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くわがた虫♂
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腕時計を見ると、時刻は午後6時30分を指していた。
帰宅途中の営業マンである桑方歴木は、会社からの最寄駅までの道を、忙しそうに歩いている。
外は、すでに薄暗く、等間隔に並んだ西洋風の街灯が、街路樹を照らしている。
街路樹の葉は、鮮やかな赤や、橙色に色づいており、ぱっと見て、すぐに数えられそうで、数えられないくらいの葉が地面に落ちていた。
いくつか、人に踏まれ過ぎた葉は黒ずんでいた。
敷き詰められたタイル路の上に落ちている葉から、なるべく、他より綺麗な葉を見つけると、それを、スッと懐にしまう老人が目に入る。
拾ってどうするつもりなのだろうか。と、歴木は拾われた紅葉の行方を案じた。
ラミネート加工した後、栞として使用するのだろうか。
それとも、天ぷらにして食べるのか。
はたまた、孫か、奥さんにでも見せびらかすのか。
気になることを見つけると、たとえ、他人のことであろうと、あれこれ考えてしまうのが、歴木の幼少期からの癖である。
「なんの為に、街路樹があるんだろうね。」
過去に、妻の、桑方稲架美に訊ねたことを思い出す。
— — — — —
「物知りの歴木君なら、とっくに知ってると思ってたわ。」
稲架美が、驚いた顔をして歴木を見る。
カーテンの隙間からは、暖かな日差しが差し込み、伸びた光は、リビングの木製のテーブルの上にある、陶器でできたティーセットを照らしている。
「ただ、今まで考えたことがなかっただけだよ。」
歴木は、音を立てながらガムシロップと、コーヒーフレッシュを3つずつ入れたミルクティーを飲む。
稲架美は、毎度その不健康そうな飲み物を見ると、いつも、量を減らすようにと注意する。
「それで。どうして、街路樹は存在しているのか知っているかい?」
にっこりと微笑みながら、歴木はもう一度訪ねる。
「街路樹さんはね、意外と、私たちにたくさん貢献してくれているんだよ。」
まるで、自分の友人を賞賛するかのように、稲架美は得意気に言う。
「運転してる時に、街路樹が見える道を走ることがあるでしょ?あれって、直射日光とか防いでくれたり、運転視野を広げてくれたりするのよ。」
「それは助かるね。」
「でしょ?」
と、稲架美は嬉しそうに返す。
「あと、車の騒音を軽減してくれるし。」
「京都の、東本願寺って知ってるでしょ?あそこ、昔、大火事が起きた時に、銀杏並木のおかげで類焼から免れたそうよ。」
「街路樹さん、大活躍だな。」
歴木は、賞賛の拍手を送る。
「もっと褒めていいよ。」
稲架美が胸を張り、フンッと鼻を鳴らす。
「街路樹さんを褒めたんだよ。」
「あとはねえ...」
歴木の言葉にお構いなしに、稲架美は話し始める。
「もし車が事故を起こして歩道に突っ込みそうになったとするとね。」
「うんうん。」
「なんと、歩行者を守るだけじゃなくて、衝突の衝撃を和らげてくれるの。すごくない?」
そう言うと、稲架美は、何かを受け止めるように、両手をパッと広げた。
「頼りになるなあ。」
歴木は感嘆する。
「でしょ?男らしいよねえ」
稲架美は、うっとりとした声を出す。
街路樹が男性か女性かどうかは置いておいて、植物に対して、『男らしい』はどうなんだろうか。
巨木の様子を、『たくましい』とたとえることはあるから、『男らしい』という表現もアリかもしれないな。と、歴木は自問自答し、自己完結した。
「街路樹さんになら、抱かれてもいいかも。」
唐突な稲架美の発言に、歴木は、口に含んだ甘い紅茶を噴き出しそうになる。
「なんなら、今から抱きつきに行ってくるかい?」
からかうように、歴木は言う。
「じゃあ、行く!待っててね。街路樹さん...」
冗談だと思い、しばらく放っていたが、稲架美が本気で出かける支度をし始めたので、歴木は、慌てて制止した。
— — — — —
歴木は、いつの間にか駅構内へ入り込んでいた。
考え事をしている間に、いつに間にか、目的地へ着いていることは珍しくなかった。
改札口にICカードをかざし、改札口を、少し速めの歩速で通る。後ろでは、誰かが改札口に捕まっている音が聞こえた。
今日は、急いで自宅に帰らねばならない。なぜなら今日は、妻、稲架美の誕生日であるからだ。
そのために、会社をいつもより早く退勤してきたのだ。
誕生日プレゼントは、ひと月ほど前からすでに購入しており、妻を驚かそうと、この日を兼ねてより待ち続けていた。
駅のホームは、夕刻とあって、なかなか混み合っていた。
学生や、社会人、大学生など、様々なひとで溢れかえっている。
腕時計を確認すると、時刻は午後6時44分を指していた。
電車が到着するまで、残り1分もない。
