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三章 『それを言葉にはしないけれど』
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しばらく、歩き続けた。
何日経ったのか。
たぶん、一週間くらいか。
俺たちは、村というには広く、街というには狭い――そんな廃村に辿り着いた。
靄がかかった記憶のような、暗い空気が流れている。
「バルムンク……ここって?」
「……まだ言っていなかったか。ボレアス王国は、魔物に襲撃されて滅びた。最初に王城、次に城下町が……沢山の民が亡くなった。だが、生き延びた人たちで、ここに隠れ住んでいる。ほら」
俺は王国が滅びたことを聞いて、心に重くのしかかるようなショックを受けていた。
しかし、廃屋に近くなった建物から出てきたそのお姿を見て、ほんの少しだけど、ほっとした。
「おお! 勇者ではないか!? この世界から去ったと聞いたが……!」
「王様!」
ボレアス国王……いや、元ボレアス国王ということになるのか。
彼の後ろには、王妃様と王姫様がいる。三人ともやつれ、汚れていた。
かつては綺羅びやかな格好で、民たちに羨望の眼差しで見つめられていたが、今は見窄らしい庶民的な格好をしている――王族だけではない。
辺りを見渡すと、かつては兵士だった者、商人だった者、酒場で働いていた娘――が、同じ様な格好をしていた。
ある者は道の隅で寝ていたり、ある者は布で簡単に設えた居住区に住んでいたりしている。
「驚いたかな、勇者よ。かつての栄光はもう無い。今はこうして、細々と生きていくのみだ」
「そんな……」
そんなことは。と言いたかった。言えなかった。
王姫様が王に耳打ちをする。
「お父様。私はこのまま、皆様に配給をして参ります。」
「おお、すまないな。頼んだぞ」
町娘のような装いをしていた彼女は、俺に一礼を残し、静かに去っていった。
「王よ。騎士バルムンク、只今戻りました。現状の報告をさせていただきます」
背後に控えていたバルムンクが、一歩前に出て王の前に膝をつく。
「バルムンク! おぬし、腕が……」
「お気になさらず。勇者の処置もあり、なんとかなっております」
「俺は何も……」
その後は言わせて貰えなかった。バルムンクの眼がそう訴えかけていた。
「まずは、無断で王の元を離れたことを謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした。処遇は何なりとお受けいたします」
独断で動いていたのか……。だが、仕方のない話だ。
彼女が竜魔王かもしれないなんて、言えないだろう。
「良い。おぬしを信頼しておる。……それで、なにか分かったのだろう?」
「……ええ。私の目的は二つ。戦士ゴンザレスの遺体を回収すること。そして、姫様の行方を追うことでした。途中、幸いにも勇者イサムと再会できましたが……。結論を申し上げます。まず、ゴンザレスの遺体は回収できませんでした。遺品は現在、勇者の腕に装着されております」
俺は急いで戦士の腕輪を外し、王に差し出した。
「……そうじゃな。『戦士の里』の、戦士ロイヤーの腕輪……間違いないだろう」
「……そして、姫様ですが……その」
バルムンクは言い淀む。
俺はバルムンクの前に出る。
「バルムンク……俺が――王様、彼女は……。……ッ!」
彼女が竜魔王となったことを伝えなければならないと、俺は思った。
それが、勇者の責任だと。
しかし、王の顔を見た瞬間、言葉が喉に引っかかって、出てこなくなった。
「あ……お、俺……俺の、せいでっ……」
俺は、最後まで言うことができなかった。
王の表情には、既に全てを悟ったような陰りがあった。
言葉にする必要すらないと、告げるように。
「……勇者よ。もう、それ以上は良い。面をあげよ」
その静かな声に顔を上げた時、王の頬には一筋の涙が流れた。
「……俺が、俺が彼女を、連れ戻します。王よ」
その言葉に、王は頷いた。かつて、勇者の称号を授けた瞬間のように。
□ □
「今後はどうするつもりじゃ?」
