あじさいの城4 ―アルテミスの娘―

かしわ

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公爵家のパヴァーヌ

3 アルテミスの正体

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 スープセットに注がれるスープから、湯気がたつ。
───この香り...。
 ハリーはゆっくり、深く息を吸う。
「アーロン先生特製チキンスープ、でしょ」
「どうして───いや、聞いたんだな」
「だって、元気ないから、ハリー。───」
 スープカップを手に取るニコル。「いい匂い! チキンスープなんて、何年ぶりかしら」
 ハリーはまた、フッと笑った。
「私は、よく体調を崩すからな。アーロンのスープは、彼の患者にも評判だった」
 「訊いてもいい?」とニコルは断ってから、
「どうして、アーロン先生は、王宮を去ったの?」
 ニコルの口からアーロンの名前が出る違和感。なるべくそれを気にしないようにして、ハリーは答える。
「摂政の側近として相応しくないそうだ」
「事務方ね。ハリーも同感なの?」
 ハリーは軽く手を広げる。
「その為に、私は王位継承権を放棄した。摂政の任期が終わったら、彼を迎えに行く。そしてふたりでひっそりと暮らす」
 ハリーは初めて他人に、決心を明かした。しかしニコルは、
「相手も、同じ気持ちでいるかしら?」
「どういう意味だ?」
 ハリーが眉をひそめると、ニコルはメイドから冊子と封筒を受け取る。冊子は貴族名鑑で、その付箋のページを開いて見せる。
「新しく社交界デビューする貴族のご令息ご令嬢の一人。アーロン=ゲルステンビュッテル卿」
 忘れていた。貴族の養子になれば、貴族名鑑に掲載される。写真付きで。そしてそれは、ニコルのところにも漏れなく届く。ハリーのところにも届いていた筈だが、いつもスルーしてたし、養子縁組のタイミングを正確に知らなかったし。てゆーか、ニコルさん、チェックしてたのか?
「その様子だと、やっぱりこの、ゲルステンビュッテル子爵のご子息は、アルテミスなのね」
「まあ、な」
 ニコルにバレたところで、特に問題はない。今は住まいも点々としているようだし、軍さえ撒ければいいだろう。もう部屋が変わって『アルテミス』ではない訳だし。
「そのアルテミス───アーロン=ゲルステンビュッテル卿は、今夜のパーティーのターゲットの一人よ」
 ニコルが見せてくれた封筒は、招待状だった。
「なんのパーティーだ?」
「簡単に云えば、婚活パーティーよ」
「婚活!?」
 ニコルの云う通り、ターゲットの欄にアーロンの名前が載っている。
「こんな招待状、私には届いたことがないぞ!」
「当然よ。カミルが国王になってから始めたんだもの」
「国王主催なのか!?」
 よくよく聞いてみると、貴族の結婚率を上げる為に、毎回ターゲットを数人決めて、カミル国王主催で開催されているという。摂政のハリーは、パーティーのような不特定多数が入り乱れる催しは、なるべく控えていたし、つまみ食いなどのスキャンダルは避けたいし、そもそもハリーが出席する筈もなかったので、招待状そのものが届いていなかった。パーティーや貴族の令息令嬢に興味を持たないハリーには、パーティーの情報も耳に入っていなかった。
「ターゲット、て...」
「婚活パーティーのターゲット、て云ったら、推し物件の事じゃない?」
「そうなると、ターゲットを目当てにパーティーに参加する訳か、みんな?」
 何故だ、カミル。ハリーとアーロンの仲は、知っている筈なのに。
 眉間にシワを寄せながら招待状を見つめるハリーに、ニコルは催促する。
「じっくり驚いてる場合かな、ハリー?」
「そうだな。抗議の電話をする!」
「抗議は後! パーティーは今夜なんだけど?」
 ニコルの発言に、ハリーは掴み掛かりそうな勢い。
「何故それを早く云わない!?」
「最初に云ったわよ!」
 ハリー、ムンクの叫び。
「いやいや! アーロンなら大丈夫だ。他の者になびくなんて、絶対にない!」
 自分で云って、やっと冷静になるハリー。───そうだ、アーロンあいつなら、なんの心配もいらない。
「随分自身があるのね。相手は名だたる貴族の令息令嬢よ」
 ニコルの問いに、ハリーは肩をすくめた。
「そんなもの、なんの魅力にもならないよ、アルテミスなら」
「そっか。アルテミスなら、そうよね」
 ニコルにしても、アーロンではなくアルテミスという名前だと、具体的にキャラクターが思い浮かぶ。確かに彼なら、貴族などには興味を示さないだろう。
「じゃあ、わざわざパーティーに乗り込む事もないわね。ハリーは招待もされてないんだし」
「うん...」
 ハリーの返事はなんだか浮かない感じ。───いやいや。全然心配してないけどね!



