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10 ―水中洞窟―
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―――見て。
ライトが当たると、洞窟の側面や上は切り出されたように角ばっていて、白かった。光が青いのは、やはりライトの色。とすると、ジョオのドレスが青いのは―――。
―――そうよ、アーロン。ドレスと髪を、白くしたの。ライトが反射して判りやすいように。
ウィンクするジョオの眉は、変わらない。唇の色も。
―――この辺りの地層は石膏で出来ているの。不純物が溶け出さないから、水がほら、透明でしょ。
―――すごい...。
手入れの行き届いた水槽の水のように、光が届く限り、どこまでも見通せる。
下はゴツゴツした岩が無造作に折り重なっている。
―――天井や壁が崩れ落ちたの。石膏は水に溶けやすいから、もろくて崩れやすいわ。気をつけて。
辺りに漂うのは、溶けて崩れた石膏の破片。チリのようにライトの光に浮かび上がる。ジョオが進むと水流を可視化したようにヒラヒラ動き回る。
―――ここを通るのか!?
山岳地のクラックのように、壁と壁の間の隙間を通り抜ける。ボンベが当たって振動が伝わってくる。ジョオは後ろ向きで進み、微笑みをたたえながら縦に並ぶふたりを先導する。
やがて迫っていた壁が途切れ、真っ暗になった。ジョオの姿だけがゆらゆら浮かんでいる。
ライトの光はどこまでも伸びるようで、どこにも当たらずフェイドアウトしていく。壁に代わって暗さがふたりに迫り、寒さを感じ始める。
―――宇宙って、こんな感じかな。
―――宇宙なら、星の光が必ず見えるよ、ハリー。
暗さと寒さは心理的に、ふたりを押しつぶそうとする。
―――上を照らして。
ジョオの言葉に従うと、青白い光が灯った。照らした天井が見えたに過ぎないが、それこそ宇宙空間を丸窓から覗いたようだった。
同じ大きさの光が4つ、せわしなく動きながら存在を示す。二人分のヘッドライトと懐中電灯の光だ。
どこまで届くか、先を照らそうとすると、空間がほんのり浮かび上がってきた。
―――見える?
天井は彼らの頭上1メートル程に、右手の壁はもう少し先だったが、おそらく数メートル程の距離だろう。左側と下は、光の届かない空洞のようだった。前方もまだ先は見えないが、ジョオが、光っている...?
―――チカラを使ってるの、ジョオ?
ジョオ自身が光ることで、空間が照らされる。人型のライトだ。
―――この空間は広過ぎてライトが届かないから、今だけね。
そう云って、先へ進んでゆく。ふたりはなんの躊躇も戸惑いもなく、同じ速さで着いて行くが、特にハリーは泳ぎが得意な訳ではない。訓練でしか、水には入ったことはない。ジョオが、見えないチカラで引っ張っていた。ハリーはそれを感じることなく、見たこともない景色に心を奪われている。
―――見ろ、アーロン。
レギュレーターの泡が天井にぶつかると、行く手を阻まれて横に広がる。泡が次々にぶつかると、どんどん大きくなる。
―――水銀みたいだな。
雫が蓮の葉の上で球を作るようにそこに留まって、光だけを反射する。
―――綺麗だな。
―――見ていたい気持ちは解るけど、先へ行きましょう。
やがてまた狭い洞窟に入り、地形のもろさが造り出す異形の空間を、浮遊するように通り抜ける。上下左右のどこかに穴が空いていたり、仕切りのように空間を分断する壁があったり。洞窟は上を向いたり、下に降りたり曲がったりする空間を経て、また少し広い場所に出た。
それはすぐ側に佇んでいた。天井から床まで円筒形の柱のようにそびえている。しかし取って付けた様な柱ではなく、一本の樹木の様だった。天井は伸びゆく枝として、床は太く張る根の様に繋がり、広がっている。石膏の層が規則正しく美しい。キャラメルとホワイトのボーダーの配色で彩られ、柔らかな眼差しでふたりを見下ろしているように見えた。
―――待ってたみたいだ。
ハリーの不意の発言に、アーロンが笑った。
