの前でうっかり云った、てさ。それをエイリヒが間に受けたんだ。殺人教唆だろ」
 最後は居直って云った。アーロンは何度も頭を振る。
「だから、て君が...」
「俺は大した事はやってない。ステファンにだって何も云ってない。そうだろ、ステファン?」
 するとステファンは立ち上がる。アーロンはそっと話しかける。
「ダメだよ、ステファン」
 ステファンは察しがいい。ゲロルトが匂わせただけで、ゲロルトから直接聞かなくても、推理して暴いた。ゲロルトは、それを狙っていたんだ。
「昔、オレを嵌めたよね、ゲロルト」
 修道院で自殺者が出た。ずっと後で知ったが、ゲロルトの恋人だったらしい。アーロンが原因だという事になっていて、だからアーロンは恋愛タブーにされたのだ。
「感謝しろよ。そのお陰でお前は、上級生に輪姦まわされずに済んだんだ」
「ステファン!」
 銃声が轟いた。
 ゲロルトはステファンによって、木の幹に押さえ付けられていた。彼の持っていた拳銃から、薄っすらと煙が立ち上って消えた。
「どうして...」
 ステファンはゲロルトの喉を軽くキメながら云って、唇を噛む。アーロンは拳銃を取り上げて、駆けつけた近衛兵に渡した。
「もう、いいだろ、ステファン」
 他の近衛兵がゲロルトを拘束する。アーロンはステファンの肩を抱いて車の方に連れて行く。
「余裕だよな、自分だけ出世して、玉の輿掴んで、いい思いして...お前は昔から誰からも好かれて、可愛がられた。俺たちとは最初から人生が違ってた。何もかも、お前の望む通りだ!」
 ゲロルトの吐きかける言葉に、アーロンは答えず黙って、マルガレータの開ける車のドアの中へ、ステファンと共に消えた。
 後部座席に身体を預けると、アーロンはどっと疲れを感じた。
「先生...」
 ステファンが、心配そうに見上げる。アーロンは困ったような顔を向けたが、携帯が鳴る。
「オイゲンが、保護されたそうだよ」
 電話を切ると、アーロンはステファンに伝えた。
「そうですか...」
 項垂れて、ステファンはそれだけ云った。アーロンは、
「ゲロルトの云った事は、本当だと思うよ。オイゲンてさ、相手の気持ちが解かる、ていうか、感染うつってしまうようなところ、昔からあったから」
 エイリヒがクリストハルトを憎く思っていたらオイゲンも同じくらい憎く思う。クリストハルトがアーロンを恋しいと思うと、話が合って盛り上がる。
 ステファンが「殺した」と決めつければ、「そうだ」と云ったのかも知れない。
「じゃあ、ゲロルトが...」
「どこまで感化されるのかは分からないし、オイゲンが常に誰かに感化されているのかも分からない。でも、自分の云った事は記憶していたのかもね」
 オイゲンが教唆の事実を、どんな思いでゲロルトに吐露したのか、本人に訊かなくては分からない。
「ゲロルトはどうして...。あれは彼の本当の姿なんですか、先生?」
「いつもは優しいよ、君の知ってる通り。でも、追い詰められたりすると、他人のせいにしてしまうんだろうな」
 恋人が自殺したと分かった時、それと、エイリヒに暴行した時。
 修道院にいた頃、ちょっと手が早くてみんなに怖がられていた。それが捜査官として、仕事に就いて人並みの人生を歩んでいる。周囲も同じような生活水準で、同じような不満で、同じような楽しみを持って生きている。
 同じ修道院に暮らしながらもアーロンは、定期的に生活費が送られ、修道士たちに大事にされた。可愛らしくて上級生にも人気があった。
 再会すると、医者の免許を持ちながら、尚かつ王宮に勤めていると聞いた。やがて摂政と結婚するという。
 何もかもが順調で、人並み外れて優れていて、望むものは全て手に入れている。
「ゲロルトは先生を巻き込んで、幸せを壊したかったんでしょうか」
 ステファンは虚空を見つめて云った。
「今云った事は、私の想像に過ぎないよ。意外に愛情の裏返しかも?」
 アーロンはかなりふざけてそう云った。ステファンは少しイラッとして、ヘーゼルの瞳を見つめる。
 クリスが「息が止まるくらい綺麗で怖い」と書いていたけど、黄色みが強いだけの普通のヘーゼルの瞳だ。
 ステファンはまた前を向いて、
「先生だって、いい事ばかりじゃなかったのに」
 クローンと分かって、ハリーと離れ離れにされたりもした。誘拐されて拷問にも遭った。
 ステファンは頭を振る。
───ゲロルトが知る訳ないよな。
 今のアーロンは、他人の目からは神に愛されてると思えるだろう。
「オイゲンの事は、慎重に聴取を取ってもらって、報告が上がったらステファンにも教えるよ。もし本当にオイゲンが、人から感化されてしまうなら、それを証明する為の期間が必要になる。そしてそれが、殺人教唆になるのかも含めて、ステファンにも知らせるよ」
 その解答が出るまでには、数カ月の時間が必要だ。そこには言及しなかったが、ステファンなら分かっているだろう。
「もう一つ、訊いてもいいですか、先生?」
 ステファンは浮かんだ疑問を、少しだけ覚悟を持って訊いてみる。アーロンは軽く答える。
「いいよ」
「クリスの死を知った時、悲しかったですか?」
 アーロンは正直に答えるだろう。予想より早かった、とか云われても堪えよう、とステファンは思った。
 アーロンはため息をつくようにフッと笑って、
「ちょっとだけ、取り乱したな、あの時」
「取り乱した...?」
「ちょっとだけだよ」
 本当は一人で立てない程、取り乱していた。ハリーが心配してくれたっけ。
「殿下が、一緒にいてくれたな」
 ステファンにとっては、安堵と衝撃だった。
「なんです?」
 黙り込んだステファンを、アーロンがニヤニヤしながら見下ろしている。
「いや。...ステファンはいつも、怒ってるね」
 ハリーみたいだ。───そこまでは、アーロンは思ったけど云わなかった。また怒られちゃう。ステファンの膝の上の拳が、固く握り直された。
 その拳をごまかすように、ステファンはアーロンを見上げて笑う。
「先生───」
 ブルーの瞳を揺らしながら、「クリスの事、愛してくれてありがとう」
「ステファン...!」
 呆気にとられるアーロンを残して、ステファンは車から降りた。自分の車に向かって、風を切るように走った。



 ゲロルトには、エイリヒを暴行したとして、逮捕状が出ていた。
 アーロンはそれを、事前に知っていた。摂政の婚約者となると、知り合いの情報は良し悪し問わず入ってくる。
 ただ、悪い方には考えたくなかったし、ゲロルトの面倒見の良さはアーロンがいちばんよく知っていた。だからきっと、悪い呼び出しではないと思いたかった。
 ゲロルトの云った事は、他人からのアーロンに対する見え方だ。それは仕方がない。
 心配なのは、ステファンだ。
 せっかく、人に心を開くようになったのに、また閉ざしてしまわなければいいが...。
───ステファンの借り、返し損ねたな。
 ゲロルトの乗せられた車が行ってしまうまで、アーロンは車を出さなかった。
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