 その会場には、貴族の令息令嬢が集まり、華やかにフロアを彩っていた。
 もちろん、会場の内装も豪華だ。
 天井の中央には、オーナー自慢の巨大なシャンデリアがきらびやかに灯る。周囲に等間隔で配置された照明も、なかなか豪奢なシャンデリアだ。
 天井も壁も、内装はヨーロッパで高名なデザイナーと職人によってデザインされ、プロのデザイナーが見学に訪れる程の代物。
 会場の中央にはバーカウンターが、360度解放で設置され、コーナー二箇所には豪華なソファとテーブル、一角にはグランドピアノが置かれている。生演奏でクラシック曲が流れるが、決して招待客の会話を阻害する事はない。優雅なBGMだ。
 招待客はみんな、目元だけの仮面を付けている。貴族の位を気にせずに、会話で出会いを育んでもらおうという趣旨だ。
 但し、ターゲットだけは、仮面を付けていない。
は、まだいらっしゃってないようですね」
 と云ったのは、毎回ターゲットに指名されているヴァルター=ベルトホールド伯爵。パートナーが見つかるまでは、彼は指名され続けるようだ。ヴァルターのみ、国王たってのご指名なのだ。
 片や、隣でビールを飲み干したのは、ゲルステンビュッテル子爵家の、アーロン。
「ご招待してないんでしょう?」
「ええ。ご招待する訳にはいかない方ですから」
 ヴァルターはシャンパンを2/3ほど減らして、また出入り口の方を見た。その視線を遮るように、二人の淑女がにこやかに近付いてきた。もちろん、目元にマスクを付けて。
「こんばんは、ベルトホールド伯爵」
「初めまして、アーロン卿」
 せっかくの挨拶に応えて、二人ともはないが、握手をする。
「こんばんは」
「どうぞ、よろしく」
 淑女二人がかなり若いのは、マスクでも隠せない。キャピキャピとしていて、こちらに対する興味が溢れている。但し、ターゲットとしての興味というよりも、パーティーで顔を隠していない男性の二人組を見つけただけ。
───いや、ベルトホールド伯爵なら、お相手として相応しいかもな。
 アーロンは勝手に、自分は相手にされないと思い込んでいる。なのに、
「飲み物はいかがですか?」
 なんて、世話を焼く。二人は伯爵と同じシャンパンを選んだので、アーロンも同じものを頼んだ。
「お二人は、お知り合いなのですか?」
「お知り合いになって間もない間柄には見えませんわ」
 令嬢たちは、アーロンとヴァルターをしばらく観察してから、近付いてきたようだ。
「私が子供の頃に、知人を介して知り合いました。アーロン卿は私のイチオシです」
 ヴァルターは抜かりなくアーロンを薦める。冗談じゃない。
 アーロンはずっと目の端に入っていた人物を強引に呼び寄せた。バーカウンターのコーナーで、壁の花ならぬ角の絵画みたいに、ずっとその場から離れずにいた男性だ。目元にマスクはしていない。
「ハンス=シュテッパン卿こそ、良い方ですよ。SEでもあり、e-Sportsのプロでもありますから」
「そうですね。でも性格は温厚で優しい方です。アーロン卿に負けず、お薦めです」
 アーロンのノリにヴァルターもノッた。いいコンビだ。
「え!?」
「あ、えっと、こんばんは」
「わたくし、初めまして、でしたかしら?」
 三人が挨拶を交わしている間に、アーロンはヴァルターとしれ、とその場を離れた。
 二階バルコニーに移動する。階下には招待客がゆっくり移動したり、歓談したり、バーカウンターに佇んだりしている。
「ハンス=シュテッパン卿はもう、独りになってしまいましたね」
「良い方なんですが、恋愛には積極性がなくて。残念です」
 ヴァルターの言葉にアーロンはクスリと笑って、
「伯爵こそ、どうなんです? パートナーらしき影は感じませんが」
 ヴァルターはちら、とアーロンを見上げる。
「私は、今のところ、恋愛も結婚も考えていません。もちろん、良い出会いがあれば、拒んだりするつもりもありませんけどね」
「それなら、こんな所で高みの見物はいけませんね。下へお戻り下さい」
 アーロンは自分が彼を連れて来たくせに、そう云って階段への道を空けた。ヴァルターは手摺に凭れながら、笑顔で頭を振る。
「ラファエルが心配して、あなたをターゲットリストに入れたんです。がもし、今日お出でにならなければ、次の手を考えていらっしゃいますよ」
「え? だって、には招待状も届いていないのに」
「いらっしゃらないと思いますか?」
 ヴァルターが意味深に見上げる。そこでやっと気付くアーロン。
