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14 ―扉の向こう―
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ジョオは、扉の金具を両手で引っ張った。アーロンは慌てて手を貸す。
「木製じゃないのか?」
「一枚岩...」
呟いて、アーロンは眉をひそめた。気付かずハリーは降りようと身を乗り出した。
「これを、ハリー」
ジョオは、ライトを手渡した。「―――足元に気を付けて」
扉の下にはすぐに階段が降りていた。石造りで丈夫そうだったが、ライトだけでは薄暗く、慎重に降りるハリー。間もなく踊り場を曲がり、振り返って、今度は木製の片開きドアを見つけた。
「あった! これがもう一つの隠しドアだな、ジョオ!」
「そう。お見事、ハリー」
「開けても良いか、ジョオ」
アーロンとジョオが到着するのを待って、ハリーは尋ねた。
「ええ、開けられるものなら、ね」
「え...?」
ジョオの言葉に振り返りながら、ハリーはドアノブに手を掛けて、引いた。
「ん、硬い!?」
「待て、ハリー!」
「くっ、くっ...うわっ!」
金具だけが取れて、ハリーは危うく尻もちをつきそうになった。フォローに駆け寄ったアーロンがジョオを振り返る。
「このドア、開かないのか、ジョオ!?」
「ごめんね、ハリー」
「ダミーか」
「え、だってさっき、このドアで正解って―――」
困惑の色を隠せないハリー。ジョオは肩をすくめて見せた。
「この城に高官なんて来る筈ないんだ。だってここは、暗殺の場所だったんだから」
ふたりは絶句して、ジョオを見つめた。
「ある時何かの間違いで、高官が視察に来るから、万一の為の部屋を作れとのお達しがあった。だから元々あったこの階段の、この扉の向こうに空間を作ろうとしてたけど、デマだと判ってやめたんだ」
「この階段は、元々あったんだな、ジョオ」
アーロンが念を押した。「―――おかしいと思ったんだ。地下への隠しドアとは云え、一枚岩で作るなんて」
「そう。秘密のドアだったから」
「その秘密と云うのが、暗殺か」
「閉じ込めたのか、ここに?」
「いいえ。殺害の方法は色々だけど、遺体を隠すために、焼いたの」
再度、ふたりは絶句する。ヨーロッパでは伝染病の遺体でも、そのまま土に埋めるのが普通の処理方法。
「遺体を焼くなんて―――」
「じゃあ、ここは―――?」
ジョオはふたりを促す。
「行くよ、地下洞窟へ」
階段の底は石畳の床だった。広さは、先程の踊り場程度。中央には、木の板が置いてあるだけ。しかもそれは、他の木製ドアのように腐食が見当たらない。
「床には降りずに、ここで見てて」
ジョオはふたりを制して、床の板の一辺を持ち上げて壁に立て掛けた。
「どう、見える?」
「オレたち、今朝ここから出たのか、ジョオ?」
「そうよ、ハリー」
ジョオは真っ直ぐにふたりを見上げて、「―――水の底が見える、アーロン?」
おそらくまた、ジョオがチカラを使ったのだろう。揺らめく水の中は強力なライトで照らされたように明るく、高い透明度で底がよく見えた。そしてそこには―――。
「あれは―――、人骨か、ジョオ!?」
「あなたなら、もっとよく見れば判るはずよ、アーロン」
そう云われて、アーロンの表情は徐々に険しくなる。
「もしかしてこれ、新しい人骨じゃないか、ジョオ?」
プランクトンなどがいない水でも、長い時間の経過があれば、骨は縮んで小さくなるか、水を含んでもろくなって崩れる。水底の骨は小さいものもあったが、今捨てたような新しい骨も見受けられた。しかも、一体や二体ではない。
「そう。それも、子供の―――」
アーロンは息を呑んで、その場にへたり込んだ。
「そんな...そんな...」
「大丈夫か、アーロン!?」
顔を両手で覆い、うずくまるアーロンの肩を抱いて、ハリーは声をかける。次いで、ジョオを振り返って、