―――ハリーはロマンチストだな。
―――到着した。
ジョオが呟いたようだった。
柱を後に、数十メートル進んで見上げると水面があり、揺らめいている。何だか久しぶりに水面の揺らめきを見た気がした。
―――狭いから気をつけて。
水面に近付くと、吸い込まれるようにスピードが早くなり、一気に頭を出した。
「お疲れ様。レギュレーターを外して、ハリー」
手を差し伸べながら、微笑むジョオ。彼女もまだ水から上がってはいない。
ジョオの後ろに見える壁は、人口の物。古い石造りの壁。
「水中洞窟ツアーは終了よ、アーロン」
ジョオの手を掴むとそこは、ソファの上だった。暖房の効いた室内で頭から毛布を被ってはいたが、まだ髪から雫が落ちている。ジョオの服装もドレスではなくなっていた。
「さあ、ふたりとも、これを飲んで」
ホットココアだった。カップの熱さが手に伝わり、ジンジンと痺れるように温めていく。
ひと息ついてソファに体を預けると、やっと中の様子に気付く。
「リムジン?」
「そう。フリートウッド家の。―――」
ジョオは相変わらず穏やかに微笑みながら答える。「もうすぐ夜明け。温まるまで休んでて」
「チカラをいっぱい使っただろ、ジョオ」
アーロンがジョオの肩に手を伸ばすと、彼女はまだ冷たい。
「ありがとう、アーロン。私は大丈夫。この前はまるまる2日間、水の中にいたから」
「この前―――て、家に来た日か」
深夜に、ジョオがアーロンの部屋を訪ねた日だ。あの時、ジョオは2日間も地下洞窟にいたと云うのか?
―――さすがのジョオでも低体温になる訳だ。
でも今この手に触れる体温だって、心もとない。
「こんなに冷えてる」
「いいから、少し眠って」
アーロンの手を取って、その手を彼の膝にのせる。ジョオが人差し指をたて、ゆっくりと瞬きをして見せると、急に睡魔が襲ってきて、ハリーと同じようにソファに倒れ込んだ。
1時間くらい眠った後、アーロンは目を覚ました。
良質な眠りだったのか、ひどい姿勢で短い眠りだったにもかかわらず、気分が良かった。
向かい側のハリーはまだ寝ている。アーロンはこっそり外へ出た。
夜はすっかり明けきっていた。空が青く、遠い。空気は適度に冷えていて、足元に広がる草地の露が、吹き渡る風に光る。鳥のさえずりと虫の声が、澄んだ空気に溶け出していた。
「...んーっ...」
深呼吸ついでに伸びをする。
爽やかな朝は、アーロンにとっては相変わらず、切ない。辛い思い出に繋がっている。だからアーロンは、早朝が嫌いだった。この場所はまさに、その思い出の中で、強く印象に残っている場所。
―――絶対、この近くにいる。
そう信じて、アーロンはジョオの姿を探す。
リムジンの中に、ジョオはいなかった。おそらく彼女は、寝ていない。数日寝なくても平気で動き回れるらしいが、相当なエネルギーを消費している筈だ。何が彼女を駆り立てるのか。
あじさいの城―――ニューエンベルグ城から、人影が近付いて来る。それがジョオだと判ると、アーロンはホッとしてため息をついた。
―――生きてた。
胸の痛さに俯き、顔をあげようとした時、後ろに停まったリムジンのドアが開いた。
「アーロン...?」
「ハリー―――」
振り返って笑顔を向ける。「起きた?」
「ああ、おはよう」
ハリーは眩しそうに景色を見渡して、目を見張る。「―――あじさいの城!?」
「ああ。そうみたいだ」
なだらかな丘の上に、石造りの簡素な城が、ぽつんと建っている。周り一帯は草原で、手入れをしていないので草の丈は伸び放題だ。リムジンは緩い傾斜の田舎道に停まっていて、アーロン達の足元まで雑草や蔦草が迫っている。すぐそこには蚊柱も浮いていた。
「おはようございます、ハリー様。アーロン様も」
「おはよう、トロスト」
「朝食の用意が整っております。こちらへどうぞ」
リムジンの前にテーブルとイスが置かれ、まるで不思議の国のアリスのお茶会よろしく、簡単な朝食がセッティングされていた。
「お前も食べろよ、アーロン」
「いや、オレは...」
「食べて」
