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公爵家のパヴァーヌ

5 ニュ〜スだよ!

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 まるで二人は抱き合うような立ち位置になる。しかもカサンドラより背の高いニコルは、先へ進めず、上半身をカサンドラに凭れかけさせた。
「ニコル様!」
 駆け付けたのは、公爵令嬢のボディガード二人。両側からニコルを支え、カサンドラから引き離す。
「失礼しました、カサンドラ様」
「いいえ、失礼だなんて。私ちっとも構いませんのよ」
 カサンドラ嬢はむしろ残念そうに、ニコルの様子を伺う。ニコルは酩酊状態のようだ。それでも意識はなんとかあるらしく、
「お屋敷までお送りしましょうか、カサンドラ? それとも、気になるお相手がまだ中に?」
「いいえ! そのような方は、ニコル様#=△÷☆¥♧_±....」
 何か、言葉がフェイドアウトしているようで、ニコルにも、ボディガードにも聞き取れなかった。カサンドラは真っ赤になっているが、俯いているのでそれすら気付かない。
「では、ご一緒頂いてもよろしいですね」
「ぜひ...お願い致します」
 ニコルの差し出した手に手を乗せるカサンドラ。酔っているニコルは、その手をギュッと握りしめた。フラついてるからかも知れないけど。
 そこでボディガードが再度ニコルを支える。
「参りましょうか」
 なんとか自力で、エントランスまで、カサンドラの手を握って歩く。そしてふと気付く。
「今夜のパーティーは、いわゆる婚活パーティですよ。あなたはたしか...」
「あら、私、18歳になったから招待状が届いたのですよ」
「そうですか。もう、大人ですね」
 ほんのり頬を染めて、ニコルは微笑んだ。



 恥ずかしいと云うより、バツが悪い気がした。
 なのに、離れていくアーロンの顔を、見つめてしまうハリー。
 車の中でのキスなんて、摂政になる以前はよくしてた。なのに今は───、運転手が気になる。
「もしかして今、何か別の事考えてる?」
 キスの事考えてたよ!───とは云えない。
 ハリーはちょっと赤くなりながら、シートに背中を付ける。
「きっと怒ってるぞ、ニコルお嬢様」
 アーロンはクスリと笑った。
のお嬢様には、刺激が強かったかな?」
 キスならしてないぞ。それとも二人でテラスから降りた事かな?
「お前の事、メイドに調べさせてたみたいだ」
「伯爵は、ニコル様ならそろそろお気付きになる頃だろう、てさ」
「読んでたか。伯爵らしいな」
 貴族名鑑に載ってしまっては、ニコル本人じゃなくても気付くだろう。そこからニコルが伝え聞くのは充分に考えられた。だからヴァルターは特に小細工もせず、招待状にアーロンの名前を載せた。
「ハリーは───」
 とアーロンが云いかけると、ハリーは咳払い。「私が信用できないのですか、ハリー殿下?」
「信用?」
 唐突なアーロンの云い方に、オウム返しに問返すハリー。
「私がパーティーに参加したとしても、なびく相手など、この世にはおりません」
「ばーか。───」
 ハリーはアンバーの瞳だけをアーロンに向ける。「会いたかっただけだ」
 運転手に聞かれるのが恥ずかしくて、かなりボリュームを落とした声。アーロンの耳は辛うじて拾った。嬉しそうな笑顔になる。シートの上に置かれたハリーの手を、ギュッと握った。
「このまま、ホテルにでも連れて行って差し上げたい」
 顔を上げるハリー。ちょっとドキドキしてきた。───え、行くの? 行っちゃうの?
「行きませんよ。───」
 アーロンは半身をハリーに向ける。「護衛も付けずにお出かけになるとはもってのほかです! このまま真っ直ぐお帰り下さい。そして二度と繰り返さないよう、くれぐれも肝に銘じて下さいね、摂政殿下!」
「...はい」
 期待させておいて、落とされた。カミルにも諌められたばかりなので、何も云い返せないハリー。
───やっぱりあの時、冷静じゃなかったんだな、オレ。
 しっかり反省するハリーの手に、アーロンが指を絡めて恋人繋ぎをする。アーロンを見ると、嬉しそうにニコニコしている。
───喜んでるんだろうな...結婚。
 しかしハリーは手放しでは喜べない。同性婚が認められない宗教のこの国で、そうそう簡単に法案が通るとは思えない。
 カミルの事だから、根回しは充分に行ってから法案の提出をするだろう。しかしそれがすんなり通るだろうか。
 それでも、アーロンが喜んでいるのに対して、水を差すような事はしたくないハリー。ここでは、思っている事を口にはしないと決めた。
 ハリー自身も、これが糠喜びになるのは怖かった。
───明日、云うよ、アーロン。
 今夜は幸せな気持ちのまま帰らせよう。この手のぬくもりと強さが、ちょっと切ない。
───でも、摂政の任が済めば一緒に住むんだから。
 『結婚』とか、形や呼び名にこだわらなくてもいい。養子縁組でも、家族にはなる。
 ハリーは絡められた指を更に深く絡め、更に強く握る。するとアーロンは更に嬉しそうな笑顔でハリーを見下ろした。
 つられそうな笑顔に素直につられてハリーも笑顔になる。見つめ合うと、笑顔のままお互いに引き寄せ合い、軽くキス。そして、長く溺れそうなキスをした。



