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期待と不安
6 15歳の夜
しおりを挟む婚約の儀式についての会議は、着々と進んだ。
「次の画面をご覧下さい。当日の会場の見取り図です。───」
ヴァルターの秘書、ピルッカ=ヴァリヤッカもそうだが、ハリーの秘書、ニコル=ヴィンデルバンドも今回は忙しい。
総括で進めるのはピルッカだが、王宮サイドの細かい雑務はニコルが担当する。今回の会議のセッティングや、アーロン、ハリーのスケジュール管理など、事務手続き全般だ。
「最初で最後の大仕事だもん。ワクワクしかないわ」
と意気込んでいる。ハリーの結婚式が終われば、ニコルの大役も終わる。ハリーが摂政を退任すれば秘書の仕事も最後だと思うと、気合が入るらしい。
「車の用意は出来てるから、いつでも出かけられますよ、先生」
会議の後、アーロンはニコルに呼び止められて、そう云われた。
「殿下もご一緒になるのかな?」
「ええ。そのように伺ってます」
やっぱり!
アーロンは早足でハリーの執務室に行った。
「準備が出来てるなら、行くぞ、アーロン」
メールチェックをしていたハリーは、アーロンの顔をチラと見て、画面に目を落とす。
「聞いてませんけど?」
「なら、今云う。私も子爵邸に行くぞ、アーロン」
この日、アーロンはピルッカと二人で子爵邸に行く予定だった。
「妬いてるのか?」
「まさか。義弟は12歳ですよ」
「問題は年齢か...」
と呟いて、ハリーは先に執務室を出た。アーロンはギョッとして、
「年齢を問題にしてる訳ではありません。倫理の問題です!」
「婚約者の弟だから?」
「婚約者がいるからです!」
アーロンの慌てぶりをハリーは楽しんでいる。アーロンにもそれは分かっている。分かってはいるが、ハリーには興味を持って欲しくない。
何故なら、ヴェンデリンを前にして、平静でいられない筈だからだ!
有名人のハリーを前にして、ヴェンデリンも驚いた目で摂政を見上げた。くりっくりの大きなグレーの瞳だ。
「女の子じゃないのか!?」
アーロンに耳打ちするハリー。
「そうだったらいいのにと、今ほど強く思った事はありません」
アーロンは冷たく云い捨て、義弟に向き直る。その場に跪いて、ハグ。
「元気かい、ヴェンデリン」
身長こそ150センチを超えてはいるが、まだまだ華奢なヴェンデリン。肩にかかるピンクブロンドも美しく、ワンピースとか超絶似合う。
「はい。ようこそ、アーロン先生」
いきなり、三十路を過ぎた兄を持っても、「お兄さん」とは呼べない。アーロンに云われた通り、ヴェンデリンは呼びたいように呼んでいる。
「ヴェンデリン=ゲルステンビュッテルです、ハリー殿下」
行儀よく自己紹介。ハリーはハグをねだったが、アーロンにキツくたしなめられ、仕方なく握手に留める。
法的手続きは既に済んでいて、家督を継がないアーロンに代わって、ヴェンデリンは12歳にして当主だ。
「ですから、婚約の儀式にもご立席頂こうかと思いまして」
とピルッカが改めて云った。
「ヴェンデリンはどう思う? 私の婚約の儀式だけど」
アーロンが問うと、ヴェンデリンは後ろに控えるディルクを振り仰ぐ。
「自分で決めなさい、ヴェンデリン」
アーロンはやんわりと注意する。しかし社交界デビューもしていない少年に、判断は難しい。
「アーロン様───」
見かねたディルクが口を挟む。「僭越ながら、よろしいでしょうか」と断って、
「当日、ヴェンデリン様が発言などなさる事はございますか?」
するとピルッカが答える。
「それについては、私がお答えします。特に皆様の前で発言する事はありません。しかし紹介はされますので、出席者とのご挨拶は避けられません。それと、マスコミがどのような反応をするかが懸念材料かと思われます」
ピルッカは座りながら、「すみません、私から提案しておきながら...」と反省を口にした。
───マスコミかぁ。ヴェンデリンの容姿なら放ってはおかないだろうな。
ハリーはため息をつく。
ロミルダ=コールの件はまだ裁判も始まっていない。それだけまだ新鮮な事件だ。摂政の婚約者の身内でなければ、マスコミ対策を考える必要もないのに。
まあ、ハリーはアーロンの義弟に会いに来ただけだし、今日はこれで帰るか。そう思っていると、
「興味は、ある、ヴェンデリン?」
とアーロンが云った。
王宮に帰る車の中で、ハリーは大仰にため息をついて見せる。
「分からない、てなんだろうな」
それは、子爵邸でのヴェンデリンの答えの事だ。彼はアーロンの質問に対して、「分からない」と答えた。
「自分で自分がどう思うか分からないとか、どういう事なんだ? 子供だからか?」
