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ロイヤルデューティー

6 公爵家のカノン

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 ある病院から、アーロンの元に連絡が入った。
 早朝。緯度の高い国なので日の出も遅く、まだ真っ暗な時間。
 アーロンはその内容を、別の人物に連絡する。ヴァルターと、エッケハルトに。
「こちらにも、先程連絡がありました」
 とヴァルターは、早朝なのにいつもの調子。
「リヒター家にも連絡を入れます」
「お願いします。フリートウッド家には、全てに連絡が入っていると思いますので」
 アーロンは、エッケハルトの携帯を鳴らす。早朝なので、根気よく待つ。待ちながら支度をして、車の用意もしてもらう。
「...もしもし」
「おはようございます、リヒターさん、アーロンです。アーロン=ゲルステンビュッテル」
 すぐに返事がない。戸惑っている。
「何故この番号を知っている?」
「説明は後でします。ロレーナ・アンジェリカ=フリートウッド様が、ご危篤です」
 相手が絶句している間に、アーロンは城の所有する車の貸出名簿にサインする。
「な───」
 エッケハルトは咳払いする。「何故...」
「説明はすべて、後回しです。お迎えに参りますので、支度をして待っていて下さい」
 アーロンはダッシュボードに、繋がったままの携帯を置き、シートベルトを締めて、車を出した。
「アーロン! アーロン=ゲルステンビュッテル!」
「はい。まだ繋がっていますよ」
「彼女の具合はどうなんだ?」
 車体が温まっていないので、フロントガラスが曇る。それを手で拭いながら、アーロンはエッケハルトに答える。
「一年程前に、脳出血で倒れて入院していたんです。最近は、殆ど意識はない状態でした」
 電話の向こうで、エッケハルトの妻が準備の為に話しかける声が、かすかに聞こえる。
「アーロン」
「はい」
「私が...行かないと云ったら...」
 エッケハルトは準備をしながらもまだ、迷っている。
「それなら、私より奥様に相談した方がいい。なんと答えるでしょうか?」
 エッケハルトは、妻に真実を伝えていないのだろうか。電話の向こうの躊躇いが、アーロンには手に取るように解った。
「一旦切る」
 エッケハルトは電話を切った。
 車はまだ市街を走る。真っ暗ではないが、街灯の間隔は広く、車のライトを頼りに走る。しかし歩道には、ポツポツと人影がある。建物で見えないが、東の空はもう白んでいる筈だ。
 予想よりも大分早く、住宅街に入った。メイン通りではなく、路地から路地へ入る。リヒター家は、裕福な家庭と云う程ではない。
 アーロンの車は、路肩に寄せられた。エンジンは切らず、もう一度電話に手を伸ばす。
 少し待つと、エッケハルトは電話に出た。
「支度は出来ましたか?」
「支度は、出来た」
 気持ちは整っていない、ということか。
「表に出て、車に乗りなさい。少なくともあなたは、私から聞くべき事があるはずです」
 エッケハルトはすぐに出て来た。彼がシートベルトをするのを待たずに、車を発進させる。もう、空全体が白んでいる。
 アーロンは質問される前に、切り出した。
「もう既にお気付きだと思いますが、私はあなたに、フリートウッド家に戻って頂く為に遣わされた者です」
 シートベルトをしたエッケハルトは、真っ直ぐ前を見ている。
 フリートウッド家が蟄居になった経緯は、あまりにセンセーショナルでスキャンダラスだった。摂政を誘拐した首謀者の一人が四男で、他は全員外国人。一族の者は犯罪者となり、自立しているとはいえ、世間では監督不行届だと避難した。おまけに被害金の殆どを、フリートウッド家が支払う事になり、それはまだ完済しきれていない。
 ただ、責任はあくまでも四男のもので、フリートウッド家自体は被害者という見方もある。四男さえ責任を取れば、フリートウッド家は蟄居を解かれるべきだ、と。
 しかし現実には、現在のフリートウッド家は世間的に良い印象ではない。付き合いくらいはともかく、フリートウッド家を名乗るなど、率先してやりたがる者はいないだろう。
 故に、アーロンは時間をかけて、エッケハルトを説得しようと思っていた。
 エッケハルト・アルバン・ヨッヘム・ジークヴァルト=フリートウッド。それが彼の本名。フリートウッド家を、出て行ったままの次男だ。
 彼は大学を卒業して二年と経たずに、父親と云い争って、公爵家を出て行った。当時のハリーは12歳くらい。存在は知っているが、交流はあまりなかった。
