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公爵家のパヴァーヌ
1 湖の別荘
しおりを挟むペラゲーヤの動機が薄い分、自分の犯した罪を悔いるのも早かった。
ハリーは、
「ペラゲーヤは、私の盾になろうとしたんだ」
と云った。結果として、それは果たせなかったが。
「ハリー殿下は身内に甘いですね。そのせいで死傷者が出ているのに」
「そうだな。済まない、ステファン」
謝るハリーにもどかしさを感じるステファン。
───違う! 謝罪の相手は僕じゃない!
ハリーにだって分かってはいる。しかし、いちばん罪の重いオットマーの事に触れたくなかったから、ハリーは謝罪して話を終わりにした。
ハリーの周りで多くの人が罪を犯し、人を傷つけた。今回の件に限らない。ノアの事件だってそうだったし、ヴィンツェンツの事件もそうだ。
今回はそのせいで愛する人が大変な怪我を負った。連れ去られて何も分からない間、ハリーは気が気ではなかった。
もう解放して欲しい。どこか静かな場所で、ひっそりと暮らしたい。───愛する人と。
ハリーがアーロンの手を握ると、アーロンは強く握り返してくれた。
「眠って、ハリー」
F国へ向かう道はやがて雪道となり、決して快適な旅とは云えない。熟睡などできないだろう。それでもアーロンの手さえ握っていられるなら、ハリーには文句の付けようもない。
ハリーはこの寒さでも意外に温かいアーロンの手を、ずっと握っていた。
程なくして、ハリーはF国への外遊から戻った。
その場所は、イブラント。
王宮はオットマーの事件でヘリから攻撃を受けたので、現在修復中。
カミルは入院中だが、一時帰宅を始めようとしていた時だった為、イブラントに在住の者は、皇太后以下全員、別の場所に移った。北の国境に近い城だが、石造りの古い城だ。静かな森の中なので、カミルの静養には向いている。
F国のホテルの前で、ハリーはアーロン達と別れた。
翌日は同行していたニコルに叱咤激励されながら、あまり眠れていない身体に鞭打って、挨拶や会食をこなした。
戻ったら戻ったで、いつもと違う部屋なので、勝手が違ってやりにくい。未だ旅行の延長だった。
知らせはその日の夜だった。
「お祖母様が?」
侍従の一人が、電話を受けたという。
「はい。二時間ほど前から、容態が宜しくないようです」
祖母の主治医は、今夜が峠かもしれないと云っていたそうだ。
ハリーの祖母は、ここ数年体調が思わしくなく、家にこもり切りだった。
「すぐにでも訪問したいが...」
事務方の許可を貰わなければならないハリー。
「明日の午前中は、外遊後のお休みとして、スケジュールは空いています」
「なら、今から出かける。支度を頼む」
「ですが、お体の方もお休めいただかないと、公務に差し支えます」
事務方は眉間にシワを寄せて、難しい顔をする。
「お祖母様に会わずにいる方が、ずっと公務に差し支える。頼む。行かせてくれ」
「しかし、お母上の見舞いもお控えになったと云うのに...」
「行かせて差し上げて。───」
助け舟を出してくれたのは、ニコル。「止めてもお出かけになるんでしょう、殿下?」
「そうだ。私は行く」
ハリーは居直って云った。ニコルはその様子にため息をつく。
「実の母じゃないかと疑われる程、殿下と元公爵夫人は仲がよろしいのだから、仕方ないでしょう」
F国で失踪したハリー。慌てる周囲をなだめたのも、この公爵令嬢だったそうだ。
「ありがとう、ニコル」
事務方が下がると、ハリーは礼を云った。ニコルは腕を広げる。
「ついでにアルテミスもお供させましょうか?」
「アルテミス?───」
ハリーは怪訝な表情をして見せる。「わざわざ遠い方角から?」
「冗談です」
ニコルは整った眉を上げて、頭を振った。
イェルン=リヒターは、父のエッケハルトに着いて来ただけだった。
父とは血の繋がらない祖母───つまりは祖父の後妻にあたる人───が、危篤状態だという事で、イェルンは着いて来た。まだ小さい弟を連れてこられない母の代わりだった。
イェルン自身も、実際に親戚に会ってみたいと思ったのも事実。
ただ、集まった応接室に入ってみると、父のエッケハルトは少し浮いていた。他の人たちと馴染んでないのが、イェルンの目にも明らかだった。
───父さんの方が出て行った側なんだから、当然か。今更どの面下げて、て感じだろうな。
イェルンはそんな事を思いながら父を見ると、思いがけず、目が合った。
「寒くないか?」
「全然。寒がりなのは、ロータルだよ」
「そうだったかな」
父の疑問も無理はない。小さい頃のロータルは確かに寒がりだったけど、学校でスポーツを始めた彼はもう、雪が降り始めるまでTシャツだった。
「ねえ、僕が似てる、て云われた人はどの人?」
「ゴットへルフか? 今日はまだ来てないみたいだ」
「なぁんだ。見てみたかったな」
すると父は、イェルンに顔を近付けて、こっそり云った。
「云う程似てないよ」
「そうなの?」
改めて父を見ると、彼は肩をすくめて見せた。
