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ロイヤルデューティー

1 国王の義務

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 ハリーは公務で、スキー場に来ていた。
 翌日、人工的に雪崩を起こす発破に立ち会う為だ。
 本来なら春先の残雪をターゲットにするものだが、このスキー場では、スキーヤーが被害に遭わないよう、定期的に行っている。シーズン最初の発破だった。
 この日の朝、ハリーは侍従に諭された。
「国王の義務として、特に大事な事です」
 発破の事ではない。念の為。
 しかし侍従に云われた事で、朝からハリーは憂鬱だった。
───元気なら、連絡くらいしてよ、アーロン。
 ベッドに大の字に寝転がって、何度目かの、同じ思いを胸で呟く。
 しかし、アーロンから連絡があったからといって、解決する問題ではない。
 カミルの見舞いに行くと、アーロンの事は心配ない、と云う。ヴァルターも笑っていた。
───ヴァルターあのこが笑ってああ云うんだから、大丈夫なんだろうけど...。
 だったら連絡くらい、取り合いたい。一方的に連絡をしなくなったくせに、我ながらワガママだとは、ハリーも思う。しかしボチェクが、アーロンは倒れた、と云っていた。
───すぐ復活した、とも云ってたけど...。
 誘拐の直後で、アーロンは心身ともに不安定だった。そんな時に、恋人の傍を離れて公務とか、オレって酷過ぎる。
───会って、話したいよ、アーロン。
 国王の義務。それは分かっている。
───アーロンとは、別れたくない。
 ハリーを取り巻く環境が、変わった。しかしその中で、執事、メイド、政治秘書は変わらず、ヴェルナーも時々顔を見せる。
 しかし本音を云えるなら、アーロンにこそいて欲しいのに。
 ハリーはベッドから起き上がった。
───やっぱり、もうちょっと呑みたいな。
 夕食は、この地方の市長やスキー場のオーナーなど、名士達との会食だった。そこでこの地方のワインを勧められたが、なかなか美味しかった。だからその後のサロンでも同じワインを、と思っていたのに、
「摂政殿下は明日も早いので、今夜は失礼させて頂きます」
 主治医のラインハルトに勝手に打ち切られた。
「ワインくらい、大丈夫だぞ」
 ホテルの部屋に入って、バイタルチェックの時にそう訴えると、
「仕方ありませんね。ルームサービスで少しなら」
 割とあっさり許可がおりた。そのラインハルトも、さっき出て行ったところだ。
 ハリーは電話に手を伸ばした。
───いつも云う事ちゃんと聞いてるんだから、ワインくらい呑ませてくれよな。
 ディナーで美味しかった赤ワインと、ドライフルーツの盛り合わせをオーダーした。
───盛り合わせ、てなんだろ。レーズンもいいけど、ドライイチジクも好きなんだよな。
 とテンション上がりめで、呼び鈴を待った。
 先に書いておくと、彼はワインもドライフルーツも、ここで口にする事はできなかった。
 何故なら、ワゴンと共に現れたのは、ホテルの従業員ではなかったから。
 更に詳しく記すと、ワゴンと一緒に入ってきたのは、メイド二人。真冬なのにノースリーブ、てゆーか、ヒラヒラフリルのエプロンだけ。スカートは履いているが、下着が見えそうな程のマイクロ丈。そこから伸びる脚には、一人は黒、もう一人は白のガーターベルト。首には蝶ネクタイをチョーカーにして、手首には片方はヒラヒラフリルのバングル、もう片方は黒革の手甲。
 メイドらしからぬガッツリメイクで、部屋に入るなり、一人は結っていた髪を解く。ブルネットの髪を派手に揺らしてキメの視線。もう一人はブロンドのボブ。どちらかと云えば可愛らしい雰囲気だが───、もう面倒だからいーや。
 取り敢えずハリーは、ちょっと引き気味ながら、チップを出して、
「注文の物を置いたら、それで結構だ」
 と、目を合わせないで云った。
「いいえ、ご注文は、これからです」
「念入りにご奉仕致します。きっとご満足頂けますわ」
 ワゴンそっちのけで、ハリーに近付く二人。それをハリーは、
「止まれ」
 低い声で、一喝。王様オーラ全開!
 二人はピタリと止まった。
 ハリーは電話に再度手を伸ばし、フロントのみならず、携帯も使っていろんな相手にかけるが、誰一人として、電話に出ない。
───ハメられたのか、俺は。
 選りに選って、コールガールとは!