 フリートウッド家の蟄居が決まった後、カミルが人を使って調べさせた。フリートウッド公爵を継ぐのに相応しいかどうか調べ、後は本人の意志を確認する段階だった。それを任されたのが、アーロンだった。
 アーロンとしては、時間をかけて信頼関係を築いてから、と行動に入っていた矢先だった。
 連絡をくれた病院にはヒエロニムス=フリートウッド───前フリートウッド公爵の妻で、エッケハルトの母親が入院していた。
 エッケハルトは母親が好きで、父親との確執も、母親贔屓を要因とするところが大きい。彼の貴族嫌いなどはまた別の要因だが、母親の危篤の連絡を受けて、アーロンはエッケハルトに全てを打ち明ける事にした。
「無理にでも、お会いになるべきだと判断しました。これは、フリートウッド家云々とは別の話です」
「しかし、もう意識はないんだろう?」
 エッケハルトは、まだ迷っているのだろうか。
「ええ。だからもう、これはあなた自身の問題です。私は昔、大切な人を看取る事が出来なかった。今のあなたにはそれが出来るかも知れない。間に合えば、ですが」
 ラッシュとはいかないが、街中に入れば車は多くなる。日常が動き出している。母親に会えば、エッケハルトの日常は、昨日までのものとは変わってしまう。
───このまま引き返したら、この男は私をなじるだろうか。
 エッケハルトは、運転しているアーロンの横顔をチラッと見た。端正な顔立ちは、急いでいるのに落ち着いていて、渋るエッケハルトにも苛立つ様子はない。
 フリートウッド家の人間だと、エッケハルトが世間に対して認めたら、おそらくこの男とは、長い付き合いになるだろう。
 しかし、家族はどう思うだろうか。
 妻は理解してくれるだろうが、特に潔癖な長男は、エッケハルトが隠し事をしていた事を責めるかも知れない。
 病院に到着すると、病室の番号を聞いて、アーロンより先に行った。父親や兄弟達と顔を合わせた時、どんな顔をすればいいのか、そんな不安もあった。
 車を駐車場に入れて、アーロンはエッケハルトに遅れて病室に入った。担当医が、死亡宣告をしたところだった。
 エッケハルトは、母親を見下ろして呆然と立ち尽くしていた。
 アーロンは医師が出て行くと、遺体は病院スタッフに任せて、エッケハルトを連れ出した。
「失礼します」
 後ろから声をかけられる。見覚えはないが、アーロンは訳知り顔で、
「フリートウッド家の方?」
「はい。ロレーナ様付きのメイドです」
 さすがにメイド服ではないが、地味な服装だ。古参風の年配の女性は、エッケハルトを見ている。アーロンは先に名乗り、エッケハルトに目を向けた。
「私は───」
「エッケハルト様、ですね?」
 メイドは涙ぐみながら云った。
「マーレトか!?」
 エッケハルトがフリートウッド家を出てから二十年程の時間が経っている。互いを思い出すのに時間はかかったが、記憶が蘇ると、楽しかった日々の思い出までもが蘇る。
 エッケハルトは、メイドの泣き顔が引き金になり、思わず目頭を押さえた。
「なんで...なんで...」
 家族が危篤だと連絡が入った筈なのに、メイドと、家を出て行った次男しか駆けつけないなんて...!
「ヒエロニムス様はお腰を患っていらっしゃいます。駆け付けるにも時間がかかるでしょう」
 メイドは泣くのを堪えて、低い声で云った。エッケハルトは責める口調で、
「フォルカーやゴットヘルフは?」
「フリートウッド家のご兄弟は、あの事件でバラバラになってしまいました」
 ハリーが誘拐された事件だ。エッケハルトは黙って拳を握り締めた。
 まあ、あの家族自体、団結とか、みんな仲良し、とかいった雰囲気ではなかった。唯一、ハリーだけが、心を傷めていた。
「マーレト!」
「ゴットヘルフ様!」
 病院の廊下の向こうから、マントを身に着けたまま、悠然と歩いて来る男。フリートウッド家の三男ゴットヘルフだった。
「母様は───」
 メイドが目を伏せて頭を振る。「そうか」
「せめて、お顔だけでも...」
「うむ...」
 ゴットヘルフは病室に入った。容姿は両親の良いところを貰い、性格は両親の悪いところばかり譲り受けた。頭脳明晰なのに、使い方を間違っている、とは、カミルの評価だ。
「まさか、フリートウッド家から捨てられた男が来ているとはな」
 病室から戻ったゴットヘルフは、いきなりエッケハルトを非難する。メイドにたしなめられるが、鼻を鳴らしてあしらう。エッケハルトは、相手にせず、無視する。
 それ以上ゴットヘルフは何も云わない代わりに、アーロンを見た。
「お前は?」