メイドが入って来て、祖父に会いに行った時のように、ゲストに紅茶や飲み物をすすめている。
「アーロンは、まだ来ないね」
イェルンはふと思い出して、父に云った。家を出る時に訊いたら、「出先にいるがすぐに駆けつける」とのことだった。
「間に合わないかも知れないな」
父は呟くように云った。
会いたいわけではない。イェルンの知り合いが全くいないこの場所で、彼が入って来れば、なんとなく心強いかも知れないからだ。
「優しそうな人じゃない。イケメンだし。私の趣味じゃないけど」
とは、ユーリアの台詞。友人の基準はいつだって、『恋愛対象としてアリかナシか』。
アーロンが何とか、て子爵の息子だと伝えると、翌日には貴族名鑑を切り抜いて持って来た。
「位は子爵だけど、古い名家よ。いいんじゃない?」
「それ、もしかして僕に勧めてるの?」
「だって、悪い物件じゃないわ」
なんて云ってたのに。
年が明けて学校に行くと、イェルンはユーリアに、こっそり物陰にひっぱられ、
「あなたのお父様、て確か、エッケハルトと仰るんじゃなくて?」
「なんでヨソイキみたいな口調なの?」
「フリートウッド公爵家の、当主争いに名前を連ねていらっしゃったわね!」
「観てたの、中継?」
「認めるの?」
「認めるよ。僕も最近───て、なに、目、キラキラさせてんの?」
「私、あなたと結婚してあげても良くってよ!」
「認知はされたけど、僕は飽くまでもリヒター家の一員。それでも?」
「私、今日は具合いが優れないみたいだわ。何か口走ってたら、忘れて」
ユーリア自身、位は聞いてないけど、貴族らしい。いや、貴族の流れをくむ、とか云ってたかな? でも、それだけで裕福に暮らせるわけではないようだ。彼女の夢は、高級貴族と結婚する事、だそうだ。
イェルンがそんな事を思い出している間に、彼も顔だけは見覚えのある人物が、応接室に入って来た。
「ザシャ=フリートウッド公爵だよ」
父が、耳打ちしてくれた。
ハリーが祖母の元に駆け付けて、そろそろ一時間になる。
ベッドの側で、ずっと祖母の手を握っている。
祖母の手は冷たかったが、それはハリーが小さい頃からなので、心配はしていない。しかし握っても握り返しては貰えない。ずっと意識のないままだった。
ハリーが幼い頃からフリートウッド家の者はみんな、ハリーが庶子だと知っていた。ハリーの身の回りの世話をする者以外で、ハリーに親しくしてくれたのは、祖母だけだった。ふたりの感じていた疎外感が、共通の意識としてあったのかも知れないが、ハリーにとって唯一、気さくに話せる相手だった。
彼女は体を動かすのが好きで、明るく社交的な性格だった。祖母の周りにはいつも、笑い声がしていた。男勝りなところがあり、前々国王が倒れた時など、呆然とするヒエロニムスを叱咤して、出仕させたそうだ。
「ハリー殿下。───」
ザシャは、ハリーに声をかける。「お身体に障ります。少し、ソファで仮眠でもいかがですか?」
祖母よりもむしろハリーを心配して、主治医の話を側で聞いたり、室内の空調などに気を配ったりした。
しかしハリーは、ベッドの側を離れなかった。
ハリーとザシャは、義理の叔父と姪の間柄で、ザシャが幼い頃からハリーは知っていた。厚い瓶底のような眼鏡を子供の頃からかけていて、ハリーとは反対に、ボールを扱うスポーツが全く出来なかった。仲良くはなかったが、嫌う程、お互いに近付きもしなかった。
───アーロンが来るまでは...。
なんとなく、ハリーはアーロンを基準に置いた。
エッケハルトのことも気になるらしく、一度しか会ったことのない祖母の為に、アーロンは駆け付けてくれると云った。が、ハリーと違ってプライベートジェットではなく、雪の積もる山道を、ステファンの車でF国から帰るアーロンは、ハリーが連絡をした時は、やっと国境を越えたくらいだった。
アーロンはマメにメールを送ってくれた。森の城に着いた、とか、ヴァルターに報告して許可を貰った、とか、スーツを持って出た、とか。
アーロンが来てくれる。それだけでハリーには心強かった。
しかし───。
アーロンは間に合わなかった。
F国に行ったついでに、ステファンはちゃっかりお土産を購入していた。
「寂しかったよ、ステファン!」
モーテルのドアを閉めた途端、ヤンはステファンを抱き上げ、キスの雨を降らせる。
「ふぁ、ん、ぁ、ま、て」
ステファンは僅かな抵抗を見せるが、ヤンの激しく甘いキスに、何も考えられなくなる。
「んんっ! ぷはっ、いたたたたっ!」
ゲロルトに耳をちぎれる程引っ張られ、ヤンは仕方なくステファンを解放した。ステファンは膝も腰も砕けてその場にへたり込んだ。
「抜け駆け! それに───」
ゲロルトはステファンのお土産を開ける。「こっちが先だよな、ステファン」
「立たせて、ゲロルト」
へたり込むステファンに手を差し出すと、彼はまだ上気して染まった頬でゲロルトを見上げた。
「......!」
ゲロルトは思わず生唾を飲み込んだ。
───ヤバい! 土産なんか、どうだっていい!
