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第27話「湿った夜」

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 時計の短針は間も無く数字の一を指そうとしている。
出窓から差し込む月光は闇を引き裂いて、息を潜める少女たちの横顔を幻想的に照らしていた。
呼吸の声は、秒針の進む音にかき消される。その長針は、数字の四十五を通過する。

——カチッ。

短針が一に達した。
パンパカーナとルトは音もなく立ち上がると、白と黒のネグリジェがふわりと揺れる。
ドアまで近づくと、ロックをいつもより時間をかけて慎重に回す——

開いた。

隙間から外の様子を伺う。五感をフルに使い、神経を研ぎ澄ませる。
どうやら、周囲には誰もいないようだ。
索敵を完了すると、パンパカーナたちは裸足で廊下の絨毯を踏みしめた。

そのまま、薄暗い廊下をつま先を使い、階段を目指して歩く。
昨日と同じ道筋を辿る。

夜気が生ぬるい靴を履かせようとする。
それを振り払うように素早く歩みを進める。
見つかれば、即、終わりだ。気を使え。気配に、気を使え。

突き当たりまでは一本道で隠れる場所もなかった。
もし、曲がり角から誰かが来ても対処のしようがない。

しかし、幸運にも、誰に出会うこともなく階段にたどり着く。
階段の手すりからルトが顔を覗かせ、下の様子を入念にチェックする。
問題がないと判断し、そっとパンパカーナに目配せする。
パンパカーナは静かに頷くと、二人は踊るように階段を降りた。

ここも静寂に包まれていた。
月明かりによってつくられた窓の幻が、赤いカーペットに映し出されている。
それは点々と、等間隔にあった。
ルトは鍵の束を麻袋から音を立てないように、手を突っ込み、鍵の束を握りしめてから取り出す。

手始めに、一番近い扉から試していくことに決める。
数ある選択肢の中からひとつ選んで穴に差し込む。
違う。これじゃない。
次。違う。次。違う。次——

この作業を繰り返していく。
地味なうえに、集中力が必要なため、すり減った神経が根をあげていた。
交代で、今度はパンパカーナが順に試していく。
次。違う。次。違う。次——

——ガチャ。

開いた——いや、違う。
ドアノブを回してもビクともしない。

——ガチャ。

また、聞こえる。
パンパカーナたちは二階の方に視線をやる。
ゆっくりとではあるが、その音が近づいてくることがわかる。
階段を一歩ずつ、踏みしめているような感じだ。

衛兵。
それに気がついたパンパカーナは焦る。
鍵穴に鍵を差し込み、回す。

——ガチャ。

開かない。
鍵同士がぶつかって音が出ないよう、注意を払いつつ急ぐ。
開け。開け! 開け!
ルトは階段の方を凝視している。

——ガチャ。ガチャ。

遠くの方で、微かにもう一つ、金属同士のぶつかる音が聞こえた。
ルトは廊下の方を見る。その果て、突き当たりにある階段からペリドット色の足が見えた。
顔から血の気が引いていく。パンパカーナは未だに鍵穴と格闘している。

——ガチャ。

どうやら衛兵は一階と二階の中間にいるようだ。
パンパカーナもそのことを察したのか、手が震えて鍵穴に鍵が入らない。
汗が吹き出る。額から、手から、脇から、胸の谷間から、膝裏から。
残りの鍵は五本。急げ。

——ガチャ。

違う。
唾液が粘つく。冷静が失われていく。
残り、四本。

——ガチャ。

階段の手すりの隙間から、尖ったつま先が見える。
遠くからも同じ音が近づいてくる。
パンパカーナたちは無意識に呼吸を止めている。自らが発する音の一切を断つかのように。
残り、三本。