 横柄な態度の視線に、好きモノの色を覗かせる。エッケハルトが何か云う前に、アーロンは気付かないフリで、
「エッケハルト様の、運転手です」
「運転手風情が、主人の母親を看取ったというのか?」
 さすがに、ゴットヘルフはアーロンが名乗った通りだとは思っていない。しかし、
「エッケハルトは、運転手を雇う程の暮らしをしているのか」
 と云いながら、アーロンの頭からつま先まで、値踏みするように見る。本人の勝手だが、好きモノ故に、未だに独身だという。
「エッケハルトでは不満だろう?───」
 本人を振り返る。「帰りは運転手を交換しないか?」
「やめろ、ゴットヘルフ。その男はお前が思っているような───」
「エッケハルト様───」
 アーロンは敢えて遮った。「そろそろ診断書を受け取りに行きましょう」
 エッケハルトは、一瞬悔しそうな表情を浮かべながらも、アーロンに従った。ゴットヘルフが鼻で笑うのが聞こえたが、振り返らなかった。




 母親の葬儀が終わるまで、アーロンは何かとエッケハルトについてやった。
 フリートウッド公爵の母親の訃報に、摂政は花を贈るだけにとどめた。実母ではないし、ハリーが被害を被った件での蟄居中の貴族だ。事務方で協議の上での判断となった。
「フォルカーはどうしてるんだろう」
 両親と一緒に住んでいる間は、母親に溺愛されていた長男。フリートウッド家の蟄居は、エッケハルトにも想像できる程、彼にはショッキングな出来事だったと云えるだろう。しかし、まさか病院にも駆けつけないとは、どういう事なのか。
「フォルカー卿は、酒に魅入られてしまっています」
 エッケハルトをフリートウッド家に戻す役目柄、アーロンは内情に詳しくなっていた。それが、エッケハルトの疑問や不安を解く役に立っていた。
「無理もないな」
 兄とは仲が悪いわけでもないエッケハルトだが、フォルカーのプライドの高さも知っていた。
 当主、という理由で、出来の悪い弟が原因の罰を受ける事になったフォルカー。義理とはいえ、末の弟に謝罪しなければならなかった。そして、摂政を輩出してヴィンデルバンド家より人気を高めていたのに、蟄居という重い罰を受け、一晩で地に落ちた公爵家。持株会社も、土地や建物の価値も大幅に下がった。それでもそれを売って、金を作って賠償に充てなければならなかった。機嫌を取る為に近付いて来ていた輩は、潮が引く様に遠退いていった。
───母様も、フォルカーを心配しただろうな。
 物静かな母親を思い出すエッケハルト。兄が寄宿学校に入ってしまうと、代わりに弟を可愛がった。エッケハルトにもそれは分かっていたが、波長の合う人だったので、それで良かった。
「ヒエロニムス卿も、今は寝たり起きたりを繰り返している状態です」
 アーロンは、状況だけを伝える。エッケハルトの次の関門は、父親に会うかどうかというもの。
「私が公爵家を継がないと、どうなる?」
 アーロンの立場を分かっていながら、エッケハルトは訊いた。───公爵家はなくなるのか。
「フォルカー卿のお子様が継ぐ、という選択肢もあります」
 意外にもアーロンは、エッケハルトの逃げ道を明かした。
「もしそうなれば、君は信頼を失うんじゃないのか?」
 アーロンという男に、エッケハルトの件を誰が指示したのかは分からない。しかしおそらくは、摂政か陛下のどちらかだろうと、エッケハルトは睨んでいる。任務を遂行出来れば、出世は約束されるようなものだ。
 本来なら、無理を通してでも、エッケハルトを公爵家に据えたいと思う筈なのに。
「人生は一度きりです。公爵家を継いでからやっぱり辞める、とは云えませんからね。それに、あなたには家族がいる。今の生活に不満がありますか?」
 裕福ではない。しかし不満などこれっぽっちもない。落ちぶれた公爵家に戻って、今以上の幸せを得られる保証などない。
「奥様にはお話になりましたか?」
「『公爵家』という事だけは伏せたが、貴族の出だという事は、話した」
 二人の間では、答えは出ていないのだろう。アーロンは、まるで畳み掛ける様な事を云う。
「いずれは私も、医者に専念するつもりです。そうなると、あなたやあなたの家族へのサポートは出来ないでしょう。しかし時間はたっぷりあります。出来ればご家族と、充分に話し合って決めて欲しい」
「もちろんだ」
 自立した大人が決める事だ。後々「あいつのせいだ」などとは、これっぽっちも考えない。
 しかし、エッケハルトはついこぼしていた。
「君がいてくれると、心強いんだがな」
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