 仕方なく、ハリーは財布を取り、
「料金が未払いなら払う。受け取ったら出て行ってくれ」
「いいえ! 料金はお支払い済みです」
「たっぷりとご奉仕しろ、と仰せつかりましたので、今夜は───」
「必要ないと云っている」
 王様オーラに不機嫌がプラスされて、いつにない重低音。それでも食い下がるのは、さすがプロ。
「このままでは帰れません」
「せめて、お話相手だけでも...」
 声がフェイドアウトする。ハリー殿下がこんなに怖い人だなんて、彼女達は聞いてない。
 ハリーは長く息を吐くと、いきなり壁を殴った。短く悲鳴を上げる二人。ハリーの手が離れると、クッキリと痕が付いていた。
 更にハリーがこちらに歩いて来る。たじろぎながら除けると、ハリーは出て行ってしまった。
 慌てたのは、廊下で護衛に就いていた近衛兵。
「で、殿下...!?」
「おたのし...み───」
 云いかけて、雰囲気にのまれる。
「ラインハルトの部屋はどこだ?」
「し、下の階ですっ」
 ハリーの怖さに、噛みながらあっさり白状する。ハリーは無言でエレベーターに乗った。
───セミスイートか。
 しかし予想通り、呼び鈴を鳴らしても、ラインハルトは出て来ない。
「緊急事態だ。怪我をした」
 反応なし。もし本当なら、近衛兵が来る筈だからか。ハリーは追い打ちをかける。
「女を殴った」
 返事はなかったが、ドアが開いた。ハリーは不機嫌な顔で、拳を見せた。赤くなり、少し擦りむいている。
 ラインハルトはギョッとして、ハリーの拳を手に取った。
「すぐに、手当しますっ」
「私より、上の階の女を心配しろ」
 真っ青になって、主治医は出て行った。入れ違いに、ハリーは部屋に入る。
 すぐ側の小さなチェストにカードキーを認め、ハリーはやっと、ため息をついて自分を落ち着かせた。
 電話を取って、もう一度ルームサービスを頼む。今度はゆっくりと、地元の味覚を堪能して、まだまっ更なベッドに入った。



 王宮に帰ったハリーは早速、侍従を呼び出した。
 翌日の午後。
 侍従はうろたえることもなく、ハリーの執務室を訪れた。
「昨夜のは、なんだ?」
 ハリーは挨拶もそこそこに、いきなり尋ねた。
「昨夜の、とは───」
「とぼけるな。ホテルの私の部屋に、コールガールを入れただろう」
 いつもの真面目な顔で侍従は対応しているが、額に汗が浮いている。ハリーがここまで怒りを顕にするとは、思ってなかったのだろう。
「サク───」
 咳払い。「昨日の朝のお話は、覚えてい───」
「国王の義務の話はした。しかし、コールガールを用意するとは、微塵も出なかった。私に娼婦と寝ろと云うのか?」
 侍従は汗だくになりながら、蒼い顔で立ち尽くす。
「首謀者は誰だ?」
「しゅ、首謀者などと、は、犯罪者のように...」
 侍従の提案ではないと思っていたが、どうやらハリーの思った通りらしい。首謀者を云えないとなると、侍従長以上の立場の人物か。
「調べてみたが、コールガールなどは、そこそこ値が張るもののようだな」
「は? はあ...」
 急にハリーのトーンが落ちたせいか、それとも話題のせいか、侍従は気の抜けた返事。
 ハリーはデスクの電話を取る。
「私だ。手間をかけさせて済まないが、侍従長の方も頼む」
 電話を置くと、ハリーは黙ったままデスクワークに戻ってしまった。
 放置されて、いたたまれない侍従。わざとらしく咳払いをして、それでも無反応のハリーに呼びかける。
「あの、ハリー殿下」
「なんだ」
「先程の、電話で、侍従長、と仰っていましたが...」
 ハリーはわざと時計を見た。
「ああ。急遽、王宮の会計監査を頼んだ。まさかとは思うが、昨夜のコールガールが経費で落とされているのではないかと思っての事だ」
 侍従は、慌てこそしないが、あぶら汗が止まらない。
「こく...王家の事を、思えばこその、配慮です、殿下。どうぞ、冷静になってお考え下さい」
 ハリーはデスクの上で手を組んで、黙って侍従の目を見た。
───この期に及んでも、侍従長の名前を出さないのは、自分で手配したからか。
 しかし侍従長の関わりを否定しなかった。それらしい事を云い含められているのは確かだろう。
「まさか私に、コールガール相手に種付けをさせようと思ったのか?」
「そっ、そういった意図では全く、なく...」
 侍従の声がフェイドアウトしていく。
 まあ、『種付け』は云い過ぎだろうが、ハリーに女性をあてがおうとしたのは、間違いない。
「監査の結果は間もなく出る。カミル陛下と相談するか、または公的機関などと協議して、今回の事を審議する。結果が出るまでは君と、ラインハルトは出仕を控えてくれ」
