あじさいの城4 ―アルテミスの娘―

かしわ

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期待と不安

9 鼻っ柱をへし折る

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 黙って聞いていたハリーは顔を上げた。
「カミルはアーロンを...どうするつもりだ?」
 ハリーが摂政を退任した後、アーロンはカミルの元で仕事をする事になっている。
「安心して、ハリー。アーロンは誰かに利用されたりしないわ。彼はもう決めたから。あなたを守る、て」
 それは、自分で自分にプログラムした、という事か?
「分からないのよ。細かな経過観察とか、同じ条件の別の検体との比較とか、そういった事ができないから。いつ、どのようなプロセスで、ハリーを守護の対象にするとアーロン自身が決めたのか」
 そもそも何故、アーロンは死亡しないで成長したのかも、分からない。
「それでもあなたを守ると決めたから、アーロンは惑わされたり倒れたりしないわ」
 決めた事をやり通すには、自分自身が確固たるものでなければならない。
 「でもね」とジョオは遠くを見つめる。
「可愛かったのよ、アーロン。素直で賢くて我慢強くて、いい子だった。だから、兵士にはしたくなかった」
「まるで自分の手で育てた、みたいに云うなよ」
 ハリーはなんだか気に入らない。それでもジョオは構わずに、
「結果的にアーロンは、他の人と違和感なく育って、今を生きてる。大切な人を失ったりもしたけど、ハリーにも出会えた」
 ジョオのアーモンド型の目が、嬉しそうに細められる。
「彼の事なら心配ないわ。発作とかハリーの命令に従うとか、ヘンに丈夫だとか、ぜつり───」
 咳払い。「諸々も、彼の個性に過ぎないわ」
 ハリーはある一瞬に眉をひそめる。忘れて忘れて。
「アーロンはあなたの事が本当に好きなの。あなたの為には文字通り命も惜しまないわ。でも脆いところもある、他の人と同じように。それでも、───」
 愛しそうに栗毛を撫でる。「私のアーロンをよろしくね、ハリー」
「問題は、オレだ」
 ハリーはそっぽを向きながら鼻を鳴らす。
「ですって、アーロン。どう思う?」
 ジョオはアーロンの肩に手を置く。幼いアーロンはハリーを冷静に見上げる。ヘーゼルの瞳は生意気に賢そうで、しかし吸い込まれそうなくらいきれいだ。白い頬には朱が差し、薄い唇は花のようなピンク色。
「ヤバ...」
 ジョオがいなかったら、ハリーは間違いなくこの子を膝の上に引きずり上げていた。てゆーか、そうしたい衝動が半端ない。
───ごめん、アーロン、オレ...ん?
 この子はアーロンなんだから、浮気した事にはならない...のか?
───いっそ今のうちに、云う通りになるように調教して...。
「コホン!」
 絶対わざとの咳払い。あ、まだいたの、ジョオ?
「なんの心配もしてないじゃない!」
 怒られた。
「いやだって、アーロンじゃん、こいつ!」
 ハリーが膝に乗せる前に、アーロンはジョオに肩を持っていかれる。
「悲しかったら私に云いなさいね、アーロン。その時はハリーの記憶を全部消してあげる」
 自分が忘れるより、相手に忘れられる方が、辛い。胸の奥に繋がる気道を絞められる気分だ。
「待て、ジョオ」
 ハリーは真顔で止める。その声に、肩を抱かれたアーロンが振り返った。ハリーをジッと見つめる。しかし、何も云わない。
「アーロン...」
 さっきから、知らない人を見るような目でハリーを見ていた。確かにハリーも、この幼いアーロンは偽物か幻だと思っていた。もし、見た目だけが幻で、中身は元のアーロンだとしたら───。
「来いよ、アーロン」
 差し伸べるハリーの手を見て、アーロンはジョオの顔を見上げる。ジョオは柔らかい表情だがアーロンに何を伝えるのかは分からない。
 アーロンはもう一度ハリーを見た。その顔は幼い。
───このくらいだと、最初の少年ともまだ...だろうな。
 ハリーを警戒してるのか、それともアーロンでも幼い時は人見知りだったのか、ハリーに対して手も伸ばさない。
 しかしハリーが諦めて伸ばした手を戻そうとしかけた時、アーロンは煌めくような笑顔になった。ハリーが不安そうな顔をしていたからだろうか。
───こいつ...!
 ハリーはアーロンの栗毛を掻き回した。幼過ぎて手を出せないからそうしたのだが、付き合う前のアーロンを思い出した。
───アーロンていつも、こんなふうに思ってたのかな。
 呆然と思うハリーの前で、うふふと高く掠れた声で笑うアーロン。声変わりの時期か。
───ハスキーな声までかわいい。
 そう思えるのは、相手がアーロンだからだろうか。
 その声が、ハリーに向かって云った。
「自分で思ってる程、モテないと思うよ」
 生意気なガキが、知ったような顔で斜めに見上げる。ハリーは子供相手に目を剥く。
「オレが、自意識過剰だ、て云うのか?」
 自分で云って、ハリーは言葉を噛みしめる。次の瞬間、笑い出した。
「そうだな。それなら、オレさえしっかりしてれば、間違いなんか起こらないな」
 答えはシンプルで、実に簡単だった。だって自分がモテないと思えば、ただアーロンを思い続ければそれでいいのだから。
「ありがとう、アーロン」
 ハリーが礼を云うと、アーロンは変わらず生意気で得意気な表情で見上げていた。その鼻っ柱をへし折ってやりたくなる。
───調教のし甲斐がありそうだな。
 そう思うとハリーは、想像するだけで楽しくなる。
 すると今度は控えめに、ジョオが咳払いをした。
「最後に云っておくわ、さっきの話の続き。───国王が高い理想を強行できる確率は、かなり低い。少なくとも伯爵に対してアーロンが忠告しなければならない程には、現実的ではないわ」
「なんだ。なら、そんなに心配する事はないんだな」
「ええ。今のところは、ね」
 安心したハリーの頭には、もうジョオの存在は飛んでいる。さっきから幼いアーロンの事しか眼中にない。
 が。改めて隣に目を向けると、もうアーロンは幼くない。若いけど。
───アーロン...?
 大学生くらいの年齢だろうか。無邪気でもなく、生意気な感じがなくなって、目が合った瞬間の感情が、いまいち図りかねる。
───何かあったのか、アーロン?
 ハリーはそこで思い当たる。クリストハルトへの想いを絶った...のか?
 若いアーロンの頬を、ハリーは指の背で撫でた。するとアーロンが切なく云った。
「ハリーの墓になんか、語りかけないよ」



