あじさいの城2 ―クリスのノート―

かしわ

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17 ―警備の対象―

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 室内を見渡して、アーロンは眉をひそめた。
 部屋の中央には低くないテーブルと椅子2脚のセット。応接室用とは思えない。
 向かいの壁には、はめ込みタイプの額縁が1つ。中身は空だ。今入ってきたドアの他に、隣の部屋へのドアがもう1つ。
 手前の椅子に座ると、アーロンの頭には気になる単語や画像が浮かんでくる。―――秘密だらけの組織。部長。黒塗りの車。教育の行き届いた運転手。世界一の組織。応接室。官庁街。高層ビル。
 ドアが開いた。とっさの判断で、アーロンは動かずに意識を背後に集中した。何故そうしたのか、後になって考えても判らなかったが―――。
 後ろの人物は数秒経ってからふっと息を吐き、「失礼しました」と柔らかく云った。
「―――ノックを忘れてしまって」
 云いながらテーブルの上で書類を揃える。ワイシャツにネクタイ、ダークブロンドの短髪は整髪料を使わないためか、大卒直後といった風貌。若く見えるのは、眠そうなタレ目のせいかも知れない。ただ、落ち着きがある。
「コーヒーと紅茶、どちらがお好みですか?」
「お構いなく」
「聞いてみただけです」
 ニコっと笑って書類を置くと、青年は入って来た後ろのドアから出ていった。
―――食えないヤツ。
 が、憎めないのはタレ目のせいか。
 ニヤリ、とアーロンが笑ったところでボチェクが後ろのドアから入ってきた。
「済まない、アーロン。待たせたな」
 ゆっくりと、アーロンの向かいに座るボチェク。表情が和らいでいる。
「今のやり取り、見てたな―――」
 独り言のようにアーロンが云った。「あの男、クッションに使ったんだろ、カレル」
「部長と呼べと云ったろう、アーロン」
「何を企んでるんだ、カレル?」
「部長だ、ボチェク部長」
「ごっこ遊びは終わりだ、カレル」
 ボチェクは諦めて、肩をすくめる。
「俺の見込んだ通りだ。お前はカンが良いな、アーロン」
「答になってない」
 首を振ってため息をつくボチェクに、尚も畳み掛けるアーロン。
 ボチェクの髪はそのままだが、上着もネクタイも別の部屋に置いてきたようだ。シャツは第二ボタンまで外されている。高級なバーでスツールに座ったらセクシーに見えるかも知れない。
「今の男はヴェルナー・ゲーゲンバウアー。俺の部下だ。その書類を置いて来いと云っただけだ。もちろん―――」
 ボチェクは壁の額縁を指差す。「お前とのやり取りは俺も見てたし、アイツもそれを分かってた」
 もしボチェクの云うことが本当なら、ゲーゲンバウアーという男、優秀だ、とアーロンは思った。
「俺が柄にもなく緊張してたのには、もちろん理由がある」
 アーロンの表情から険が取れたのを見て、ボチェクは喋りだす。
「国の情勢が変わり出したことで、俺が暴走するんじゃないかと要らん心配をする輩が、俺を監視してるんだ」
「待て、カレル」
 アーロンはボチェクを遮る。「―――ここにはちょっと寄るだけだと云ってたよな。オレを病院に送ってくれないのか?」
「話はすぐ済む。まぁ、聞け」
 嫌な予感がする。聞くべきではない、と思うのにもう逃げられない、と観念する自分を感じるアーロン。
「―――訊くべきことは他にあるだろ、アーロン」
「知らない方が良いことも、世の中にはあるだろ、カレル」
「俺が買ってるのはまず、お前のそのカン―――洞察力の良さだ、アーロン」
 ボチェクは立ち上がり、言葉を選ぶためにゆっくりと壁際を歩く。
「ここは俺の勤め先だ。どこだか大体察しがついてるな、アーロン」
「警備会社だろ」
「ゲーゲンバウアーの性格だが、一言で云うなら、頭のキレるハリーだ。だが、少しひねたところがあって、そこはお前に似てるよ、アーロン」
 ハリーの事をバカにされた気がして、胸の辺りにムカムカとしたものを感じるアーロン。が、その僅かな気持ちの変化を見逃さないボチェク。話す順番を変える。
「さっき、国の情勢と云っただろ。国王が病気で倒れたんだ」
 アーロンは眉をしかめる。この話が本当なら、最重要機密の漏洩に当たる。ウソなら、おそらくボチェクの立場上、かなり問題のある発言だ。冗談では済まされない。が、構わずボチェクは続ける。
「現時点での王位継承順位の一位は皇太子だ。しかし、彼はまだ11歳。しかも飛び級でこの間大学に入学した程の、云わば異常児だ」
「言葉を慎め、カレル」
「大丈夫だ。この部屋の監視装置はさっき俺が切った」
「立場上、態度を改めておく必要があるんじゃないのか」
「よく解ってるな、アーロン」
 ニヤリと笑うボチェク。「―――さて、では第二位だが、この人物が、摂政か、あるいは関白を務めなければならない」
「ヴィンデルバンド公爵だろ」
「世間では、そう云われてるな」
「世間も何も、第二位はヴィンデルバンド公爵、第三位はフリートウッド公爵、第四位はヴィンデルバンド公爵家の長男―――はいないから長女だろ。現国王にも皇太子にも兄弟はいらっしゃらないんだから」