「どういうことなんだ、ジョオ!」
ジョオの表情は硬い。答えを拒否している。ハリーは堪らずもう一度促すと、
「手を貸して、ハリー」
階段を上がってきたジョオは、アーロンの腕を取った。「―――戻るよ、アーロン」
城の中の元来たルートを逆に辿りながら、ハリーはアーロンを励まし続けた。途中から自力で歩き出したが、外に出た時には、アーロンは肩を落とし、憔悴しきってまた、地面に膝をついて崩れた。
ジョオは改めて、優しくアーロンを立たせると、ハリーとともにリムジンまでアーロンを送った。
「アーロンは?」
「眠らせた」
リムジンに目を向けたまま、ジョオは云った。「―――警察を呼んでもらっても良い、ハリー?」
ため息をついて、ハリーはトロストに命じた。
「説明してもらおか、ジョオ」
ハリーの言葉に頷いて、ジョオは口を開いた。
「アーロンとふたりでここに来た時のこと、覚えてる、ハリー?」
アーロンと出会って数ヶ月後、アーロンに車を運転させて、ふたりで来たことがあった。
「あの時、修道院も見に行ってたでしょ」
「ああ。何年か前の火事で、焼け落ちてた」
「さっきの子供の人骨は、その火事の前後に亡くなった修道院の子供達のもの」
「何だって―――!?」
ジョオを見下ろして、白い頬に釘付けになるハリー。
「解るとは思うけど、火事で亡くなった遺体を沈めた訳じゃないわ。骨だけになるまで焼いてから、地下洞窟に捨てたのよ」
死体遺棄であることは、明解だ。話を続けるジョオ。
「アーロンは、薄々気付いてた。彼が修道院を出ていけば、一部のまとまった寄付がなくなって、修道院の運営が苦しくなること。だから―――」
ジョオは小さくため息をついた。「子供達が修道院にいられなくなることを」
「一部のまとまった寄付ってのが、アーロンの父親からのものだったからか」
「そう。それに、この辺りで沢山子供が亡くなるとなれば、子供達のいた場所は、あの修道院しかない」
「ただの死体遺棄って訳にはいかないんだろうな」
「アーロンの想像はここまで。でも、修道院を出て行かなければこんなことにはならなかった、と思ってる」
「無理だ。アーロンのせいじゃない」
青々とした草原が、空虚に見えてくる。ジョオが、見上げて云った。
「アーロンのこと、頼むよ、ハリー」
「分かってる。でもそれはお前の方...が...」
云いながら、まさか、とハリーは詰まった。歩き出すジョオの華奢な後ろ姿を見送る。昨日から、ジョオの様子は少しおかしかった。それは、アーロンの気持ちを判っていたから? それなら何故、事実を明らかにしたのか? 地下洞窟さえ見つからなければ。秘密の扉の存在など、明かさなければ―――。
「そうか!」
小さく呟くハリー。
あじさいの城で問題がなければ、ハリーの元に返還されず、観光地化されてしまう。
それならいっその事、アーロンがスパイ容疑で捕まった事実もなくしてしまえば、良かったのに。
―――そういう訳にもいかないか。
実際に、子供の遺体があるのだから、所有者が誰であれ、事件として明るみにしなければならない。
―――でも、こんな形で...。
わざわざアーロンに見せなくても良かったのではないか。
草原を見渡しながら考えていたハリーの目に、動く人影が。
「アーロン...」
リムジンから、アーロンが出て来た。真っ直ぐにジョオに向かう。ジョオは立ち止まっている。ハリーは思わず駆け出していた。
「待て、アーロン!」
ハリーよりひと足先に、アーロンはジョオに掴みかかっていた。
「分かってた筈だ! ああなることが分かっていたんだろ! 答えろ、ジョオ!」
「やめろ、アーロン!」
ハリーは、唇を引き結んでアーロンを真っ直ぐに見返すジョオから、アーロンの腕を離そうとして、間に割って入る。
「お前だって分かってるだろ、ジョオのせいじゃない。ジョオには何も出来なかった、そうだろ、アーロン」
「あなたは!―――」
