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ロイヤルデューティー

3 ゲルステンビュッテル子爵

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 朝から病院のカミルを見舞い、戻って来たヴァルターは、アーロンを見てちょっと驚いた。
「あなた、昨夜はちゃんと眠ったんですか、アルテミス?」
 目の前に現れたのは、スーツはキチッと着こなしてスマートな紳士風だが、いつになくやつれた顔のアーロンだった。
「大丈夫です。ご心配なく」
 そうは云われても、顔色の悪さは一目瞭然。ヴァルターは予想はついたが、訊いてみた。
「昼食は摂りましたか?」
「あー...いいえ」
 やっぱり。
「どうせ、朝食も摂ってないんでしょうね。───」
 控えている執事に、「アルテミスに、何か食べる物をお願いします」
「いえ、大丈夫です、伯爵」
「食事も仕事だと思って下さい」
 ピシャリと云い切られてしまう。
 結局、サンドイッチとスムージーを渡され、アーロンはスムージーだけ飲んだ。咀嚼をするのが嫌だったから。
「こちらの資料に目を通しておいて下さい」
 アーロンとヴァルターは別々の車で向かう。軍に襲われるのを警戒して、アーロンが頼んだのだ。
「車を二台使うという事は、経費が二倍かかるという事なんですよ」
「車は換えがききます。でも伯爵に替えはありません。経費を惜しんで巻き込んでは、陛下に合わせる顔がない」
 カミルの名前を出されては、ヴァルターもそれ以上は云えない。
「これだけは肝に銘じておいて下さい。今日はあなたがいなければ話にならないんですよ、アルテミス」
 顔色が良くないながらも、アーロンはヴァルターにニッコリ笑って見せた。
 しかし、いざ資料を見ると、アーロンは笑ってもいられなくなった。
 内容は、ある零落した貴族の夫妻の経歴や現在の様子、家族構成、交友関係など、身辺調査の結果報告だった。
 アーロンはまさかと思い、電話を取る。
「伯爵、これは、この資料は何です!?」
「何だと思いますか?」
「何、て...」
 困惑というか、プチパニックで、思い浮かんだ答えを云えないアーロン。
「聞いていた通り、あなたはカンがいいですね、アルテミス」
「あなたは人が悪い。もっと以前から云っておいてくれたら...」
 とは云うものの、だったらアーロンはどうしていたと云うのか。
「もし事前に云っていたら、あなたはすぐに、会いに行っていたでしょう?」
 アーロンは返す言葉もなく、口をパクパクするだけ。仕方なく、もう一度云った。
「伯爵、あなたは人が悪い!」
 云い捨てて、アーロンは電話を切った。
 車窓の景色は、イブラントの田舎町を出て、峠に差しかかっていた。



 ゲルステンビュッテル子爵邸。
 首都郊外の、小さな山の麓に、古い石造りの屋敷を構えている。すぐ裏手は林で、土地はなだらかな傾斜になっている。塀や門扉はなく、どこまでが敷地なのか分からない。
 車が屋敷に近付くと、玄関のドアが開いて犬が飛び出してきた。けたたましく吠えたてる。
 先に到着したヴァルターの車の運転手が、主人から犬を遠ざけようとして、逆に追いかけられていた。
 アーロンが車から出ると、雪かきが出来ているのは車幅ギリギリ。ドアが道路脇の積雪を掠め、踏み出したアーロンの足は、靴が埋まりそうな程、まだ雪かきの余地があった。
 それでもアーロンは、
───あの年齢の夫婦では、雪かきも楽じゃないだろう。
 そんな事を思いながら、車の横を、靴が埋まらないように気を付けて歩く。ヴァルターを見ると、彼も意外に、身軽な動作で車の脇を抜け、玄関に向かっていた。振り返って、アーロンを待つ。
 すると玄関から子供が飛び出してきた。続いて、老夫婦。察するにあれがゲルステンビュッテル子爵夫妻だろう。しかしあの子供は、調査書にはなかった。
 そう思っているうちに、子供は走り出し、何度も呼びかけている。犬の飼い主は、彼だろうか。
「ベルトホールド伯爵ですね。お待ちしておりました。主人のゲルステンビュッテルです」
 子爵が伯爵に挨拶をして出迎える。そこへ後ろから犬が走ってきた。様子を見ていると、子爵のもとに戻る風ではない。アーロンは仕方なく、犬を受け止め、耳の下をガシガシ掻いてなだめた。
