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摂政最後の事件...!?

5 検体#19始動

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 ニコルはそれを、ネット配信で見た。
 王宮を武装集団に追い出され、駆けつけたボディーガードの車で病院に送られている最中だった。
「ハリー...」
 呟いたきり、口を覆ってニコルは絶句した。
 ハリーは声明文を読んでいた。今回の行動の正義と正当性を語ってはいるが、逃走用のトラックを12台用意する事、それと、訳のわからない名前のテロリストの釈放を求めていた。
 もちろん、ハリーの意思ではない事は、革張りの事務椅子にくくりつけられている事でも判る。
「ニコル様...?」
 車の後部座席のニコルの隣で、メイドが震える彼女を気遣って声をかける。
「ハリーは、どうなっちゃうの?」
「分かりません、ニコル様───」
 メイドは眉をひそめる。「誰にも、分からないのです」




 アーロンはイブラントから王宮への道を急ぎ、車を走らせていた。
 その途中、数台の車に行く手を阻まれ、あっという間に囲まれた。
 アーロンの車の正面には、停めた車から出た人物が、車に寄りかかるようにして立っていた。
 カレル=ボチェクだ。
───一歩遅かったか...!?
 もうすでに、何か起こってしまったのかも知れない。アーロンは覚悟して車を停めた。
 辺りには、ライトに照らされる車の排気と人の呼気が、白く漂うだけ。
「まだ何も知らないようだな、その顔は」
 車から降りて近付くアーロンに、ボチェクは相変わらずの面白くない顔で云った。
「オレは何をすれば?」
 アーロンが訊くと、ボチェクは初めて笑った。
 まるで何もかも分かってますよ、的なアーロンの訊き方が、カンのいいこの男らしい。しかし、事実を知れば、アーロンはこんな所で立ち止まったりはしない。知らぬが仏だ。
「動画を見せてやれ、ハーロルト」
 指示されたハーロルトはタブレットで、アーロンに動画を見せた。
 それは、ハリーが椅子にくくりつけられながら声明文を読む様子だった。が、数秒、いや、ハリーの姿を見ただけで、アーロンは車に戻ってしまった。
「まあ、待て」
「そこをどいてくれ、カレル!」
 アーロンの車の前に立つボチェクに怒鳴る。その時間が長ければ長い程、アーロンは落ち着きを取り戻す。
 車はボチェクの部下に囲まれていて、アーロンには強引に発車する事ができない。
 ボチェクはアーロンが落ち着いた頃、彼の車の助手席に滑り込み、こう云った。
「この際、手段は選んじゃいられない。それは分かるな、アーロン?」
「......ええ」
 アーロンは走り出したい衝動を、ハンドルを握って抑える。
「お前だって、王宮に急いだところで、どうやってハリーの所まで行く?」
「緊急の脱出口があるんだ」
「無理だ」
 ボチェクは一言で否定した。アーロンは食い下がる。
「前にも外から───」
「犯行グループはプロの訓練を受けてるらしくてな。脱出口は分からんだろうが、監視は万全だ」
「他にどうしろと───」
 イライラするアーロンに、ボチェクはニヤ、と笑った。
「軍を、利用してやろうじゃねえか」
 ボチェクの云う『軍』とは、アーロンを探して捕まえて、あわよくば殺そうとしていた節のある、あの部署の事。
 その部署に名前はなく、その時々の目的によって立ち上げられ、任務が達成されれば消滅させられる、一時的な部署だ。今のアーロン対策がそれだ。
 ボチェクはその部署を、利用しようと云った。
「強制的に発作を起こさせる...?」
 アーロンに説明をしたのは、ヴェルナー。
 アーロンはボチェクと一緒に、王宮の門内に入っていた。そこにヴェルナーがいた。ちょっとだけ、知識があるらしい。
「主な成分はアドレナリンらしいが、それ以上は極秘だ」
「それを、オレが飲むのか?」
「注射だ」
 BDU───じゃなくて、本物の迷彩服の人物が二人の間に割って入り、訳のわからない薬物を、アーロンに注射した。
「10~15分で薬の効果が現れる。効果は約30分続く計算だから、それまでにハリー殿下の所へたどり着け。効果が切れたら、ひどい倦怠感で、動けなくなるかも知れないからな」
 そう云ったのは、スーツの男。部隊の責任者だろうか。その間、アーロンはスーツの上着を脱がされ、代わりに、訳のわからない装置───そのうちの一つはカメラだろう───の付いたベストを着けられた。
「分かったら、もう行っていいぞ」
 ボチェクとヴェルナーが両脇に付いてくる。
「他のクローンを何体か捕獲して、実験をしたらしい」
 ヴェルナーが前を向いたまま云った。
「奴らがお前を捕まえたがる理由が分かっただろう、アーロン?」
「実地試験がオレでいいんですかね?」
「気を付けろ。倦怠感で動けなくなったら、その後は本当に、一生殿下に会えなくなるぞ」
 アーロンはこんな時でも笑って答える。
「着いてきてくれないんですか?」
「後方支援という名目の監視が付くからな。ここでお別れだ、アーロン」
 王宮のエントランスまで、50メートルほどだろうか。軍の車数台が並び、その影に迷彩服の、おそらく後方支援部隊らしき数人が待機している。その手前で、ボチェクとヴェルナーは止まった。
「健闘を祈ってるよ、アーロン」
「そりゃどうも」
 アーロンはそのまま歩き続け、車列を抜け、立ち止まった。
───10~15分か。まだ少し時間があるな...。
 そんな事を考えていると、
「BGMは何にする?」
「ワルキューレの騎行だろ、やっぱ」
 無線がオープンになっていて、聞き覚えのある声の会話。
「ヘルムフリートと...ヴォルデマール?」
 二人は、ハリーの護衛チーム解散後、軍の実践部隊を渡り歩いていた。
「お前だったら、どんなBGMにする、アーロン?」
 ヴォルデマールの問いかけに、
「ワルキューレの騎行はないな」
 と答えるアーロン。ヘルムフリートが、
「やっぱり、バッハのトッカータ ト短調だろ?」
「だったら、ニコライ・カプースチンのトッカティーナがいいな」
「ピアノ曲か!?」
 二人はクラシックが好みらしい。アーロンには分からない。
「どんな曲?」
「こんな曲だよ」
 誰が流すのか、ピアノ曲にしてはアップテンポの曲が流れ出した。
───ジャズみたいだな。後で調べてみよう。覚えてたら...。
 アーロンの意識が霞んできた。そしてハリーの事で頭がいっぱいになる。
───どこ...ハリー...。
 思い出されるのは、ハーロルトに見せられたタブレットの動画。事務椅子にくくりつけられた、大切な人。
───ハリー...。