 ハリーはため息をついた。
 隣にはもう、いつもと変わらないアーロンしかいない。
「さっきのは、プロポーズしなかった理由だな」
 『さっきの』とは、墓地でハリーが溢した本音だ。
 ハリーは自分の髪を両手で鷲掴みにして、ソファに仰け反った。
───なんか、惜しい事した気がする!
 そんな事を口走ろうとして、出てきた言葉は違うものだった。
「さっきの、だよ」
 アーロンの手がハリーの膝に置かれる。その手のひらは上を向いている。ハリーは髪を整えながら、その手に手を乗せた。
「うわっ」
 乗せた手を引っ張られ、ハリーは態勢を崩す。そのままアーロンの膝の上に上体を乗せられる。ハリーは警戒して仰向けになり、アーロンのアクションに備える。しかしフリーの腕もアーロンに取られ、両手を拘束された。
「アーロン...」
 ハリーを見下ろす顔は、怒ったフリ。しかし空いているアーロンの手は、ハリーの体を撫でる。
「ぁ...っ!」
 アーロンはハリーの服の上から胸部を摘む。ハリーの身体にピリッと電流が走る。
「今、浮気してる訳じゃないの、ハリー?」
「ちがっ...」
 マズいよ、近衛兵が護衛に付いてて、みんな絶対こっち見てるのに...!
「じゃあ、気になる人がいるとか?」
「そんな、あ、わけな...ぁいっ」
 アーロンはハリーのワイシャツを引き抜いて、裾から手を入れる。ハリーは悶ながらも、首を振って、アーロンを止めようと抵抗する。
「ハリーが不安にならないように、身体に覚えさせよう」
 アーロンの手が、ハリーの体を這ってベルトに辿り着くと、ハリーは思い切り腰をひねった。するとアーロンの膝から下半身が落ちて、床に膝をつく。その拍子にハリーの両手はアーロンの拘束から解かれた。ハリーはすかさずソファのアーロンに壁ドンよろしく、覆い被さる。文字通り、マウントを取った。
「いつもと違う場所、て感じるだろ?」
 アーロンは笑顔で云うが、目が笑っていない。
「お前のそーゆーとこだろ、アーロン。絶対にやらかしちゃダメなんだぞ、ふたりとも。やらかしたら、ヘタすれば離婚になる。オレはアーロンを捨てなくちゃならなくなる!」
 ヘーゼルの瞳を睨みつけてハリーが云うと、アーロンは俯き、顔を上げるとにこ、と笑った。
「オレ、浮気されるのなんか、慣れてるよ」
「何云ってんだよ───」
 ハリーはアーロンの肩に額を乗せる。「めちゃくちゃ傷つくくせに」
───なんでだろ。アーロンの気持ちが手に取るように分かる。
 ハリーが不安で泣いたり、云っちゃいけない事を云っても笑って許してくれていたアーロンの気持ちが。アーロンが本当はダメージを受けていた、て事が。
「なんでか分かんないけど、お前の気持ち分かるよ、アーロン」
「それは、お前がオレに惚れてるからだろ」
 ハリーは頭を上げて、アーロンを正面から見つめる。
「お前変わらないな。そうやって強がって笑うとこ。夜伽の時から」
「ハリーは変わったよ。摂政になる前からオレに惚れてたけど、今じゃもう沼だ」
 ムカつく! 負けず嫌いめ!
「何を根拠に───」
「顔に書いてある。寝ても覚めても、仕事中もプライベートの時も、王宮の中でも外でも、んむ───」
 ハリーは自分の唇で、アーロンの唇を塞いだ。そして離れてから云う。
「黙れ」
「近衛兵が見てるんじゃないのか?」
 嫌味を云うアーロン。しかしハリーは、
「もう一回...」
 とろけた目でそう云った。その瞬間、ヘーゼルの瞳が金色に変わった。
「ふム...ん...」
 アーロンの手が、片方はハリーの後頭部に、もう片方はハリーの膝裏を抱えて自分の膝に座らせる。ハリーも、態勢が崩れても離れないように、両手でアーロンの頭部をホールドする。
 何度も角度を変え、吐息を交わらせ、舌を絡め合った。ひとつになるように。
「今夜の伽を申し付ける。摂政命令だ」
「畏まりました、オレの王子様」
 鼻を擦り合わせながら、ふたりで笑った。
「そこは『ニューエンブルグ侯爵』だろ」
 乱れた服を整えて立ち上がると、手を繋いで歩き出す。
「『王子様』は不満?」
「もう『王子様』じゃないだろ?」
「いけるよ、白タイツ」
「やだよ。絶対やだからな」



