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4 ―甘い尋問―
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フリートウッド家に着くと、運転手がドアロックを外してくれるのももどかしく、ハリーは自分でドアを開けて車を降りた。
「おかえりなさいませ、ハリー様」
執事のグルーバーが走り出て来る。
「グルーバー、父様は?」
「書斎においでです。お客様もご一緒です」
「国防長官か?」
「いいえ。大奥様と、政府観光局長のプラッツ様です」
「観光局!?」
ハリーは思わず聞き返した。てっきり、アーロンのスパイ容疑に関係する話だと思っていた。だから、客は国防長官か、とハリーは尋ねたのだ。
アーロンが捕まれば、ハリーが動く。実際には、25歳の若造には何も出来ないので、父のフリートウッド公爵を頼って、軍上層部の者に働きかける他はない。それを逆手に取って、向こうから出向いて来たのかと思っていたのだが。
考えながら廊下を歩いてると、応接室の前にたどり着いた。ハリーはドアをノックする。
「ハリーか?」
「はい」
「入れ」
「失礼します」
入室後、一通りの紹介と挨拶が済むと、ハリーの父親のリードで話が展開される。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
「プラッツ局長から、お前に提案があるそうだ」
「なんでしょう、プラッツ局長」
「実は、国防長官のチェルノワは古い友人なんですが、彼から、ペータース邸での事件のことを聞きまして―――」
ハリーの膝の上の手が、ピクッと震える。
「医者のアーロン=ワイアットをご存知ですか、ハリー様」
―――アーロン、キターーー!
「ええ、友人です。大切な」
「大切な?」
「ええ、とても」
「古くからの?」
「プラッツ局長。時間の長さは問題ではありません。彼に救われた事がたくさんあります。ペータース邸での事もそうですし、精神的にも支えられています」
「精神的に。―――」
プラッツ局長は、まるで勘ぐるように上目遣いで片眉を上げた。
ハリーがソドミィだという事は、世間には知られている事実だ。相手が男性なら、まずはそこを疑う。
「付き合っているのか?」
父親のフリートウッド公爵が、引き継ぐようにハリーに訊いた。次いで祖母も。
「恋人なの?」
「そんっ...!...いいえ」
祖母からの発言に驚いて、ハリーは客の前で大声を上げそうになる。それをすぐに抑えて、否定した。が、食い下がる祖母。
「正直に云いなさい、ハリー。私たちは責めたりしませんよ」
「お気遣いなく、お祖母様。僕とアーロンはそんな関係ではありません」
「本当に?」
「彼には、―――」
―――今、何て云おうとした?
何か決定的な事を云おうとしたのに、突然頭から消えてしまった。
「何なの、ハリー?」
「...いえ。アーロンとは友人以外の関係はありません」
ハリーは毅然として云った。信じてもらえたかは判らない。
「では、ペータース邸での事ですが―――」
プラッツ局長は話を戻す。
「チェルノワ長官が云うには、アーロン=ワイアットはスパイを手引きして、二人でハリー様を護ったというのですが、本当ですか?」
「その件は調査が終わっている筈です。私も自分の身を守るために格闘しました」
「アーロン=ワイアットの他に、もう1名、いましたか?」
問題はここだった。が、上手く答えられないハリー。
「...いたと、思います」
「歯切れが悪いですね」
「いました」
「その人物の名前は?」
「名前...?」
アーロンと親しそうにしていた気がする。じゃあ当然、紹介を受けている筈。―――名前?
「どうしました? あなたを助けた人物の名前くらい、聞いているでしょう?」
「答えなさい、ハリー」
父も促すが、答えたくても、思い出せない。
「いいでしょう。実はチェルノワ長官は、その謎の人物を手引きしたアーロン=ワイアットに、スパイ容疑がかかっているというのですが―――」
観光局長にしては、眼光鋭くハリーを射抜く。
「心当たりはありませんか、ハリー様」
「心当たり? とんでもない! アーロン=ワイアットは開業医ですが、準備も雑務も一人でやっていて忙しいみたいですし、低所得者層の患者が多いので、彼自身の所得も同業者と比べたら正に桁違いに低いです。患者達には慕われています。そんな彼がスパイだなんて! 云いがかりです」
ハリーはまくしたてる。が、プラッツ局長は予想していたと見えて、ハリーの言葉を否定する。
「スパイの報酬があれば、医者としての所得は低くてもやっていけるでしょう? 街に溶け込む手段では?」
ハリーは呆れて、天を仰いだ。
「何の目的で? まさか、僕に近付く為ですか?」
プラッツ局長は口を曲げて眉を上げ、父親は頭を振って目をそらした。少なくともハリーは、スパイが近付く程の大物ではない。知り合って数年になるが、父親のみならず、ハリーの親類やビジネス関係者にも、アーロンは会ったことがない。スパイとして近付いたなら、今までにどんな収穫が得られたのか?