 電話の相手は、忙しそうな状況らしかったが、落ち着いて対応してくれた。
───ヴァルターはいつでも卒がないな。 
 彼の書斎に繋がっているらしく、雑音にも人の呼びかける声などが聞こえる。
『昨日はお見送りできなくて失礼しました』
「構わない。気にしないでくれ」
『恐れ入ります。───アーロン先生でしたら、残念ながら不在です』
 ヴァルターの言葉にハリーは苦笑い。
───やっぱり読まれてる。
 ヴァルターは更に先を読んで、
『ニュースはまだ、ご覧になっていらっしゃいませんね』
 と云った。ハリーには何の事か分からない。
「新聞なら今朝読んだが...」
『いえ、速報で先程出されたところです。テレビかネットのニュースですね』
 そう云われれば、スマホで電話をかける前、通知が入っているのは気付いていたが、ハリーは電話を優先した。
「今すぐ確認した方がいいかな、伯爵?」
『ええ、是非。お手数でなければ、ですが』
 是非、て云ったじゃん。仕様がないな。───執務室のハリーはパソコンのスクリーンセーバーを解除して、ニュースアプリを開いた。
「これ...っ!」
 見出しを読んで絶句するハリー。落ち着くのを待って、話し出すヴァルター。
『つきましては、お許しを頂きたいのですが...』



 頭がガンガンする。
 もう一度寝返りをうつと、襟元に体温より低い空気が入り込み、鳥肌立つ。それをきっかけに、胸の辺りがムカムカして───。
「うっ...!」
 布団を全力でめくり上げ、シルクのワンピースパジャマを翻して、トイレへダッシュ!
「お嬢様...」
 メイドのメヒティルトは、ニコルの背中を擦る。ひとしきり吐かせると、ガウンを羽織らせ、スポーツドリンクを出した。
 ニコルの酒は、食事に合うものを嗜む程度で、そんなに強くはない。昨夜は食事もつまみもないのに強い酒を短時間で飲んでしまった。しかもその酔い方は、クセが強い。
 毎回、なんとなくは覚えている。そして毎回後悔する。
「差し出がましい事とは存じますが、お仕事の方は、お休みを頂きました」
「うん。───」
 公爵令嬢はベッドに潜り込みながら、「殿下はなんて仰ったの?」
「たまにはいいだろう。ゆっくり休ませなさい、と私に仰いました」
「あああ、頭痛い」
 身じろぎすらしなくても、激しい頭痛は治まらない。
「水分補給ですよ、お嬢様。シェフに、チキンスープでもお願いしますか?」
「今、何時?」
 問いかけながら、布団からニコルの手がスマホを探す。メヒティルトはスマホを握らせながら、
「もう、午後の一時を回っています」
 もうそんな時間か。よく寝た筈なのに、アルコールの毒素はまだ抜けない。水分で薄めるしか、手はないのか。
 ため息をつきながら、ニコルはスマホを開いた。まずはメール。緊急性はなし。ちょっとニュースをチェックしてか...ら...!?
 ガバッと派手に起き上がり、その場にうずくまる。
「......っっっ!」
 目も開けられない程の頭痛。再び胸がムカムカして、背中に悪寒が走る。しかしもう一度、ニコルは確かめずにいられなかった。
 これでもかというほど思い切り眉間にシワを寄せ、ニコルは薄目でスマホを確認した。
「うそぉ~...」
 呻くと、ニコルのお腹がクルクル鳴った。