——ガチャ。

近い。もう、すぐそこまで来ている。
圧迫感と緊張で頭がどうにかなりそうだった。
手すりの隙間からは、胴体が見えていた。
頭が、見えそうだ。

——ガチャリ。

開いた。
その瞬間、ドアノブをひねり、部屋の中に飛び込む。
ルトが入った後、急いでドアを閉める。
少しして、ドアの前を衛兵が通り過ぎていくのがわかる。

「「ぷはーっ!!」」

パンパカーナたちは息を吐き出す。
はあはあ、と荒い息遣いが湿った部屋にこだまする。

「はあはあ......。危なかったぜ。危機一髪ってやつだな」

ルトは肩を上下させながら言う。
その顔は、安堵に満ちていた。

「はあ、はあ......。そう、だな——もう、汗びっしょりだ」

パンパカーナは笑みを口許に浮かべてそう言った。
ネグリジェは体にぴったりと張り付いて、少女の未熟なシルエットを浮かび上がらせていた。その胸元を指で摘み、パタパタと扇いでいる。

パンパカーナたちは深呼吸をすると、部屋の様子を観察し始める。
何の変哲も無い書庫だ。
なかなか広い。
そして、暗い。持ってきたランタンに火を灯す。

中央には大きな長机があり、いくつか椅子が並べられている。
部屋の周囲には本がぎっしりと詰められた棚が隙間なく詰められており、それらは少し埃をかぶっているように思えた。

「とりあえず、何かないか探してみるぞ」

「わかった。じゃあ、私はこっちを」

パンパカーナは左の方を指差す。

「じゃ、俺はこっちだな。ちゃんと探せよ」

ルトはそう言うと、立ち上がり、探索を始めた。
本棚から本をひっくり返し、大きな一枚の紙を丸めて紐で留めたものが沢山詰め込まれた箱を漁る。
それを十五分ほど続けた。

「なあ、どこかに秘密の仕掛けかとかあるかね」

ルトが本の背表紙をひとつひとつ、指で押している。
パンパカーナは呆れ顔で、

「そんなもの、あるわけがないでしょ」

と言いつつ、ルトの真似をして本の背表紙を何気なく押してみる。
すると、近くにあった本棚は突如下に沈み、壁には人一人が通ることのできる穴が現れた。そこには地下へと続く階段が見えている。

「やるじゃん」

ルトが開いた口が塞がらなくなっているパンパカーナに言う。

「ありえないわ」

「それが『ありえちゃった』んだな。うん、ありえたものは仕方ない。これはもう、行くしかない」

パンパカーナはルトに背中を押され、無理やり穴に押し込まれそうになる。
そして、その寸前で立ち止まった。

「やめ、お前がい......け......」

「いやいや、お前が先に......」

二人は『先駆者』のなすりつけ合いを始め、揉みくちゃになった。
少しして、埒があかないと思ったので、じゃんけんをして決めることになり、
パンパカーナが悔し涙を浮かべて薄暗い階段を降りることになった。その後ろから、鋏のように指を動かしながらニカッと笑うルトが続く。

しばらく進むと、鉄の檻にたどり着いた。
錠前が施されてあり、例によって適当に鍵を試そうと、一本目を差し込む。

——ガチャリ。

開いた。奇跡的に、一本目でアタリを引き当てたようだ。
誇らしげなパンパカーナ。早く行けとルトが急かす。
と、すすり泣く声が聞こえた。
小さい子供が泣いているような、鼻をすする音と嗚咽。

「おい、まさかゆ、ゆゆゆ幽霊かよ」

ルトが震えながら言う。
パンパカーナの背中に隠れ、袖を掴んでいる。

「なんだ、そんなものが怖いのか? ハッ! 情けないな」

「誰か、いるの?」

頓狂な声をあげるパンパカーナはルトにしがみつき、その脚は小鹿のように震えていた。

「おい、誰かいるぞ——」

ルトが奥を指差す。
ランプを声の方に向けてみると、赤色のオカッパ頭、黄色のポニーテール、青色のおさげをした幼い子供達がボロ布を着て震えていた。
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