「あっ!」
「アーロン先生!」
 犬の力と体格をあなどっていたアーロンは、その場に押し倒されてしまった。たちまち雪まみれ。その上犬が顔を舐め回し、ベタベタ。
「うわ、ぷっ、こ、ら、やめ!」
 アーロンは顔を逸らし、腕を突っ張って回避しようと頑張るが、最後は少年が犬を引き離して助けてもらった。
「まあ、どうしましょう!」
 夫人はオロオロしながらも、屋敷の奥に引っ込んだ。
 立ち上がって体の雪を払うアーロンを見て、呆れるヴァルター。
「もしかして、犬は苦手ですか、先生?」
「苦手も何も、あんまり縁がなくてね」
「初めてなの?」
 と驚いたのは、犬を抑える少年。
「ヴェンデリン!」
 子爵にたしなめられる。敬語じゃなかったからだろうか。少年は首をすくめて「すみません」と小さく云った。
「こちらが、Dr. アーロン=ワイアットです、ゲルステンビュッテル卿」
「あ、アーロン=ワイアットです。初めまして」
「初めまして」
 そう云って握手を求める子爵。アーロンは急いで、服に手を擦る。
 ヴァルターは内心、目を覆いたかった。しかし握手に応えるアーロンは、真っ白だった頬をちょっと染めて、子供のように目を輝かせていた。
───この人は本当に面白い人だ。イブラントではあんなに顔色が悪かったのに、同じ日の顔とは思えないな。
 初めて会った時のアーロン、王宮のアーロン、イブラントに来た直後のアーロン、最近のアーロン、今のアーロン...。いろんな表情を見せる。ハリーやボチェクが可愛がる理由かも知れない。ヴァルターは、アーロンを連れて来て良かったと思った。
「まあ、まだ玄関にいらっしゃるの? 皆さん、早く奥へ来て暖まって下さい」
 子爵を先頭にしてゾロゾロ奥へ入る。最後のアーロンは夫人に止められた。
「これで顔と手を洗っていらっしゃい。あの犬が懐くなんてあなたはいい人ね」
「はあ。恐れ入ります」
 タオルを渡されながら、よく分からないアーロンは首を傾げつつ、顔を洗って応接室に入った。
 既に、子爵もヴァルターも座っていて、夫人がアフタヌーンティーでもてなしているところだった。
───ハリーと趣味が合いそうだな。
 などと思っているアーロンに、
「まあ、あなた、ローブに着替えなかったの?」
 夫人にとがめられた。
「上着だけなら寒くありません。部屋も暖かいし───」
「スラックスも濡れた筈ですよ」
「下も!?」
 先程、タオルと一緒にローブも渡されたが、アーロンは洗面室に置いて来た。
「なんの為にローブを渡したと思ってるんです? 早くしないと、風を引きますよ」
「お言葉に甘えなさい、アーロン先生。濡れたお尻で座ったら、それこそご迷惑ですから」
 そう云われると、アーロンも断り切れない。
───床に座ってもオレは構わないんだけどな。
 と、ヴァルターが聞いたら呆れるような事を思いながら、もう一度アーロンは洗面室に入った。
───貴族、ていずれはあんな風になるのかな。ハリーのお父さんみたいだ。
 フリートウッド前公爵を思い浮かべながら、アーロンは子爵の事をそう思った。グレーヘアをキチッと分け、口髭を蓄え、常に落ち着いている。対して夫人は、もっと白っぽいグレーヘアを後ろに団子に結って、二人とも卒のない服装と仕草。
───貴族、てそういうものなんだろうな。
 応接室に戻ると、膝上ローブ姿のアーロンは、その場に全くそぐわない。ヴァルターは笑いを噛み殺し切れていないし、その向かいのゲルステンビュッテル子爵は最初から変わらず無表情。その夫人は逆に、ずっとテンション高めで、嬉しそうに世話を焼いてくれる。
 応接室はヘンな空気だった。
 座って、紅茶を一口飲んだアーロンに、夫人がお菓子を勧めてくれる。
「甘いものが苦手なら、スコーンもありますよ」
「ありがとうございます」
 アーロンはゼリークッキーに手を伸ばした。
「お口に合うかしら?」
「美味しいです。子供の頃、教会で作ってバザーに出していたのを思い出します」
 ゼリークッキーは定番メニューだ。
 それを、ヴァルターは驚いて見ていた。が、ふと手を伸ばす。
「私も頂きます」
「私も頂こう」
 同じように、子爵もゼリークッキーを取った。夫人が珍しそうに見ている。