ヴェンデリンの掴みどころのない態度が、ハリーの理解に苦しむところなのだろう。ちょっとイラついてるのは、婚約者の義弟だからか、それとも将来家族として迎える『子供』だからか。いずれにしても、意志の疎通が出来ないのは困るのだろう。
その前向きなイラつきが、アーロンにはおかしくて、フッと笑った。
「まあ、子供だから、かな」
「子供、てみんなああなのか?」
「みんなじゃないよ」
目を剥くハリーにアーロンは笑った。
「12歳、て6年生か7年生くらいだろ? いや、オレは好きか嫌いかは主張出来たと思うけどな」
遠い目をするハリーの隣で、アーロンは思っていた事を口にする。
「クリスを思い出すよ」
「クリストハルトも、あんなふうだったのか!?」
ハリーが読んだノートの記憶と印象では、アーロンへの想い溢れる文学少年、という印象だった。
「いや、全然違うけどね」
アーロンは懐かしいのか、微笑みながら頭を振る。しかし、そこで少し考え込んでしまう。
ハリーは黙って、アーロンの手を握った。クリストハルトを思い出して、アーロンの気持ちが沈むのを心配している。
「大丈夫だよ。ありがとう、ハリー」
アーロンは嬉しそうに笑って、ハリーの手を握り返す。そして、ヴェンデリンについて話す。
「彼の母親の葬儀の前までは、ヴェンデリンはもっと、ハキハキした賢い感じだったんだけど...やっぱり、まだ傷ついたままなのかな」
「葬儀の時はどうだったんだ?」
ハリーはアーロンに寄り添って、話を促す。
「ちょっとだけしか、泣いてないんだ。周囲を気にして泣くのを堪えて、とうとう感情を締め切っちゃった感じ。考えるのもやめたのかな」
「それ、問題だろ」
「うん」
頷いて、アーロンはまた考え込む。ハリーは嫌な予感がした。子爵邸に泊まり込んでヴェンデリンに寄り添う、とか云い出しそうだ。
「しばらくヴェンデリンの傍にいてやろうかな、───」
やっぱり! とハリーが身を乗り出す寸前、
「と思ったけど、クリスの時とは違って、オレとヴェンデリンじゃ親子ほどにも年の差あるしな」
「どゆこと?」
クリス? 年の差? アーロンの云った単語に関連性を見出せないハリー。アーロンは握ったハリーの白い指に長い指を絡めながら、
「クリスも、今のヴェンデリンも、コミュニケーションを避けてる。無意識に」
クリストハルトの場合は、相手から説教をされるのを避ける為。しかしヴェンデリンの場合は、感情を押し殺しておく為。
「だから、無邪気な子供と遊んだりする方が、ヴェンデリンの癒やしになると思うんだよな」
「無邪気な子供か。そりゃアーロンじゃ無理があるな。精神年齢は変幻自在だけどな」
アーロンは子供と遊ぶのが上手い。子供と一緒になって笑い、楽しむ事ができる。が、アーロンとヴェンデリンでは、年齢が違い過ぎて、ヴェンデリンがその気にならないだろう。
「子供の知り合いとか、いないよな、ハリー」
「オレにはいないが、ヴァルターなら調達できるかもな」
言葉遣い!
アーロンはピルッカに電話で話してみた。
『そうですね。ベルトホールド伯爵に相談してみます』
快く承諾してくれた。
「エッケハルトのところにもいたよな、アルヌルフ、だっけ?」
アーロンが電話を切ると、ハリーが云った。しかしアーロンは気の進まない様子。
「それはオレも考えた。けど、アルヌルフをひとりで子爵家に行かせる訳にはいかないだろ。母親を連れ出すと、イェルンが心配になる」
「三人で行けば?」
アーロンは唸ってしまう。知らない人が三人も押しかけて、人見知りのヴェンデリンには逆効果ではないだろうか。
「見込みは薄いけど、声はかけてみるよ」
「子供、て───」
面倒くさい、と云おうとして、ハリーは口をつぐんだ。が、察しのいいアーロンに、ジト目で見られる。「そーゆーとこだろ!」と目が云っている。
「いや、オレたちの子供は、安全に、大事に育てる。大丈夫」
「愛情を栄養に育つんだからね」
「分かってる」
しばしの沈黙。
「可愛かっただろ、ヴェンデリン」
「ああっ。ちょー可愛くて女の子───」
咳払い。
「子爵邸、出入り禁止だからね」
「行くわけないだろっ、勝手には」
力説するハリーだが、アーロンの目は全く信用していなかった。
───向こうは12歳だぞ。
ハリーはそっぽを向いて、あんまり説得力のない云い訳を、胸の内で呟いた。
───あと三年で、15歳か...。
ベッドの上で、アーロンがうつ伏せで寝ている。
───パジャマ着ろ、て何度も云ってるのに、裸だ。
ハリーはそう思いながら、アーロンの二の腕に指を這わせる。
「くすぐったいよ、ハリー」
アーロンは決まってそう云うが、あまりくすぐったそうではない。
───でもなんで今日は、うつ伏せなんだろう?