俺たちは、王族の住まいに招かれていた。
この廃村の中では特に立派な住居だ。
しかし、かつての城下町の壮麗さと比べてしまう。もう、見る影もない。
「驚いたかな? 勇者よ。私は道端で良かったのだが。だがしかし、民たちにどうしてもと譲られたのだ」
王の眼には、深い悲しみが宿っていた。
バルムンクは踵を返し、マントを揺らす。
「私は、鍛冶職人から剣を一本、調達して参ります」
そう言い残して、出ていく。おそらく、俺に気を使ってのだろう。
俺は王と向かい合って、座っていた。
「俺は……少しここを見て回ってから、賢者の捜索に向かうつもりです」
王は俯き、小さく息をつく。
「王様……?」
「のう。ずっと、ここに残ってはくれまいか?」
そう呟く王の疲れ切った眉間の皺が、彼を年老いて見せた。
俺は言葉を飲み込み、言葉の続きを待つ。
「もう、ワシらにはな。おぬしたちしかおらぬ。このまま、悉くを滅ぼされるというのであれば、おぬし達と最期を共にしたい。……分かっておる。分かっておるよ。イサムとバルムンクは、決して諦めないと。けれど、ワシらの精神は、限界なのだ……」
自嘲気味に、王は笑った。
きっと、民たちには一切見せなかった表情を、俺に見せた。
ずっと耐え抜いてきたのだ。魔物からの侵略と、民の絶望を請け負って。
けれど、俺にはまだ、やらなくちゃいけないことがある。
果たさなければならないことを。彼女を、連れ戻すのだ。
「……王よ。俺は――」
「――よい、分かっておる。すまなかった。……一瞬の、気の迷いじゃ。泡沫の夢のようなもの。忘れてくれ」
彼の言葉が途切れると、かつての思い出が脳を走る。
王が顔を見せると、民は笑顔になった。
彼のことが、みんな好きだったのだ。
城下町で食べ歩きをする王――。
採れたての果物を受け取る王――。
産まれたばかりの赤ん坊をあやす王――。
子どもたちと走り回る王――。
思い出される情景の中にはどれも、それを笑顔で見守る民たちが居た。
「……民を信じてあげてください。彼らは絶対に、支えてくれます。皆に、その心中を話してみてください」
「イサム……」
「……俺たちも、帰ってきます。そしたら、その輪の中に加えてください」
「……ああ、約束しよう」
□ □
しばらくして、バルムンクと王妃様、王姫様が帰ってくる。
「そこでお会いしてな。一緒に戻ってきたのだが……どんな状況だ? イサム」
「いやあ……はは……」
バルムンクたちは困惑する。それはそうだろう。
王は国に伝わる宝酒を飲んで、潰れていたからだ。
「ちょっと感傷的な話になっちゃってさ、湿っぽいのもあれだからって飲みまくっちゃったんだよ」
怒り顔の王妃様が、容赦なく王を叩いていた。
久々な喧騒の中、俺はバルムンクに尋ねる。
「……腕はどうだ?」
「ああ、大丈夫だ。……いや、正直に言うと、大丈夫ではないが、戦えないわけじゃない。ただ、両手剣は振るえないからな。軽い大剣を見繕ってきた。見ろ」
バルムンクは、腰に吊るした中肉の長剣を抜いた。それを片腕で軽々と回す。
「良い剣だろう」
「だな。それもクラッドの剣だろ? あいつ、元気にしてたか?」
剣を腰に戻すバルムンク。その顔が曇った。
「……いいや、既に死んでいた。オレが遠征に行っている間、周囲にいる魔物を打ち倒すと意気込んで、挑み、殺されたようだ。エリーナがそう言っていた。……本当に、残念だ」
クラッドも、死んだのか。
彼の家で騒いだ夜のことが頭をよぎる。
俺の涙は枯れていたのか、もう、何も出てこなかった。
「後で、エリーナさんに会いにいくよ」
「そうだな……そうした方がいい。彼は、オレたち勇者一行に武具を用意してくれていた。何かあったら使ってくれ、とな。それが彼の遺言だったようだ」
「……寂しいな」
「……ああ。だが、想いは受け取った」
バルムンクは、軽大剣の柄にそっと触れる。
王妃様たちに解放された王が、立ち上がった。
「そうじゃ。お主らに渡したいものがあるのだ。以前、この村の門に落ちていたモノなのだが。これが何か、知っておるか?」
王は、引き出しから一つの品を取り出し、俺たちに手渡した。
それは、煌びやかな首飾りだった。