歴木は、電車の到着を待ちきれないのか、踵を地面から離したり、くっつけたりしていた。
はたから見ると、背伸びを繰り返しているように見える。
何か珍しいものでも見えるのか、と思った女子大生が、桑方歴木と同じ動作をする。
しかし、何もないことが分かると、女子大生は、不思議そうな顔をして立ち去っていった。
駅構内に、電車の到着を知らせるメロディが響き渡る。
ようやく来たか、という気持ちで、歴木は電車がやってくる方向に顔を向けた。
「あ。」
電車の到着を知らせるメロディに混じって、幼い子供の泣き声が聞こえる。
その泣き声を認識すると同時に、子供が、線路の上に座り込んで、泣きじゃくっていることを視認する。
何人か気づいたのか、駅のホームは、ざわつき始める。
「危険ですから、黄色い線より内側へおさがりください。間もなく、□□行き、8両編成の列車が参ります。」
感情のない駅員の声が、スピーカーから流れる。
構内のメロディに、電車の音と、人々の騒めきと、子供の泣き声が合わさり、その場は、異様な空気で包まれていた。
カシャリ、とカメラのシャッター音が、あちらこちらから聞こえ、何人か携帯電話を、線路内にいる子どもに向けている。
「誰か助けてやれよ。」
「やばいやばいやばい。」
「電車来てるよ。」
みな、線路内に座り込んでいるいる子どもに向けて、口々に言葉を投げるが、誰一人として、助けようとする者は見られない。
電車の汽笛が、大音量で響く。
子供と、電車との距離が、どんどん縮まる。
ふと、桑方歴木は、線路内に落ちている子供と、自分の息子である、桑方兜を思い重ねていた。
もし、息子がこんな状況だったら、自分はどうするだろうか。ただ眺めているか?いいや、絶対に有り得ない。
桑方歴木の体は、線路内の子供の元へ向かい、走り始めていた。
走り幅跳びの要領で、ホームの黄色い線を飛び越えると、足全体で、不安定な地面へ着地をする。
歴木は、スーツについた汚れに目もくれず、泣き叫ぶ子供を両手で抱きかかえると、全身全霊で、ホームにいる群衆に投げ込んだ。
肩が外れるかと思った。肩を抑える歴木は、自分もホームに戻ろうと、足を動かす。
名も知らぬ若い男が、上から手を差し出している。
群衆は、みな一方向を見ていて、先ほどよりも騒ぎ立てている。
歴木は、足を動そうと力を入れる。
が、しかし両足の踵に激痛が走ったため、思わず、前方に倒れこみ、両手に小石が食い込む。
パッ、と左に顔を向けると、錆び付いた、大きな車輪が眼前に迫っていた。
鈍い音と、沢山の悲めいが、駅のホームに鳴り渡る。
帰宅途中の営業マンである桑方歴木は、会社からの最寄駅までの道を、忙しそうに歩いている。
外は、すでに薄暗く、等間隔に並んだ西洋風の街灯が、街路樹を照らしている。
街路樹の葉は、鮮やかな赤や、橙色に色づいており、ぱっと見て、すぐに数えられそうで、数えられないくらいの葉が地面に落ちていた。
いくつか、人に踏まれ過ぎた葉は黒ずんでいた。
敷き詰められたタイル路の上に落ちている葉から、なるべく、他より綺麗な葉を見つけると、それを、スッと懐にしまう老人が目に入る。
拾ってどうするつもりなのだろうか。と、歴木は拾われた紅葉の行方を案じた。
ラミネート加工した後、栞として使用するのだろうか。
それとも、天ぷらにして食べるのか。
はたまた、孫か、奥さんにでも見せびらかすのか。
気になることを見つけると、たとえ、他人のことであろうと、あれこれ考えてしまうのが、歴木の幼少期からの癖である。
「なんの為に、街路樹があるんだろうね。」
過去に、妻の、桑方稲架美に訊ねたことを思い出す。
— — — — —
「物知りの歴木君なら、とっくに知ってると思ってたわ。」
稲架美が、驚いた顔をして歴木を見る。
カーテンの隙間からは、暖かな日差しが差し込み、伸びた光は、リビングの木製のテーブルの上にある、陶器でできたティーセットを照らしている。
「ただ、今まで考えたことがなかっただけだよ。」
歴木は、音を立てながらガムシロップと、コーヒーフレッシュを3つずつ入れたミルクティーを飲む。
稲架美は、毎度その不健康そうな飲み物を見ると、いつも、量を減らすようにと注意する。
「それで。どうして、街路樹は存在しているのか知っているかい?」
にっこりと微笑みながら、歴木はもう一度訪ねる。
「街路樹さんはね、意外と、私たちにたくさん貢献してくれているんだよ。」
まるで、自分の友人を賞賛するかのように、稲架美は得意気に言う。
「運転してる時に、街路樹が見える道を走ることがあるでしょ?あれって、直射日光とか防いでくれたり、運転視野を広げてくれたりするのよ。」
「それは助かるね。」
「でしょ?」
と、稲架美は嬉しそうに返す。
「あと、車の騒音を軽減してくれるし。」
「京都の、東本願寺って知ってるでしょ?あそこ、昔、大火事が起きた時に、銀杏並木のおかげで類焼から免れたそうよ。」
