上 下
18 / 22

18 ―小さなハリー―

しおりを挟む
 ドアの前に立つと、中から泣き声がした。
―――赤ん坊...?
 この王宮の中に、赤ん坊に繋がる人物はいない。ボチェクは訝しく思いながらもドアをノックする。
「―――誰だ!?」
―――俺のことを待ってる筈じゃなかったのか?
 誰何の問いをまた訝りつつ、名乗る。
「ボチェクです。書類を預かって来ました」
 細めにドアが開く。泣き声が強くなる。睨めつける上司の目。
「入れ。早くしろ!」
 隙間に滑り込むように入ると、壁際に立たされる。
「今からお前が知る事は、国家の最高機密だ。今後死ぬまで、誰にも話してはならない。文字に残すことも禁じる。少しでも漏らせば必ず国の知るところとなり、お前は即刻処分される。分かるな」
 殆ど恫喝だったが、機密保持には自信があった。「はい!」と即答する。
「―――書類を」
 上司が封筒を受け取ると、振り返って室内を見渡した。
 部屋の中には、皇太子、ヴィンデルバンド公爵、フリートウッド公爵、首相、国防長官、王宮の侍従長、赤ん坊を抱いたメイド、そして国王夫妻がいた。
「DNA検査の結果が届きました」
「早く、内容を確認してくれ」
 首相に促され、茶封筒の紐を解き、書類を出して読み上げる。
「鑑定の結果、DNAを提出した被験者2名の親子関係は、肯定確率、99.2%」
 室内にため息の様な、緊張から開放された空気が流れた。
「―――つまり、間違いなく、親子であると、証明されたんですね」
「...陛下...」
「聞いた通りだ。―――ヒエロニムス」
 フリートウッド公爵が姿勢を正す。「済まないが、兼ねてからの通りに話を進めてくれ」
「かしこまりました。では―――」
「お待ちください」
 遮ったのは、ヴィンデルバンド公爵。「―――そのお子は、ヴィンデルバンド公爵家ではお預り出来ませんか?」
「その話はもう済んだはずです、ヴィンデルバンド公爵」
 国防長官がピシャリと云った。
「そうだな。ヴィンデルバンド公爵家に『庶子』とは、天地がひっくり返る程の出来事になる。信憑性を疑われる。そうだろう、フランツ」
 国王自ら公爵を諭す。王妃も後を引き継ぐ。
「決して、フリートウッド公爵の庶子が適任、という意味ではないのですよ。誤解しないでね、ヒエロニムス」
「それに、この子を『庶子』として預ける以上、たとえ王家に万が一の事が起きても、この子が国王になることはない。ここにいる全員が、それを承知しなくてはならない。いいね」
 ―――これが、ハリーがフリートウッド公爵家に預けられた経緯だった。
 26年前、若き日のボチェクは期せずして、王家のスキャンダルを知る数少ない人物の一人となった。そのまま、王宮付きの任を解かれ、フリートウッド公爵家付きに配置転換となった。密かにハリー専属の警護を任命された何人かの一人として。
 その4年後に、誘拐事件が起きる。
 雇われて日の浅いメイドが手引して、ハリーが誘拐された。神経質で虚弱なハリーの為に、看護師の資格を持っているという事で採用されたが、営利誘拐を目論んだ。
 この時点では、ハリーの体にはGPSチップは埋め込まれていない。せいぜいペットへの義務くらいだ。この事件がきっかけとなって、法律が制定されることになる。故に、ハリーの捜索は手詰まりだった。
 が、身代金の要求と受け渡しに手をこまねいている公爵家に業を煮やし、犯人側は、あるものを送りつけてきた。
 ボチェクは、幼児に対するあまりの仕打ちに、戦慄を覚えた。同時に、もうハリーはこの世に存在しないかも、という諦めの空気が、対策本部に漂い始めた。
 その時期、フリートウッド家の主治医の助手を努めていたのが、医師のフーバーだった。変わった医者で、1つの場所で病院を構えることはなく、国内外問わず、各地の医療現場を渡り歩くスタイルをとっていた。フリートウッド公爵家にいたのも、1年足らずだったとボチェクは記憶している。
 そのフーバーが、事件の最中、あの女を連れて来た。ボチェクは警備として正門でフーバーと女を迎え、先導した。
 具体的な容姿は思い出せないが、女は訝しい程に若く、まだ成人を迎えていないように見えた。が、普段クールなフーバーがヤケに強い調子で女を推していた。
「この人なら、必ず力になってくれる!」
「話を聞くだけよ、フーバー先生」
「フリートウッド公爵が、是非に、とさ。何者なんだい、フーバー先生」
「奇跡を起こす女だ」
「やめて、フーバー先生」
 奇跡を信じる医者はどうかとボチェクは思ったが、公爵が乗り気なら従うのがボチェクの仕事だった。
 フリートウッド家内部にある対策本部へ向かう途中、ちょっとした事があった。
 廊下でその女が不意に立ち止まった。
「どうした?」
 廊下のT字路で、女が睨む先は使用人のエリアに続いていた。女は早足でそのエリアの奥に向かうと、ドアの1つをためらいなく開けて中に入った。
「勝手な事をするな!」
 慌てて追いかけ、その部屋に入ると、洗面台から溢れるほど水が流され、左腕を水と血で濡らしたメイドが握るナイフの刃を、女は握って立っていた。
「私がハリー様の事を頼んだせいで、こんな事になってしまったんです!」
「お前が今死んだからといって、そのお陰で子供が戻るわけではない。―――子供は生きている」
 と、女は云った。その言葉を聞いて、メイドはその場に泣き崩れた。
「手当を」
 フーバーが短く云って、メイドの止血を始めた。「―――あとは頼んだよ」
 振り返って女にそう云ったフーバーは、我が事のように満足そうな顔だった。
「覚えてなさい、フーバー先生」
「ああ、任せとけ。くれぐれも忘れさせるなよ」
 踵を返す女は子供みたいに頬を膨らませていた。
「ナイフを預かろう」
 ボチェクがハンカチを出すと、確かに女はまだナイフの刃を握っていた。が、手当てを云いかけると、なんともない手のひらを見せて、肩を竦めた。
「何も問題ない」
 もう、頬は膨らんでいなかった。
 そのまま女は廊下を勝手に歩き、対策本部のドアの前で、ボチェクに前を譲った。
「ボチェクです。女を連れてきました」
 許可を得て部屋に入ると、フリートウッド公爵は立ち上がって女を迎えた。
「噂には聞いていたが、本当に存在するとは―――」
 フリートウッド公爵は言葉に詰まりながらも、女の手を取ってキスをした。女は物怖じすることなく受け入れる。
「話の内容は分かっています。時間の猶予はありません。条件と報酬の交渉を速やかに済ませましょう」
「条件?」
「ええ。子供―――ハリーはまだ生きています。すぐに行動すれば救出は可能でしょう。私が力を貸す条件は、この先、どんな事があっても、ハリーを国王にはしない事」
「元々、ハリーは王位継承権を持ってはいないが...」
「結構です。では、報酬の交渉に入りましょう。別の部屋が良いですね」
「その必要はない。どのような報酬でも、云われた通りに支払う。ハリーの救出を優先してくれ」
「分かりました」
 女はハリーの居場所と犯人の人数、特徴を云った。警備担当のボチェクは、他の者たちとハリー救出の為に部屋を出たので、実際にどんな交渉がどのように行われたのか、知ることはなかった。が、女の云った通りの場所にハリーは監禁され、犯人も全員捕まえる事が出来た。
 ボチェクとしては女を疑ったが、犯人達も女とは全く関わりがない事が判った。
 女はハリーに一度も会うことなく、公爵家を後にした。