「招待状を出したんですね、ニコル様に?」
 ヴァルターは、そろそろニコルがアルテミスの正体に気付いているだろう、と踏んでいる。気付いていれば、彼女なら間違いなくハリーに伝え、パーティーに誘い出すだろう。あとはその誘いに、ハリーがノるかどうかだ。
なら、いらっしゃると思いませんか、あなたに会いに?」
「そこは否定しませんよ」
 いけしゃあしゃあと、アーロンは云ってのけた。確かに、先日もS国に訪問しながらも、抜け出してB国のアーロンの元に駆けつけたのだから。
「問題は、どのようにして入り込むか、なんです」
 ヴァルターは楽しそうに云った。どうやら想像を巡らせているらしい。
 アーロンも考えてはみるが、今回はさすがにステファンは一緒にはならないだろうから、大胆なマネ───例えば武装して乗り込むとか───はしないだろう。
───ニコルちゃんは招待状があるんだからそれを使うとして...。
「招待状は一人につき一通ですよね?」
「もちろんです。ご兄弟の場合でも、それぞれの方に一通ずつ差し出しています。ちなみに、ヴィンデルバンド公爵家には、ニコル様にのみ招待状を送っています」
 兄弟を装う、というケースはなしか。
───なんか、あの二人が思い立つと、後先考えなさそうだな。
 そう考えて、アーロンはなんだかイヤな予感がしてきた。
───まさかとは思うけど、ボディガードなしで二人きりで来てたりしないよな...!?
 アーロンはヴァルターに呼びかけた。
「なんだかイヤな予感がするので、様子を見に行ってきます」
「あ、お待ち下さい。それには及びません」
 ヴァルターは耳に手を当てて、云った。無線機のイヤホンを聞いているようだ。
「いらっしゃいましたか?」
「そのようです」
 イヤな予感が外れた。アーロンは深いため息をついた。
 二人はバルコニーから出入口を見下ろした。
「賭けをしませんか?」
 持ちかけたのは、ヴァルター。
「何ですか、賭け、て?」
「ハリー殿下は、女装をしていらっしゃると思うんですが」
「女装!?───」
 意外過ぎる発言に、頓狂な声のアーロン。「なんでそんな事を思うんですか、伯爵?」
 ヴァルターは肩をすくめて、
「ニコル様が、以前仰っていたんです。化粧映えする顔だから、是非一度、と」
 そんな話をしていると、間もなく扉が開けられ、普段のスーツ姿のハリーとニコルが入って来た。ほっと胸を撫でおろすアーロン。
───大女が来るかと思った...。
「残念ですね。見てみたかったです」
 みんなハリーの身長を忘れている!───そう思いながらも口にはせず、アーロンはハリーの姿を目で追う。手摺に肘をついて、ニヤニヤ。
───探してる。
 必死な顔で、会場内を見渡しているハリー。
───なんで、来たの、ハリー。
 アーロンはバルコニーを離れ、階段を、ハリーから目を離さずに下りる。
───オレ、信用ない?
 タタタン、と素早く駆け下りる。
───目移りすると思った?
 最後のステップを下りて...見失った! キョロキョロしていると、
「こちらへ!」
 マスクの小柄な青年が来て、アーロンの手を引いて行く。きらびやかな人混みを掻き分け、テラスへ出た。ひといきれを抜けて、冷たい空気に包まれる。頬や襟元を冷やされ、まるで感覚が研ぎ澄まされるようだった。



 会場内を、アーロンを探していたハリーは、やっと彼を見つけた。他の招待客より頭一つ分背の高いアーロンなのに、意外に手間取った。
「ぁー...」
 声をかけようと手を上げたところで、アーロンは全く別の方を向いて歩き出した。その姿勢から、誰かに手を引かれている。
「あいつは...!」
 ドレスやタキシードの間から、アーロンを連れ去る男の顔が見えた。それは、パーティーに現れては貴族の令息を持ち帰るので有名な子だった。
 確かに容姿はかわいいと評判だった。ハリーが摂政になる前から有名だったが、その頃のハリーは、貴族のパーティーには参加していなかったので、会ったことはなかった。
───どこに連れて行くつもりだ?
 行き先を見ると、窓へ向かっている。
───テラスか!
 ハリーはゆっくりと行き交う、あるいは立ち止まって歓談を楽しむ貴族達を掻き分け、テラスへ急いだ。背中に、ニコルの呼びかけを受けながら。
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