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第30話「ラルエシミラ」
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「意識を頭頂部に集中させろ、そして動くな」
アロウザールが白髪をかきあげながら言う。
俺は言われたとおりに胡座をかいて集中する。
頭の上にある違和感が熱を帯び、それを癒すかのように冷ややかな空気がまとわりつく。
「よし、そのままそいつと対話をしろ」
「対話? アロウザールさん、これが何なのか知っているのか」
アロウザールはこくりと頷く。
「ああ、知っているとも。とてつもなく強大な魂がお主の胸に隠れておったので、もしやと思ったが——やはり」
「どうして......」
「『ラルエシミラ・ラミシエルラ』。我輩の命を救った恩人だ」
俺は驚きのあまり、言葉を失った。
あのサディスト気味の爆乳女が、8人の勇者を鍛えあげた男の命を助けたとは、到底信じられることではなかった。
「なんだ、信じられぬか」
アロウザールがキョトンとした顔で言う。
「いや、そりゃあいつが強いのは知っているけどさ......。さすがに予想外だ」
そう言うと、アロウザールは顎先をこちらに向けて爆笑した。
「ガッハッハッハッハッハッハッ! たしかに! そう思うのも無理はない、我輩もあやつの性分はよく知っておるからのう」
「——なあ、教えてくれよ、あいつの。ラルエシミラのことを」
よかろう。そう言うと、アロウザールの表情は柔らかくなり、旧友を懐かしむように話しはじめた。
$$$
シーボ国近辺の村、『カリア』。
農業が盛んで、ここで育てられた作物の多くがシーボ国へと流れている。
人々はこの平和な村で貧しくもなく、かといって豊かでもないが、平和な日常を過ごしていた。
そこにある民家で、ひとつの命が産声をあげようとしていた。
「おい! どうなっているんだ。普通、腹はこんなに膨れないだろ、おい!」
男がベットの傍、油汗にまみれて苦しむ女性を気遣う。歯を食いしばり、握りしめているシーツはぐしょ濡れだ。
助産師の老婆は想定外の事態に慌てふためき、どうすればいいのかわからず、風船のように膨らみ続ける腹をただ見ている。
「しっかりしろ、エリア! な? 大丈夫、きっと大丈夫だ」
男は女性の腹をさすってやろうと手を触れる。
が、薄くなった皮膚越しに感じた骨のように硬い異物に驚き、とっさにあとずさる。
「ひっ」
腹はまだまだ膨らみ続ける。
助産師の老婆はとうとう床に座り込み、職務を放棄した。
女性の悲痛な断末魔が簡素な部屋に響くと、限界点に達した腹は割れた風船のように弾けた。
骨や血、肉片が降り注ぎ、低い木の天井には血飛沫の跡がこびりつき、そこから赤い水滴が雨漏りのように滴り落ちている。
放心状態の男の顔は悲しみに歪んでおり、部屋中に満たされた生臭い空気にあてられ、助産師の老婆は這いつくばり、嘔吐した。
そんな惨劇の中、潰れたザクロのような女性の腹から、老夫が現れた。
老夫は腹を抱えてうずくまった格好で、頭からつま先まで血にまみれて真っ赤だ。
骨と皮ばかりの体は弱弱しく、肩まである髪には胎盤が引っ付いて、それがてらてらと輝いている。
上半身をゆっくりと持ち上げる老夫。胎盤がずるりと滑り落ち、骸骨のような顔にある目で放心状態の男の方をみた。
すると、シワの深く刻まれた口を開き、
「お......と......う......さ......ん......」
と、低い声で言った。
「う、ああ......ああ......」
男はわなわなと口を動かし、両の目からは涙が溢れ出す。
と、男は奇声を発して走りだした。
途中部屋のあちこちに体をぶつけ、戸棚にある本や、壁に飾ってある写真が落ちる。
その写真には男女が仲良く肩を並べて写っており、男から滴り落ちた血が笑った女性の顔に付着して、まるで泣いているようになった。
やがて玄関の扉を蹴飛ばし、男は泣き叫びながら家から飛び出す。
老夫は出窓に見えた、逃げ去る男の様子を哀しそうに眺めていた。
$$$
村の付近にある森の中。
様々な姿をした生き物たちが縦横無尽に駆け回っている。
「ラクスピオス。四足歩行で頭部にはガラスのドームのようなものがあり、中は虹色の靄に満たされ、割れると即死する。性格は臆病で足は早い。その肉は非常に美味である」
アロウザールは巨木の太い枝に仰向けで寝そべり、分厚い本を胸に乗せている。
本には生き物のイラストが描かれ、その下部には詳細な解説が述べてある。
下を見やると、そのイラストに記載された生き物がちょうど草を食べているところだった。
「何をやってるんです?」
ひょっこりと上からラルエシミラが顔を覗かせて言う。
「——っ! ラルシエミラ。それは驚くからやめてくれといったろう」
あははといたずらっぽく笑うラルエシミラ。
彼女とは森で散歩をしている最中に出会った。
