スコップ1つで異世界征服

葦元狐雪

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第66話「思惑違い」

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 戸賀勇希の皮を被ったラルエシミラの足元には、日本の某和人形製造会社の雛人形もかくやと思わせる、黒色の髪をした少女が床に倒れ伏していた。
 天井からは赤い雫がポタポタと落ちてきて、氷のように冷たくなった彼女の体が纏っている短冊の着物を、さらに重たくさせた。
 剣先が濡れている。
 いますぐ、拭き取ってしまいたい。そう思ったラルエシミラは、天蓋付きの大きなベッドへ寄ると、まだ生暖かいシーツでそれを拭った。

「ごめんなさい、牡丹さん」

 横目で、血溜まりに身を浸している十二単牡丹を見ながら、ラルエシミラはいった。

 吹けば消えてしまいそうな命の灯火をかろうじて保っている。
光を失った空虚な瞳は、長い前髪にほとんど隠れている。
闇の底に沈みかけている。

(へえ、牡丹ってこういうの好きなんだね)

 暗がりから声が聞こえてきた。よく知っている、暖かな声が——

(歴女っていうのかな? 僕、あんまり詳しくないんだけど、牡丹が好きなら、僕も好きになりたいな)

 照れくさそうに笑っている、沢谷俊の顔が——

(ダメだ! そんな気持ちで、牡丹とシたくない。ゆっくりでいいから、ゆっくり、ね?)

 そういえば、俊クンに執拗に行為をせがんだとき、彼は本気で怒ったんだった。そのあと、優しく抱きしめてくれたっけ......。
あのときの汚れを払拭して欲しくて、彼で上書きしてほしくて、
でも、それに至る前に私は、彼以外の男に抱かれてしまった。

 強淫だった。
 気づいたときは自室のベッドだった。
 その日は七夕で、奇しくも夜空には天の川がかかっており、私はそれを見て思った。

「そうだ。願いを叶えてもらおう」と。

 ルーズリーフを短冊に模して、怨嗟の念をそこに書き落とした。
筆が進むにつれて意識は混濁としてゆき、目が覚めたらあの嘘つきの姿が見えたのだ。
 今もそこにいる。ベッドの脇に立っている。こっちを、見ている——

 憐憫な眼差し。
 やめて、そんな目で私を見ないで! 誰のせいでこんなことになったと思っている?
 お前が願いを叶えてくれるんじゃなかったのか? なのに、どうして、魔王を倒したとき、誰も——
 ゴロリとボーリングの玉が転がるような音がした。

「特別です、楽に逝かせてあげましょう。また、拭かなければなりませんが」

 ラルエシミラは剣を振るうと、再びシーツで血を拭き取った。
 彼女の背後で毛の生えた芽出しくわいが転がっている。

 と。入口の方で誰かが佇み、凝然とラルエシミラの様子を眺めていた。
それは黒だった。ラルエシミラと瓜二つだった。火のような瞳以外は、なにもかもが黒い。
 全身の鳥肌が浮立った気分になる。瞳孔が大きく開いている。

 彼奴のぶら下がった手にはそれぞれ、錆びれた長剣と髷を結った男の頭部が四つ。
 ラルエシミラは黒い者と向き合った。あのときとなんら変わらない姿だった。
 僥倖——。まさか、あちらの方から出向いてくれようとは、探す手間が省けたというものだ。

口角が自然と持ち上がる。いよいよ手に入るのだ。
禁忌の剣の片割れ、暗黒・壊滅の剣が、いま、この手に——

「あは、あは、あは、あは、あは」

 瞬間。黒い者は顔と顔をくっつけるようにして、ラルエシミラの眼前に突如として現れた。
ボトボトという音がした。時間差で四つの頭部が木の床に落ちたのだ。
あはと笑う口は耳まで裂けている。そこから死骸の腐臭を漂わせている。
 時間が止まった。息も止まった。長い長い間、それと見つめ合っているような感覚。

 錆まみれの剣先が、露わになっている、ラルエシミラの胸の中心に当てられる。
動こうとするけれど、体は第三者に支配権を明け渡したように微動だにしない。
目を離すことができない。雷型に割れた紅い瞳から、逃れることができない。

馬鹿な。こんな能力、以前の彼奴にはなかったはず。
身につけたのか? 私がいない間に、習得したというのか!
彼奴が敗走し、同じく傷を負った私がアンダーグラウンドに帰り、魔王軍と魔王討伐軍の勝敗が決し、後に勇者が魔王を打ち倒したその期間にっ......!

 体の中に異物が肉や骨をかき分けながら侵入してくる。
末梢神経が障害され、Aδ線維を上行する痛みという不快な情動体験は、瞬く間に視床に到達した。
脳を攪拌されるような感覚に気が狂いそうになる。
やがて、心臓に到達すると、切っ先は懇ろにそれを愛撫し、一拍置いて、一気に刺し貫いた。

脳とカラダに板挟みされていた、まるで人事部長のような心臓は、突如、外部から圧力を受け、強制的に辞職することになった。
いままでご苦労様でした。では、良きセカンドライフを——え? 貯蓄が全然ないって? 
まだまだ働く気でいたのですか、はあ、はあ、それはそれは。左様でございますか。
では、転職しては如何でしょう、我が社に。なあに、心配は無用です。

こちらに任せていただければよろしいです。
年金手帳? 結構です。
扶養控除等申告書? それも結構です。
源泉徴収票? もうよろしい。あなたは何の準備も必要ございません。

ただ、身を任せればよいです。
 さあ、おいでおいでと、闇から伸びた手は、とうとう、生命の手綱を掴んだ。

「ぐ......あなた......私たちを......取り込もうと......いうのですか......」

 ラルエシミラは口の端から血を溢しながらいった。
 体の力が抜けてゆく——それに、遥か上空から、地上へ向かって飛び込んでいるようだ。
この奇妙さはなんだ。前後左右の感覚はもはやない。
 ただ、これだけはわかる。
地上に激突したとき、それはすなわち屈服を意味する。
羽ばたくのだ。羽ばたかねば、死ぬぞ——!