俺とバルムンクは一瞬視線を交わす。
「王よ。こちらには見覚えがあります。そして、賢者の行方が分かりました」
「俺たちはすぐに発ちます。彼女が居れば、状況は逆転する。……はやく、以前の暮らしに戻れるよう、尽力いたします」
□ □
エリーナと話した後、住居の裏手にある小さな墓碑――クラッドの墓前で、俺はバルムンクに語りかけた。
「クラッド、良いやつだったよな……」
俺の言葉に、バルムンクは鼻を鳴らすように短く息を吐いた。
「フン。だが、莫迦な奴だった。……本当に、どうしようもない莫迦だった」
その声色には、優しさが滲んでいる。
かつての二人は、騎士団の同期だった。
クラッドは早々に辞めてしまったらしいが、面倒焼きのバルムンクは、時間を作ってよく会いに行っていたらしい。
俺たちは、彼に近況を話した。
クラッドとエリーナの家で、飲み明かした日のように。
旅支度を整えながら、バルムンクに問いかける。
「……なんで戦姫は、俺を『愛している』、なんて言ったんだろう。俺は彼女に、何もしていないのに」
きっとバルムンクは、その答えを持っている。
「…………」
だが、彼の答えは沈黙だった。
「バルムンク?」
呼びかけに応じず、バルムンクはしばらく、彼方を見つめていた。
「――お前は、鈍感だ。憎たらしいほどに。……もう一度、ゆっくり考えてみろ。それでも分からなければ、オレに相談しろ」
鈍感――か。そんなつもりは無いのだけど。
「……分かった。考えてみるよ」
□ □
隻腕の騎士を支えながら、丘を登る。
民から託された物資が、背中に重くのしかかる。
振り返れば、王の村が遠くに見えた。
「取り戻そう。世界を」
「当然だ」
バルムンクは、首飾りを太陽にかざし、光を反射させる。
「向かう場所は、ボー領のアリアスタ村だな?」
アリアスタ村。
賢者メルルが育った場所。
そして、預言者を輩出した伝統ある村だ。
かつて俺たちは、アリアスタ村に立ち寄り、ある事件を解決した。
その際にメルルが見せてくれたのが、この首飾りだ。
ただの伝統の御守……ではない。
実態は、魔力を貯蔵し増幅させる機能を持つ『魔導器』だ。
これが王の村に落ちていた。
まるで、勇者一行に宛てた、メルルからのメッセージのように思えた。
「本当に、途中でお前の実家に寄らなくてもいいのか?」
俺の問いに、バルムンクは鼻で笑った。
「ウェルバインド領は陥落した。父上は、ウェルバインド家の総力を懸け、最後まで魔王軍に抵抗したそうだが。焼け野原を見に行っても、意味はあるまい」
「……そっか。『ボー領』までは、馬でも一週間はかかるよな?」
「『ボー領』は既に、魔王領となっている。慎重を期するのであれば、三倍はかかるだろう」
「そっか。でもまあ」
なんとかなるだろ。
丘の頂上に辿り着く。頭上には、碧々とした空が広がっている。
翠の風が吹いて、俺たちの背を押した。
バルムンクの金髪が靡く。
「……このような晴天は、久しぶりだな。『ボー領』に辿り着いたらもう見れんぞ」
「見納めか。じゃあ、この空が続くよう頑張ろう。俺たちなら、最速で『ボー領』にまで辿り着けるだろ」
「……慎重にいくのではないのか?」
「いいや、出し惜しみは無しだ。立ち塞がる魔物は俺が全部倒す。バルムンクの右腕になるよ。お前はサポートと指示に回ってくれ。メルルと合流さえすれば、あとは消化試合みたいなもんだろ? ……彼女なら、竜魔王を元に戻す術があるだろうし」
「確かにな。……全く、あいつも何か伝えたいことがあるのなら、直接言えばいいものを」
「多分、村から出られない理由とか、他の人に悟られたくない事情とかがあるんだろ。いつも秘密主義だったじゃんか」
俺たちは晴天に背を向ける。先に見えるのは、禍々しい赤紫色の空。
「真っ直ぐだ。ただ真っ直ぐ。最速で全部をなんとかする。それが、今の俺の、責任の果たし方だ」
「……久しぶりに聞いたな。それ」
「そうか?」
「ああ、ずっと言っていただろ? 竜魔王征伐遠征の時から。いや、お前がこの世界に来てからだったか。もしかして、以前居た場所からそうだったのか?」
振り返る。
日本に居た頃も……そうだったかな?