この森は稀に魔王の使役する魔物が現れるため、村人たちは近づく者に対して必ず警告するのだが、
アロウザールに関しては忌み嫌われた存在とされているので、制止する村人は誰一人としていない。
育ててくれた母代わりの助産師を引退した老婆でさえ、どこへ行こうと咎めることはなかった。
その辺を歩いただけで石が飛んでくることもある。
そのため、アロウザールは誰もいないこの森に毎日入り浸っていた。
唯一、買い与えられた図鑑。
いつもそれを持ち込んでは、巨木の上で日が暮れるまで生き物の観察をする。
生まれつき魔法で姿を変えることができたので、少年の姿で木登りをすることは随分と楽しく感じられた。
ある日、いつものように図鑑を開いていると、突然、頭上から人の生首が飛び出してきた。
アロウザールは驚いた拍子に枝から転げ落ち、地面に激突する寸前でいつの間にか移動した生首の主に受け止められた。
「私はラルエシミラ・ラミシエルラ。あなたは?」
アロウザールはため息を吐いて、
「アロウザール・ルーザーロア。お姉さん、僕と関わると碌なことないよ」
と眉をひそめて言った。
それ以来、ラルエシミラはアロウザールが巨木に登るたびに驚かそうとしてくるのだ。
アロウザールは図鑑を閉じると、紺色のパーカーにある前ポケットに突っ込んだあと、器用に幹をつたって降りていく。
草地に足をつけると、いつの間にかラルエシミラが満面の笑みで立っていた。
「ねえ、ラルエシミラはこの森の妖精なの?」
アロウザールの隣を楽しそうにラルエシミラが歩いている。
「どうしてですか?」
「だって、なんだか他の人と違う感じがするし、いつも森にいるし」
ラルエシミラは背中で手をつないで、空を見上げながら、
「妖精ではありません。けれど、なかなかいい線いってると思いますよ」
「ほんと?」
「三割くらいですけど」
ラルエシミラがはにかんで笑う。
「なんだ、全然じゃないか」
肩をすくめて言う。
「ねえ、今日はもっと奥の方に行ってみたいんだけど」
「いいですけど、お家の人に心配されませんか?」
アロウザールは俯いて、
「いいんだ。どうせ帰っても誰もいないし。それに、僕はここの方が好き」
「そうですか」
ラルエシミラがアロウザールの手を力強く握りしめ、手つなぎして歩く姉弟のようになる。
「なにしてるのさ」
「あはは、いいじゃないですか。それともなんですか? ひょっとして、恥ずかしいんですか〜?」
ラルエシミラが茶化してくる。
アロウザールはそっぽを向いて黙る。
しかし手はつないだまま、ラルエシミラの細く柔い手を強く握り返した。
アロウザールが白髪をかきあげながら言う。
俺は言われたとおりに胡座をかいて集中する。
頭の上にある違和感が熱を帯び、それを癒すかのように冷ややかな空気がまとわりつく。
「よし、そのままそいつと対話をしろ」
「対話? アロウザールさん、これが何なのか知っているのか」
アロウザールはこくりと頷く。
「ああ、知っているとも。とてつもなく強大な魂がお主の胸に隠れておったので、もしやと思ったが——やはり」
「どうして......」
「『ラルエシミラ・ラミシエルラ』。我輩の命を救った恩人だ」
俺は驚きのあまり、言葉を失った。
あのサディスト気味の爆乳女が、8人の勇者を鍛えあげた男の命を助けたとは、到底信じられることではなかった。
「なんだ、信じられぬか」
アロウザールがキョトンとした顔で言う。
「いや、そりゃあいつが強いのは知っているけどさ......。さすがに予想外だ」
そう言うと、アロウザールは顎先をこちらに向けて爆笑した。
「ガッハッハッハッハッハッハッ! たしかに! そう思うのも無理はない、我輩もあやつの性分はよく知っておるからのう」
「——なあ、教えてくれよ、あいつの。ラルエシミラのことを」
よかろう。そう言うと、アロウザールの表情は柔らかくなり、旧友を懐かしむように話しはじめた。
$$$
シーボ国近辺の村、『カリア』。
農業が盛んで、ここで育てられた作物の多くがシーボ国へと流れている。
人々はこの平和な村で貧しくもなく、かといって豊かでもないが、平和な日常を過ごしていた。
そこにある民家で、ひとつの命が産声をあげようとしていた。
「おい! どうなっているんだ。普通、腹はこんなに膨れないだろ、おい!」
男がベットの傍、油汗にまみれて苦しむ女性を気遣う。歯を食いしばり、握りしめているシーツはぐしょ濡れだ。
助産師の老婆は想定外の事態に慌てふためき、どうすればいいのかわからず、風船のように膨らみ続ける腹をただ見ている。
「しっかりしろ、エリア! な? 大丈夫、きっと大丈夫だ」
男は女性の腹をさすってやろうと手を触れる。
が、薄くなった皮膚越しに感じた骨のように硬い異物に驚き、とっさにあとずさる。
「ひっ」
腹はまだまだ膨らみ続ける。
助産師の老婆はとうとう床に座り込み、職務を放棄した。
女性の悲痛な断末魔が簡素な部屋に響くと、限界点に達した腹は割れた風船のように弾けた。