 横たわる少年の腹部を探る。
「ここは?」
 少年は首を振る。アーロンは指を別の位置へ滑らせる。
「んっ...!」
 少年は小さな声を上げて身を捩った。
「ごめん。くすぐったかったかな」
 アーロンの笑顔に、少年はほんのり頬を染めて、いえ、と小さく云った。アーロンは少年の服を下げ、
「もう起きてもいいよ、ロータル」
 云われたロータル=リヒターは、自分のベッドに起き上がる。途端にアーロンの後ろから弟のアルヌルフが掛けてきて、兄のベッドにダイブ。
「ダメよ、アルヌルフ。まだアーロン先生の診察中よ」
 リヒター夫人も入って来た。
「構いませんよ。───アルヌルフもお腹痛いのかい?」
 とからかうと、三男は悲鳴を上げて母親の元に逃げた。
「いかがですか、先生? どこか悪いところとか、気付いた事とか、あります?」
「ないですね。病院でも問題なしと、診断が出たんでしょう?」
「そうなんですけど、やっぱりお腹の具合が悪いみたいなんてす」
 云われているロータルの表情も、今日は良くない。いつもならリヒター家の誰よりも元気がいいのに。
「もう一度、口の中、見せてくれる?」
 云われるままに、口を開けるロータル。母親がアーロンの後ろから、
「先週末、歯医者の定期検診に行ったばかりなんです」
「ブラッシングや舌苔の指導も、されましたよね?」
「ええ」
 そこで小さなスパイが報告する。
「ロータル、歯磨きの後で、チョコ食べてたよ、昨日の夜」
 何か云いたそうなので、アーロンがロータルを解放すると、
「お前も食べただろっ、アルヌルフ!」
「まあ! 駄目じゃない、二人とも!」
 やられたらやり返す、兄。しかし二人とも同罪だ。
 アーロンは夫人に向き直り、
「口内細菌が腸まで届いてしまってるのかも知れないですね。もう一度、ブラッシングの指導を受けるか、───」
 アーロンはロータルにウィンク。「彼の歯磨きに付き合ってあげて下さい」
 あからさまにげんなりするロータル。14歳。スポーツをやっていて体格は大人並みだが、まだまだ子供のようだ。
「ねえねえ」
「なに、アルヌルフ」
 こっちはお子ちゃま真っ最中だ。ほぼ真上を見上げながら、アーロンの膝をポンポン叩く。
「アーロンは病院の先生なの?」
「そうだよ。だから良い子にしてないと───」
 アーロンは悪い顔の横で、両手の指をムカデのように動かして、アルヌルフに迫る。アルヌルフはまた悲鳴をあげて母親の足にしがみついた。絶対に楽しんでる。
 しがみつかれた母親は、スマホを見て、
「あら、イェルンを迎えに行かなくちゃ」
「車で、ですか?」
「そうなの。年明けに、エッケハルトがフリートウッド公爵の叔父だという事が発表されたでしょ。危険だから、スクールバスじゃなくて私か主人のどちらかで、送り迎えをしているの」
 そういえば、イェルンはアーロンに、不審人物につけられている、と云っていた。
「それなら、私が行きましょうか?」
「あら、でも、悪いわ」
 と云いながら、リヒター夫人は嬉しそうな顔をした。
 アーロンは、イェルンの待つ駅へ向かう。
 この日は土曜日で学校も会社も休みだが、イェルンは友人と図書館へ行った。午前中に済ますなら、という条件で、父親が許可していた。高級貴族の縁の者となると、おいそれと外出できない、とイェルンは文句を云っていたそうだ。
 ちなみにエッケハルトは勤務する病院で、残っている雑務を片付けに行っているそうだ。こちらも午前中に終わらせる予定だが、もう少し残っているのと、子爵のご子息なら心強い、という事で、迎えはアーロンが行く事になった。
 駅に着くと、イェルンはユーリアと一緒だった。
───これは少し遠回りになるな。
 そう思いながら、アーロンはにこやかにを乗せた。───まあ、少しだけ。
「着きましたよ、フラウ・ユーリア」
 トウヒの木の側に車を停める。
「ありがとう、アーロン卿。これからもよろしくね。───」
 ユーリアはウィンク。「イェルン=リヒターの事」
「...ええ、もちろん」
 意味深な気がしたが、アーロンにはピンとこなかった。どういう事なのか、イェルンを見るが、
「気にしないで下さい。ヘンな事を口走る癖のある子なんです」
 と肩をすくめた。アーロンは笑って、
「別にヘンな事は云ってないと思うよ、彼女は」
「それよりも、このニュースは本当ですか?」
 イェルンはスマホの画面をアーロンに向けるが、運転しているアーロンに確認できるわけがない。でもまあ、朝からヴァルターに予告されたので、分かってはいる。
「どんなニュースです?」
「『ハリー摂政殿下、婚約』と書いてあります」
「本当ですよ」
 ちら、とイェルンを見ると、スマホの画面に見入っている。
曾祖母様ひいおばあさまの家で、摂政殿下と親しそうでしたね」
「ええ、否定はしません。しかしここからは、発表された事も、それに関わる事も、一切お話できません。ご容赦下さい」
 アーロンはバカ丁寧に断りを入れた。
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