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婚約したの?
8 一度ならず、二度までも?
しおりを挟むエンシオ=フスは、少し酔っていた。
「ほら、先生。ドクターになったお祝いだよ。呑んで」
医師免許取得の合否発表があり、みんなでパーティーをした。合否に関わらず、関係の有無にこだわらず、つまり、呑みたい奴らが集まった。もちろん、この日合格していたアーロンも捕まってしまった。
そして勧められるがまま、呑んだ。
「一人で帰れない程、呑んじゃダメだよ、エンシオ」
五歳も年下という事は、クリスよりも若い留学生。髪や瞳の色はクリスと同じだけど、クリスよりずっと自立している。放っておいても心配なさそう。
エンシオは最近ランチタイムに一緒になる事が多く、本の話で意気投合していた。子供の頃に読んだ童話やミステリーの手口の話、話題の本の情報交換など。
パーティーはやがて盛り上がり、ふたりの会話も聞こえなくなってきた。
「僕は寮に帰るよ、アーロン」
「送るよ」
寮まで歩きながら、ふたりは将来について語った。五年後十年後、何をしたいか、どうなりたいか。
「水あったらくれないか、エンシオ?」
「あるよ。座って待ってて」
エンシオの部屋には初めて入ったが、物が少なく整っていて、アーロンの部屋みたいだった。
「家族の写真とかも、飾ってないんだな」
「はい、水。写真ならベッドサイドに置いてるよ」
一枚だけ、フォトフレームに入れて立て掛けてあった。どこかレストラン風のテーブルについて、両親と三人で写った写真。
「仲良さそうだね」
「実際はそうでもないけどね」
ベッドサイドのアーロンの手から、フォトフレームを奪って元に戻すエンシオ。そのままベッドに座る。上着を脱ぎ、シャツも脱いでしまう。
「風邪ひくぞ。暑かったら水を飲めよ」
そう云ってアーロンはエンシオから受け取ったペットボトルをあおった。
「ちゃんと着るよ。ちょっと涼んでるだけ。その水ちょーだい」
中身のまだ残っているペットボトルに蓋をして、アーロンは差し出された手にそれを渡す───つもりが、一瞬の目眩。エンシオを押し倒していた。
「...大丈夫、先生?...」
頭の中を、エンシオの声が反響する。聞こえにくいのは、血管を駆け巡る血液の音が、頭の中に響いているから。
───酔いが回ったのかな、オレ?
自分は大丈夫じゃないみたいだ。腕にも足腰にも、力が入らない。
「ごめん、エンシオ、下敷きにして。今、退くから...すぐ...」
彼の呼吸は確保できているのだろうか? 返事がないのか、それとも聞こえないのか?
「先生、大丈夫?」
エンシオはアーロンの下から声をかけた。声はよく通っている。
「ごめん、オレ、酔ってるみたいで、力が入らない」
「しっかりしてよ、先生。酔ったくらいで立てなくなったりしない...よっ!」
エンシオが気合を入れると、アーロンの上半身が浮く。
「エンシオ、ダメだ、不安定───」
「アーロンと一度、寝てみたいな」
ディープブルーの瞳は、アーロンを射抜くように見上げている。
「寝...ちょっ、エンシオ、わっ」
アーロンはあっさりひっくり返され、ベッドに転がされる。
「案外上手くいかないもんだね。そんなにベッドからはみ出てちゃ、床の方がマシじゃない?」
「エンシオ、何云ってるの?」
足を持ち上げられながら、アーロンはエンシオの行動が不可解で仕方がない。そもそも自分の体は何故動かないのか?