「彼は車も持ってないし、電子機器にも疎い。この間までカルテは手書きでした。やっと電子カルテを知り合いから譲ってもらって、いざ患者の情報を入力するとなったら、ドイツ語の単語が長くてスペースが足りないと云いだしたくらいで―――」
「判りました、ハリー様」
細かい話など、どうでも良い。ハリーを遮るプラッツ局長。
「判って頂けましたか?」
「判りました」
「本当に?」
「ええ。本当です」
「良かった!」
若干、急ではあるが、プラッツ局長は納得し、ハリーに笑顔を見せた。ハリーは胸をなで下ろし、
「―――ではすぐに解放して頂けるように、チェルノワ長官に―――」
「ええ。出来る限り、力を尽くしましょう」
「何てお礼を云っていいか...。有難うございます、本当に」
ハリーは立ち上がって、ドアまで見送る。
「アーロン=ワイアットという男は幸せですね。こんなに良い友人を持って」
「いえ、彼の人徳です」
「それでは―――」
プラッツ局長はハリーに手を差し出す。ハリーはそれを両手で握った。そして、ハグに思いを込める。
「お気を付けて―――」
ドアが開くと、プラッツ局長と入れ違いに、スーツの男が2人、入ってきた。
いぶかって父親の顔を見ると、
「ハリー―――」
相変わらずの気難しい表情で、首を振る。「タダで、という訳にはいかないだろう」
「...何ですって?」
「プラッツ局長は、わざわざ我が家にいらして情報を提供して下さった。あまつさえ、国防長官に助言をしてくれると云う。彼には関係がないのに、だ。お礼をしなくては」
ハリーの顔色が見る見るうちに変わっていく。が、父親はなんとも思わない。
「チェルノワ長官にしても、部下が間違っている、なんて部外者から云われたら、理解は出来てもおいそれと認めるわけにもいかないだろう。それを、手を尽くしてくれるとなれば、こちらも誠意を見せなければならない」
ハリーは憮然とした顔で、尋ねる。
「...どうしろと云うんです?」
答えたのは祖母。
「ニューエンブルグ城ですよ」
「あじさいの城を―――!?」
甘いフレグランス。
長い髪が胸から顔にかかり、また戻って行く。
女?―――名前が思い出せない。
「君なの?」
声をかけてみた。一瞬のためらいの後、
「...そうよ、アーロン」
じわっと、胸が熱くなるような気がした。
「顔を見せて」
会えるという高揚感と、1mmも動きたくない倦怠感が、アーロンの中に同時に存在する。
もっとも、動こうにもアーロンの手首には手錠がかけられ、その手錠はベッドの両サイドに繋がれていた。上半身が裸なのは、格闘していた時から変わらない。麻酔を射たれ、そのままベッドに寝かされたようだった。
薬のせいで、暑さも寒さも感じない。
「ハーイ、お寝坊さん」
女の声はエコーがかかるように反響して聞こえる。息がかかる程近い。しかしアーロンの目はしっかり開かない。しかも逆光で相手がよく見えない。女はアーロンの頬を指の背で撫で、髪をすく。触れられたところがジンジンする。ひどく気持ちが良い。
「ペータース邸以来ね」
「ああ。もっと時間が経った気がするし、ついこの間みたいな気もする...」
「あなたの活躍は最高だったわ」
アーロンは笑って頭を振った。
「君には敵わない。あんなに教えてもらったのに、全然ダメだよ」
「そんなことないわ」
「いや。肘も使えてないから拳を痛めたし、シャツとかロープとか、手持ちのアイテムもロクに使えなかった」
記憶が混乱している。先程の格闘を、ペータース邸での記憶だと思っている。が、アーロンは全くそれに気付いていない。
「ペータース邸で、私、何をしたかしら?」
女は白々しく尋ねるが、そこには何の疑問も湧かないアーロン。
「何って、ノアを助けてくれたし、大暴れしてたし、ハリーの面倒も見てくれてたじゃないか」
「それはあなたでしょ、アーロン。あなたがハリーと一緒にノアを助けたのよ。でも―――」
「でも?」
「もう一人いたでしょ。あなたと、ハリーと、もう一人」
アーロンは再度、笑って首を振る。
「君だよ。大方君がやったんだ。君以外の誰も、あんなこと出来ない」
「魔女だ」
モニターに釘付けになる上官が、突然云った。
「なんですって?」
「奇跡を起こす女だ」
「一個大隊を壊滅させる、てヤツですか?」
様々な国の軍隊に、まことしやかに伝わる伝説。
