上 下
41 / 100
婚約したの?

7 マリッジブルー!?

しおりを挟む

 しかし、順調だった会見でハリーの笑顔を消した事への仕返しはしたいアーロン。ライリラに、穏やかに話しかけた。
「デイリーRと云えば、R国で最も読まれている新聞でしたね?」
「ご存知とは、光栄です、アーロン卿」
 ライリラは初めて、薄っすらと笑みを見せた。
「私は、仕事でしかR国へ渡航した経験がないのですが、最も読まれている、という事は、R国の多くの人が、あなたと同じような感覚をお持ちだと理解してよろしいですね。となると、観光に───」
「あ、と...お待ち下さい、卿───」
 口を挟もうとするライリラを、アーロンは手で制して続ける。
「殿下が摂政を退任した後、海外に観光旅行もしたいと思っているのですが、R国は...いかがでしょう、ハリー殿下?」
 アーロンが話を振ると、ハリーは肩をすくめて、何も云わずにため息をついた。
「質問に不適切な表現があったとしたら、お許し下さい、ハリー摂政殿下、そして、アーロン=ゲルステンビュッテル卿」
 ライリラは訂正するが、ここでアーロンは逃さない。
「では、もう一度質問をどうぞ、表現で」
 ライリラは額に汗をかいてはいたが、
「R国民は、多くの人がハリー殿下の大ファンで、この度の婚約をとても祝福しています。もしまだ新婚旅行の行き先が決定していないのであれば、国を上げて歓迎します。どうか、R国へのご訪問も候補の先頭に挙げて頂きたいのですが、いかがでしょうか?」
 会社を代表して来ているだけあって、切り返しは上手かった。
 アーロンはハリーに返答を譲る。
「R国には世界遺産も多く、何度訪れても飽きない国の一つです。候補に入れて、アーロンかれの観光旅行のいい思い出にできたらと思います」
 大人対応だった。
 まもなく会見は終了し、アーロンとハリーが立ち上がると、
「すみません、あと一つだけ!───」
 ライリラだった。司会が止めるのを無視して、「是非、キスを!」
 仕返し来ちゃった。
───あいつ、転んでもただじゃ起きないな。
 その場に立っていたハリーは壁側を向いてしまう。その腕をアーロンが掴むと、振り返ったハリーは、アンバーの瞳で小さく首を振って「無理だから、無理!」と訴える。アーロンはヘーゼルのままの瞳でこちらも小さく首を振って「諦めて。みんな待ってるから」と促す。
 ハリーが諦めてアーロンと向き合うと、カメラマンによる、ふたりの真横ポジションの争奪戦が繰り広げられる。その間に、
「ハリーがリードしてね」
 とアーロンは婚約者の耳元に囁いた。



 ニコルはノートパソコンを閉じた。
 紅茶を用意するよう、スタッフに頼む。
 いつも冷静なハリーなのにペースを乱すシーンがあり、アーロンこそが、いつも通りだった。───そう、アルテミスらしかった。
 先日、ニコルはハリーに諌められた。
「もう、アルテミスじゃない。アーロン=ゲルステンビュッテルだ。しかも君は、子爵家子息と分かってから、彼を下に見てる。忘れるな。彼は私の婚約者だ」
 ニコルは、カミルやヴァルターに仕えるアルテミスは、当然それなりの爵位か、その子息だろうと思っていた。まさか子爵家の子息とは、と驚いた。しかも、養子。
 ヴァルターも養子だと、どこかで聞いた気がするが、紹介を受けた時にはもうベルトホールド伯爵を名乗っていたし、身のこなしも自然だった。
 アルテミス、いやアーロンは、毛色が貴族とは違う、という感じがあった。ニコルの勝手な想像だが、きっと海外留学が長かったために、社交界デビューもなく、自国の貴族たちとは雰囲気が違うのだろう、と思っていた。
 だいたい、爵位を貰う為の養子縁組なのに、呼ばれてクリスマスを過ごすとか、他の人ならあり得ない。偽装家族なのに、どう接しているのか?
───アルテミスなら、簡単に想像できるけど。
 時々頷きながら、老夫婦の華やかだった昔話を聞いている彼の姿が目に浮かぶ。
 だっていつだってアルテミスは、そんな感じなのに。
 あのハリーが、アーロンには心を許している。人前で声を荒らげるとか、赤くなるとか、ましてやしたたかに酔うなんて、他人からも聞いたことがない。
 もっとも、ハリーのプライベートをニコルは殆ど知らないが。
 アーロンという人物にしても、どこかパワーを抑えてる印象がある。ハリーをパーティー会場から連れ去ったり、会見の控室でハリーに釘を刺されたりしていた。アルテミスらしくない。
 しかし会見では、ハリーの方が緊張していた。
───無頓着なだけかしら?
 それとも、無自覚、無関心、無配慮...。違うなぁ。私が下に見てるのを意識して、下手したてに出てたし、そういうところはきっと敏感なのよね、アーロン=ゲルステンビュッテルは。
 子供を手懐けるのが上手いのも、ヒエロニムス卿の葬儀の日の様子で分かった。あの姿はハリーの云っていた通り、グレートデーンを連想させた。心も体も大きくて、誰でも受け入れる。小さき者には特に好かれる。
 ハリーのわがままも気まぐれも受け止めるところはオットマーと同じ役割りだけど、ハリーが恥ずかしがったり、手綱を取ろうとしてままならなかったり、そんな人は、ハリー自身きっと初めてだろう。
───いいじゃない、ハリーが幸せなら。
 ニコルは自分に云い聞かせた。
 ノックの後、会見の終わったハリーとアーロンが、ニコルのいる控室に戻って来た。