アーロンは、ハリーを一度も見ずに、ジョオに追いすがる。「あなたはずっと前から、こうなる事が分かっていたんだ。なのに、なのに―――」
その場に泣き崩れるアーロン。ハリーはアーロンに駆け寄りながら、ジョオを見上げた。
「何故だ、ジョオ...」
アーロンを見つめたまま、呼吸を整えると、ジョオはまた歩き出した。
やがて警察が来て、昔から静かだったこの一帯は、国をひっくり返す程の騒動の中心になった。
ジョオはあの直後から姿を消してしまった。アーロンは取り乱して会話は出来ない。消去法で、ハリーが事情聴取を受ける羽目になる。世間ではおそらく、またあのハリーが、と噂になっている事だろう。
「参りましたね」
政府観光局長のプラッツも、直々に事情聴取に出向いた。「―――今まで気付かなかったと云うのは、本当なんですね、ハリー卿」
「最後にもう一度、隅々まで見ておこうと思い立ちまして。名残惜しくて」
「Dr.ワイアットとふたりで?」
「彼の育った修道院がこの先にあったので、お互いに思い出の城ですから」
「相当ショックを受けているそうですね、Dr.ワイアットは」
「自分を責めているんです。寄付がなくなったせいだと」
「その辺の調べは警察に任せますが―――」
プラッツは大きなため息をついて見せた。「観光地化の話は頓挫しますよ」
「私も、自由に出入りできなくなると思うと、残念です」
プラッツは不機嫌極まりない顔で帰って行った。
ハリーが起こした事件ではないので、警察の態度は柔らかかった。取り敢えず、今後の大まかなスケジュール―――何度かまた事情聴取があること、実況見分にも立ち会うこと、アーロンの状態次第では付き添ってもらうかもしれないことなど―――を聞いて、アーロンの自宅に帰って来た。
「しっかりしろ、アーロン」
リムジンの酒を大量に煽って、既に泥酔状態。肩を貸して歩くだけでもかなりの労力だった。
―――こんなに乱れた姿を見たのは初めてだよ、アーロン。
ベッドに寝かせ、靴を脱がせ、服も脱がせる。グレートデーンは体がムダに大きくて、骨が折れた。
―――恋人なら、添い寝でもしてやれるんだろうけど...。
アーロンの苦悶の表情を見下ろしながら、ハリーは何もしてやれない無力さを感じていた。
アーロンはジョオのことを「あなた」と呼んだ。ふたりの間に、ハリーの入り込めない層があって、それを見せつけられた。その層が厚い分、空いた溝の深さも計り知れない。
―――アーロンだって分かってる。
アーロン自身のせいではない。ジョオのせいでも勿論ない。
「んくっ...ふぅ...」
「アーロン?」
うなされているのか、横向きに背を丸めて身を固くするアーロン。ハリーは部屋の電気のスイッチをオフにして、アーロンのこめかみにそっとキスをした。
寝室を出てリビングに戻ったハリーはギョッとして立ちすくんだ。
「アル―――!?」
ソファに我が物顔で座る男―――カレル=ボチェクだった。
「元気そうだな、ハリー」
日に焼けた精悍な顔つき。プロを目指した程スポーツで鍛えた体格と筋肉の付き具合、知的な額と意思の強い眉、全ての人を見下した目と、皮肉に歪んだ口角。10年程会っていなかったが、ちっとも変わっていないようだ。
「やっぱりお前だったのか、ボチェク」
「アルって呼べよ、昔みたいに」
ハリーはそっと唇を噛んでそっぽを向いた。『アル』とはミドルネームを短くした呼称。相変わらず、主従関係をへとも思わない馴れ馴れしさだ。
「ベッドルームから出てくるとは、アーロンと随分親しいんだな、ハリー」
アーロンの患者のカルテから見つけた時、まさかとは思っていたが、最悪の的中。
「アーロンに近付くな、ボチェク」
云っても無駄だと知りつつ、云わずにいられないハリー。「―――アーロンはスパイでも何でもない。ただの医者だ」
ボチェクは判っている。ハリーはそれを知っている。何故なら、マリウスといたホテルに電話してきたのも、この男の声だったから。
