スコップ1つで異世界征服

葦元狐雪

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第56話「因縁」

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 しばらくして、運転手は目を覚ました。
 まぶたの淵にある、長く先端が軽やかに反り返った睫毛が持ち上がる。何度か瞬きをした。グレープフルーツ・グリーンとオリオン・ブルーの瞳が覗く。意識を確かめるように首を振り、俺とパンパカーナを交互に見比べている。やがてパンパカーナに焦点を落ち着かせると、口をへの字にして、追い詰められた動物のような、鋭利な眼光を差し向けた。

「ちょっといいか」

 俺は敵意のないよう努めていった。
 それに反し、運転手の肩や胸を鎧が覆いはじめた。しかし、一瞬痛そうに顔を歪めると、中途半端な鎧はパキパキと音を立てて崩れ去った。脇腹に受けたダメージ。思ったよりも彼女を苦しめているようだ。あばら骨が折れている可能性がある。助けてやりたい。だが、まず優先すべきことがある。彼女の敵対意識の是非を了知することだ。
 
「何もしない。だから、聞かれたことについて答えてくれ」

 俺はもう一度、地面に下半身を埋めた運転手に問うた。

「......拒否する。と、いったら?」

 運転手は無表情でいった。首に白刃が添え当てられる。

「さいあく殺す。質問は三つ。慎重に答えろ」

 凄みを効かせていう。しかし、彼女は動揺せず。まっすぐに俺を見据えると、ふっと息を溢していった。

「......なに?」

「じゃあ、ひとつ目の質問。お前は何者だ」

「......魔女。タクシーの運転手。昼日勤で月給二万エウロ。プラス歩合で」

「待て。タクシー会社の給料形態は聞いていない。それより魔女とは」

 このままだと話が脱線してしまうことを危惧して慌てて止めた。
 俺は彼女の口から飛び出した『魔女』というワードが気になり、それについて質問した。

「......私は古の鎧魔女族の末裔。禁忌の力はこの身に」

 訥訥と話す運転手。
 いまいち要領が掴めない。鎧魔女とはなんだろう。初めて聞く言葉だ。ラルエシミラに訊ねてみたが、どうやら知らないらしく、ゆっくりとかぶりを振った。

「鎧魔女ってのは何だ。それは魂の神器とは違うのか」

 俺の質問に運転手は首を傾げた。口を半開きにしている。
 もしや、この子は魂の神器を知らないのではないか。では、その力はこの子自身の特異的な能力であるのか。俺は重ねて問う。

「禁忌の力とは」

「......三つめ」

「なんだと」

「......質問。それで三つめだけれど。いいの?」

 邪気のない目でいう。
 こいつ......。

「どいて!」

 痺れを切らせたパンパカーナが俺を手で押しのけた。パンパカーナの手でも収まる、小さな肩を掴んで、揺すりながら詰問調でいった。

「どこに売った! 私の魂の神器!」

「......むっ」

 目つきが変わった。運転手は訝しげな目でパンパカーナを睨む。

「さあ、答えろ!」

「......あむっ!!」

 突然、運転手がパンパカーナの白い腕を噛んだ。

「いっ」

 涙を目の端に溜めて、困惑と痛みで歪んだ顔をして、腕をブンブンと振り回している。
 離さない。運転手は唸り、スペアリブにむしゃぶりつくように、少女の柔肌に歯痕を刻み込んでいる。

「......ぐううう」

「ちょっと! 何してんだ、離せ。離せ」

 俺は運転手の口とパンパカーナの腕を引き剝がしにかかる。が、なかなか離そうとしない。歯はさらに食い込む。

「......ぐうう」

「痛い痛い痛い! 助けて、お願い。痛いの」

 涙目で懇願するパンパカーナ。とらばさみに掛った動物のように悲愴な表情と、必死に体をくねらせている様子から察するに、本当に痛そうだった。

「......ぐう」

「このっ! いい加減にしないとなぁ」

 俺は歯茎の上下に指をかけようとした。しかし——

「......」

 寝ている。噛み付いたまま寝ているようだ。狸寝入りかだろうか。いま、この状況で? 
 俺は頬を叩いて意識の確認をする。ついでに呼吸の有無も確認した。本当に寝ているようだ。
 パンパカーナの腕が解放される。涎まみれの腕を気にしている。仕方がないので、スコップで水を掘り起こして、洗うよういった。ついでに運転手も土から出してやった。
 俺は枷をした運転手を背負った。

