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2話

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「落ち着きなされ、落ち着きなされ。わらちゃんや、今は夜中の何時じゃか分かっているかの?」
暴れている彼女を捕まえて、優しく語りかけている女の人。そのおかげなのか、わらちゃんは静かになっていく。
「わらちゃんや、悲しい心に囚われて力を使うのは良くないことじゃ。力は心に左右される。わらちゃんが負の感情に飲み込まれているほど、人を不幸にするのじゃよ」
「うぐぅぅ、うぐぅぅぅぅ! だっで!! 迷惑だとか面倒だとか言われたら、悲しいなのですぅぅぅぅぅぅ」
「面倒とは言ったけれど、迷惑とは言っていない。ただ思っただけ」
「迷惑って思っていたなのですぅぅ」
 私とわらちゃんが口論している時に、肩をトントンと軽く叩かれた。私たちは、そちらの方に意識をとられる。
「まぁまぁ、二人とも落ち着くのじゃ。今は夜中の一時一二分。ほら、いい子は寝ている時間じゃよ」
二人して女の人に軽く諫められてしまう。私の不満がそれを言われたところで収まるはずがなかった。
「夜、ずっと部屋で泣かれていて、ここ数日でとても寝不足に陥っているのよ。これと知り合いなら、さっさと引き取って頂戴。てか、今更だけど、あなた誰?」
わらちゃんの知り合いということは二人が親しそうであるから、見ているとそのように推測できる。目の前にいる女の人は誰なのかが問題であった。何の気配もなく、私の部屋に入ってきた彼女。悪いものではないのはわかるが、気配は簡単に消せるものではない。意図的に気配を消しているなら、相当できる人だ。彼女は、何者なのだろうか。
「我はわらちゃんの先輩じゃよ。座敷童の後輩育成が仕事なのじゃ。わらちゃんを一生懸命育てているところなのじゃ」
「てことは、わらちゃんの先輩妖怪なんですね。お願いですから、連れ帰ってください。先輩でしたら……」
「いやじゃ。我は後輩の育成をすることになっているが、わらちゃんはちと物覚えが悪くてのぅ。人間のパートナーを作る課題を出したのじゃよ」
「えっ……」
人間のパートナーを作るという行為はどういうことを意味するのだろうか。甚だ疑問である。物覚えが悪いとハッキリ言っているから、手に負えなくて放りだしたのではないか。そのように先輩座敷童を疑う。ジロリと彼女を睨みつけると、彼女の瞳はキョロキョロとせわしなく動いていた。
「その目はなんじゃ。ちと、怖いぞ。我はちゃんと考えているのじゃ。面倒事を押し付けようなどとは一切思っておらん!」
「はぁ、本心駄々洩れじゃないですか」
後輩座敷童も先輩座敷童も個性が強すぎるのではないか。妖怪とは、こんなに失礼なモノが数多いるのだろうか。考えるだけでも嫌になってくる。アワアワと慌てている先輩座敷童を見て、溜息を吐いた。
「わらちゃんを泣き止ませたいただいたことは、とても感謝します。そして、今すぐにそれを持ち帰っていただけたら、もっと感謝します。土下座でもなんでもしましょう」
「そんなん、ちっとも面白くないわぁぁ! お礼は一千万じゃ!!」
「人を幸せにすることが仕事のくせして、お金を巻き上げるのか」
「巻き上げるのではない。お主の善意じゃよ。あとは、時間外労働の料金じゃ。払え」
「そんなの私の知ったことではない。それに、迷惑料でチャラだ」
私と先輩座敷童が睨み合っている。その間に割り込んで入ってきたのは、わらちゃんであった。
「このこの! わじ先輩! 落ち着いてくださいのですぅぅ」
先程まで騒がしかった者に指摘されてしまった。どんよりとした雰囲気が辺りに漂い、にらみ合いは即座に終了した。
「ゴホッ、ゴホッ! わらちゃんが一人前の座敷童になるためには、このこの。君の協力が必要なのじゃ」
「このこの言うな! もし協力した場合は、報酬はもらえるのかしら? ただ働きは嫌ですよ」
「うむ、なんと強欲な人間なのじゃ。まぁ、いいじゃろう。わらちゃんを全力でサポートすると決断してくれたら、我がいいものをやろう」
いいものとは何なのか。ふふふっと笑みを深くしているわじさんを恐ろしく思う。私は引き気味に彼女を見ていた。一方で、わらちゃんは、目をキラキラと輝かせて強く拳を握っている。そして、固唾を飲み、彼女の発言を待っていた。
「うむっ! これじゃ」
「こ、これは!? なのです」
古びた黒色の正方形の箱が畳に置かれた。座敷童二人は、それが何であるのか理解できているようで、うずうずして落ち着きがなかった。また、テンションが異様に高い。
「これはなんですか?」
箱を指差して質問してみた。返答はイラっとくる言い方だった。
「これの価値もわからないとは、人間の目は節穴じゃ」
「えぇ!! このこの、これがなにかわからないなのです?」
座敷童の価値観を人間に押し付けられても困る。また、非常に馬鹿にされているようで不愉快だ。
「二人とも、お帰りでしたらあちらからどうぞ」
窓を指差して、帰れと促す。二人は少し怯んだが、すぐに反論してきた。
「横暴は良くないのじゃ」
「横暴はだめなのです」
勝手に私の部屋に上がり込んでおいて、人を横暴だと言うなよ。怒りがふつふつと沸き上がってくる。ギュッと手を握り締めて、怒りの感情をなんとか抑えた。