「俺が知ってるのはこんなところさ」
 ボチェク自ら車を運転して、アーロンの病院に向かっている。
「大事なところを端折られた気もするけど」
「他に何を聞きたいんだ? 俺は所詮警備の一人に過ぎなかったんだ。細かい事は答えられない」
「フリートウッド家を離れたのはいつなんだ、カレル」
「何度か人事異動で出たり入ったりを繰り返したが、誘拐事件から10年くらいで、ヘマをしてな。左遷になって、フリートウッド家に戻ることはなかった」
「それがなんで今更復活する事に?」
 ボチェクはニヤリと笑って、ダッシュボードのタブロイド紙を顎で指す。
「明日発売されるヤツだ。国王の病気の事と、ハリーを国王に推薦する、て内容だ」
 アーロンは眉をひそめる。
「ハリーは国王にしない筈だろ」
「勝手に推してるだけさ。事情を知ってる元首相が、20年以上黙ってたのに、死ぬ前に全てを明かしたいと云い出したんだと。くたばり損ないが!」
「秘密なんて暴かれるものさ。20年以上も黙っていられた事の方が奇跡的だ」
 アーロンの言葉に鼻を鳴らすボチェク。
「ハリー専用のセクションが急遽立ち上がって、当時の関係者の俺が担当することになったんだ」
 アーロンのマンションに辿り着く前に、車を停める。ニューエンブルグ城で人骨を発見して以来、来ていなかった馴染みのジムの前。
「運動する気分じゃないよ、カレル」
「もしお前がこの話を断るなら、あまり顔を出さなくなるかも知れないだろう、アーロン」
 確かに、ジムに通い出した目的は、ハリーを護れるようになる事が大きな理由だった。ハリーを護る必要がなくなるなら、このジムに通って強くなる必要もなくなる。
 そう思うと、マシンやグローブなどの備品、室内の匂いまでもが、感慨深く思えてくる。
 リングを前にして、アーロンは腰に手を当てて立つ。ポンコツな自分をなんとかしたいと思っていた。
 ボチェクが合図すると、リングに何人かの男達が駆け上がる。よくよく思い返せば、このジム自体がボチェクの仕組んだものだったのだろう。ボチェクはいつからアーロンに目を付けていたのか?
「まさか、わざわざ太ってオレの病院に来たんじゃないだろうな、カレル」
「あの腹は本物さ。人事部に配属されてすっかり鈍ってしまったが、お前に会ってみて、ハリーの警護をさせるならコイツだと思ったんだ。期待を裏切るなよ、なあ、先生」
 腹を擦るボチェク。ジムに誘ってきた時点で、既に引き締まっていた。50歳前後でその努力はかなりのものだ。
「奥さんの話、全部ウソなんだろ」
「俺が女と一緒に暮らせると思ってるのか?」
 えらい剣幕だ。「―――お前に気があると勘違いされたら厄介だからな。キャラを作った」
「オレにも好みはある」
「だから、そーゆー警戒をさせない為だ」
 正しい判断だろう。たぶん。
「ハリーの警護は最近になってからの話じゃないのか、カレル?」
「警護はな。でもハリーの事はチェックしてた。元首相が云い出さなかったら、俺がハリーの事を暴露するつもりだったのさ。俺はずっとその機会を伺ってた」
 呆れて首を振るアーロン。ボチェクの台詞を聞きながら、ネクタイを外し、シャツを脱ぐ。リングの上の男達を見て、何だかわくわくする自分を認める。今のオレの実力はどんなものか。
「グローブとヘッドギアはしてもらうぞ。契約書にサインしたら、上層部から健康診断を受けることになる。目立つところにアザは禁物だからな」
 リングに上がると、ゴングを待たずに乱闘が始まった。もちろん、アーロン対男達だ。このジムで初めてこんな乱闘を見て、中心にいた人物に憧れた。オレも一人で大勢を相手にあんな風に―――!
―――あの時のあの男、ヴェルナー=ゲーゲンバウアーか!
 格闘しながら、思い出した。確信は持てないが、背格好もあんなカンジだったと思う。
 頭の片隅で記憶を辿りながら、同時に体を動かす。素人のケンカ程度の実力ではあり得なかった感覚が、今では身に付いていた。相手の動きやその軌道が読めるし、それを見越した動きを取ることも出来る。そして、相手のどこを突けばすぐに立ち上がらなくなるか、打撃の的と力加減を感覚で覚えた。1対数人だから、やられない訳ではないが、痛みにも強くなっているし、ダメージの少ない受け方も教わった。体が反射的に動く。気付けば、最後に立っていたのはアーロン一人だった。