「ハリーだ」
「...何?」
「お前がさっきまで対面していた、ハリー=フリートウッドが、第二位なんだ、アーロン」
「何を云って―――ウソだろ」
「似てると思わないか、ダークブロンドの髪や、目元ではなく、鼻や顎が、現国王に」
 そういう、特徴が出にくい部分で、そう云われれば似ているかも知れない。しかし説得力には欠ける。探せばいくらでも一致する他人はいる。
「ここは、国内の機密情報を一手に集める部署の中でも最近立ち上がったばかりの、王位継承順位第二位の人物周辺の機密を扱うセクションで、俺はここの部長だ。俺が俺の権限で、お前をスカウトする、アーロン」
 手付かずだった書類を指先で叩くボチェク。「―――ここに、サインをしろ」
「はい、そうですか、てオレが素直にサインをすると思ってるのか、カレル?」
「するさ」
 テーブルの側に立ってアーロンを見下ろすボチェクは、自信たっぷりに云った。
「今頃ハリーは、厳重警戒体制で護られながら、現国王の見舞いの最中の筈だ。もしかしたらもう、同じ話を聞いてるかも知れない。携帯を出してみろ、アーロン」
「オレと別れてからそう経ってない。まだだろう」
 云いながらアーロンは自分の携帯を確認する。着信はやはりまだない。
―――動揺するだろうな、ハリー。
「ハリーの選択肢は3つだ。このまま現国王の関白となるか、現皇太子が国王となり、その摂政を務めるか、あるいは国王となるか」
「それはあり得ない」
 云ったのはジョオだった。
「呼んでないぞ、ジョオ」
 口を歪めてボチェクが云った。この様子だと、二人は初対面ではないどころか、何度も会っているようだ。
「私は私の用事で来たまでだ」
「アーロンとは、もう終わってるんだろう、ジョオ?」
 嫌な云い方をするボチェクを、ジョオは無視する。
「ハリーは国王にはならない。そういう約束だ。ただ、関白か摂政かの二択しかない。どちらも断ることは、ハリーには出来ない。そしてアーロン」
 ボチェクの横に立ち、アーロンを見下ろすジョオ。アーロンは、ボチェクの示した書類に目を落としたまま、さっきから視線すら動かしていない。ジョオは構わず続ける。
「あなたの選択肢は3つ。書類にサインして、ボチェクの下についてハリーを護る役目を担うか、このまま今まで通り変わらない生活をするか―――」
 白い封筒を取り出す。「医療列車への推薦状」
「何だそれは?」
 ボチェクが訊いた。
「フーバー先生がアーロンに遺したものよ。いつか役に立つから、て。ずっと先になる筈だから預かっていたけど。医療列車はボランティアだから」
 今のアーロンではボランティアをできる程の蓄えがない。
「何故、今渡す?」
「アーロンはもう、私に会うつもりがないからよ」
「―――だそうだ、アーロン。お前の選択肢も実質2つだな」
 ジョオから、何故かボチェクが封筒を受け取り、アーロンの前に置きながら云った。
「それはともかく、その格好は何だ、ジョオ。洞窟の探検でもしてるのか?」
 探検、と聞いて初めてアーロンがちらりとジョオの服装を見た。ダボダボのつなぎを着ている。視線を上げていないから分からないが、おそらくライトの着いたヘルメットを被っているのだろう。中東でその格好を1度だけ、見たことがあった。
「昨夜、南米で大きな地震があったから、そこに行ってた。またすぐ行かないとな」
「可愛げのない口調だな、ジョオ」
「お前に愛想を振り撒く理由はないよ、ボチェク」
 アーロンはあえて見ないようにしているが、二人はドアの方に移動しながら話している。
「そんな寝不足みたいな顔で行くのか?」
「明日には救助隊が到着する。それまでに出来る限りの事をやっておかないと」
「犠牲者は何人だ?」
「数えない事にしてるんだ」
「俺の胸を貸そうか、ほら?」
 アーロンは立ち上がった。ドアの前で振り返ったジョオは、思った通り、泣き腫らした目をしていた。中東でもそうだった。あの時は、フーバー先生の胸で泣いていた。
 ジョオは、災害救助に真っ先に駆けつけて、出来るだけチカラを使わずに救助作業をして、夜になると誰かの元で泣いて、そしてまた救助に向かう。相変わらずだけど...。
 アーロンが無言で腕を広げると、ジョオは素直に歩み寄り、アーロンの背中に腕を回した。
―――私に同情してる場合じゃないわ、アーロン。
 ヘルメットに手を置いた途端、声なく話しかけてくるジョオ。
―――あなたがどちらを選択するにしろ、ハリーが一度、あなたを訪ねてくるわ。その時は、力になってあげてね。ボチェクには内緒よ。
 アーロンはヘルメットをポンポンと叩いた。
―――やっぱり、オレは頼りないのかな。あじさいの城の事だって、他にやり方があっただろ?
―――いいのよ。私は私を生きるしかないんだから。ごめんね。ありがとう、アーロン。
―――ハリーと、繋がりがあったんだね。
―――ハリー?
―――とぼけるな。パーティーの時、フリートウッド公爵と話してたのは、ハリーの事だろ。
―――ハリーは何も知らないの。知りたければボチェクに訊いて。
 ジョオは迷いも躊躇もなく、踵を返す。が、思い出したように振り返る。
「自分の望む道を歩いてね、アーロン」
 そして、ドアを開けずに消えた。