「よいしょっと」

「ちょっと、その子、どうするの」

 パンパカーナが柳眉を吊り上げていう。

「まだ聞きたいことがあるからな。このままバジコーレへ連れて行く」

「危険では。勇者の仲間かもしれない」

「そうだなぁ。その可能性はなきにしもあらずだ」

「大アリよ! もし、また襲われたら——」

 パンパカーナは不安げに眉をひそめた。

「枷はしてある。それに、襲われたのはパンパカーナが発砲したことが原因かもしれないだろう」

「うっ......」

「な? あと、片割れの場所の手がかりを聞き出さなくっちゃな。さ、行こう行こう」

 俺は静かな寝息を立てている少女を背負って歩きはじめた。ややあって、後ろから追いかけてきたパンパカーナが「どうなっても知らないから」といって、不機嫌に顔を背けた。



 大きな門にたどり着いた。多くの人々がとめどなく出入りをしている。皆、ほとんどが和装だった。色とりどりの美しい着物姿。帯刀している者もいる。まるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚に、頭がくらっとした。門の上には『れーこじば』という看板が掲げてあった。パンパカーナは「やぽーにゃ! やぽーにゃ!」と目を輝かせてはしゃいでいた。

「絶対におかしい」

 俺は眉根に力を入れていった。

「ここだけ日本だ。しかも、大昔の」

「今は違うの?」

「ここまで緻密に再現しているのは歴史テーマパークくらいだ。多くはビルやマンションが立ち並び、洋風の住宅ばかりだ。昔ながらの木造建築なんて都心部ではほとんど見ないね」

「そうなんだ」

 とパンパカーナはいった。

「そうだ。おそらくこれは、以前にはなかった。誰かが変えたんだ。国の伝統や建物や人を。そう、こんなことをするのは、あいつしかいない」

 俺は言いながら、勇み足で門をくぐった。

「あいつとは」

 パンパカーナが左横に滑り込む。
 唇を噛み締めて、俺はいった。

「十二単牡丹」



 革靴で砂地を踏む。木造建築物が隙間なく立ち並んでいる。黒い瓦が屋根を覆っている。二階の窓淵に腰かけて、着物を着崩した男がキセルを燻らせている様子が目にはいった。

 白や紺の暖簾が棚引く。そこには食堂、呉服屋、小間物屋、八百屋、魚屋、酒屋、桶屋などの文字があった。藁の束が台車の上に敷き詰めてある。住人たちは活気に満ち溢れているようだ。違和感なく、疑心なく、現状を享受している。遠く向こうには豪奢な城が見え、それは高くそびえ建っていた。あそこだ。俺は歩みを速めた。

「戸賀勇希。あれはなに」

 唐突にシャツを引っ張られる。パンパカーナが左手にある建物を指し示していた。
 暖簾には団子の絵に『甘味処』と書かれている。

「あれは団子とか。まあ、甘いおやつを食わせてくれるところだな」

「おやつ......。甘い、おやつ......」

 そう呟くパンパカーナは、さらに強くシャツを引っ張った。

「行こう。さあ、行ってみよう」

「待てまて。今じゃないとダメなのか」

「ダメ。もうダメ」

 どういうことだ。甘味処について説明をしたのが不味かったのだろうか。いずれにせよ、パンパカーナの心に火をつけてしまったのは俺の落ち度だ。致し方ない。ここはあえて興に乗ってやるとしよう。
 俺たちは暖簾をくぐった。

「いらっしゃい!」

 店員の威勢のいい声が響いてきた。桜色の着物の袖を紐で持ち上げていた。半袖になる格好だ。

「相席になりますが、よろしいでしょうか」

 店員が申し訳なさそうにいった。

「構いませんよ。パンパカーナ、いいか」

「問題ない」

 生唾を飲み込んでいったパンパカーナの視線は、客の食べているみたらし団子に釘付けだ。

「では、あちら。奥の席へどうぞ」

 いわれるがまま、奥へ通される。異国の方、三名様ですと後ろから聞こえた。
 テーブル、カウンター席はどれも満席だった。よほど評判が良いのだろう。どの客も美味そうに団子やらぜんざいなどを食べている。
 奥の席に視線をやる。俺はその瞬間、全身が凍りついた。足が止まった。袖を引くパンパカーナも俺が立ち止まったことに気がつき、振り返った。

「どうした、戸賀——」

 俺の顔を見て、パンパカーナは言葉を濁らせた。どんな表情をしているのかわからない。だが、額にある青筋が強く痙攣していることはわかる。俺の視線はただ一人を捉えていた。テーブル席で団子を頬張っている、色とりどりの豪奢な着物を幾重にも重ねた女。今紫色の髪は足元まで長い。美しく品のある顔立ちをしている。丸い目に、瞳は太陽のように紅い。

「こんなところに......いやがった」

 俺たちの存在に気がついた女がこちらを睨む。
 と、次の団子の串に手を伸ばしながら女はいった。

「何をぼうっと突っ立っとんねん。はようこっち来いや」


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