いつの間にかたどり着いていたジョオが、強く云った。「―――今日はもう食べられないと思うから、無理にでも食べておいて、アーロン」
「何故だ、ジョオ?」
テーブルについてオレンジジュースのグラスを手にしたハリーが訊く。
「昨夜はふたり共、あまり食べてないし、睡眠も充分じゃない。長く水中にいて体力も使った。加えて―――」
ジョオはひと呼吸置いて、「これから見せるものが、あじさいの城の秘密だから」
と云った。
「まる一日かかるのか?」
「それを知ってしまったら、落ち着いてテーブルにつくことは出来ない」
「詳しいご説明をどうも」
ハリーは皮肉を込めて、不機嫌に云った。
「ごめんなさい、ハリー」
急にジョオは態度を軟化させ、改めてテーブルについた。
そう、今朝のジョオは、洞窟での様子が遠い記憶のように、テンションが違う。声のトーンが低めで、コミュニケーションを拒むような口元は、少し緊張しているようだった。
それがやっと、ハリーが咎めることで、表情も柔らかくなった。ふたりの会話を見守っていたアーロンはホッとして、トロストにシリアルを頼んだ。
「昨夜の水中洞窟は、今後、専門家に調査を依頼して、観光客があまり立ち入ってはいけない地域だという証明をしてもらって」
「あの地層が、やっぱり危険なのか?」
「ええ。この丘一帯が石膏の層だから、地表の陥没した箇所もいくつか認められるわ。どこがいつ崩れるか判らないので、この丘そのものが立ち入り制限の指定を受ける必要があるわね」
「よし!」
ハリーは胸の前で拳を固く握った。
「ハリーは調査が一段落したら、城を買い戻せばいいわ」
「調査費用は国持ちってことだな」
それと、とジョオは付け加える。
「洞窟の出入口は、あじさいの城の地下なの」
「道理で、見覚えのある石造りの壁だったな」
アーロンは記憶を辿り、納得する。その向かい側で、ハリーが首を傾げる。
「あの城に地下への出入口なんかあったかな?」
「隠しドアよ。ニューエンベルグ城は昔の最前線基地だったから、王や高官が来た時に、万一の為に作られたの。水中洞窟はカモフラージュだけどね」
「確かに。水に入ってもあれじゃ逃げられないからな」
「水中洞窟に向かう階段の途中にもう一つ、隠しドアがあるから見つけてね」
「解った。食べ終えたら早速行こう」
簡素な朝食を済ませると三人は連れ立って、あじさいの城に向かった。
城へ続く小道を、アルプスの山々を背にして登る。
ジョオが云っていたように、アーロンもハリーも万全のコンディションではないが、なんだか体は軽い。ハリーは覚えのない城の地下入り口や隠しドアを探し当てるのを楽しみにしているようで、先頭を歩く。
一方アーロンは、蔦草の迫る小道の途中で立ち止まった。振り返って丘を見渡す。東側は丘が途切れ、何本かの樹木の先端が見える。そこに、アーロンの育った修道院があるはずだった。
―――ファビアン...。
アーロンを初めて城に案内したのが、ファビアンだった。同じ修道院の1歳違いの上級生。
今でも当時のことを、つい最近の事のように思い出せる。あの日もこの景色と同じように、空は青く、振り返れば緑の丘の上に、城がポツンと建っていた。
ライトが当たると、洞窟の側面や上は切り出されたように角ばっていて、白かった。光が青いのは、やはりライトの色。とすると、ジョオのドレスが青いのは―――。
―――そうよ、アーロン。ドレスと髪を、白くしたの。ライトが反射して判りやすいように。
ウィンクするジョオの眉は、変わらない。唇の色も。
―――この辺りの地層は石膏で出来ているの。不純物が溶け出さないから、水がほら、透明でしょ。
―――すごい...。
手入れの行き届いた水槽の水のように、光が届く限り、どこまでも見通せる。
下はゴツゴツした岩が無造作に折り重なっている。
―――天井や壁が崩れ落ちたの。石膏は水に溶けやすいから、もろくて崩れやすいわ。気をつけて。
辺りに漂うのは、溶けて崩れた石膏の破片。チリのようにライトの光に浮かび上がる。ジョオが進むと水流を可視化したようにヒラヒラ動き回る。
―――ここを通るのか!?