「ああ。たぶんペータース邸にいたんだ」
「都市伝説でしょう?」
「3人くらいであんな人数、一気に倒せる訳がない。例え3人がそれぞれプロでも、だ。しかし、奇跡を起こす女がいれば、1人でも可能だ」
「本気ですか?」
「魔女の名前と居場所を聞き出させろ!」
「ねえ、アーロン―――」
女の声は、なんとなくなまめかしくなってきた。「どうして名前で呼んでくれないの?」
「ごめん。思い出せないんだ。本当にごめん」
謝罪の言葉を口にしながらも、面倒臭さを感じているアーロン。
「ひどい人。私の名前を忘れるなんて」
女はアーロンのむき出しの胸に指を這わせ、敏感なところを強く弾いた。楽器の音が反響するように、アーロンの体を刺激が伝わり、広がって消える。
「云ってたじゃないか。パーソナルは忘れても、存在は忘れない、て...」
「思い出して」
近い。女は吐息を漏らすように囁く。唇をゆっくりと舐める。
「...キスをすれば、思い出すかも...」
アーロンが女の口元を見つめながら、うわ言のように呟く。女はまたアーロンの胸に手を添え、逆撫でしてそのままアーロンの首を撫で、耳たぶを弾いて枕元に手をつく。覆いかぶさる様に迫ってきて、深く口付けた。
「...」
不躾に侵入してきた女の舌は、アーロンの口内を余すところなく暴き、執拗にアーロンの舌を絡めて、音を立てる。男を蹂躙するような、飢えにも似た、女のキス。
「...思い出した?」
アーロンの枕元に手をついたまま、女が囁いた。アーロンはゆっくりまばたきをして、
「ああ。キスが、違うな」
「え?」
「お前、誰だ?」
女が振り返って逃げようとするのを、繋がれていない右膝で蹴りを入れ、体勢を崩す。間髪入れず左足で、女の頭を蹴り上げた。女は派手な音をたてて吹っ飛んだ。
「あら~、お気の毒」
そう、この声こそ―――。
「ジョオ...」
「おかえりなさいませ、ハリー様」
執事のグルーバーが走り出て来る。
「グルーバー、父様は?」
「書斎においでです。お客様もご一緒です」
「国防長官か?」
「いいえ。大奥様と、政府観光局長のプラッツ様です」
「観光局!?」
ハリーは思わず聞き返した。てっきり、アーロンのスパイ容疑に関係する話だと思っていた。だから、客は国防長官か、とハリーは尋ねたのだ。
アーロンが捕まれば、ハリーが動く。実際には、25歳の若造には何も出来ないので、父のフリートウッド公爵を頼って、軍上層部の者に働きかける他はない。それを逆手に取って、向こうから出向いて来たのかと思っていたのだが。
考えながら廊下を歩いてると、応接室の前にたどり着いた。ハリーはドアをノックする。
「ハリーか?」
「はい」
「入れ」
「失礼します」
入室後、一通りの紹介と挨拶が済むと、ハリーの父親のリードで話が展開される。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
「プラッツ局長から、お前に提案があるそうだ」
「なんでしょう、プラッツ局長」
「実は、国防長官のチェルノワは古い友人なんですが、彼から、ペータース邸での事件のことを聞きまして―――」
ハリーの膝の上の手が、ピクッと震える。
「医者のアーロン=ワイアットをご存知ですか、ハリー様」
―――アーロン、キターーー!
「ええ、友人です。大切な」
「大切な?」
「ええ、とても」
「古くからの?」
「プラッツ局長。時間の長さは問題ではありません。彼に救われた事がたくさんあります。ペータース邸での事もそうですし、精神的にも支えられています」
「精神的に。―――」
プラッツ局長は、まるで勘ぐるように上目遣いで片眉を上げた。
ハリーがソドミィだという事は、世間には知られている事実だ。相手が男性なら、まずはそこを疑う。
「付き合っているのか?」
父親のフリートウッド公爵が、引き継ぐようにハリーに訊いた。次いで祖母も。
「恋人なの?」
「そんっ...!...いいえ」
祖母からの発言に驚いて、ハリーは客の前で大声を上げそうになる。それをすぐに抑えて、否定した。が、食い下がる祖母。
「正直に云いなさい、ハリー。私たちは責めたりしませんよ」
「お気遣いなく、お祖母様。僕とアーロンはそんな関係ではありません」
「本当に?」
「彼には、―――」
―――今、何て云おうとした?