ステファンのブルーの瞳は涙が零れそうなくらいウルウルで、その視線はこちらを真っ直ぐに射抜く。ほのかなピンクの唇は見上げたせいで半開きになり、まるで誘っているみたいだ。
───ヤンが野獣になっても、それはあいつのせいじゃない!
その唇は触れればきっとぷるぷるで、舐めればきっと甘い。そしてその奥には濡れた赤い舌が、突っ込まれるものを待っているに違いない。
「ステファ...ンぐえっ!」
ゲロルトは後ろからヤンにヘッドロックされた。
「今、ベルトに手をかけてましたよね! 見てましたよ! てか早過ぎでしょ!」
仕方がないので、二人でステファンの両腕を取って立たせた。ステファンを真ん中にしてソファに座る。
「狭いな」
二人がけのソファに男三人が座ればぎゅうぎゅうだ。
「そっちのソファに座れよ、ヤン!」
「ゲロルトこそ、そのソファには君の方が近い!」
二人とも、譲る気なし。するとステファンが、
「僕がそっちへ行くよ」
と、行きかけたのを、二人で止める。
「分かった!───」
ステファンの腰を掴んだヤンが云った。「こうすれば解決!」
ステファンを軽々と持ち上げ、自分の膝に乗せた。ぬいぐるみを抱くように、後ろからギュッと抱きしめるヤン。
「じゃあ、ステファン、足はこっちだな」
ゲロルトはステファンの両足を膝に乗せた。そのまま太腿をなでなで。
「その手っ、いやらしいよ、ゲロルト!」
「どーでもいいけど、これじゃ誰が、お土産のワインを開けてくれるの?」
ステファンは二人を睨むように見上げた。それに応えてゲロルトが立ち上がった。
「プリンセスのご所望とあらば、はい、コップ持って、ステファン」
残念ながら、やっぱり紙コップ。
ゲロルトはキッチンからワインオープナーを持って来て、手際良くコルクを抜いた。
「それ欲しい!」
子供のように両手のひらをゲロルトに見せるステファン。
「コルク? 欲しい、て? どうしようかなぁ」
「僕が買って来たんだから、僕のでしょ!」
焦らすゲロルトに権利を主張するステファン。しかしそれを聞いていたヤンが、
「お土産として買って、僕らが貰い受けた。となると、所有権は僕とゲロルトにあるよ」
「三人で飲む為なのにぃ」
焦れるステファンに、ゲロルトは微笑む。
「何でも云う事きく、て云えたらコレやるよ、ステファン」
「うわ~、悪い顔で笑ってるよ!───」
ヤンが顔をしかめる。「云う通りにした方がいいよ、ステファン」
しかしステファンは、ぷい、と横を向いてしまった。
「じゃあ、いいよ、もう」
「そうなの? あ~、いい匂い!」
コルクのうっすらと紅く染まった面を近付け、鼻先に円を何重にも描くゲロルト。芳醇な吸気は無限に愉しめる。
ステファンはふてくされながらも、ゲロルトに紙コップを差し出す。
「ワインを注いで、ゲロルト」
云われたゲロルトは、コップと一緒にテーブルに向き直ったステファンの鼻先に、コルクを近付けた。
「...はぁ、いい匂い」
「いい眺め」
ステファンの隣では、ヤンがうっとりため息。ゲロルトはまた微笑んだ。
「もっとイイモノ見たいよな。ステファン───」
コルクをぶらさげるように掲げる。「舐めて」
「馬鹿じゃない? 馬鹿でしょ?」
そう云いながらも、ステファンはチロリと舌を出して、コルクの底を舐めて見せた。
「うぃ~!」
「最高、ステファン!」
男、て馬鹿です。
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