「……そうかも?」
バルムンクは天を仰いで目を細めたあと、小さく笑った。
「何笑ってんだよ!」
「……いいや、悪い。そんなことより、オレが前線じゃなくて良いのか? 前線を張るのは、いつもオレとゴンザレスだった」
「大丈夫だろ。俺は勇者だぜ?」
そう言った瞬間、バルムンクは俺の肩に回していた腕を使い、軽く頭を小突いてきた
「お前の剣筋は、甘いのだ」
「……騎士団長様のお陰でございます。いや、本当だぜ? バルムンクの指導がなければここまで使いこなせなかったさ。改めて、ありがとな。……師匠って呼んだほうが良いなら呼ぶけど?」
言葉を交わしながら、決意を胸に、魔王領への歩みを始める。
次に帰ってくるときは、全てを終わらせてからだ。
バルムンクと、メルルと一緒に。そして――彼女も。
罪を精算させてから、一緒に帰ってくる。
ゴンザレスの腕輪が、日の光に照らされて、煌めいた。
「はは! 『勇者』に師と謳われるなんてな。オレもまだまだこれからか。腕の一本くらい、名誉の負傷と言うものだろう。イサムには悪いが、この戦いが終わった後、オレが勇者の称号を継いでやる」
「負けらんないな」
――でも、バルムンク。
俺にとっては、お前が一番の勇者だよ。
なんとなく照れくさいから、それを言葉にはしないけれど。
何日経ったのか。
たぶん、一週間くらいか。
俺たちは、村というには広く、街というには狭い――そんな廃村に辿り着いた。
靄がかかった記憶のような、暗い空気が流れている。
「バルムンク……ここって?」
「……まだ言っていなかったか。ボレアス王国は、魔物に襲撃されて滅びた。最初に王城、次に城下町が……沢山の民が亡くなった。だが、生き延びた人たちで、ここに隠れ住んでいる。ほら」
俺は王国が滅びたことを聞いて、心に重くのしかかるようなショックを受けていた。
しかし、廃屋に近くなった建物から出てきたそのお姿を見て、ほんの少しだけど、ほっとした。
「おお! 勇者ではないか!? この世界から去ったと聞いたが……!」
「王様!」
ボレアス国王……いや、元ボレアス国王ということになるのか。
彼の後ろには、王妃様と王姫様がいる。三人ともやつれ、汚れていた。
かつては綺羅びやかな格好で、民たちに羨望の眼差しで見つめられていたが、今は見窄らしい庶民的な格好をしている――王族だけではない。
辺りを見渡すと、かつては兵士だった者、商人だった者、酒場で働いていた娘――が、同じ様な格好をしていた。
ある者は道の隅で寝ていたり、ある者は布で簡単に設えた居住区に住んでいたりしている。
「驚いたかな、勇者よ。かつての栄光はもう無い。今はこうして、細々と生きていくのみだ」
「そんな……」
そんなことは。と言いたかった。言えなかった。
王姫様が王に耳打ちをする。
「お父様。私はこのまま、皆様に配給をして参ります。」
「おお、すまないな。頼んだぞ」
町娘のような装いをしていた彼女は、俺に一礼を残し、静かに去っていった。
「王よ。騎士バルムンク、只今戻りました。現状の報告をさせていただきます」
背後に控えていたバルムンクが、一歩前に出て王の前に膝をつく。
「バルムンク! おぬし、腕が……」
「お気になさらず。勇者の処置もあり、なんとかなっております」
「俺は何も……」
その後は言わせて貰えなかった。バルムンクの眼がそう訴えかけていた。
「まずは、無断で王の元を離れたことを謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした。処遇は何なりとお受けいたします」
独断で動いていたのか……。だが、仕方のない話だ。
彼女が竜魔王かもしれないなんて、言えないだろう。
「良い。おぬしを信頼しておる。……それで、なにか分かったのだろう?」