山岳地のクラックのように、壁と壁の間の隙間を通り抜ける。ボンベが当たって振動が伝わってくる。ジョオは後ろ向きで進み、微笑みをたたえながら縦に並ぶふたりを先導する。
やがて迫っていた壁が途切れ、真っ暗になった。ジョオの姿だけがゆらゆら浮かんでいる。
ライトの光はどこまでも伸びるようで、どこにも当たらずフェイドアウトしていく。壁に代わって暗さがふたりに迫り、寒さを感じ始める。
―――宇宙って、こんな感じかな。
―――宇宙なら、星の光が必ず見えるよ、ハリー。
暗さと寒さは心理的に、ふたりを押しつぶそうとする。
―――上を照らして。
ジョオの言葉に従うと、青白い光が灯った。照らした天井が見えたに過ぎないが、それこそ宇宙空間を丸窓から覗いたようだった。
同じ大きさの光が4つ、せわしなく動きながら存在を示す。二人分のヘッドライトと懐中電灯の光だ。
どこまで届くか、先を照らそうとすると、空間がほんのり浮かび上がってきた。
―――見える?
天井は彼らの頭上1メートル程に、右手の壁はもう少し先だったが、おそらく数メートル程の距離だろう。左側と下は、光の届かない空洞のようだった。前方もまだ先は見えないが、ジョオが、光っている...?
―――チカラを使ってるの、ジョオ?
ジョオ自身が光ることで、空間が照らされる。人型のライトだ。
―――この空間は広過ぎてライトが届かないから、今だけね。
そう云って、先へ進んでゆく。ふたりはなんの躊躇も戸惑いもなく、同じ速さで着いて行くが、特にハリーは泳ぎが得意な訳ではない。訓練でしか、水には入ったことはない。ジョオが、見えないチカラで引っ張っていた。ハリーはそれを感じることなく、見たこともない景色に心を奪われている。
―――見ろ、アーロン。
レギュレーターの泡が天井にぶつかると、行く手を阻まれて横に広がる。泡が次々にぶつかると、どんどん大きくなる。
―――水銀みたいだな。
雫が蓮の葉の上で球を作るようにそこに留まって、光だけを反射する。
―――綺麗だな。
―――見ていたい気持ちは解るけど、先へ行きましょう。
やがてまた狭い洞窟に入り、地形のもろさが造り出す異形の空間を、浮遊するように通り抜ける。上下左右のどこかに穴が空いていたり、仕切りのように空間を分断する壁があったり。洞窟は上を向いたり、下に降りたり曲がったりする空間を経て、また少し広い場所に出た。
それはすぐ側に佇んでいた。天井から床まで円筒形の柱のようにそびえている。しかし取って付けた様な柱ではなく、一本の樹木の様だった。天井は伸びゆく枝として、床は太く張る根の様に繋がり、広がっている。石膏の層が規則正しく美しい。キャラメルとホワイトのボーダーの配色で彩られ、柔らかな眼差しでふたりを見下ろしているように見えた。
―――待ってたみたいだ。
ハリーの不意の発言に、アーロンが笑った。
―――ハリーはロマンチストだな。
―――到着した。
ジョオが呟いたようだった。
柱を後に、数十メートル進んで見上げると水面があり、揺らめいている。何だか久しぶりに水面の揺らめきを見た気がした。
―――狭いから気をつけて。
水面に近付くと、吸い込まれるようにスピードが早くなり、一気に頭を出した。
「お疲れ様。レギュレーターを外して、ハリー」
手を差し伸べながら、微笑むジョオ。彼女もまだ水から上がってはいない。
ジョオの後ろに見える壁は、人口の物。古い石造りの壁。
