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序章 勇者の誕生

三話 勇者誕生の光

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 一面青々と輝く世界にいた。
 上、下、右、左。全てが美しい青と白い積乱雲に彩られる。
 思わず感嘆の声を漏らしていると、小さな光がこちらに近づいていることに気づく。

 目の前で静止し、空中を漂う。
 温かさに思わず両の手をかざしてしまう。心まで温かくなったようだ。先程まで死の瀬戸際だったとは思えないほどの安心感があった。
 すると、その光が俺の胸へ吸い込まれてくる。

「詩乃、貴方の願いは天照大御神により聞き届けられました」

 女性の声が頭の中に響く。
 図書館で聞いたあの懐かしい声だった。懐かしさと同時に、どことなく哀愁を覚える。──何かが足りない。誰かがいない。

 そんな、心細さ。

「生きて、きっと約束を──」

 言い終わる前に意識が現実へと戻された。
 すぐ目の前に五馬、いや、五馬の皮を被った怪物、が立っていた。頭が冴えわたる。今まで読んだ本の記憶が呼び覚まされる。人の体に憑依する知識のない魔物を亡者、そして、知識あるものを悪魔と区別している。
 だが、悪魔なんてそこらへんにいるものではない。
 文献上でしかみたことがなかったため、なかなか思い出せなかった。
「悪魔、俺はお前に屈するつもりはない!」
 俺の宣言に悪魔は不気味に嗤っていた。

「そうか。では死ね」

 そういって握りこぶしを高々に振り上げた。
 一連の動きが遅く見える。その軌道が読める。このまま俺の左頬に直撃し、そうなれば俺は飛ばされ次の攻撃に備えることが困難となるだろう。
 後ろに避ける手もありだ。
 しかし、現在相手は油断している。
 その証拠がこの無駄な動きの多さや、殺す気のない攻撃だ。弱者とみなした俺をなぶり殺すつもりなのだろう。
 ならば、油断を突くのが最善手。
 そう結論付けるや否や、俺は地面を蹴った。

 相手の攻撃が遅く見えても、自分の動きが速くなるわけではない。しかし、攻撃さえ読めてしまえば速度の不利を上回れる。相手がまだ振り上げている段階であれば回避の余地は残されているのである。
 攻撃をかわし、懐に潜り、みぞおちへ拳を食らわす。その瞬間、時間の流れがいつもの状態に戻った。
 すぐに、俺は後方へと回避。
 敵の足蹴りが空を蹴る。紙一重で躱すことに成功した。息をつく間もなく、すぐに間合いを取る。

「貴様ぁ! 家畜の分際でっ!」

 激昂。
 耳を澄ますと相手の呼吸、心拍数まで聞こえる。
 不思議な感覚だった。頭が、感覚の至るところが冴えわたる。高揚感が抑えられず、自分の心臓の鼓動が煩く響いた。
 敵の重心がわずかに低くなる。攻撃が来る。瞬時に俺は右方向に回避。するとそこには先ほどまで離れていた悪魔が再び空を蹴った。
 さすがにあの超速を見切ることはできなかったが、いつ攻撃が来るのか予測ができる。それさえできてしまえば怖いことはない。

 森の中の茂みが騒がしい。
 戦闘の音に森に棲む魔物が集まってきたのだろう。多数の相手は避けたいところだが。
 
 これだけの力なら問題ないだろう。
 天照大御神様の力。なんて素晴らしいのだろう。
 神よ。この力に最大級の感謝を。

「爆炎ノ円」

 たった一言、そして、事象を頭の中で思い浮かべただけで、奇跡として具現した。
 俺と悪魔を囲む炎柱。集まっていた魔物からしてみれば、炎の壁だ。大きさは俺の腰ほどまでしかないが、十分。
 この力があれば、あいつにも勝てる。

 勝てるが、それではだめだ。問題はどうやってあの悪魔を五馬から追い出すか。悪魔の弱点は確か……。いや、そもそも魔族の弱点は光。それも太陽光が最大の弱点。それは悪魔とて同じのはず。
 憑依して間もない悪魔なら、ついこの前まで彼岸にいたということになる。
 彼岸は光が存在しない世界だ。
 そのため、こちらに来たばかりの魔族は光というものに慣れておらず、その弱点が顕著に出るはず。

 奴に、最大火力の光を見せてやろう。

神光華しんこうか!」

 その言葉と共に、敵近くの正面に突如として光が現れる。
 眩しい光は周囲をほとんど見えなくする。俺でさえ思わず目を腕で覆い、目蓋を細めた。これだけの光なら奴も五馬の身体から出ていくはずだ。

 しばらくして光は花のようにしぼんでいった。
 そこには悶え苦しむ五馬がいた。

「な、なんだったんだあの光はっ! クソッ! 目が開けねぇ!」

 いや、それが五馬かはまだわからない。
 確かめる必要があるだろう。

「五馬、なのか?」
「当たり前だろ! 俺が俺じゃねぇわけがないだろ! ともかく、こっちに来て、介抱を頼む!」

 あまりの嘘の下手さに絶句してしまう。
 介抱、あの脳筋馬鹿が咄嗟にそんな言葉を選ばないだろうし、仮に選んだとしても俺に介抱なんて死んでも頼まないだろう。
 それは同時に先ほどの光ではあれを撃退できなかったことを意味していた。

 光では無理。──あるいは、太陽の光なら……?
 可能性はある。だが、この力をもってしてもあの分厚い雲を晴らすことが可能なのか?