エンシオはアーロンの足を諦め、上半身を転がして腰をベッドに乗せる。
「あの、聞いてもいいかな、エンシオ?」
息を切らせながらもアーロンを正位置でベッドに横たわらせたエンシオは、冷蔵庫から新しいペットボトルの水を出して、ゴキュゴキュ飲む。
「飲みたい?」
訊かれたアーロンは動く頭を小刻みに動かす。なんだかひどく喉が渇いている。
エンシオはアーロンの飲んでいたペットボトルに口を付け、中身を口に含むとアーロンに口移しで飲ませた。
「はぁ...」
一口は多くない。しかしのどごしが堪らなく美味しかった。アーロンは舌を見せて、もっとと訴える。ヘーゼルの瞳は、ペットボトルしか見ていない。
ペットボトルはアーロンの頭部の側に立てられ、代わりにそれを手に持つエンシオの舌が入って来た。
「んっく、んっ、んふ...」
味蕾を擦る他人の舌が、美味しくて、そして気持ちいい。
「もっと飲みたい?」
まつ毛を数えられるくらい、エンシオの顔が近い。
「エンシオ、きれいだな」
エンシオはふっ、と笑うと、ペットボトルを傾けてアーロンの口に中身を流し込む。
「飲み切って、全部」
しかしこれも上手くいかず、仕方なく口移しで飲ませる。いつの間にかアーロンは腕が上がるようになり、エンシオの白くて滑らかで、少し冷たい背中に手を置くと、そっと指を滑らせる。
「っん、ぷはっ、ま、だっ、アーロン!」
身を捩るエンシオを見上げて、アーロンはくすくす笑う。
「感じてるんだ、エンシオ」
とろんとした目で、熱い吐息を吐くアーロン。エンシオは空になったペットボトルを床に放り、アーロンの服を脱がせる。ベルトに手をかけて、その手を止める。
「は、ぁ...エンシオ、脱がせて...」
膨らみに手を当てると、アーロンは艶かしくねだった。エンシオは不敵に微笑んで、アーロンの下半身を露わにする。跳ね上がるように、アーロンのモノは勃ち上がっている。
「はあ...」
エンシオが触れるだけで、アーロンは熱いため息をつく。しかしエンシオは、アーロンの表情を見ながらサワサワと指先で触れるだけ。
アーロンは焦れて、エンシオの白い手と一緒に自身を握った。
「あ...っ!」
声を上げるエンシオに構わず、アーロンは自身を扱く。
───オレ、何やってんだ...?
欲情にのぼせる頭のずっと遠くで、アーロンの理性が自分を見下ろしている。
───エンシオに特別な感情なんてないのに、なんでこんな風になってんだろう?
湧き上がる欲情の相手はエンシオじゃなくてもいいし、何なら独りでも構わない。とにかく今は、浅ましい程に湧き上がる欲求を、満たさずにはいられない。
──なんで...?
「考えるなよ、先生」
耳元で囁かれ、意識が遠退き、強烈な欲情が理性をも蹂躙する。
止まりかけるアーロンの手の中で、今度はエンシオの手が激しく動く。
「あ、ぅ...!」
他人の手の中で、アーロンは果てた。
それから、アーロンは欲情の赴くまま、エンシオを抱いた。
モヤのかかったような頭で、ただ欲を満たすだけの時間を過ごした。
白い肌も、薄い胸も、華奢な肩や腰、細い手足、アーロンを飲み込む熱い身体も、モヤの向こうの頼りなくぼやけた印象としてしか残っていない。
何よりも、エンシオを思い浮かべても、感情の昂りがない。会いたいとも会いたくないとも思えず、まるで記号のように、エンシオ=フスは単なる知り合いとしてしかアーロンには認識されない。
───夢で見たのかな...?
そんな風に首をひねりつつも、忙しく過ぎる日々の中に、曖昧な記憶は埋もれていった。
ハリーの公務は、一般的なイベントの挨拶が重点的になってきた。
カルステン=ヴィンデルバンド公爵が、やたらとハリーの、つまり国王カミルの代理を務めたがっているらしい。やる気満々だ。
この日アーロンはハリーに付き添って、新国営競馬場の落成式に赴いた。ハリーも馬に乗るので、主治医の出席は義務だった。内科医なのに。
摂政殿下の婚約者なので、公の場でも、ハリーに呼ばれれば出て行く。車から出た瞬間や、ハリーが壇上に上がる前など、ツーショットを狙ってマスコミが押し寄せた。
そんな中で、アーロンは狙われた。
ハリーと離れた一瞬だった。
控室のドアがゆっくり開いた。アーロンは、
───ちゃんと閉まってなかったのかな?
と思いながら近付くと、小さな子供が覗いていた。
「どうしたの?」
跪いて訊くと、透明なビニール袋から取ったクッキーを差し出す女の子。
「あげる」
「美味しそうだね! ありがとう!」
アーロンは素直に受け取った。女の子はすぐに手を振って走り去る。アーロンも手を振って、クッキーを口にした。ちょっと齧って、しかし食べかけを置く所がないので、残りを全部口に放り込んだ。
「辛っ! かっら!」
どうやらゼリーの部分が激辛になっていたようだ。
───他のも激辛かも!?