何か決定的な事を云おうとしたのに、突然頭から消えてしまった。
「何なの、ハリー?」
「...いえ。アーロンとは友人以外の関係はありません」
ハリーは毅然として云った。信じてもらえたかは判らない。
「では、ペータース邸での事ですが―――」
プラッツ局長は話を戻す。
「チェルノワ長官が云うには、アーロン=ワイアットはスパイを手引きして、二人でハリー様を護ったというのですが、本当ですか?」
「その件は調査が終わっている筈です。私も自分の身を守るために格闘しました」
「アーロン=ワイアットの他に、もう1名、いましたか?」
問題はここだった。が、上手く答えられないハリー。
「...いたと、思います」
「歯切れが悪いですね」
「いました」
「その人物の名前は?」
「名前...?」
アーロンと親しそうにしていた気がする。じゃあ当然、紹介を受けている筈。―――名前?
「どうしました? あなたを助けた人物の名前くらい、聞いているでしょう?」
「答えなさい、ハリー」
父も促すが、答えたくても、思い出せない。
「いいでしょう。実はチェルノワ長官は、その謎の人物を手引きしたアーロン=ワイアットに、スパイ容疑がかかっているというのですが―――」
観光局長にしては、眼光鋭くハリーを射抜く。
「心当たりはありませんか、ハリー様」
「心当たり? とんでもない! アーロン=ワイアットは開業医ですが、準備も雑務も一人でやっていて忙しいみたいですし、低所得者層の患者が多いので、彼自身の所得も同業者と比べたら正に桁違いに低いです。患者達には慕われています。そんな彼がスパイだなんて! 云いがかりです」
ハリーはまくしたてる。が、プラッツ局長は予想していたと見えて、ハリーの言葉を否定する。
「スパイの報酬があれば、医者としての所得は低くてもやっていけるでしょう? 街に溶け込む手段では?」
ハリーは呆れて、天を仰いだ。
「何の目的で? まさか、僕に近付く為ですか?」
プラッツ局長は口を曲げて眉を上げ、父親は頭を振って目をそらした。少なくともハリーは、スパイが近付く程の大物ではない。知り合って数年になるが、父親のみならず、ハリーの親類やビジネス関係者にも、アーロンは会ったことがない。スパイとして近付いたなら、今までにどんな収穫が得られたのか?
「彼は車も持ってないし、電子機器にも疎い。この間までカルテは手書きでした。やっと電子カルテを知り合いから譲ってもらって、いざ患者の情報を入力するとなったら、ドイツ語の単語が長くてスペースが足りないと云いだしたくらいで―――」
「判りました、ハリー様」
細かい話など、どうでも良い。ハリーを遮るプラッツ局長。
「判って頂けましたか?」
「判りました」
「本当に?」
「ええ。本当です」
「良かった!」
若干、急ではあるが、プラッツ局長は納得し、ハリーに笑顔を見せた。ハリーは胸をなで下ろし、
「―――ではすぐに解放して頂けるように、チェルノワ長官に―――」
「ええ。出来る限り、力を尽くしましょう」
「何てお礼を云っていいか...。有難うございます、本当に」
ハリーは立ち上がって、ドアまで見送る。
「アーロン=ワイアットという男は幸せですね。こんなに良い友人を持って」
「いえ、彼の人徳です」
「それでは―――」
プラッツ局長はハリーに手を差し出す。ハリーはそれを両手で握った。そして、ハグに思いを込める。
「お気を付けて―――」
ドアが開くと、プラッツ局長と入れ違いに、スーツの男が2人、入ってきた。
いぶかって父親の顔を見ると、
「ハリー―――」
相変わらずの気難しい表情で、首を振る。「タダで、という訳にはいかないだろう」
「...何ですって?」
「プラッツ局長は、わざわざ我が家にいらして情報を提供して下さった。あまつさえ、国防長官に助言をしてくれると云う。彼には関係がないのに、だ。お礼をしなくては」
ハリーの顔色が見る見るうちに変わっていく。が、父親はなんとも思わない。
「チェルノワ長官にしても、部下が間違っている、なんて部外者から云われたら、理解は出来てもおいそれと認めるわけにもいかないだろう。それを、手を尽くしてくれるとなれば、こちらも誠意を見せなければならない」
ハリーは憮然とした顔で、尋ねる。
「...どうしろと云うんです?」
答えたのは祖母。
「ニューエンブルグ城ですよ」
「あじさいの城を―――!?」