「なんだ、気づいているのか。つまらんな。友人に殺され、絶望する貴様の顔が見たかったのだがな」
 友人、か。
「残念だが、そいつと俺は友人ではない」
「何?」
 怪訝な目を向けてくる。
「むしろそいつは俺のことを小さいころからいじめてくる因縁の相手だ」
「はっ! そんな奴を必死に助けようとしているのか! 貴様は! 大馬鹿者にもほどがあるぞ! 楽しい楽しいお話の時間はこれくらいにしておこう。もう、お遊びはここまでだ。なかなかに楽しかったぞ、愚か者」

 やるしかない。
 天照大御神へ、最大級の祈りを捧げよう。

「主よ。汝が光をまよえる者に与え給え」

 天への祈り。

 そして。──空から一筋の光が降りた。
 光は、一直線に悪魔へと注いだ。次第に雲の切れ間が増えていき、太陽の光は炎の壁の中に入ろうとしていた魔物、黒い球体を消滅させる。
 目的を果たした炎は消えていき、代わりに暖かな陽が注ぐ。
 
 涙がこぼれる。
 嗚呼、我らが主は天高く、天よりも高いところからお見守りになられているのだ。

 天は我らを見守り、時として罰として雷を落とす。
 しかし、太陽は罰の代わりに抱擁の光をくださる。いかなる者も許し、照らす。──それが、悪魔であったとしても。

「あぁ、これは、陽の光? 何故? 我の精神体がっ、蝕まれるっ!? ふざけるな! あと少しで我はっ! 忌々しい神め! いつか必ず、この手でっ!」

 神への呪詛。
 それが終わると糸が切れたようにその場に伏した。
 
 あれ、なんだこれ。
 体が雪へと引き寄せられる。雪が頬について鬱陶しかったので、仰向けに転がる。
 太陽が雲に再び閉ざされていく光景が霞んでいった。
 そして、目蓋が開かなくなる。



 揺れ。
 そして、周りから複数の足音に慌てて目を覚ました。
 五馬、あいつはどうなったんだ?
「五馬!」
 そう叫んで周りを見る。
 俺は聖騎士の一人、冬木恭二さんの背中に抱えられていた。その周りには聖騎士の一団が雪の中を歩いている。

「おはよう。詩乃。五馬くんなら無事だよ」

 恭二さんはこちらを向いて微笑みかけてくれた。
「テメェよりピンピンしてるわ!」
 声のした方を見ると、聖騎士に紛れて歩いている五馬の姿があった。
 その顔に、いつもの怒号に、なによりも安堵感が押し寄せてくる。

「よかった」

 思わず情けない声が漏れてしまった。
 ただ、今度こそ俺は守ることができたのだ。命を。そう思うと涙が流れる。
 こんな顔見られたら五馬に女々しいなどとどやされてしまうかもしれないな、とすぐに涙を拭った。

「なんで。なんでそんな顔できるんだ?」

 予想に反して、五馬の顔は泣き出しそうだった。
 いつになく塩らしい五馬に俺は当惑する。恭二さんに下ろしてもらい「どういうこと?」と五馬を見た。

「俺のせいでお前は死にかけたんだぞ!? 普通だったら文句の一つ言ったっていいだろ!?」

 堰が切れたような怒号に一行は足を止めた。
「どうした?」「喧嘩か?」などのざわつきが聞こえたので、五馬に落ち着くよう諭した。

「俺が勝手に助けようとして、勝手に死にかけたってだけだよ」
「違う! 俺は、お前を圧倒できる力を得ようとして森に踏み込んだんだ。だから、本来お前が死にそうになってまで俺を助ける必要なんてっ!」

 驚きを隠せなかった。
 今なお、五馬は悪魔に操られているのでは、と思えてしまうほどであった。
 罪悪感。あの五馬がそんな感情を持っていたとは。

 やはり、神の教えは正しかった。
 この世に真に悪の人間などいないのだ。だからこそ赦し、許すことが重要なのだ。

「……俺はお前のことが嫌いだ。だけど、だからといって憎むつもりはない。お前がいかなる理由で窮地に立ったとして、それが自業自得だとしても、救える命は救う。それだけだよ」

 言い終わった後、静寂が襲う。
 やばい。これ、普通に恥ずかしいやつ……。周りの視線が痛い……。

「と、とりあえず進みませんか?」

 照れ隠しで恭二さんに提言した。
 以降五馬は口を開くことはなかった。五馬を唆した存在の情報を聞きたかったが、今はそっとしておいた方が良さそうだ。
 気まずい空気の中、俺たちは孤児院へと帰った。