 王宮の門の内側は、様々な車両と人で混雑していた。
 問題解決の為の、軍人、軍事車両。
 王宮から追い出されたスタッフの中には、重軽傷者も含まれ、その為の救急車や救護部隊。
 駆け付けた近衛師団とその車両。警察。事件解決の為の専門家───例えば王宮のメンテナンス業者やテロ対策のスペシャリスト、そして交渉人など。
 門の外側には、国内の各メディア関係の取材クルーが殺到し、ハリーのファンや野次馬も多数、押し寄せていた。
 そのせいで交通渋滞が起き、その整理のための警察も出動していた。
 その渋滞の後方、王宮を囲む塀をぐるりと門から数百メートル行った所に、トーレーラーが停まっていた。
 先程、アーロンに注射の効果の説明をした男───クルト=ルーゲが、荷台の中心にいた。その両側には、モニター画面とそのオペレーターが数人座っていた。
「検体19、走行開始!」
 一人が報告する。
 検体19とはアーロンの事。おそらく、軍で確認できている19体目のクローンという意味だろう。
「カメラ、及び無線の状態、良好です!」
「バイタル」
 男の一言に、合言葉のように報告が入る。
「意識レベル低下! 脳波、レム睡眠状態に入りました!」
「心拍数、血圧、共に上昇しています!」
 夢遊病状態、というところか。
「ここまでは、他の検体と変わりませんね」
 と云ったのは、ヴェルナー。本来の連絡将校とは異なり、彼はどこにでも首を突っ込んでいるらしい。
「検体、エントランスに到達します」
 モニターから、アーロンではない声が制止を求めた。が、次の瞬間にはうめき声をあげていた。画像には一瞬だけ対峙した姿が映ったが、倒れてしまう前に、画像は移動を開始した。
 自動小銃の音がけたたましく鳴り響くが、あっという間にもう二人、ほぼ一撃で倒された。
「速い...」
 現場の音声は拾っているが、画像はカメラの動きに追いつかず、動きの速さだけが強調されただけだった。
「ほとんど何にも映りませんね」
「これまでの検体と同じだ。仕方ない」
 ヴェルナーは、なんとなく予想がついていたが、疑問だった事を訊いてみた。
「何故、他の検体じゃなく、今回はアーロンを使ったんです?」
「情報解析室さ。───」
 クルト=ルーゲは、ヴェルナーを見下すようにチラッと横目に、「ボチェクが、あの検体を使え、とさ」
「はあ...」
 ヴェルナーはとぼけるが、理由はなんとなく解った。
 モニターの実況が入る。
「検体、階段を走行し始めました。一気に最上階を目指すようです」
「後方部隊を出せ。検体に気を付けろ」
 この司令で、ヘルムフリートとヴォルデマールを含む後方部隊が、王宮への侵入を開始した。死傷者の回収や残党の処理が主な任務となる。
 後方部隊の現場指揮官が無線で注意を促す。
「間違っても、先に進み過ぎて検体に見つかるなよ。万が一見つかったら、ソッコーで武器を捨てて無抵抗を示せ。特にヘルムフリート! ヴォルデマール!」
「はい!」
「昔の仲間とか、関係ないぞ! 別の検体の訓練で、仲良くなった奴が病院送りになったからな、肝に銘じろ!」
「了解!」
「ヤヴォール!」
 後方部隊はエントランスに突入した。