「書類にサインしろ、アーロン」
 ひと仕事終えた軽い達成感を額に浮かべながら、椅子に体を預けてボチェクがまた云った。しかし、素直にサイン出来ないでいるアーロン。このままボチェクの思い通りになるのは何だか納得いかない。
 それにあの人―――既に名前が思い出せない、さっきまでこの部屋にいた人物―――が云った、「自分の望む道」とはどういうことか?
 テーブルの上の携帯が鳴った。
「出るな、アーロン」
 アーロンは無視して携帯を取ったが、ボチェクの言葉で躊躇する。「―――ハリーが自分で決めるしかない。お前はお前の今すべきことを考えろ」
 鳴り続ける携帯を見つめるアーロン。
―――ハリー...。
 追い詰められて、独りで苦しむハリーを想った。傍にいてやりたいが、ボチェクの云うことは正しい。
「ボチェク―――」
 ペンを取ろうとして、アーロンは動きを止めた。「ハリーの事を、初めから聞かせてくれないか?」
 ボチェクはため息をつき、書類の裏に「F」と書いた。
「仮にその人物を『F』とする。そいつの名前じゃない。女という意味の『F』だ」



 ステファンは自宅に戻ると、ニット帽とサングラスをゴミ箱に突っ込んだ。
 持っていたドライブレコーダーをパソコンに繋ぎ、データを消去する。
 念の為、1日中無駄にドライブして、すぐには帰宅しなかった。旅行をしていた偽装をしたつもりだったが、正しい選択だったかどうか。
 スマホを掴むと履歴から相手を表示して、電話する。
―――アロー。
「ロスチスラフ?」
―――ああ、僕だ。えっと、ステファン? それともステファニー?
「どっちでもいい! 頼みがあるんだ」
―――デートのお誘いなら、今の気分は、ステファニーかな。
 チッ、と舌打ちをするステファン。
「車のGPS記録を消して欲しいんだ」
―――キミ、休暇中だろ。個人的な依頼は受けられないよ。それに、GPSの記録を消しても、各地の防犯カメラのデータには、僕でも手を出せない。調べられたらごまかせないよ。
「案外使えないヤツだな」
―――なんとでもどうぞ。それより、耳寄りな情報があるんだけど、聞く?
 ロスチスラフがもったいぶった云い方をする時は、屁みたいな情報だ。でなければ―――。
「なんだよ、聞いてやる。早く云え」
―――キミが今追っかけてる問題児、アイツ、とんでもない隠し玉だった。
「それ、云い方を間違えてないか? 彼が隠し玉を持っていた、て云いたいの? それとも彼自身が誰かの―――」
―――公爵さ! フリートウッド公爵の隠し玉たったんだ!
「どういう意味?」
 相手が興奮し過ぎていて、云ってる事の正確性を疑うステファン。
―――いいか、落ち着いて聞けよ。ハリー=フリートウッドは、前国王の隠し子だったんだ!
「...それ、ネットの情報?」
 フェイクニュースを本気で信じるヤツが、こんな身近にいるとは。
―――僕を信じてないな、ステファン。
「いやぁ、そーゆー訳じゃないけど...」
―――残念だけど、ネットの情報なんかじゃないよ。今、会社が大騒ぎになってる。軍も動き出してるらしいよ。
「もしそれが本当なら、呼び出しがかかる筈だ」
―――あ、そういえば、キミを呼び出せって、云われてたんだった。
「それを先に云ってよ!」
 電話を切って急いで着替え、ステファンは自宅を飛び出した。
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