「街路樹さん、大活躍だな。」
歴木は、賞賛の拍手を送る。
「もっと褒めていいよ。」
稲架美が胸を張り、フンッと鼻を鳴らす。
「街路樹さんを褒めたんだよ。」
「あとはねえ...」
歴木の言葉にお構いなしに、稲架美は話し始める。
「もし車が事故を起こして歩道に突っ込みそうになったとするとね。」
「うんうん。」
「なんと、歩行者を守るだけじゃなくて、衝突の衝撃を和らげてくれるの。すごくない?」
そう言うと、稲架美は、何かを受け止めるように、両手をパッと広げた。
「頼りになるなあ。」
歴木は感嘆する。
「でしょ?男らしいよねえ」
稲架美は、うっとりとした声を出す。
街路樹が男性か女性かどうかは置いておいて、植物に対して、『男らしい』はどうなんだろうか。
巨木の様子を、『たくましい』とたとえることはあるから、『男らしい』という表現もアリかもしれないな。と、歴木は自問自答し、自己完結した。
「街路樹さんになら、抱かれてもいいかも。」
唐突な稲架美の発言に、歴木は、口に含んだ甘い紅茶を噴き出しそうになる。
「なんなら、今から抱きつきに行ってくるかい?」
からかうように、歴木は言う。
「じゃあ、行く!待っててね。街路樹さん...」
冗談だと思い、しばらく放っていたが、稲架美が本気で出かける支度をし始めたので、歴木は、慌てて制止した。
— — — — —
歴木は、いつの間にか駅構内へ入り込んでいた。
考え事をしている間に、いつに間にか、目的地へ着いていることは珍しくなかった。
改札口にICカードをかざし、改札口を、少し速めの歩速で通る。後ろでは、誰かが改札口に捕まっている音が聞こえた。
今日は、急いで自宅に帰らねばならない。なぜなら今日は、妻、稲架美の誕生日であるからだ。
そのために、会社をいつもより早く退勤してきたのだ。
誕生日プレゼントは、ひと月ほど前からすでに購入しており、妻を驚かそうと、この日を兼ねてより待ち続けていた。
駅のホームは、夕刻とあって、なかなか混み合っていた。
学生や、社会人、大学生など、様々なひとで溢れかえっている。
腕時計を確認すると、時刻は午後6時44分を指していた。
電車が到着するまで、残り1分もない。
歴木は、電車の到着を待ちきれないのか、踵を地面から離したり、くっつけたりしていた。
はたから見ると、背伸びを繰り返しているように見える。
何か珍しいものでも見えるのか、と思った女子大生が、桑方歴木と同じ動作をする。
しかし、何もないことが分かると、女子大生は、不思議そうな顔をして立ち去っていった。
駅構内に、電車の到着を知らせるメロディが響き渡る。
ようやく来たか、という気持ちで、歴木は電車がやってくる方向に顔を向けた。
「あ。」
電車の到着を知らせるメロディに混じって、幼い子供の泣き声が聞こえる。
その泣き声を認識すると同時に、子供が、線路の上に座り込んで、泣きじゃくっていることを視認する。
何人か気づいたのか、駅のホームは、ざわつき始める。
「危険ですから、黄色い線より内側へおさがりください。間もなく、□□行き、8両編成の列車が参ります。」
感情のない駅員の声が、スピーカーから流れる。
構内のメロディに、電車の音と、人々の騒めきと、子供の泣き声が合わさり、その場は、異様な空気で包まれていた。
カシャリ、とカメラのシャッター音が、あちらこちらから聞こえ、何人か携帯電話を、線路内にいる子どもに向けている。
「誰か助けてやれよ。」
「やばいやばいやばい。」
「電車来てるよ。」
みな、線路内に座り込んでいるいる子どもに向けて、口々に言葉を投げるが、誰一人として、助けようとする者は見られない。
電車の汽笛が、大音量で響く。
子供と、電車との距離が、どんどん縮まる。
ふと、桑方歴木は、線路内に落ちている子供と、自分の息子である、桑方兜を思い重ねていた。
もし、息子がこんな状況だったら、自分はどうするだろうか。ただ眺めているか?いいや、絶対に有り得ない。
桑方歴木の体は、線路内の子供の元へ向かい、走り始めていた。
走り幅跳びの要領で、ホームの黄色い線を飛び越えると、足全体で、不安定な地面へ着地をする。
歴木は、スーツについた汚れに目もくれず、泣き叫ぶ子供を両手で抱きかかえると、全身全霊で、ホームにいる群衆に投げ込んだ。
肩が外れるかと思った。肩を抑える歴木は、自分もホームに戻ろうと、足を動かす。
名も知らぬ若い男が、上から手を差し出している。
群衆は、みな一方向を見ていて、先ほどよりも騒ぎ立てている。
歴木は、足を動そうと力を入れる。
が、しかし両足の踵に激痛が走ったため、思わず、前方に倒れこみ、両手に小石が食い込む。
パッ、と左に顔を向けると、錆び付いた、大きな車輪が眼前に迫っていた。
鈍い音と、沢山の悲めいが、駅のホームに鳴り渡る。
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