 ハリーの執務デスクの電話で、オットマーは交渉人と話をしていた。
「トレーラーは12台だっ。1台も欠かすな!...だめだ!───ちょっと待て」
 ポール=ヒルが、オットマーを手で制している。モニターの前の奴らも、椅子から立ちかけている。
「エントランスが攻撃された!」
「なんでだ!?」
 ポール=ヒルが怒鳴った。オットマーはまた電話を耳に充てる。
「交渉中に攻撃するとは、大した統率力だな!」
 オットマーは怒鳴って受話器を乱暴に置いた。ポール=ヒルが食ってかかる。
「どうなってるんだ、オットマー!」
「統制が取れてないんだ。ひどい国だ。なあ、ハリー!」
 オットマーは、ハリーの前に立つ。見上げるハリーは冷ややかだ。
「予定通りに進められなくて、気の毒だよ、オットマー」
「同情するのか? お兄さんのフォルカーがしっかりしていれば、こんな事にはならなかっただろうに」
「それはどうかな」
 ハリーは短く返した。
───やっぱりまだ、フォルカーを恨んでるのか...。
 フォルカーが健在だったとしても、ハリーの為に陣頭指揮を取る訳ではない。そんな事はオットマーも解っている筈だ。
 デスクの電話が鳴り出すが、オットマーは取らない。
「攻撃はどんな感じだ?」
「一人です。恐ろしくすばしっこい奴で、今のところ武器を使わず、素手でやり合ってます」
「勝手に入ってきた奴じゃないのか?」
 ポール=ヒルは自動小銃に手を伸ばす。
「どこへ行くつもりだ?」
「俺は戦闘が担当なんだろ。ネズミ一匹くらい、すぐに仕留めてやる」
 オットマーはかすかに顔をしかめる。
「ネズミくらい、お前が行くまでもないだろう。下の連中に任せて───」
「ネズミは階段を、真っ直ぐ上がって来ます!」
「来たぞ!」
 途端に銃声がけたたましく鳴り響く。遠いどこかから聞こえるのでも、もちろんカメラの音声でもない。ドアの外、すぐそこでだ。見張りの怒声やうめき声がリアルに聞こえるのは、人が走ったり倒れたりする振動まで、伝わってくるからだ。
「他にも数名、一個部隊がエントランスに入りました!」
「しっ! 静かに!」
 フロア全体が静かになった。ほんの三分ほどで、廊下の見張りを制圧したのか、しかも一人で!?
 モニター係の一人が、拳銃を構えながら、忍び足で廊下側のドアに近付く。
 カチャリ、と金属音がした。ポール=ヒルが、自動小銃をドアに向けて構えた音。
 トゥルルルル! と突然電話が鳴って、みんな飛び上がるほど驚いた。オットマーが先程無視した、交渉人からの電話だろう。しかし受話器を取る前に、ポール=ヒルが集中砲火を浴びせて粉々に吹き飛んだ。
 電話機の姿が消えた直後、今度はドアが乱暴に開いた。黒い影が飛び込んで来て、ドアの内側の男が床に叩きつけられた。そこへ自動小銃の激しい連射音を響かせ、ドアがボロボロになる。
 音が鳴り止まないうちに、モニター前の奴らが次々とうめき声を上げて、火薬の匂いの中、倒れていく。
「うあっ、この!」
 黒い影は銃を構えたポール=ヒルにも襲いかかった。力んだ彼は、思わず自動小銃の引き金を引く。室内を無差別乱射が襲った。
 全員が床に伏せたが、ハリーは椅子から動けない。咄嗟にペラゲーヤが椅子にタックルしたが、椅子のキャスターがスムーズ過ぎて、ペラゲーヤは無駄に崩折れた。ハリーはくくりつけられたまま、壁まで押し流された。
「......っ!」
 ペラゲーヤはテープで口を塞がれて言葉が出ない。それを見てオットマーが叫んだ。
「ハリー!」
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