舌と喉の痛さに悶絶しつつ、女の子を止めようと走り出す。
女の子は、通路を曲がったところにいた。
「そのクッキー、食べちゃダメだよ!」
とっさに忠告したが、彼女は大人と一緒だった。女の子の手を拭いている男性。斜め後ろ姿だが、ブロンドで細身体型に、最近会った記憶が蘇る。
「クッキー、まさか食べたの、アーロン?」
「エンシオ!?」
振り返って、彼は笑っていた。食べたのか!? 知ってたのか!?
「大丈夫そうだけど、飲む? 飲んだ方がいいよ」
エンシオは新しいペットボトルをアーロンに差し出した。まだ口の中がピリピリしていたアーロンは、ペットボトルを受け取ってグビグビ飲んだ。
「あ~、まだ口の中...ン?」
アーロンはもう一度ペットボトルをあおったが、なんだか目眩のようなものを感じて虚空を確かめる。
「大概人がいいな、アーロン」
「エン...シ、オ...?」
アーロンはその場にへたり込んだ。───何が起こって、る...?
アーロンはペットボトルをまじまじと見た。ただの水ではなかったようだ。コレも、あの時のも。
足腰が立たなくなり、手をついても上半身を支えられない。手足の感覚が鈍くなり、体の中心が熱くなる。心拍数が上がり、呼吸が早くなる。
「早いとこヤッちゃおうよ...」
エンシオは少し先の部屋のドアを開け放つ。戻ると動けないでヘタっているアーロンの首根っこを掴んで引きずって行く。
「狭いけど、いいよね、アーロン」
その部屋には、背もたれのないベンチタイプの長椅子があった。
辛そうに胸を上下させるアーロンに、エンシオは飲みかけのペットボトルを近付ける。
「全部飲まないと、辛いよ。飲んで、アーロン」
アーロンにはエンシオの声が心地よかった。飲めば体の熱さを冷ましてくれる。それに、あの飲み物は美味しい!
アーロンは砂漠に放置されていたように、ペットボトルの液体を求めた。口を開けて舌を見せ、プラスチック容器を突っ込むよう、ねだった。
「今あげるよ」
エンシオはまるでペットでも扱うように、アーロンに液体を飲ませた。
飲み切る頃、アーロンはエンシオの肩を押す。まだ力の入らない腕では、ただ肩に手を置いただけに見える。
「どうしたの? 今度は、僕をあげるよ、全部」
───ダメだ...。
アーロンは言葉が出ない。かすかに残る理性で、熱くなる欲を抑えている。
───考えろ、考えるんだ!
意識が白濁してくる。欲情に支配されそうだ。アーロンは自分を鼓舞する。
「アーロンどうしたの、その瞳!?」
ボタンダウンのシャツ一枚で振り返ったエンシオ。「すてき! 興奮する!」
エンシオはベンチシートに凭れるように床に座り込むアーロンの前に膝をつく。そしてしなだれかかろうとした。が、アーロンは床を這って逃げる。
「どうしたんだ、アーロン? 見てよ。あの頃の僕は若いだけだった。でも今の僕なら...君は僕を忘れられない。僕は君の云いなりだ。魅力的だろう? ハリーよりも」
「やめろっ!」
アーロンの左腕が、まるで意思を持ったみたいに勝手に動き、ベンチシートを天井まで飛ばした。
「......っ!」
エンシオは声にならない叫び声をあげて後退った。頭を抱えて危険を回避する。
アーロンは立ち上がりかけてその場にうずくまった。暴れだした左腕の手首を握っている。
───どうしたんだ、オレ?
体の奥深くから突き上げる衝動と焦燥感を、理性で辛うじて抑え込んでいる。というより、吹き荒れる暴風に吹き飛ばされていないだけの、ギリギリの状態のような気がする。
意識を手放してしまったら、きっととんでもない事になる。アーロンには、それだけは分かった。
控室で「辛っ!」という叫び声。
スーツ姿の近衛兵は、声の方角を振り向くと、控室の中から咳き込む気配。
次の瞬間にはドアが勢いよく開き、摂政殿下の婚約者が出て来た。時々身をかがめて咳き込みながら、廊下の角を曲がった。
話し声が聞こえ、静かになったが、婚約者は戻って来ない。近衛兵は気になって様子を見に行った。
廊下の角を曲がると、ドアに引きずり込まれる足が一瞬見えた。
「狭いけど、いいよね、アーロン」
ドアに耳を当てると、摂政殿下の婚約者ではない声が聞こえた。近衛兵の頭に『誘拐』という言葉が浮かんだ。
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