「確かにスパイじゃない。が、ただの医者だと本気で思ってるなら、まだまだ人を見る目がなってないな、ハリー」
「なん―――、どうでもいい! とにかくアーロンには一切関わるな。ただの医者のままでいさせろ」
「なあ、ハリー」
ボチェクは鼻で笑う。「―――今の俺は人材の発掘と育成が仕事だ。これは国家の仕事なんだ。一般人のお前には、これっぽっちも口出し出来ない」
どうしてこんな、いやらしい云い方しかできないんだ、この男は。
「昔のよしみでも何でもいい! 頼むからアーロンの事はほっといてくれ!」
「昔のよしみ?」
―――まずい! と思ったが、手遅れだ。云った言葉は取り返せない。含むように呟いて、ボチェクが近付いてくる。
―――引いちゃダメだ、ハリー。コイツに弱さを見せるな。
ハリーは必死で自分に云い聞かせた。
つま先が横並びになる程接近してきたボチェクは、ほぼ同じ身長なのに、ハリーを見下ろすように見据え、
「アイツの為に、身を呈して俺を止めるか?」
ボチェクはハリーの顎に手をかけた。表情をピクリとも動かさないハリーに成長を感じるが、近くで見れば、まだあの頃の幼さの名残りがある。
―――この唇は、また今度にしよう。
「ふんっ」
これみよがしに鼻を鳴らし、ボチェクは踵を返した。
「さっきも云ったが、これは国の為だ。お前のちっちゃな愛情とはワケが違う」
ボチェクはドアを開け、背中越しに笑って見せた。「―――また来る」
ハリーは5分待った。5分待ってやっと、その場で地団駄を踏み、食いしばった歯の間から、
「むーかーつーくー...!」
声を絞り出した。悪趣味なボチェクのことだ、ドア越しにハリーの様子をうかがって愉しむに違いない。だから、エレベーターを呼んでいちばん遠い階から1階に行ってしまうまで、5分待った。
不意に、覚えのある香りがして、消える。
「使ってるコロンまで、昔のまんまだ、クソッ!」
ハリーは虚しく空を蹴った。
「木製じゃないのか?」
「一枚岩...」
呟いて、アーロンは眉をひそめた。気付かずハリーは降りようと身を乗り出した。
「これを、ハリー」
ジョオは、ライトを手渡した。「―――足元に気を付けて」
扉の下にはすぐに階段が降りていた。石造りで丈夫そうだったが、ライトだけでは薄暗く、慎重に降りるハリー。間もなく踊り場を曲がり、振り返って、今度は木製の片開きドアを見つけた。
「あった! これがもう一つの隠しドアだな、ジョオ!」
「そう。お見事、ハリー」
「開けても良いか、ジョオ」
アーロンとジョオが到着するのを待って、ハリーは尋ねた。
「ええ、開けられるものなら、ね」
「え...?」
ジョオの言葉に振り返りながら、ハリーはドアノブに手を掛けて、引いた。
「ん、硬い!?」
「待て、ハリー!」
「くっ、くっ...うわっ!」
金具だけが取れて、ハリーは危うく尻もちをつきそうになった。フォローに駆け寄ったアーロンがジョオを振り返る。
「このドア、開かないのか、ジョオ!?」
「ごめんね、ハリー」
「ダミーか」
「え、だってさっき、このドアで正解って―――」
困惑の色を隠せないハリー。ジョオは肩をすくめて見せた。
「この城に高官なんて来る筈ないんだ。だってここは、暗殺の場所だったんだから」
ふたりは絶句して、ジョオを見つめた。
「ある時何かの間違いで、高官が視察に来るから、万一の為の部屋を作れとのお達しがあった。だから元々あったこの階段の、この扉の向こうに空間を作ろうとしてたけど、デマだと判ってやめたんだ」
「この階段は、元々あったんだな、ジョオ」
アーロンが念を押した。「―――おかしいと思ったんだ。地下への隠しドアとは云え、一枚岩で作るなんて」
「そう。秘密のドアだったから」
「その秘密と云うのが、暗殺か」
「閉じ込めたのか、ここに?」
「いいえ。殺害の方法は色々だけど、遺体を隠すために、焼いたの」