いつもアーロンは横向きで寝ているのに。ハリーがそう思うと、まるで理由を明かすように、アーロンは肘で体を浮かせた。
「......っ!」
声は出なかったが、ハリーの血が逆流した。
アーロンの体の下には、ピンクブロンドの美しい少年が横たわっていた。
少年はアーロンの愛撫を待つように、まぶたを閉じて大人しくしている。それが、不意にこちらを向いて、目を開けた。グレーの瞳が、ハリーを真っ直ぐに見つめている。その凝視に耐えられず、ハリーは目を瞑った。
目眩がして、自分が立っているのかどうかも分からなくなる。間もなく倒れて、頭を強かに打つだろう。
しかしいつまで経っても衝撃がない。
───助けてくれたのか、アーロン?
間違いない。アーロンは何よりもハリーを優先する筈だ。
ハリーがそうっと目を開けると、目の前には裸のアーロンがいて、金色の瞳で不敵な笑みを浮かべていた。
「アーロン...」
あとは言葉が出ない。アーロンに抱かれているのは美しい少年ではなく、自分だ。当然だ。そう思うのに、これ以上ないくらい嬉しい。あまりの嬉しさに、胸がいっぱいで声も出ない。
アーロンは優しく笑って、ハリーの髪を梳いて、そして傾けた顔を近付ける。
「僕を愛して」
目を閉じて、そう呟いた。
熱い吐息と愛撫。幸せが波のように押し寄せる。
喜びを噛み締めながら愛撫に身を任せていると、
「いい子だ、ハリー」
───あれ、この声...。
目を開けようかどうしようか、ハリーはしばらく葛藤する。
───どうしよう。
目を開ければ、金色の瞳で見下ろすアーロンがいるに決まってる。なのに、この不安はなんだろう?
時間が経っても、不安は膨らむばかりで落ち着かない。それに、このキス、この愛撫、この感触は、生え始めたヒゲ...?
「......っ!」
目を開けると、目の前には精悍な男。
───アルフレート!?
ハリーは身をすくめた。なのに、男の手はハリーの弱いところを的確に捉え、幼くて未熟なハリーを熱くする。
───どうして...!?
ハリーの中心は熱くなるのに、胸は悲しみでいっぱいになる。
───どうして...!?
この男はいずれ近い内に、ハリーを捨てる。自分を愛していない男の愛撫に、体が反応している。
───違う! オレの身体はアーロンのもの! なのにどうして!?
「どうした、ハリー?」
ハリーの頭部が僅かに傾くと、涙が鼻筋でせき止められ、目尻から耳へ向かって伝い落ちた。
「ハリー...?」
そっと囁いた声は、アーロン。
ハリーの目の前には、アーロンの胸がこちらを向いて、横たわっていた。顎を上げると、心配そうなアーロンの、ヘーゼルの瞳。
「怖い夢でも見た?」
と云って、優しく笑った。
───ヤバ。オレ、泣いてたのか?
あんなに胸いっぱいだった悲しみは、ポロッと落ちたようになんともない。
───夢見て泣くとか、恥っず!
慌てて涙を拭うハリーのダークブロンドをぽんぽんするアーロン。うぜぇ。
「どんな夢見たんだよ」
「あ...アーロンが浮気する夢...」
濡れ衣───とも云えないよな。最初はアーロンが...。
「ハリー」
アーロンに呼ばれて、罪悪感で俯くハリーは顎を掬われる。そして、抱き寄せられた。
「オレは浮気なんかしないよ。愛してるのはハリーだけ」
うんうん。そうだよね。何故か常にないくらいハリーはアーロンの愛情を確かに感じ、その確信には一点の曇りもない。
しかし、夢とは云え、アーロンに対してただただ罪悪感でいっぱいだった。
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