 そのコーディネーターは、エンシオ=フス、と名乗った。
 ニコルがハリーに頼まれて、ある資料の請求をすると、何故か所長と一緒にイブラントに来ちゃった。
 当然、対応したのはニコル。
「摂政殿下は来客中ですので、秘書の私が対応します。しかし、資料請求をしただけですよ」
「はい。ですので、資料をお持ちしました」
 所長の女性は、名刺と大判の封筒をカバンから出した。ニコルはそれを受け取るが、テーブルに置いてしまう。
「是非、ご覧になって下さい。詳しくご案内いたします」
 所長はにこやかに促すが、ニコルは微動だにせず、
「資料を必要としているのは私ではありません。内容を見て判断するのも私ではないので、資料を提出なさったらお引き取り下さい。忙しいので、失礼します」
 ニコルが立ち上がると、執事が所長とコーディネーターを促す。
「あ、ニコル様、是非資料の詳しいご案内を!」
 所長が食い下がってくるが、ニコルは振り向きもしないで隣の部屋へ行ってしまった。
───アポなしで突然来ちゃう系、嫌いなのよね。
 ニコルが窓口と判っているなら、それくらいは把握したうえで、段取りをするのが仕事というものだ。───時にニコルは非情な程に冷たい。
 信長に会うならまず蘭丸の、ハリーに会うならまずニコルの機嫌を損ねてはならない。ニコルの持論。
 応接室から強制的に出された所長とコーディネーターは、執事の後を渋々歩く。
「あー、もう、チャンスだったのになー。こんな田舎までわざわざ来たのに、封筒すら開けて貰えなかった」
 ブツブツ文句を云いながらイブラントの城の廊下を歩く。執事にも聞こえているのにお構いなしだ。
 不意に、数メートル先のドアが開き、スーツの男性が出て来た。
 背の高い栗毛の男性は、ちらと所長たちに目をやって、彼らと同じ方向を向いて───素早く振り向いた。
「あーっ、婚約者!」
 と指を指したのは、所長。執事は驚いて、「失礼ですよ、お客様」と諌める。が───。
「あ...!」
「...アーロン...?」
 それまで一言も発しなかったコーディネーターが呟いた。