再度、ふたりは絶句する。ヨーロッパでは伝染病の遺体でも、そのまま土に埋めるのが普通の処理方法。
「遺体を焼くなんて―――」
「じゃあ、ここは―――?」
ジョオはふたりを促す。
「行くよ、地下洞窟へ」
階段の底は石畳の床だった。広さは、先程の踊り場程度。中央には、木の板が置いてあるだけ。しかもそれは、他の木製ドアのように腐食が見当たらない。
「床には降りずに、ここで見てて」
ジョオはふたりを制して、床の板の一辺を持ち上げて壁に立て掛けた。
「どう、見える?」
「オレたち、今朝ここから出たのか、ジョオ?」
「そうよ、ハリー」
ジョオは真っ直ぐにふたりを見上げて、「―――水の底が見える、アーロン?」
おそらくまた、ジョオがチカラを使ったのだろう。揺らめく水の中は強力なライトで照らされたように明るく、高い透明度で底がよく見えた。そしてそこには―――。
「あれは―――、人骨か、ジョオ!?」
「あなたなら、もっとよく見れば判るはずよ、アーロン」
そう云われて、アーロンの表情は徐々に険しくなる。
「もしかしてこれ、新しい人骨じゃないか、ジョオ?」
プランクトンなどがいない水でも、長い時間の経過があれば、骨は縮んで小さくなるか、水を含んでもろくなって崩れる。水底の骨は小さいものもあったが、今捨てたような新しい骨も見受けられた。しかも、一体や二体ではない。
「そう。それも、子供の―――」
アーロンは息を呑んで、その場にへたり込んだ。
「そんな...そんな...」
「大丈夫か、アーロン!?」
顔を両手で覆い、うずくまるアーロンの肩を抱いて、ハリーは声をかける。次いで、ジョオを振り返って、
「どういうことなんだ、ジョオ!」
ジョオの表情は硬い。答えを拒否している。ハリーは堪らずもう一度促すと、
「手を貸して、ハリー」
階段を上がってきたジョオは、アーロンの腕を取った。「―――戻るよ、アーロン」
城の中の元来たルートを逆に辿りながら、ハリーはアーロンを励まし続けた。途中から自力で歩き出したが、外に出た時には、アーロンは肩を落とし、憔悴しきってまた、地面に膝をついて崩れた。
ジョオは改めて、優しくアーロンを立たせると、ハリーとともにリムジンまでアーロンを送った。
「アーロンは?」
「眠らせた」
リムジンに目を向けたまま、ジョオは云った。「―――警察を呼んでもらっても良い、ハリー?」
ため息をついて、ハリーはトロストに命じた。
「説明してもらおか、ジョオ」
ハリーの言葉に頷いて、ジョオは口を開いた。
「アーロンとふたりでここに来た時のこと、覚えてる、ハリー?」
アーロンと出会って数ヶ月後、アーロンに車を運転させて、ふたりで来たことがあった。
「あの時、修道院も見に行ってたでしょ」
「ああ。何年か前の火事で、焼け落ちてた」
「さっきの子供の人骨は、その火事の前後に亡くなった修道院の子供達のもの」
「何だって―――!?」
ジョオを見下ろして、白い頬に釘付けになるハリー。
「解るとは思うけど、火事で亡くなった遺体を沈めた訳じゃないわ。骨だけになるまで焼いてから、地下洞窟に捨てたのよ」
死体遺棄であることは、明解だ。話を続けるジョオ。
「アーロンは、薄々気付いてた。彼が修道院を出ていけば、一部のまとまった寄付がなくなって、修道院の運営が苦しくなること。だから―――」
ジョオは小さくため息をついた。「子供達が修道院にいられなくなることを」
「一部のまとまった寄付ってのが、アーロンの父親からのものだったからか」
「そう。それに、この辺りで沢山子供が亡くなるとなれば、子供達のいた場所は、あの修道院しかない」
「ただの死体遺棄って訳にはいかないんだろうな」
「アーロンの想像はここまで。でも、修道院を出て行かなければこんなことにはならなかった、と思ってる」
「無理だ。アーロンのせいじゃない」
青々とした草原が、空虚に見えてくる。ジョオが、見上げて云った。
「アーロンのこと、頼むよ、ハリー」
「分かってる。でもそれはお前の方...が...」