 城を出ようとして、アーロンは立ち止まった。
 ハリーが振り返ると、アーロンが見上げているのは、塔の入口。螺旋階段で登り切ると、小さな見張り部屋がある筈。
「どうした?」
「うん...」
 ハリーが訊いてもアーロンは生返事。───まさか!?
「ヘンなモノが見えてるんじゃないだろうな、アーロン」
 ハリーの剣幕にやっとアーロンは振り向き、柔らかく笑った。
「ああ、ごめん。そうじゃないよ」
 もう一度階段を見上げる。しかし、後は何も云わずにハリーを促す。
「気になるんじゃないのか、上?」
 ハリーの言葉に、アーロンはまた微笑んだ。
───そんな顔してんのに、また何も云わないつもりか?
 そう思うとハリーはムッとして、
「行くぞ」
 アーロンの手を引いて階段を上り始めた。
 螺旋階段は景色が変わらずペースも同じ。疲れるし、飽きる。
「ここまで来たら、しっかり上り切ろうよ、ハリー。───」
 平気な顔で着いて来るアーロン。「この塔の内装は変えてないの?」
 石造りのままだ。
「ああ。そんなに傷んでないから、古い雰囲気を残そうと思って」
 息を切らせながら話していると、ドアの前に辿り着いた。
「ドアは変えてるんだな」
「傷んでたからな。なるべく当時の雰囲気に近付けた筈だ」
「よくできてると思う。───あ、内開きにしたんだな」
 ハリーがドアを押して開けた。階段の上で外開きは危ないからだ。
 中に入ってなんとなく見渡す。
 壁際の中央にシングルベッドがあり、反対側に覗き窓と小さな机と椅子。
「家具も変えてる。作り直した、傷みが激しかったから」
「うん」
 アーロンは短く答える。当時の雰囲気は残っている筈だ。
「ここに来た事ある、ハリー?」
「ああ、一度。アーロンは?」
 訊くまでもなかった。アーロンはベッドに座って、生地を撫でている。
───ここがアーロンの云う『恋の指南』の部屋だな。
 単語の臭さにハリーの鼻が曲がりそうになる。この言葉を聞いた時の、顔から火が出るような恥ずかしさが蘇る。
 ハリーは涼しい風に当たるため、小窓の方を向いた。遠く、青々とした牧草地が見える。白いツブツブはおそらく山羊の群れだ。
 不意に呼ばれて振り返ると、アーロンがベッドに座ったまま云った。
「おいで」
 しかし躊躇うハリー。だってそのベッド、アーロンが恋人と寝たヤツだろ?
 部屋は変わらないが、ベッドは変わっている。作り変えたのだから全く別の物だが、ハリーは近付きたくなかった。
 だから、黙って首を振る。
「そうか」
 アーロンは淋しそうに俯いた。
───なんでそんな顔すんだよっ!
 仕方なく、ハリーがアーロンの傍らに立つと、強引に腕を引かれ、座ったまま抱きすくめられた。ハリーの腹部に顔を埋めるアーロン。腕の強さにハリーは、栗毛を優しく撫でた。
「泣いてるのか?」
「うん。祈ってる」
 まあ、素直でよろしい、て事にしといてやろう。
 遠く、微かに山羊の声が聞こえた。
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