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ロイヤルデューティー

8 紅茶は熱いうちにどうぞ

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 ハリーはニコルに云っていた通り、カミル、皇太后、そしてヴァルターとクリスマスディナーを共にして、イブラントを後にした。
 そして翌朝は、王宮に寄り添う様に建てられた教会でミサに出席し、イブラントへ戻った。ここ数年の、クリスマスの通例だった。
 イブラントの城に戻ると、王家の人たちは待ち侘びてくれていた。
「ハリー殿下にお知らせがあります」
 皇太后が、改まって云った。ハリーも身構える。
「なんでしょうか?」
「そんなに改まらなくても、いいんですよ」
 皇太后はころころと笑った。よく笑う人だ。彼女はヴァルターにバトンを渡す。
「一つは、年が明けたら、陛下の病状を公表します」
 理由は、そろそろ情報が漏れ始めている事。それと、数カ月経って治療が順調に進んでいる事が挙げられた。
───まさか、ここでこの話を聞くとは思わなかったな。
 ハリーの耳に入れるのは、侍従長などの場合が基本だ。カミルの入院がその例だ。もっとも、普段から連絡をこまめにしている訳ではないから、当然だが。
「殿下の周りは特に騒がしくなるでしょう。心しておいて下さい」
「はい、皇太后様」
 彼女は母親がするように、目を細めてハリーを見返した。
「もう一つですが───」
 ヴァルターが席を立ち、ハリーの傍にやって来る。「これをどうぞ」
 端から端まで指が届く程小さい箱は、リボンがかかっていた。
「でも、今年はカミルの事があるからディナーだけ、て...」
 例年は、みんなで楽しめる催しをしていた。マジシャンを呼ぶとか、ミニコンサートをするとか。しかし今年はカミルの体調を考慮して、ディナーを楽しむだけ、という事にしていた。プレゼントの交換もなし。顔を合わせられる事に感謝しよう、と。
「アルテミスからです」
「え!?」
 面識のない人物が、何故ハリーに?
「開ければ分かるそうです」
 ハリーは箱を開けた。そして、息を呑む。
 中身は、小さな十字架。ハリーにも見覚えがあった。
───せっかく見つけて、渡したのに。
 もし見つけ出せていなかったら、王宮のアーロンの部屋を片付けられた時に、失われていたかも知れない。
「中身は何だったの、ハリー?」
 箱の蓋を置くことも忘れ、泣きそうな顔で黙ってしまったハリーに、皇太后が訊ねた。
「クロスです。アーロンが大事に、していた、もの、です」
 ハリーは喉を詰まらせる。
 そう、これは、アーロンの思い出の品。彼の大切なものの筈。
「どんなクロス? 見てもいいかしら?」
 皇太后がハリーの傍に来て、肩を抱いて云った。
 余談だが、彼女は義理の弟を、息子のように大事にしてくれている。その扱いのためか、ハリーの身体は拒絶を示さない。
「メッセージカードが入っていますね」
「アーロンの字です」


 私の身代わりです
 傍に置いて、私を思い出して下さい

 月が満ちる頃
 その時は訪れるでしょう

 メリークリスマス


「『月が満ちる頃』ね───」
 と皇太后が繰り返す。「『アルテミスみかづき』ではなくなる訳ね」
 ヴァルターはカミルの代わりに、
「本当は今日かこの年末にでも、お会い頂こうかと、陛下とお話していたんですが、まさか、子爵家から...」
 と云って笑ってしまう。
 そういえば昨日、アルテミスは家族と過ごしている、とか話していたような。
「その辺りの経緯などは、アルテミスからお伺いになると宜しいですわ、殿下」
「はあ...」
 皇太后の言葉に、しかしハリーは要領を得ない顔だった。
 カミルに促されて、ヴァルターはハリーに向き直る。
「くれぐれも、アーロンとアルテミスが同一人物だという事は内密にお願いします」
「アーロンは...行方不明、だな?」
「早く見つかるといいですね」
 皇太后が、微笑みながら云った。