骨や血、肉片が降り注ぎ、低い木の天井には血飛沫の跡がこびりつき、そこから赤い水滴が雨漏りのように滴り落ちている。
放心状態の男の顔は悲しみに歪んでおり、部屋中に満たされた生臭い空気にあてられ、助産師の老婆は這いつくばり、嘔吐した。
そんな惨劇の中、潰れたザクロのような女性の腹から、老夫が現れた。
老夫は腹を抱えてうずくまった格好で、頭からつま先まで血にまみれて真っ赤だ。
骨と皮ばかりの体は弱弱しく、肩まである髪には胎盤が引っ付いて、それがてらてらと輝いている。
上半身をゆっくりと持ち上げる老夫。胎盤がずるりと滑り落ち、骸骨のような顔にある目で放心状態の男の方をみた。
すると、シワの深く刻まれた口を開き、
「お......と......う......さ......ん......」
と、低い声で言った。
「う、ああ......ああ......」
男はわなわなと口を動かし、両の目からは涙が溢れ出す。
と、男は奇声を発して走りだした。
途中部屋のあちこちに体をぶつけ、戸棚にある本や、壁に飾ってある写真が落ちる。
その写真には男女が仲良く肩を並べて写っており、男から滴り落ちた血が笑った女性の顔に付着して、まるで泣いているようになった。
やがて玄関の扉を蹴飛ばし、男は泣き叫びながら家から飛び出す。
老夫は出窓に見えた、逃げ去る男の様子を哀しそうに眺めていた。
$$$
村の付近にある森の中。
様々な姿をした生き物たちが縦横無尽に駆け回っている。
「ラクスピオス。四足歩行で頭部にはガラスのドームのようなものがあり、中は虹色の靄に満たされ、割れると即死する。性格は臆病で足は早い。その肉は非常に美味である」
アロウザールは巨木の太い枝に仰向けで寝そべり、分厚い本を胸に乗せている。
本には生き物のイラストが描かれ、その下部には詳細な解説が述べてある。
下を見やると、そのイラストに記載された生き物がちょうど草を食べているところだった。
「何をやってるんです?」
ひょっこりと上からラルエシミラが顔を覗かせて言う。
「——っ! ラルシエミラ。それは驚くからやめてくれといったろう」
あははといたずらっぽく笑うラルエシミラ。
彼女とは森で散歩をしている最中に出会った。
この森は稀に魔王の使役する魔物が現れるため、村人たちは近づく者に対して必ず警告するのだが、
アロウザールに関しては忌み嫌われた存在とされているので、制止する村人は誰一人としていない。
育ててくれた母代わりの助産師を引退した老婆でさえ、どこへ行こうと咎めることはなかった。
その辺を歩いただけで石が飛んでくることもある。
そのため、アロウザールは誰もいないこの森に毎日入り浸っていた。
唯一、買い与えられた図鑑。
いつもそれを持ち込んでは、巨木の上で日が暮れるまで生き物の観察をする。
生まれつき魔法で姿を変えることができたので、少年の姿で木登りをすることは随分と楽しく感じられた。
ある日、いつものように図鑑を開いていると、突然、頭上から人の生首が飛び出してきた。
アロウザールは驚いた拍子に枝から転げ落ち、地面に激突する寸前でいつの間にか移動した生首の主に受け止められた。
「私はラルエシミラ・ラミシエルラ。あなたは?」
アロウザールはため息を吐いて、
「アロウザール・ルーザーロア。お姉さん、僕と関わると碌なことないよ」
と眉をひそめて言った。
それ以来、ラルエシミラはアロウザールが巨木に登るたびに驚かそうとしてくるのだ。
アロウザールは図鑑を閉じると、紺色のパーカーにある前ポケットに突っ込んだあと、器用に幹をつたって降りていく。
草地に足をつけると、いつの間にかラルエシミラが満面の笑みで立っていた。
「ねえ、ラルエシミラはこの森の妖精なの?」
アロウザールの隣を楽しそうにラルエシミラが歩いている。
「どうしてですか?」
「だって、なんだか他の人と違う感じがするし、いつも森にいるし」
ラルエシミラは背中で手をつないで、空を見上げながら、
「妖精ではありません。けれど、なかなかいい線いってると思いますよ」
「ほんと?」
「三割くらいですけど」
ラルエシミラがはにかんで笑う。
「なんだ、全然じゃないか」
肩をすくめて言う。
「ねえ、今日はもっと奥の方に行ってみたいんだけど」
「いいですけど、お家の人に心配されませんか?」
アロウザールは俯いて、
「いいんだ。どうせ帰っても誰もいないし。それに、僕はここの方が好き」
「そうですか」
ラルエシミラがアロウザールの手を力強く握りしめ、手つなぎして歩く姉弟のようになる。
「なにしてるのさ」
「あはは、いいじゃないですか。それともなんですか? ひょっとして、恥ずかしいんですか〜?」
ラルエシミラが茶化してくる。
アロウザールはそっぽを向いて黙る。
しかし手はつないだまま、ラルエシミラの細く柔い手を強く握り返した。
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