「……ええ。私の目的は二つ。戦士ゴンザレスの遺体を回収すること。そして、姫様の行方を追うことでした。途中、幸いにも勇者イサムと再会できましたが……。結論を申し上げます。まず、ゴンザレスの遺体は回収できませんでした。遺品は現在、勇者の腕に装着されております」
俺は急いで戦士の腕輪を外し、王に差し出した。
「……そうじゃな。『戦士の里』の、戦士ロイヤーの腕輪……間違いないだろう」
「……そして、姫様ですが……その」
バルムンクは言い淀む。
俺はバルムンクの前に出る。
「バルムンク……俺が――王様、彼女は……。……ッ!」
彼女が竜魔王となったことを伝えなければならないと、俺は思った。
それが、勇者の責任だと。
しかし、王の顔を見た瞬間、言葉が喉に引っかかって、出てこなくなった。
「あ……お、俺……俺の、せいでっ……」
俺は、最後まで言うことができなかった。
王の表情には、既に全てを悟ったような陰りがあった。
言葉にする必要すらないと、告げるように。
「……勇者よ。もう、それ以上は良い。面をあげよ」
その静かな声に顔を上げた時、王の頬には一筋の涙が流れた。
「……俺が、俺が彼女を、連れ戻します。王よ」
その言葉に、王は頷いた。かつて、勇者の称号を授けた瞬間のように。
□ □
「今後はどうするつもりじゃ?」
俺たちは、王族の住まいに招かれていた。
この廃村の中では特に立派な住居だ。
しかし、かつての城下町の壮麗さと比べてしまう。もう、見る影もない。
「驚いたかな? 勇者よ。私は道端で良かったのだが。だがしかし、民たちにどうしてもと譲られたのだ」
王の眼には、深い悲しみが宿っていた。
バルムンクは踵を返し、マントを揺らす。
「私は、鍛冶職人から剣を一本、調達して参ります」
そう言い残して、出ていく。おそらく、俺に気を使ってのだろう。
俺は王と向かい合って、座っていた。
「俺は……少しここを見て回ってから、賢者の捜索に向かうつもりです」
王は俯き、小さく息をつく。
「王様……?」
「のう。ずっと、ここに残ってはくれまいか?」
そう呟く王の疲れ切った眉間の皺が、彼を年老いて見せた。
俺は言葉を飲み込み、言葉の続きを待つ。
「もう、ワシらにはな。おぬしたちしかおらぬ。このまま、悉くを滅ぼされるというのであれば、おぬし達と最期を共にしたい。……分かっておる。分かっておるよ。イサムとバルムンクは、決して諦めないと。けれど、ワシらの精神は、限界なのだ……」
自嘲気味に、王は笑った。
きっと、民たちには一切見せなかった表情を、俺に見せた。
ずっと耐え抜いてきたのだ。魔物からの侵略と、民の絶望を請け負って。
けれど、俺にはまだ、やらなくちゃいけないことがある。
果たさなければならないことを。彼女を、連れ戻すのだ。
「……王よ。俺は――」
「――よい、分かっておる。すまなかった。……一瞬の、気の迷いじゃ。泡沫の夢のようなもの。忘れてくれ」
彼の言葉が途切れると、かつての思い出が脳を走る。
王が顔を見せると、民は笑顔になった。
彼のことが、みんな好きだったのだ。
城下町で食べ歩きをする王――。
採れたての果物を受け取る王――。
産まれたばかりの赤ん坊をあやす王――。
子どもたちと走り回る王――。
思い出される情景の中にはどれも、それを笑顔で見守る民たちが居た。
「……民を信じてあげてください。彼らは絶対に、支えてくれます。皆に、その心中を話してみてください」
「イサム……」
「……俺たちも、帰ってきます。そしたら、その輪の中に加えてください」
「……ああ、約束しよう」
□ □
しばらくして、バルムンクと王妃様、王姫様が帰ってくる。
「そこでお会いしてな。一緒に戻ってきたのだが……どんな状況だ? イサム」
「いやあ……はは……」
バルムンクたちは困惑する。それはそうだろう。
王は国に伝わる宝酒を飲んで、潰れていたからだ。