 アーロンの家族サービスは、そうそう長くはなかった。
「本当に、出かけるの、アーロン」
 テレージア子爵夫人は、息子の背中に問いかける。
 アーロンはゲルステンビュッテル子爵の診察をしていた。彼はソファにかけ、リラックスしているが、一度咳が出るとなかなか止まらない。
「こじらせて、肺炎を引き起こしてしまうといけません。栄養と水分と、───」
「加湿ね。呪文のように耳に残ってるわ。さ、出かける前にはちみつ紅茶をどうぞ、熱いうちに」
 アーロンははにかむような笑顔でカップに手を伸ばした。午前中に出るつもりが昼食を、その後は診察を、その後は紅茶を。出るに出られない。
 エッケハルトがとうとう決断した。公爵家を継ぐかどうかはフリートウッド家の問題で、勝手には決められない。しかし、母親の件もあり、家族で父親に会う事にしたのだ。
 クリスマスに、リヒター家で話し合いをした結果の結論だった。
 既に、フリートウッド前公爵には話を通してあり、今日が約束の日だった。リヒター一家も、案内役のアーロンを待ち侘びているだろう。
「体が温まりました」
 アーロンはホッと一息ついて云った。ジャケットを掴んで立ち上がる。
「行ってしまうのね、アーロン」
「何かあったら電話を下さい。年が明ける前に戻ります」
 まるで恋人を送り出すように、夫人はアーロンを見つめる。それを柔らかい眼差しで見下ろして、ハグをする。
 ソファの子爵にもハグをすると、
「妻が、済まないな」
 と子爵は小声で云った。アーロンは目を細めて片眉を上げた。
 玄関まで、犬が着いてくる。長毛種のミックス犬だそうだ。あまり云う事は聞かないが、見送りと出迎えは欠かさない。
「年が明けたら、躾をしましょう。いいね、アーディ」
 犬は一声鳴いてアーロンを見上げる。何か云われたのは解るのだろう。
「寒いから風邪を引かないようにね」
「お義母さんも」
 もう一度ハグをして、コートを受け取った。



 リヒター家に着く間際、エッケハルトに連絡して車で待ち合わせる。
 一家は家族五人みんなで、エッケハルトの所有する車で、フリートウッド家に向かった。
 高い塀の門で止められ、アーロンが許可を求める。
「伺っております。ようこそいらっしゃいました」
 云い含められていた守衛は、丁寧に云って、もう一人と一緒に最敬礼した。
 エントランスでは執事やメイドが大勢で出迎えた。
「すげえ。VIP待遇だ」
 次男はローティーンらしく、直接的だが素直な反応。エッケハルト以外の家族は、建物の造りや装飾に目を見張る。
「おかえりなさいませ、エッケハルト様」
 執事の一人が代表して云った。エッケハルトは黙って頷いた。
「ヒエロニムス様がお待ちです。こちらへどうぞ」
 それぞれ、上着やコートを預かり、案内されたのは広い応接室。エッケハルト以外は、内部の高級さに圧倒されっ放しで、特に次男と三男ははしゃいでいた。
「ママー、今日はこのホテルに泊まるの?」
「ホテルじゃないのよ、ここは」
 慌てて訂正する母親。全員がソファに落ち着くと、アーロンは、
「ヒエロニムス卿に、挨拶と報告に行って参ります。もうしばらくこちらでお待ち下さい」
 と云って出て行った。
 そのタイミングで、紅茶のワゴンが運ばれてくる。メイドが紅茶を、優雅で手際よく淹れる仕草に見惚れていると、次男が長男にこそっと云った。
「コーラあるかな?」
「コーラ!?」
 意外に声の通る部屋で、思わず長男と次男、二人で長男の口を塞いだ。
「コーラになさいますか?」
 にこやかに云うメイド。
「いえ、僕は紅茶でっ」
「僕はコーラになさいます」
「『お願いします』だろ!」
 長男には次男の云い間違いがいちばん恥ずかしい。
「僕も。ママ、僕もコーラがいい」
「そう。あの、コーラをもう一つお願いします」
 三男の希望を母親はメイドに伝えた。レストランにでも来ている感覚。
「うわ、すげー!」
「遊園地みたい!」
 次男と三男が歓声を上げる。三男は立ち上がって小さな顔を寄せる。アフタヌーンティーのケーキスタンドがテーブルに配置されたのだ。
 色とりどりの小さなケーキや焼き菓子、フルーツも載っている。
「あら...」
 頼んでない。母親は戸惑う。レストラン感覚なので、料金を心配する。
「頂こう。公爵家からのもてなしだから」
「やったー!」
 父親の許可に、下の子二人は大喜びでケーキスタンドに手を伸ばした。
 一息つくと、次男はコーラを飲みながら、長男に話しかける。
「アーロン、遅いな」
「さっき行ったばかりだろ」
 と長男は返す。次男は待つのに飽きて話しかける。
「お祖父様、てどんな人だろ?」
「引きこもりなんだろ」
「だよな」
 妻の臨終にも駆けつけず、実の息子が帰ってきても出迎えなかった。未だ部屋にいるとなると、引きこもり以外に考えられない。
 息子たちの会話に密かにため息をつくエッケハルト。そこへ執事が近付く。
「ヒエロニムス様がお呼びです」
「私だけか?」
 エッケハルトは妻と目を見交わす。手を握り合い、一人だけ立って出て行った。
「パパどこに行ったの?」
「トイレ?」
 弟二人の能天気さに、今度は兄がため息をついた。