「水中洞窟ツアーは終了よ、アーロン」
ジョオの手を掴むとそこは、ソファの上だった。暖房の効いた室内で頭から毛布を被ってはいたが、まだ髪から雫が落ちている。ジョオの服装もドレスではなくなっていた。
「さあ、ふたりとも、これを飲んで」
ホットココアだった。カップの熱さが手に伝わり、ジンジンと痺れるように温めていく。
ひと息ついてソファに体を預けると、やっと中の様子に気付く。
「リムジン?」
「そう。フリートウッド家の。―――」
ジョオは相変わらず穏やかに微笑みながら答える。「もうすぐ夜明け。温まるまで休んでて」
「チカラをいっぱい使っただろ、ジョオ」
アーロンがジョオの肩に手を伸ばすと、彼女はまだ冷たい。
「ありがとう、アーロン。私は大丈夫。この前はまるまる2日間、水の中にいたから」
「この前―――て、家に来た日か」
深夜に、ジョオがアーロンの部屋を訪ねた日だ。あの時、ジョオは2日間も地下洞窟にいたと云うのか?
―――さすがのジョオでも低体温になる訳だ。
でも今この手に触れる体温だって、心もとない。
「こんなに冷えてる」
「いいから、少し眠って」
アーロンの手を取って、その手を彼の膝にのせる。ジョオが人差し指をたて、ゆっくりと瞬きをして見せると、急に睡魔が襲ってきて、ハリーと同じようにソファに倒れ込んだ。
1時間くらい眠った後、アーロンは目を覚ました。
良質な眠りだったのか、ひどい姿勢で短い眠りだったにもかかわらず、気分が良かった。
向かい側のハリーはまだ寝ている。アーロンはこっそり外へ出た。
夜はすっかり明けきっていた。空が青く、遠い。空気は適度に冷えていて、足元に広がる草地の露が、吹き渡る風に光る。鳥のさえずりと虫の声が、澄んだ空気に溶け出していた。
「...んーっ...」
深呼吸ついでに伸びをする。
爽やかな朝は、アーロンにとっては相変わらず、切ない。辛い思い出に繋がっている。だからアーロンは、早朝が嫌いだった。この場所はまさに、その思い出の中で、強く印象に残っている場所。
―――絶対、この近くにいる。
そう信じて、アーロンはジョオの姿を探す。
リムジンの中に、ジョオはいなかった。おそらく彼女は、寝ていない。数日寝なくても平気で動き回れるらしいが、相当なエネルギーを消費している筈だ。何が彼女を駆り立てるのか。
あじさいの城―――ニューエンベルグ城から、人影が近付いて来る。それがジョオだと判ると、アーロンはホッとしてため息をついた。
―――生きてた。
胸の痛さに俯き、顔をあげようとした時、後ろに停まったリムジンのドアが開いた。
「アーロン...?」
「ハリー―――」
振り返って笑顔を向ける。「起きた?」
「ああ、おはよう」
ハリーは眩しそうに景色を見渡して、目を見張る。「―――あじさいの城!?」
「ああ。そうみたいだ」
なだらかな丘の上に、石造りの簡素な城が、ぽつんと建っている。周り一帯は草原で、手入れをしていないので草の丈は伸び放題だ。リムジンは緩い傾斜の田舎道に停まっていて、アーロン達の足元まで雑草や蔦草が迫っている。すぐそこには蚊柱も浮いていた。
「おはようございます、ハリー様。アーロン様も」
「おはよう、トロスト」
「朝食の用意が整っております。こちらへどうぞ」
リムジンの前にテーブルとイスが置かれ、まるで不思議の国のアリスのお茶会よろしく、簡単な朝食がセッティングされていた。