 十二神。
 国において最高の政治権限を持つとともに、広く信仰を受ける絶対的存在。それが一同に会する場が十二神議会である。
 それらは長机に座し、薄布に覆われ姿がはっきりしない。
 しかし、一介の熾天使にとっては威圧感を受けるに十分であったのだろうか。神々の前で跪き、萎縮しきっている。否、天使の中でも最高位の熾天使であっても、威圧されるに足る存在が神である、と言ったほうが適切であろう。

「面を上げてください」

 そのように言ったのは光を司る神、光明大御神こうみょうのおおみかみであった。
 天使から見て最奥、上座に座っている。薄布越しにも、眩い限りの金髪が透けて見えている。
「はっ」
 すぐにその言葉の通りに顔を上げる。

「先日突如、辺境において雲が晴れました。その事はご存知ですね?」

 優しい声に天使の緊張は徐々に解きほぐれていく。
「はい。我々熾天使の間では、何者かが創造主マスターへ願いの成就を請い、奇跡が具現されたと結論付けました」
 この言葉に、机が殴られる。
 他の神々と群を抜いて巨大。布越しに見える影は六本もの腕を持つそれは破壊神、万壊大御神ばんかいのおおみかみであった。大きな音に慌てて「も、申し訳ございません!」と頭を伏せる。

「いつ、我々が貴様らの見解など求めた? えぇ? 言ってみろ?」
「よい。委縮させては話にならん。本当に貴様は壊すことしか能がないな」
 苦言を呈したのは十二枚の翼の影を持つ、万壊大御神とは別の意味で一際、存在感を放つ天空神、空幾羽大御神あまのいくりばのおおみかみだ。

 光明大御神の咳払いに、二神は黙する。

「あれは広く国民に基本奇跡として普及している水、火、土、風の四神どころか光、創造、創生、天空、闇、破壊、死、地獄といった奇跡でもありません」

 慌てて光明大御神を見上げる。
「まさかっ! 異端者の仕業であると!?」
 そんな熾天使に首を振って返す。

「我らが主神。神の創造主たる天照大御神てんしょうのおおみかみの力を授かった者が引き起こした事象です」

「なっ!?」
 驚愕の表情を見せる。
 それもそのはず、天照大御神はその存在が不確かで、形而上けいじじょうの存在と言われている。あるいは遍在的な存在ともいえるだろう。十二神との違いはそこである。
 十二神は基本、偏在的。持ちうる概念に対してしか存在しえない。
 さらには、力を与えるといったこともあり得ない。
 十二神のうち力を隔てなく与え、人間に奇跡を扱うこと許すのは基本四神のみ。光、闇眷属の上位八神は一神につき力を与えるのは厳選された神の力に耐えうる唯一の人間であると決められている。
 
 実在しない存在が力を人間に与えるなど考え難いし、仮に実在したとして、絶対的存在の力に耐えうる人間が存在するというのも想像に難しかった。

「貴女方は勘違いしているようですが、主は我ら十二神と同じく実在しています。現在はその身を黄泉の国へお隠しになられているだけ。しかし、主は姿を消す、その最後に我らに仰せられました。〝我が力授かりし勇敢なる者が現れたとき、世界は救われよう〟と」

 固唾をのんで神の言葉に耳を傾ける。

「今こそ我が国の憂いを晴らすときが来ました。先日差し込んだ陽は希望の光。まさしく、魔王を討つには絶好の好機と判断し、我々、八神は先日、を十二神議会直轄の魔王討伐隊として編成することを議決しました」

「ほ、本当ですか!?」
 緊張で固まり切っていた天使の表情がここにきてほぐれる。
 今までは神の直属としてほぼ自由に行動させられていた寵愛者。上記に述べられる、〝上位八神が力を与える唯一の人間〟である。
 軍事はほぼ天使に委託されている。だが、戦線を多く抱えているために多忙を強いられてきた。特に侵攻してくる魔王軍は狂暴かつ強力であるためどうしても戦力を割かざるえない。
 それが解消されることは天使にとって喜ばしいことこの上なかった。

「さらに、勇敢なる者──勇者が魔王討伐隊に加われば、作戦成功率が跳ね上がる。魔王討伐が果たされた暁には、同部隊を西の対連合との戦闘に投入する。さすれば、千年も続く戦争に終止符を打ち、世界における我ら十二神の支配構造が完成される」

 そう述べるのは空幾羽大御神だ。
 多少間を空けて光明大御神が続ける。

「……貴女を呼んだのは他でもありません。現在、我々も、寵愛者を招集し、実力持ちの冒険者を選定しております。部隊の編制完了は一か月後、十二月一日。編成場所は鳴火州州都煉都れんとです。十二月一日までに勇者を煉都へお呼びください。雲に切れ間ができ、太陽が現れたのは神社かみやしろ教会領付近。そこに勇者がいると思われます。どれだけ人員を割いても構いません。勇者こそが世界を救う鍵なのです」

「承知いたしました。必ずや勇者を見つけ出すことをお約束いたします」

 恭しく頭を下げ、天使は神の間を後にした。
 その顔には希望と邪悪な笑みが浮かべられる。

(精々、あの女よりは使い物になってくれよ。天照大御神の寵愛者よ)
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