「子供の頃、バザーで見かけると必ず買って貰っていたんだが、ある時父に『お前は遠慮しなさい』と云われてね。寄付だからいくらでも買って貰えると思っていたんだが、数が少なくて、後から来る子供の分が足りなくてね」
 黙って聞いていた夫人が、立ち上がる。
「でしたら、もう少し焼きましょうか?」
 その時、アーロンは窓を見た。外で犬が吠え出す。
「弁護士が到着したようですね」
 子爵夫妻は一旦席を外し、弁護士を迎えに出た。
「食欲は戻ったんですか、先生?」
 ヴァルターが書類を確認しながら云った。答える代わりにアーロンは、
「いつの間にか、『先生』て呼んでますね、伯爵」
「『アルテミス』と呼んだら混乱を招きますから。気に入ってました?」
「『アルテミス』は女性ですよ。いっその事、『アルテミオン』でどうですか?」
「ふむ。それは、ローブの神様ですか?」
「アルテミスで結構です!」
 当然、入って来た弁護士がたじろいだのは、いうまでもない。
「えー...メガネ...」
 「胸ポケット!」と全員にツッコまれながら、弁護士は契約の進行を始めた。
「夫人がいらっしゃいませんが?」
 アーロンが尋ねるが、子爵が、
「私と同じ考えなので、不在でも構わないでしょう」
 と答えた。弁護士も了承済みだと云う。
「ゲルステンビュッテル子爵に、ご質問などは?」
 弁護士の問いに、子爵は「問題ない」と答えた。
「では、Dr. ワイアットに、ご質問は?」
「あります。───」
 アーロンは人差し指を立てた。「書類には記載がなかったようですが、私は、先のレムケの事件での当事者です」
「ああ、それでしたら、伺っています」
 子爵は間を開けずに云った。
「夫人もですか?」
「ええ」
 睨むようなヘーゼルの瞳を、子爵は真っ直ぐに見返す。
「私はクローン───作られた人間です。それでもよろしいのですか?」
「しかし、今のあなたは医者でしょう。親の援助なしで大学まで進学するのは、大変な苦労があった筈です。どう生まれたかは、関係ありません。伯爵も、それを保証して下さっています」
 振られたヴァルターも、微笑んでいる。
「書類に残す必要はないでしょう。でも、お話はさせて頂きましたよ、先生」
「ありがとうございます。それでしたら、私からはもう、何もありません」
 アーロンは、いつの間にか入っていた肩の力を抜いた。
「では、書類にサインをお願いします」
 弁護士の指示に従い、子爵とアーロンはサインをした。しばらく、紙を捲る音と、ペンを走らせる音が部屋を支配した。
 弁護士が書類をチェックする。顔を上げると、
「ではこの書類を、明日、裁判所に提出します。結果は、裁判所から連絡があり次第、私からそれぞれの方にご連絡差し上げます」
 一同がそれぞれ立ち上がると、急ぐ足音が聞こえてきて、ドアを開けた。
「ああ、間に合って良かったわ。はい、あなたのスーツ」
 弁護士の話の間、夫人はアーロンの濡れたスーツをアイロンがけして、乾かしてくれていた。
「恐れ入ります」
「まあ、何をかしこまっているの? 私達はもう、親子でしょう?」
 全員が、説明を求めて子爵を見た。
「まだだよ、テレージア。裁判所に認められてからだ」
「そんなの、時間の問題です。───」
 夫人はアーロンに微笑む。「私達は、家族ね、アーロン」
「あ...はい、お母...さん」
 はにかんで云ったアーロンを見上げ、夫人は頬を両手で挟んで、目を潤ませる。傍から見れば、まるで中学生の告白シーン。
 そして玄関まで、子爵夫妻は送り出してくれた。子爵は丁寧に、弁護士、そして伯爵と握手をする。
 アーロンはまた、握手を求められ、
「また、来ます...お父さん」
 自分でもびっくりする程、赤くなって云った。すると子爵のグリーングレーの瞳が揺らいだ。両手を斜めに広げる。
「また来なさい、アーロン」
 力強いハグだった。
 離れると、隣の夫人もワクワクしている。アーロンは笑ってハグして、子爵邸を後にした。
「もっと早く、養子を取るべきだったかな」
「いいえ。あの子で良かったわ」
 夫妻は積雪の向こうに車が見えなくなるまで見送った。



 数日後、アーロンは晴れて、ゲルステンビュッテル子爵家の一員になった。
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