 ステファンは緊張して身を硬くする。
 大きな手が、顔にかかる巻毛を指に絡め、ステファンの耳にかけてくれる。その指の熱を感じると、温かいのにステファンの肌は粟立った。
 クイッと乱暴に顎を引き上げられ、整った顔が迫ってくる。薄い唇に涼しい目元、微笑むような優しい表情で、
「クリス...」と呟かれた。
「違うよ、アーロン。僕は、ステファ...ん...」
 途中で目の前の男に口付けられた。
 首筋を這う手はステファンの頭を優しく支え、顎を乗せていたもう片方の手は、ステファンの肩を撫で、やがて胸、脇腹へとゆっくり撫でながら下へ降りていく。
 その間もステファンは、男の舌が入ってくるのを待ち構えるが、いつまでたっても、唇を押し付けられたまま。
―――てゆーか、顔押し付け過ぎじゃない?
 なんだかまるで、拳をぎゅうぎゅう押し当てられてるような―――。
 突然拳が離れ、支えを失ったステファンの頭部が大きく下がって―――目を覚ました。
 目を上げると、ネットで見たアーロン=ワイアットの整った顔―――ではなく、広い額に団子鼻のロスチスラフのどアップが!
「きゃーーーっ!」
 悲鳴を上げたステファンは、気付くとロスチスラフを殴り飛ばしていた。
「ヒドい...。ネットニュース見ながら居眠りしてるところを、起こしてあげただけなのに...」
「ごめんね、ロスチスラフ。僕、びっくりしちゃって...」
「いいんだよ、ステファン。でも...」
「でも?」
「お目覚めのキスをし損ねた」
 ステファンは、今度こそ本気で相手を殴り倒した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

処理中です...