「ちょっと感傷的な話になっちゃってさ、湿っぽいのもあれだからって飲みまくっちゃったんだよ」
怒り顔の王妃様が、容赦なく王を叩いていた。
久々な喧騒の中、俺はバルムンクに尋ねる。
「……腕はどうだ?」
「ああ、大丈夫だ。……いや、正直に言うと、大丈夫ではないが、戦えないわけじゃない。ただ、両手剣は振るえないからな。軽い大剣を見繕ってきた。見ろ」
バルムンクは、腰に吊るした中肉の長剣を抜いた。それを片腕で軽々と回す。
「良い剣だろう」
「だな。それもクラッドの剣だろ? あいつ、元気にしてたか?」
剣を腰に戻すバルムンク。その顔が曇った。
「……いいや、既に死んでいた。オレが遠征に行っている間、周囲にいる魔物を打ち倒すと意気込んで、挑み、殺されたようだ。エリーナがそう言っていた。……本当に、残念だ」
クラッドも、死んだのか。
彼の家で騒いだ夜のことが頭をよぎる。
俺の涙は枯れていたのか、もう、何も出てこなかった。
「後で、エリーナさんに会いにいくよ」
「そうだな……そうした方がいい。彼は、オレたち勇者一行に武具を用意してくれていた。何かあったら使ってくれ、とな。それが彼の遺言だったようだ」
「……寂しいな」
「……ああ。だが、想いは受け取った」
バルムンクは、軽大剣の柄にそっと触れる。
王妃様たちに解放された王が、立ち上がった。
「そうじゃ。お主らに渡したいものがあるのだ。以前、この村の門に落ちていたモノなのだが。これが何か、知っておるか?」
王は、引き出しから一つの品を取り出し、俺たちに手渡した。
それは、煌びやかな首飾りだった。
俺とバルムンクは一瞬視線を交わす。
「王よ。こちらには見覚えがあります。そして、賢者の行方が分かりました」
「俺たちはすぐに発ちます。彼女が居れば、状況は逆転する。……はやく、以前の暮らしに戻れるよう、尽力いたします」
□ □
エリーナと話した後、住居の裏手にある小さな墓碑――クラッドの墓前で、俺はバルムンクに語りかけた。
「クラッド、良いやつだったよな……」
俺の言葉に、バルムンクは鼻を鳴らすように短く息を吐いた。
「フン。だが、莫迦な奴だった。……本当に、どうしようもない莫迦だった」
その声色には、優しさが滲んでいる。
かつての二人は、騎士団の同期だった。
クラッドは早々に辞めてしまったらしいが、面倒焼きのバルムンクは、時間を作ってよく会いに行っていたらしい。
俺たちは、彼に近況を話した。
クラッドとエリーナの家で、飲み明かした日のように。
旅支度を整えながら、バルムンクに問いかける。
「……なんで戦姫は、俺を『愛している』、なんて言ったんだろう。俺は彼女に、何もしていないのに」
きっとバルムンクは、その答えを持っている。
「…………」
だが、彼の答えは沈黙だった。
「バルムンク?」
呼びかけに応じず、バルムンクはしばらく、彼方を見つめていた。
「――お前は、鈍感だ。憎たらしいほどに。……もう一度、ゆっくり考えてみろ。それでも分からなければ、オレに相談しろ」
鈍感――か。そんなつもりは無いのだけど。
「……分かった。考えてみるよ」
□ □
隻腕の騎士を支えながら、丘を登る。
民から託された物資が、背中に重くのしかかる。
振り返れば、王の村が遠くに見えた。
「取り戻そう。世界を」
「当然だ」
バルムンクは、首飾りを太陽にかざし、光を反射させる。
「向かう場所は、ボー領のアリアスタ村だな?」
アリアスタ村。
賢者メルルが育った場所。
そして、預言者を輩出した伝統ある村だ。
かつて俺たちは、アリアスタ村に立ち寄り、ある事件を解決した。
その際にメルルが見せてくれたのが、この首飾りだ。
ただの伝統の御守……ではない。
実態は、魔力を貯蔵し増幅させる機能を持つ『魔導器』だ。
これが王の村に落ちていた。