「お、お待ち下さい、殿下っ」
 さすがに慌てるが、彼にはもう、弁明の余地はない。食い下がろうとする侍従にハリーは、
「他にも、罰を受ける者がいるのかね?」
 冷たく云った。
「い...いいえ...」
 侍従は項垂れて出て行った。
 それから暫くして、執事が来客を告げた。やって来たのは、侍従長。
「この度は、侍従がとんだ粗相を致しまして、誠に申し訳ございません。弁明の余地もなく...」
 ハリーの前に立つと、延々弁明。
───やっぱり、侍従の独断か。やり方からして、侍従長ではないとは思ってたけど。
「クラウス」
 謝罪文句を云い終えた侍従長の名前を呼んだ。
「はい」
「侍従にどういう云い方をしたかは問わない。しかし、昨夜のは酷い」
「弁明の余地もございません」
 口癖なのだろう。侍従長は同じ云い方を何度もする。
 ハリーとしても、説教はしたくないが、今のうちにカマしておかないと、気の弱い国王、とか思われても困る。摂政としての今までは腰掛け程度に思っていたが、国王になるなら一生だ。
「血統を絶やさない、というのは分かっている。しかしどんな妃でもいいという訳ではない。そうは思わないか?」
「はい。仰る通りです」
「焦る事はない。然るべき時がくれば、私も積極的に行動しよう。その時は、協力してくれ。クラウス」
 侍従長は神妙な面持ちで、一応は理解を示した。
 そう、一応は───。



 侍従とラインハルトの出仕は、一週間後には再開した。
 しかしあの件以来、やれ会食だ、やれパーティーだと、社交界への出席が増えた気がする。
 しかも、やたらと若い女性が寄ってくる。
───懲りてないな、あいつら。
 愛想よく対応しながら、ハリーは内心迷惑しかしてなかった。
 いろんな令嬢がやって来ては、紹介される。着飾っているのはもちろん、お喋りなのとか、やたらハリーに触れてくる奴とか、笑顔の貼り付いたような顔のもいた。流し目をしてきたり、連絡先を渡してくるのもいる。携帯を持ち込まなくて正解だ。ハリーの趣味に話を合わせるのはまだマシで、中には自分の趣味を押し付けようとするのもいる。
 せめてカワイイ男の子でもいれば、楽しく過ごせるのに。
───浮気じゃないよ、アーロン。目の保養だよ。
 そりゃ、アーロンがいてくれたら、それ以上は何も望まない。どんなに嬉しいか分からない。
───アーロンはパーティーなんて嫌いだから、オレの傍にいたって楽しめないかもな。
 アーロンの憮然とした顔を思い出して、おもわずハリーは吹き出しそうになった。
「楽しそうですね」
 不意に声をかけられた。ロゼワイン生地に黒のレースを施した、大人な雰囲気のドレス。落ち着いた感じの女性だが、紹介を受けた中にはいなかったと思い、内心首を傾げるハリー。
「パーティー嫌いの友人が面白くてね。えーと...」
 名前を訊こうとして、思い出せないフリをすると、
「やめましょう。お互い名乗ったところで、きっと今夜限りですから」
 この時たぶん、ハリーは安心した表情だっただろう。
 外国の一般人でもない限り、ハリーの顔を知らないわけがない。こんなパーティーに出席するなら尚の事、注意事項として粗相がないように、ハリーの参加を知らされている筈だ。
 それなのに敢えて名乗ろうとしないなんて、ハリーにとっては却って気を許して表情が穏やかになる。
 話してみると、EU諸国を中心に、美術品などの取引をしているらしい。たまたま旅行に来ていて、知り合いに連れて来られたそうだ。
「本当は、名刺でも配って回ればいいんでしょうけど、羽を伸ばしに来たんだから、ゆっくりしようと思って」
「この国に来たのなら、スキーとかするの?」
 するとロゼブラックは吹き出した。
「ごめんなさい。私、運動神経を忘れて生まれたみたいに、スポーツは何も出来ないの。昨日スキーに行ったけど、リフトも降りられなかったの。恥ずかしかったわ。あなたは?」
「この会場にいる国民なら、スキーをした事のない者はいないと思うよ。雪で散歩やジョギングが出来なくなるから、スキーは健康の為にも嗜むものなんだ」
「そうなの。だったらみんな、運動神経がいいのね」
「どうかな。自転車に乗る程度には、出来るかも」
「まあ! 私、自転車も乗れないのよ。この国に住むのはハードルが高そうね」
 ハリーは女性の話を聞きながら、アーロンの事を思い出す。
 開業医の頃は、風やインフルエンザの患者が増える冬場は、アーロンには稼ぎ時だった。ハリーがスキーに誘う暇もないくらいに。
───アーロンて、スキー出来るのかな...。
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