「座敷童にとってその古びた箱の中身は大事なものなのですぅ」
「あぁ、たくさんのおもちゃが入っているから大切じゃ」
「ねぇ、さっき一千万ってお金のこと言っていたよね?」
「おもちゃや人形等を買うのには、お金が必要じゃろう? お主にこの箱を見せてやったのは。我の宝物を一つ上げるためじゃよ。それが、お主への報酬じゃ。喜べ! このこの」
「このこの言うな」と心の中で反論しながら、わじさんが箱の蓋を開けていくのを見ていた。わじさんは慎重に箱の蓋を開いていく。箱に入っていたものは人形であった。子ども姿で赤い着物を纏っている。髪はおかっぱのようであった。
「こ、これは?」
「我をモデルにして昔無理言って無料で作ってもらったのじゃ。その宝物をやろう!」
買ったものではないのか。無料で作ってもらったものなら、実質もらったものだろう。もらったものを手放して人に簡単に上げるのは良くないことだと思う。自分自身の大切なものをゆずることで、私が彼女のお願いを受け入れると思っているのだろうか。
自分の大切な者を差し出すという点は好ましい。私ではないお人よしの人間であったら、彼女の大切なものと引き換えにわらじちゃんのパートナーになることを了承したのではないか。正真正銘のお人よしであったら、何ももらわずともわじさんのお願いを聞き入れていただろう。お生憎様。私は、そんなに優しくないのだ。それに、いらないものをもらっても嬉しくないし、やる気は全くもってでないだろう。もう少し、報酬の意味を考えて欲しい。
「いらないから、ご自身で大切になさってくださいませ」
「横暴などと言ってすまなかったのぅ。いいやつじゃったのだな。では、後輩のわらちゃんの世話を頼んだぞ。わらちゃんの人間のパートナーよ」
「はいっ!? ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
私がさっき勧めた窓からでていったわじさん。彼女の大切なものをもらわないこととわらちゃんのパートナーになることは別問題なんだけれど、いなくなるの早すぎ。あっという間に消えたわじさん。その場にいるのは、私とわらちゃん。
「せっかく、座敷童の宝物をもらえたのに、なぜもらわなかったのです?」
「そんなの、私にとって魅力の感じないものだったからに決まっているでしょう。でも、逃げられるくらいなら、もらえるものはもらっておけば良かったよ」
こうして、了承していないにも関わらず、わらちゃんのパートナーを務めることになったのだった。肩を落とし、先輩座敷童に押し付けられたという事実が私をさらにどん底に突き落とした。

「私は幸福を届ける座敷童になるなのです! たった今からこのこのはそのお手伝いをする人間になったなのです。お手伝い印のバッチをつけるなのです」
「私の大好きな金平糖をモデルにしたバッチなのです」とわたされたそれ。缶バッチのようになっていた。
「はやくそれをつけるなのです」
手のひらに置かれたそれを見て、覚悟を決めなければならないのかと思った。
「どうしたなのです」とまっすぐな目をして聞いてくるわらちゃんを無視して、缶バッチを見つめていた。私のその様子に、とうとうジッとしていられなくなったのだろう。彼女は、私の手からバッチを取って、寝巻の胸元にいそいそとそれを付け始めた。
「これでいいなのです!」
エッヘン、と胸を張っているわらちゃんに、どうしようもなく自分がみじめに見えてきて泣きたくなった。そして、私は寝不足を理由に早々と布団にもぐりこんだ。実際には、脳の許容範囲を超えたために、考えることを放棄したのだ。いわゆる現実逃避をしているのである。私はまどろみに身をゆだねて、眠りについた。わらちゃんの慌てる声がはるか遠くのもののように聞こえた。
デジタル時計は四時四四分を示していた。