まるで、勇者一行に宛てた、メルルからのメッセージのように思えた。
「本当に、途中でお前の実家に寄らなくてもいいのか?」
俺の問いに、バルムンクは鼻で笑った。
「ウェルバインド領は陥落した。父上は、ウェルバインド家の総力を懸け、最後まで魔王軍に抵抗したそうだが。焼け野原を見に行っても、意味はあるまい」
「……そっか。『ボー領』までは、馬でも一週間はかかるよな?」
「『ボー領』は既に、魔王領となっている。慎重を期するのであれば、三倍はかかるだろう」
「そっか。でもまあ」
なんとかなるだろ。
丘の頂上に辿り着く。頭上には、碧々とした空が広がっている。
翠の風が吹いて、俺たちの背を押した。
バルムンクの金髪が靡く。
「……このような晴天は、久しぶりだな。『ボー領』に辿り着いたらもう見れんぞ」
「見納めか。じゃあ、この空が続くよう頑張ろう。俺たちなら、最速で『ボー領』にまで辿り着けるだろ」
「……慎重にいくのではないのか?」
「いいや、出し惜しみは無しだ。立ち塞がる魔物は俺が全部倒す。バルムンクの右腕になるよ。お前はサポートと指示に回ってくれ。メルルと合流さえすれば、あとは消化試合みたいなもんだろ? ……彼女なら、竜魔王を元に戻す術があるだろうし」
「確かにな。……全く、あいつも何か伝えたいことがあるのなら、直接言えばいいものを」
「多分、村から出られない理由とか、他の人に悟られたくない事情とかがあるんだろ。いつも秘密主義だったじゃんか」
俺たちは晴天に背を向ける。先に見えるのは、禍々しい赤紫色の空。
「真っ直ぐだ。ただ真っ直ぐ。最速で全部をなんとかする。それが、今の俺の、責任の果たし方だ」
「……久しぶりに聞いたな。それ」
「そうか?」
「ああ、ずっと言っていただろ? 竜魔王征伐遠征の時から。いや、お前がこの世界に来てからだったか。もしかして、以前居た場所からそうだったのか?」
振り返る。
日本に居た頃も……そうだったかな?
「……そうかも?」
バルムンクは天を仰いで目を細めたあと、小さく笑った。
「何笑ってんだよ!」
「……いいや、悪い。そんなことより、オレが前線じゃなくて良いのか? 前線を張るのは、いつもオレとゴンザレスだった」
「大丈夫だろ。俺は勇者だぜ?」
そう言った瞬間、バルムンクは俺の肩に回していた腕を使い、軽く頭を小突いてきた
「お前の剣筋は、甘いのだ」
「……騎士団長様のお陰でございます。いや、本当だぜ? バルムンクの指導がなければここまで使いこなせなかったさ。改めて、ありがとな。……師匠って呼んだほうが良いなら呼ぶけど?」
言葉を交わしながら、決意を胸に、魔王領への歩みを始める。
次に帰ってくるときは、全てを終わらせてからだ。
バルムンクと、メルルと一緒に。そして――彼女も。
罪を精算させてから、一緒に帰ってくる。
ゴンザレスの腕輪が、日の光に照らされて、煌めいた。
「はは! 『勇者』に師と謳われるなんてな。オレもまだまだこれからか。腕の一本くらい、名誉の負傷と言うものだろう。イサムには悪いが、この戦いが終わった後、オレが勇者の称号を継いでやる」
「負けらんないな」
――でも、バルムンク。
俺にとっては、お前が一番の勇者だよ。
なんとなく照れくさいから、それを言葉にはしないけれど。
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そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
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****** 毎日更新もします *****
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