 天守閣の天井を突き破り、天使のような羽と悪魔のような羽を併せ持つ女神が、バジコーレ国上空に顕現した。
 突如として現れ出でた、不気味であり、神秘的な飛行物体を見た民はどよめいた。
「なんだあれは」「神か」「いや、悪魔か」「ああっ! 姫さまの城が、

 ——崩れた。高層ビルの解体よろしく、あっという間に崩れ去った。

「なんじゃあ、ありゃあ!?」

 パンパカーナを背負って歩くエニシは、大通りの中心で立ち止まり、空中の浮遊物体に目を留めた。
それは綺麗な銀と黒のシンメトリー、赤と青の瞳、白銀の剣と漆黒の剣を携えている。
 異様な光景と、異常な空気だった。民衆は、混乱する一歩手前だった。

今のところは皆、現状の把握に努めている。
だが、この静寂な湖に一石を投じるような、なんらかの『きっかけ』があるのが怖い。
パニックに陥ったらもう最後、ここは無法地帯と化すだろう。
頼む。何もするな、頼む——エニシは、天に願った。

すると、天に祈りが通じたのだろうか、
ラルエシミラと戸賀勇気を取り込んだ黒い者は、西北西の方を見やると、
あたかもジェット機のような速さで飛び去った。

「あの方角は......。たしか、魔法都市・マギアラ。いったいなんだ、この、いや〜な予感はよ」

 エニシが不安げな顔でそういうと、意識を取り戻したパンパカーナが彼の肩を強く掴んだ。

「エニシ、私は、眠っていたのか」

「おお、目え覚めたか! 大丈夫かいな? どっか痛いとことかないか、ん?」

「大丈夫だ。それより、いまのは」

「あれか。なんか派手な髪色をした姉ちゃんがなあ、両手に銀の剣とボロっちい剣を持ってな、マギアラの方角へ飛んで行ったんじゃ」

 銀の剣と、エニシはそういった。
 パンパカーナはなんだか胸に靄がかかる不吉な予感をおぼえ、より具な情報を求めた。

「じゃけえ、銀髪と黒髪を半分にきっちり分けた、髪が肩のあたりまである、髪と同様の色の翼が生えた、
銀とボロの剣を持った、露出のすごい服を着た女が姫さんの城から飛び出してきたんじゃ」

 エニシは「そのあとすぐ城は崩れたが」と付け加えた。
 パンパカーナの心に張り付く危懼といい知れぬ恐怖は、だんだんと存在感を増してきて、
居ても立っても居られない気持ちにさせた。
 焦慮に駆られたパンパカーナは、エニシの鳥の巣のような頭髪を鷲掴むと、

「エニシ! マギアラへ行こう」

「はあ!? なんでじゃ! ワシらが行ってどうするっちゅうんじゃ」

「いいから、行ってくれ! マズい予感がする。本当にマズい」

「たしかに、ワシもそんな予感はするが......」

 エニシはちょっと考えるように唸ると、頭をガシガシと掻いた。

「いや、そうじゃの。運のいいお前さんとワシが同じ予感をおぼえとるんじゃけえ、これはただ事じゃあねえよな」

「エニシ!」

「ああ、行くわ、いきゃあええんじゃろ!? だあ〜、もう! えらいもんを拾うてしもうたわ」

 踵を返し、門の方へ足を向けたとき、背後から「待って」と声がした。
 肩越しに振り向くと、そこには漆黒の騎士もとい運転手が立っていた。

「なんや。まだやるんかい」

 エニシが憮然としていう。

「......いや、違う。私も、行く」

「なぜだ」

 パンパカーナが訊いた。エニシは「お前さんそろそろ降りろ」と彼女にいった。
 運転手は答える。

「......あれは、とっても危険。あれは世界を滅ぼす。だから、止めなきゃ」

 エニシは肩を震わせて、笑いだす兆候を見せると、案の定、愉快そうに笑った。

「ははは! おい、パンパカーナ、同じもんが三つ揃うたぞ。出目は最強のピンゾロじゃ」

「ピン、ゾロ?」

 パンパカーナは首を傾げた。
「もう降りんさい」とエニシ。パンパカーナは渋々土を踏んだ。

「......迷惑はかけない。それに、みんなを運べる」

 いうと、運転手はコインのようなものを宙へ放り投げ、指をパチンと鳴らした。
巨大な円盤ができあがり、そこへ三人は乗り込んだ。
 この予感は願わくば、ハズレてほしい——しかし、きっと、的中してしまうだろう。
そんな思いと切迫感を孕んだ奇怪な円盤型タクシーは、全速力で西北西を目指した。

 

 
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