 ナッツ、ドライフルーツ、そして白ワイン。
 アーロンとハリーに共通点があるとすれば、この組み合わせがそれだ。ふたりのお気に入り。
 この日、ハリーは出かけなかった為、食事はハリーのダイニングで過ごした。
「で、そのコーディネーターがお前の知り合いなのか、アーロン?」
 ハリーはアプリコットを摘んだ手を振り回す。夕食が済み、ふたりは隣のリビングのソファで寛いでいた。アーロンはカシューナッツを並べながら、
「大学の時に一瞬だけ親しくしてたんだ」
「それは、付き合ってた、て意味か?」
 ハリーは、気の置けない相手に対しては、質問もストレートだ。しかしその理由は、素直というよりは、質問を受けた側のリアクションを見る為。
「うん。付き合って...まぁ、一回だけ」
 ハリーの手からアプリコットがポトリと落ちた。
「そこは...否定...し#$%^...」
「あ、そうなの? ちゃんと正直に云った方が...ハリー?」
 アーロンは慌てて、ソファに座るハリーの隣に回り込む。素早く肩に手を回して抱き寄せた。
「過去の話だよ。気持ちが盛り上がる前に終わっちゃったから、すっかり忘れてた」
「本当?」
「本当だよ。ハリー以外の誰にも興味湧かないよ」
 婚約会見も無事に終わった。ニコルもなんだか吹っ切れたように、最近は機嫌悪くない。カミルの治療も順調だ。ハリーの仕事は、カルステン=ヴィンデルバンド公爵も手伝うようになり、以前ほど過密ではなくなった。
 なのになんだか、ハリーの機嫌はよろしくない。
「時々思うんだけど、オレとアーロンてさ、趣味とか好みとか、全然違うだろ。やっていけるのかな?」
 まさかのマリッジブルーですか?
 アーロンは腕の中のハリーを見つめる。
「オレとハリーは見た目も違うし、性格も好みも違う。生きてきた環境も違うし───」
 アーロンはハリーのダークブロンドにキスする。「ポジションも違うだろ?」
 ハリーはアーロンを振り仰いでまぶたを閉じる。アーロンはそのまぶたにキス。ハリーはゆっくりまぶたを開いて、
「ごまかしのキスじゃない?」
「素直じゃないなぁ」
 ハリーの不安のタネなんて、今に始まった事じゃない。しかしハリーの不安そのものも、最初からあった。
 アプリコットの甘酸っぱいフレーバーのキスを交わし、肩をハリーに押し返される。
「あの方は、オレが思ってるよりずっと、お前を買ってる。ちゃんと毎日帰って来れるかな?」
 そんな事!?───いや、本当は違うところにある筈。きっとハリーも、自分の胸に湧く言葉にならない不安を探してる。カミルの事は、今思いついたんだろう。
「毎日帰るよ。オレの帰る所はここしかないから」
 そう云ってアーロンは、ハリーの胸を指で突く。ハリーは腕を伸ばしてアーロンに縋りつく。アーロンはハリーの腰を掴んで自分の膝に乗せた。
 云ったらハリーは喜ばないだろうからアーロンは云わないが、この膝の重みがアーロンはとても好きだ。ハリーの総てを受け入れられた気がする。なのに抱きしめると顔を埋める事ができる。密着の温もりと確かさ。ここが、自分の居場所。
「ハリーの悩みは尽きないな。オレなんて、───」
 ハリーの肩口に鼻を付けて、息を吸い込む。「こうしてるだけで安心するのに」
「でも、ずっとこうしてられないじゃん」
 切ない顔で見下ろすハリー。甘えため!
「ずっとじゃないからこんなに嬉しいんじゃないの?」
「嬉しい?」
 見下ろすアンバーの瞳が揺れる。アーロンはイタズラな顔で、
「しっぽがあったらブンブン振り回してるよ!」
 ハリーは笑って首を振る。アーロン先生には敵わない。
 ハリーはアーロンの栗毛を指に絡め、アーロンはハリーの頬に手を伸ばす。その手を取って唇に付けるハリー。アンバーの瞳が妖しく輝く。
「ここでするの、ハリー?」
 ハリーの方から顔を傾けながらアーロンの口を自分ので塞ぐ。離れると、ヘーゼルの瞳は金色に変わっていた。
「ここ、来客も使う部屋だぞ」
「イケない事、て燃えるよな」
「萌える?」
「萌え...?」
 ああ、おかしな変換すると、アーロン固まっちゃう!
「いい。考えるな」
「なン...ハリィ...フむ」
 アーロンの顔に影が差し、ハリーの柔らかい唇が思考を奪う。アーロンの記憶の奥で、声が聞こえた気がした。
 考えるなよ、先生───。



 エンシオ=フスは、留学生だと云っていた。
 ストレートのブロンドにディープブルーの瞳。細身だが、小柄という程ではなく、しかしアーロンからは見下ろす身長だった。
「改めて、よろしく、先生ドクター
 エンシオはビールのグラスを掲げると、グイとあおいだ。息をつく様子は、少し気だるげだ。
「酔ってるの?」
「大丈夫。これくらいが、ちょうどいい」
 心配するアーロンの出した腕を、エンシオはシカと掴む。───ちょうどいい、て何だろう?
「僕が酔ったら、寮まで送ってね、先生」
「一人で帰れない程、呑んじゃダメだよ、エンシオ」
 五歳も年下という事は、クリスよりも若い留学生。髪や瞳の色はクリスと同じだけど、クリスよりずっと自立している。放っておいても心配なさそう。
「先生───アーロンと一度、寝てみたいな」
 ディープブルーの瞳は、アーロンを射抜くように見上げていた。
しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

孤独な王子は道化師と眠る

BL / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:11

転生した先では、僕の結婚式が行われていました。

BL / 完結 24h.ポイント:142pt お気に入り:680

されど、愛を唄う

BL / 連載中 24h.ポイント:235pt お気に入り:1

雨の日のお伽噺

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

処理中です...