「お前も食べろよ、アーロン」
「いや、オレは...」
「食べて」
いつの間にかたどり着いていたジョオが、強く云った。「―――今日はもう食べられないと思うから、無理にでも食べておいて、アーロン」
「何故だ、ジョオ?」
テーブルについてオレンジジュースのグラスを手にしたハリーが訊く。
「昨夜はふたり共、あまり食べてないし、睡眠も充分じゃない。長く水中にいて体力も使った。加えて―――」
ジョオはひと呼吸置いて、「これから見せるものが、あじさいの城の秘密だから」
と云った。
「まる一日かかるのか?」
「それを知ってしまったら、落ち着いてテーブルにつくことは出来ない」
「詳しいご説明をどうも」
ハリーは皮肉を込めて、不機嫌に云った。
「ごめんなさい、ハリー」
急にジョオは態度を軟化させ、改めてテーブルについた。
そう、今朝のジョオは、洞窟での様子が遠い記憶のように、テンションが違う。声のトーンが低めで、コミュニケーションを拒むような口元は、少し緊張しているようだった。
それがやっと、ハリーが咎めることで、表情も柔らかくなった。ふたりの会話を見守っていたアーロンはホッとして、トロストにシリアルを頼んだ。
「昨夜の水中洞窟は、今後、専門家に調査を依頼して、観光客があまり立ち入ってはいけない地域だという証明をしてもらって」
「あの地層が、やっぱり危険なのか?」
「ええ。この丘一帯が石膏の層だから、地表の陥没した箇所もいくつか認められるわ。どこがいつ崩れるか判らないので、この丘そのものが立ち入り制限の指定を受ける必要があるわね」
「よし!」
ハリーは胸の前で拳を固く握った。
「ハリーは調査が一段落したら、城を買い戻せばいいわ」
「調査費用は国持ちってことだな」
それと、とジョオは付け加える。
「洞窟の出入口は、あじさいの城の地下なの」
「道理で、見覚えのある石造りの壁だったな」
アーロンは記憶を辿り、納得する。その向かい側で、ハリーが首を傾げる。
「あの城に地下への出入口なんかあったかな?」
「隠しドアよ。ニューエンベルグ城は昔の最前線基地だったから、王や高官が来た時に、万一の為に作られたの。水中洞窟はカモフラージュだけどね」
「確かに。水に入ってもあれじゃ逃げられないからな」
「水中洞窟に向かう階段の途中にもう一つ、隠しドアがあるから見つけてね」
「解った。食べ終えたら早速行こう」
簡素な朝食を済ませると三人は連れ立って、あじさいの城に向かった。
城へ続く小道を、アルプスの山々を背にして登る。
ジョオが云っていたように、アーロンもハリーも万全のコンディションではないが、なんだか体は軽い。ハリーは覚えのない城の地下入り口や隠しドアを探し当てるのを楽しみにしているようで、先頭を歩く。
一方アーロンは、蔦草の迫る小道の途中で立ち止まった。振り返って丘を見渡す。東側は丘が途切れ、何本かの樹木の先端が見える。そこに、アーロンの育った修道院があるはずだった。
―――ファビアン...。
アーロンを初めて城に案内したのが、ファビアンだった。同じ修道院の1歳違いの上級生。
今でも当時のことを、つい最近の事のように思い出せる。あの日もこの景色と同じように、空は青く、振り返れば緑の丘の上に、城がポツンと建っていた。
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