云いながら、まさか、とハリーは詰まった。歩き出すジョオの華奢な後ろ姿を見送る。昨日から、ジョオの様子は少しおかしかった。それは、アーロンの気持ちを判っていたから? それなら何故、事実を明らかにしたのか? 地下洞窟さえ見つからなければ。秘密の扉の存在など、明かさなければ―――。
「そうか!」
小さく呟くハリー。
あじさいの城で問題がなければ、ハリーの元に返還されず、観光地化されてしまう。
それならいっその事、アーロンがスパイ容疑で捕まった事実もなくしてしまえば、良かったのに。
―――そういう訳にもいかないか。
実際に、子供の遺体があるのだから、所有者が誰であれ、事件として明るみにしなければならない。
―――でも、こんな形で...。
わざわざアーロンに見せなくても良かったのではないか。
草原を見渡しながら考えていたハリーの目に、動く人影が。
「アーロン...」
リムジンから、アーロンが出て来た。真っ直ぐにジョオに向かう。ジョオは立ち止まっている。ハリーは思わず駆け出していた。
「待て、アーロン!」
ハリーよりひと足先に、アーロンはジョオに掴みかかっていた。
「分かってた筈だ! ああなることが分かっていたんだろ! 答えろ、ジョオ!」
「やめろ、アーロン!」
ハリーは、唇を引き結んでアーロンを真っ直ぐに見返すジョオから、アーロンの腕を離そうとして、間に割って入る。
「お前だって分かってるだろ、ジョオのせいじゃない。ジョオには何も出来なかった、そうだろ、アーロン」
「あなたは!―――」
アーロンは、ハリーを一度も見ずに、ジョオに追いすがる。「あなたはずっと前から、こうなる事が分かっていたんだ。なのに、なのに―――」
その場に泣き崩れるアーロン。ハリーはアーロンに駆け寄りながら、ジョオを見上げた。
「何故だ、ジョオ...」
アーロンを見つめたまま、呼吸を整えると、ジョオはまた歩き出した。
やがて警察が来て、昔から静かだったこの一帯は、国をひっくり返す程の騒動の中心になった。
ジョオはあの直後から姿を消してしまった。アーロンは取り乱して会話は出来ない。消去法で、ハリーが事情聴取を受ける羽目になる。世間ではおそらく、またあのハリーが、と噂になっている事だろう。
「参りましたね」
政府観光局長のプラッツも、直々に事情聴取に出向いた。「―――今まで気付かなかったと云うのは、本当なんですね、ハリー卿」
「最後にもう一度、隅々まで見ておこうと思い立ちまして。名残惜しくて」
「Dr.ワイアットとふたりで?」
「彼の育った修道院がこの先にあったので、お互いに思い出の城ですから」
「相当ショックを受けているそうですね、Dr.ワイアットは」
「自分を責めているんです。寄付がなくなったせいだと」
「その辺の調べは警察に任せますが―――」
プラッツは大きなため息をついて見せた。「観光地化の話は頓挫しますよ」
「私も、自由に出入りできなくなると思うと、残念です」
プラッツは不機嫌極まりない顔で帰って行った。
ハリーが起こした事件ではないので、警察の態度は柔らかかった。取り敢えず、今後の大まかなスケジュール―――何度かまた事情聴取があること、実況見分にも立ち会うこと、アーロンの状態次第では付き添ってもらうかもしれないことなど―――を聞いて、アーロンの自宅に帰って来た。
「しっかりしろ、アーロン」
リムジンの酒を大量に煽って、既に泥酔状態。肩を貸して歩くだけでもかなりの労力だった。
―――こんなに乱れた姿を見たのは初めてだよ、アーロン。
ベッドに寝かせ、靴を脱がせ、服も脱がせる。グレートデーンは体がムダに大きくて、骨が折れた。
―――恋人なら、添い寝でもしてやれるんだろうけど...。
アーロンの苦悶の表情を見下ろしながら、ハリーは何もしてやれない無力さを感じていた。
アーロンはジョオのことを「あなた」と呼んだ。ふたりの間に、ハリーの入り込めない層があって、それを見せつけられた。その層が厚い分、空いた溝の深さも計り知れない。