 前公爵の部屋に通されると、エッケハルトは少なからずショックを受けた。
「お側まで、どうぞ」
 閉まったドアの前で立ち尽くしていると、アーロンに促された。
 父は、ベッドの上に上半身を起こして、クッションに身を預けていた。
───こんなにひどい病状なのか!?
 腰を患っているとは聞いていたが、歩けない程だったのか。
「顔を、見せてくれ、エッケハルト」
 前公爵は、命令ではない云い方で云って、側に座った息子の頬に手を添えた。
 乾いた冷たい手。こんな風にスキンシップを取った事など、記憶にない。
「ゴ...、ご心配、お掛けしました、父様」
 父の手に手を重ねると、不思議な気がした。
 当たり前だが、記憶よりずっと老けていた。エッケハルトの記憶では、父ははるか高い上背からこちらを見下ろし、使用人だけでなく、訪ねてくる多くのスーツの男達を従え、使い、君臨していた。棍棒で殴ったくらいでは倒れそうもなく、気難しい顔で、云う事はいつも正しく隙がなかった。
 目の前の父は、ベッドから離れる事もできず、痩せ細り、シワだらけのただの老人に見えた。しかしその視線は穏やかで、声はしゃがれているが、言葉は柔らかい。
 現役を退いたからか、二十年程の時が経ったからか、あるいは両方か、とにかく鎧を脱いだように、父は素の顔だった。
「苦労をかけたな」
 労いの言葉が、返って弱々しく聞こえた。
 アーロンに顔を向けると、病状を説明してくれた。
「腰以外は大丈夫なんですね」
「調子が良ければ屋敷内くらいは、杖をついて歩いたり、車椅子で移動したりしている。毎日退屈だ」
 にこやかに聞いていると、ふと、父の眉が曇る。
「ロレーナのところへ最初に駆けつけてくれたそうだな。ありがとう」
「そんな...!」
 実母だ。愛した母親の臨終に駆けつけるのは当然で、それを実現させてくれたのはアーロンだ。
 その気持ちと、父が礼を云った事が、エッケハルトの胸を打った。
「礼には及びません。私を連れ出してくれたのはアーロンです。礼なら彼に」
 ヒエロニムスの足元で控えているアーロンは、ニコニコしている。
「彼は、摂政殿下にとっても、そしてフリートウッド家にとっても大事な存在だ」
 とヒエロニムスは云った。アーロンは笑顔のまま、
「神の思し召しです」
「汝、神の御名をみだりに唱えるなかれ」
 と、ヒエロニムスはアーロンを指差して笑った。それに対してアーロンはしれ、と、
「改心しました。毎晩のお祈りは欠かしません」
 アーロンという男は、父にも信頼されているようだ、とエッケハルトは思う。
 たまたまかも知れないが、母の臨終に間に合ったのはアーロンのお陰だ。それは間違いない。
───摂政殿下にとっても、て云ってたな。今回の俺の件は、ハリーの指示なのかな。
 エッケハルトがそんな事を考えていると、父に名前を呼ばれる。
「そろそろ、孫の顔を見せてくれないか」
 そう云われ、エッケハルトはハタと思い出す。
「今回の、こちらへの訪問ですが、子供たちは、フリートウッド公爵家という事は知りません」
「...そうか」
 父は残念そうに、呟いた。四男が摂政の誘拐に関わり、公爵家は蟄居を命じられている。今や犯罪者一家の扱いだ。
 父に対して、申し訳ないような、いたたまれない気持ちになるエッケハルト。
 俯く次男の名前を、ヒエロニムスが呼ぶ。
「フリートウッド家の次男であることを、恥ずかしいと思うかね?」
 エッケハルトは拳を握る。父を嫌い、貴族を嫌ったからこそ、家を飛び出し、一時期は国外にまで出て行った。
 今、父に再会出来て、正直に良かったと思っている。だからといって、フリートウッドの姓を名乗るかは別だ。一度捨てた意地もある。
「フリートウッドの血を引いている事を恥じている訳ではありません。ですが、公爵家に戻るかどうかはまだ決めかねています」
 ヒエロニムスは枕に上半身を預け、目を閉じる。
 更に、何か云いかけるエッケハルトを、アーロンは無言で制した。
「そうだな」
 やがて口を開いた父は、そう云った。
 アーロンは控えていた執事に合図して、リヒター一家を呼び入れた。
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