そういえば、今は何時なのだろうか。本日は学校がある。何か息苦しさを感じながら、学校へ行くために、いそいで起き上がろうとした。
「お、おもい」
何かがお腹の上に乗っている。夜中の数時間にわたる出来事を思い出した。私の上に目を移してみると、いたのはあの座敷童であった。
「むにゃむにゃ」
夢でも見ているのか、変な寝言を言っている。私は力ずくでわらちゃんをどかして、起き上がった。朝からの重労働は最悪だ。私は枕元に置いてあるデジタル時計を慌てて手に取った。それが示していた時間は、八時六分。これは、完全に遅刻決定だと思った。息苦しさのせいか、なんか体が重くてスッキリ目が覚めた感じがしない。こんな状態で学校へ行くことになるとは、憂鬱だ。

寝巻につけられたバッチをそのままに、制服へ着替える。わらちゃんは未だにスヤスヤと寝ていた。布団を片付けずに、私は朝食のために家族が集まる部屋へ行く。どうせ遅刻することになるのだから、朝ご飯を食べて学校に行っても何も変わらないだろう。自分に言い訳をして、朝食が用意されている部屋へ向かった。安眠しているわらちゃんに怒りを覚えたが、気を落ち着けて何も見ていないと思うことにした。

「おはよう」
「このは、今日は遅いのね。最近体調悪そうだから、気をつけなさいよ。もし、辛かったら休んでいいんだからね」
母のらんが悲痛な表情で私を見ていた。私は少しでも母を元気づけようと、笑って言う。
「ただの寝不足だよ。最近、眠れなくてさ。なんでだろう?」
「あらあら、そうなの? 原因はわかっているのかしら? まぁ、何も聞いて欲しくなさそうだから、何も聞かないけれど……。事故など危ないことに遭わないように気をつけてね」
「お母さん。物騒なことを言わないでよ。本当に起こったら怖いから。それよりも、おばあちゃんたちは?」
母が朝食の品を次々と食卓に置いていく。手際がいいのは、ほとんど毎日こなしていることだからだろう。私が母の手伝いをすることは少ない。母が「必要な時にどうせやることになるのだから急ぐ必要はないわ」とか言って、私の手伝いを拒否するのだ。母はとても家事が大好きみたいで、自分の領域を侵されるのを嫌う。母に甘えて何もしない娘ですみません、と内心謝りながら、母の話を聞く。
りんさんは、知り合いの人がいる神社へ行ったわよ。相談があると言われたらしくて、朝早くに出て行ったわ。瑠衣るいさんは、早朝の出勤で、すでに家を出ているわ。柚遊ゆずゆくんはまだ寝ていると思うわ。昨日、夜中までゲームをやっていたんじゃないかしら? ゲームもほどほどによね?」
凛さんは祖母のこと。瑠衣さんは父のこと。柚遊は兄のことだ。お母さん、お兄ちゃんのこと叱っていいと思うよ。何も理由がなく、いまこの時間でさえも学校をさぼっているわけだからさ。人のことは、言えないけどね。
「へぇ~、ゲームできる時間があったなんて羨ましいや」
兄が楽しんでゲームをやっている姿を思い浮かべた。そして、私がゲームをやっている兄の行動を邪魔するところを想像する。兄のゲームのデータを全て削除するところも思い浮かべ、それをされて兄がどんな表情をするのかも想像した。私はそれらに満足して、ニンマリとした笑みを浮かべてしまう。ドロドロとした嫌な感情がなくなり、気持ちがすっきりした。実際行ったら、本気でキレられ、私自身が悲惨なことになるだろう。だから、想像で好き勝手やるのだ。それは、人に咎められることはなく自由なことである。
私は気持ちをパッと切り替えて、朝食を堪能した。
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