―――アーロンだって分かってる。
アーロン自身のせいではない。ジョオのせいでも勿論ない。
「んくっ...ふぅ...」
「アーロン?」
うなされているのか、横向きに背を丸めて身を固くするアーロン。ハリーは部屋の電気のスイッチをオフにして、アーロンのこめかみにそっとキスをした。
寝室を出てリビングに戻ったハリーはギョッとして立ちすくんだ。
「アル―――!?」
ソファに我が物顔で座る男―――カレル=ボチェクだった。
「元気そうだな、ハリー」
日に焼けた精悍な顔つき。プロを目指した程スポーツで鍛えた体格と筋肉の付き具合、知的な額と意思の強い眉、全ての人を見下した目と、皮肉に歪んだ口角。10年程会っていなかったが、ちっとも変わっていないようだ。
「やっぱりお前だったのか、ボチェク」
「アルって呼べよ、昔みたいに」
ハリーはそっと唇を噛んでそっぽを向いた。『アル』とはミドルネームを短くした呼称。相変わらず、主従関係をへとも思わない馴れ馴れしさだ。
「ベッドルームから出てくるとは、アーロンと随分親しいんだな、ハリー」
アーロンの患者のカルテから見つけた時、まさかとは思っていたが、最悪の的中。
「アーロンに近付くな、ボチェク」
云っても無駄だと知りつつ、云わずにいられないハリー。「―――アーロンはスパイでも何でもない。ただの医者だ」
ボチェクは判っている。ハリーはそれを知っている。何故なら、マリウスといたホテルに電話してきたのも、この男の声だったから。
「確かにスパイじゃない。が、ただの医者だと本気で思ってるなら、まだまだ人を見る目がなってないな、ハリー」
「なん―――、どうでもいい! とにかくアーロンには一切関わるな。ただの医者のままでいさせろ」
「なあ、ハリー」
ボチェクは鼻で笑う。「―――今の俺は人材の発掘と育成が仕事だ。これは国家の仕事なんだ。一般人のお前には、これっぽっちも口出し出来ない」
どうしてこんな、いやらしい云い方しかできないんだ、この男は。
「昔のよしみでも何でもいい! 頼むからアーロンの事はほっといてくれ!」
「昔のよしみ?」
―――まずい! と思ったが、手遅れだ。云った言葉は取り返せない。含むように呟いて、ボチェクが近付いてくる。
―――引いちゃダメだ、ハリー。コイツに弱さを見せるな。
ハリーは必死で自分に云い聞かせた。
つま先が横並びになる程接近してきたボチェクは、ほぼ同じ身長なのに、ハリーを見下ろすように見据え、
「アイツの為に、身を呈して俺を止めるか?」
ボチェクはハリーの顎に手をかけた。表情をピクリとも動かさないハリーに成長を感じるが、近くで見れば、まだあの頃の幼さの名残りがある。
―――この唇は、また今度にしよう。
「ふんっ」
これみよがしに鼻を鳴らし、ボチェクは踵を返した。
「さっきも云ったが、これは国の為だ。お前のちっちゃな愛情とはワケが違う」
ボチェクはドアを開け、背中越しに笑って見せた。「―――また来る」
ハリーは5分待った。5分待ってやっと、その場で地団駄を踏み、食いしばった歯の間から、
「むーかーつーくー...!」
声を絞り出した。悪趣味なボチェクのことだ、ドア越しにハリーの様子をうかがって愉しむに違いない。だから、エレベーターを呼んでいちばん遠い階から1階に行ってしまうまで、5分待った。
不意に、覚えのある香りがして、消える。
「使ってるコロンまで、昔のまんまだ、クソッ!」
ハリーは虚しく空を蹴った。
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「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
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