甘いフレグランス。
長い髪が胸から顔にかかり、また戻って行く。
女?―――名前が思い出せない。
「君なの?」
声をかけてみた。一瞬のためらいの後、
「...そうよ、アーロン」
じわっと、胸が熱くなるような気がした。
「顔を見せて」
会えるという高揚感と、1mmも動きたくない倦怠感が、アーロンの中に同時に存在する。
もっとも、動こうにもアーロンの手首には手錠がかけられ、その手錠はベッドの両サイドに繋がれていた。上半身が裸なのは、格闘していた時から変わらない。麻酔を射たれ、そのままベッドに寝かされたようだった。
薬のせいで、暑さも寒さも感じない。
「ハーイ、お寝坊さん」
女の声はエコーがかかるように反響して聞こえる。息がかかる程近い。しかしアーロンの目はしっかり開かない。しかも逆光で相手がよく見えない。女はアーロンの頬を指の背で撫で、髪をすく。触れられたところがジンジンする。ひどく気持ちが良い。
「ペータース邸以来ね」
「ああ。もっと時間が経った気がするし、ついこの間みたいな気もする...」
「あなたの活躍は最高だったわ」
アーロンは笑って頭を振った。
「君には敵わない。あんなに教えてもらったのに、全然ダメだよ」
「そんなことないわ」
「いや。肘も使えてないから拳を痛めたし、シャツとかロープとか、手持ちのアイテムもロクに使えなかった」
記憶が混乱している。先程の格闘を、ペータース邸での記憶だと思っている。が、アーロンは全くそれに気付いていない。
「ペータース邸で、私、何をしたかしら?」
女は白々しく尋ねるが、そこには何の疑問も湧かないアーロン。
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「それはあなたでしょ、アーロン。あなたがハリーと一緒にノアを助けたのよ。でも―――」
「でも?」
「もう一人いたでしょ。あなたと、ハリーと、もう一人」
アーロンは再度、笑って首を振る。
「君だよ。大方君がやったんだ。君以外の誰も、あんなこと出来ない」
「魔女だ」
モニターに釘付けになる上官が、突然云った。
「なんですって?」
「奇跡を起こす女だ」
「一個大隊を壊滅させる、てヤツですか?」
様々な国の軍隊に、まことしやかに伝わる伝説。
「ああ。たぶんペータース邸にいたんだ」
「都市伝説でしょう?」
「3人くらいであんな人数、一気に倒せる訳がない。例え3人がそれぞれプロでも、だ。しかし、奇跡を起こす女がいれば、1人でも可能だ」
「本気ですか?」
「魔女の名前と居場所を聞き出させろ!」
「ねえ、アーロン―――」
女の声は、なんとなくなまめかしくなってきた。「どうして名前で呼んでくれないの?」
「ごめん。思い出せないんだ。本当にごめん」
謝罪の言葉を口にしながらも、面倒臭さを感じているアーロン。
「ひどい人。私の名前を忘れるなんて」
女はアーロンのむき出しの胸に指を這わせ、敏感なところを強く弾いた。楽器の音が反響するように、アーロンの体を刺激が伝わり、広がって消える。
「云ってたじゃないか。パーソナルは忘れても、存在は忘れない、て...」
「思い出して」
近い。女は吐息を漏らすように囁く。唇をゆっくりと舐める。
「...キスをすれば、思い出すかも...」
アーロンが女の口元を見つめながら、うわ言のように呟く。女はまたアーロンの胸に手を添え、逆撫でしてそのままアーロンの首を撫で、耳たぶを弾いて枕元に手をつく。覆いかぶさる様に迫ってきて、深く口付けた。
「...」
不躾に侵入してきた女の舌は、アーロンの口内を余すところなく暴き、執拗にアーロンの舌を絡めて、音を立てる。男を蹂躙するような、飢えにも似た、女のキス。
「...思い出した?」
アーロンの枕元に手をついたまま、女が囁いた。アーロンはゆっくりまばたきをして、
「ああ。キスが、違うな」
「え?」
「お前、誰だ?」
女が振り返って逃げようとするのを、繋がれていない右膝で蹴りを入れ、体勢を崩す。間髪入れず左足で、女の頭を蹴り上げた。女は派手な音をたてて吹っ飛んだ。
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そう、この声こそ―――。
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