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序章 勇者の誕生

一話 百禍の森

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 読んでいた本を閉じ、机に置いた。
 ふと窓の曇りをふき取る。灰色の猛吹雪が景色を染め上げていた。空には暗雲が覆っている。
 
 〝世界を覆う暗雲は魔王が登場した千年前より続く。
 暗雲は慢性的不作をもたらし、飢饉が蔓延。そして、食糧を求めて終わることのない戦争が始まる。間も無く、魔王は戦争で疲弊した世界各地に侵攻を開始する。〟

 先程の本、『終わらぬ戦争の始まり』の冒頭部に書かれた内容である。
 昔、都市に出かけた時、痩せこけた少年が雑草を食べている光景を見た。その都市で餓死者を見かけるというのは日常で、衛兵が餓死者を都市の外へと投げ捨てる光景に衝撃を受けた。
 その都市は魔王から直接攻撃を受けたわけではない。だが、魔王の暗雲による仕業で何人の人間が死んだのか想像もできない。
 神の御力により、なんとか農業は可能だが、年々、収穫は減っている。

 再び窓の外を見る。
 農民のおじさんたちが暮らす家々を見て、彼らの生活を憂う。年々、実りの少なさに嘆くおじさんを見てきた。

 魔王さえ、魔王さえ殺せれば。

 大きな溜息をつく。
 魔王を殺す。そこら辺の魔物にさえ殺されかけた俺が思い上がりもいいところだろう。
 魔王のことは我が神、そして、その手足たる天使に任せるほかはない。
 再び溜息がこぼれた。
 どれだけ命を失うことを憂いても、力がなければ守ることはできない。その残酷な事実に辟易とする。

「詩乃」

 懐かしい声がした。
 後ろを振り返るが、そこには二段ほどの本棚が置かれ、その奥には柵、さらに奥は吹き抜けとなっており一階が見えるようになっている。それだけだ。人の姿はいない。

「詩乃ならできるよ」

 声は耳元で響いた。
 目を見開くが、そこには誰もいない。
 俺はすぐに立ち上がり、周囲を見渡す。すると傍にこちらを見上げる少女──俺と同じく神社かみやしろ第二孤児院で育った神社新奈にいなの存在に気づいた。

「新奈。なんか言ったか?」

 新奈は首を横に振った。
 脱力感に椅子の背もたれにもたれる。一体なんの声だったのだろうか。
「お兄ちゃん、すごい汗だけど大丈夫?」
 心配そうにこちらを覗き込む少女に笑顔を返す。
「大丈夫だよ。それより、俺に関わってるところ五馬いつま達に見られたらまたいじめられてしまう」
 この子は本が好きでよく孤児院の図書館に出入りしている。
 孤児の中で図書室を愛用するのは俺と新奈くらいで、関わるうちに懐かれてしまった。しかし、俺はこの孤児院では浮いた存在だ。黒髪、黒目が多い中、金髪、青目。忌憚な物を見るような目で見られることが多いし、五馬からは嫌がらせを受けることも多い。
 そして、その手は俺と仲良くしようとする新奈にも及んだ。
「ううん。大丈夫! あんなやつら怖くないもん!」
 白い歯を見せた満面の笑み。
 だけど、本人がどれだけ問題ないとと言おうが、新奈が苦痛を強いられるいわれはない。

 ……でも、ある意味、俺と関わらないという不自然は新奈にとって苦痛になるのだろうか。
 苦痛かはわからないが我慢させるということには変わらない。それに、おそらく、五馬が新奈に手を出したのは俺と関わったという理由にとどまらないと思う。これはただの勘でしかないが。
 俺は幼い少女を一瞥して、頭を撫でた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「なんでもないよ」
 微笑みながらそう言った。
 新奈は不安げな表情を見せる。俺には分からなかった、その表情の真意が何なのか──。

 新奈と別れ、図書館を後にした。
 通り過ぎる部屋の中を横目に、早足で廊下を歩く。決着をつける時がきたのだ。俺だけならまだしも他者にまで被害が出るとなると、もう日和見はできない。
 俺は孤児院中を探し回った。いじめの元凶、五真と決着をつけるために。

 ほどなくしてそいつが姿を現す。
 場所は孤児の寝室と隣接している廊下。
 筋肉で角ばった体つき、短い髪、鋭い目。何よりも見上げるほどの大きさ。それに伴う威圧感は存在感を放つ。
 大きさに関しては、俺が人よりも小柄、というのもあるが、周りと比較しても頭一つ出ているくらいの巨躯だ。
「俺を探していたらしいじゃねぇか。クソ詩乃」
 その言葉には怒気が込められていた。
「話がある」
 怯まず睨み返した。
「ふん。聞いてやる筋合いはないな。どけ」
 そういって横を通り過ぎていく。
 五馬の背中に俺は叫んだ。
「新奈に手を出さないと約束しろ。負け犬」
 あいつの歩みを止めるなら煽りが最も効果的だ。
 頭に血が上れば言い返さざるを得ない。
「あ?」
 予想通り、こちらを振り返り鬼の形相でにらみつけてきた。
「間違っていないだろ。俺に体術で挑み、負けた瞬間、自分より弱い人間を虐める。お前は負け犬だ」

 これこそが新奈がいじめを受けた理由だろう。
 嫌がらせに対して、今回みたいに煽ったら殴りかかってきたことがある。それを撃退した日から新奈に対しても嫌がらせ行為をするようになったのだ。

「てめぇ、ぶち殺されたいみてぇだな」
 大きな足音を立ててこちらへと近づいてくる。
「そもそも、聖騎士の指導があったから俺に勝てただけだろ! テメェの力じゃねぇ! えこひいき野郎!」

「俺の実力に変わりはないでしょ、負け犬」
 少しいじらしく笑ってみせる。いつもの仕返しだ、これくらいは良いだろう。
 五馬の顔はみるみる赤くなっていった。
「もし負け犬と呼ばれるのが嫌なら、俺にまた勝負を挑めばいいだろ? そうすれば負け犬とは呼ばない」
 顔が歪むほど俺を睨みつけてくる。
 その表情は理性があるように思えなかった。煽り過ぎたかと、若干反省する。──手が出るのも時間の問題か。
 だが、予想に反して五馬は俺に背を向けて歩いて行った。
 


 五馬は猛吹雪の中、外にいた。
「くそっくそっ! あの野郎、舐めやがって!」
 孤児院の裏は神社の敷地の森である。五馬はその森の木を拳で殴りつけ愚痴をはいていた。

「神に愛され、自分にない才能をもつ存在。妬ましい気持ちもわからなくもない」

 木の裏からそんなつかみどころのないような声がした。
 これに五馬は咄嗟に距離を置く。
「誰だ。出てこい」
 その言葉に姿を現したのは漆黒の羽織を着て笠を目深にかぶった男だった。
 ふらふらとした足取りで五馬へと近づいていく。

「ふむ。確かに貴様は努力し、信仰力が足りぬ故に力を付けた。しかし、天賦の才の前では、その力は塵に同じであろう」

 吹雪が強まり、木を揺らした。刹那──。
 五馬のすぐ目の前に男がいた。五馬は男の眼光に冷や汗を掻く。

「天賦の才には天賦の才でもって対抗するほかあるまい。時を司る神、その力を貴様に授け奉ろう」
「……は?」
 
 五馬は訝し気な顔を見せる。
「時を司る神? どこの異教徒だ?」
 彼の国、十二神国じゅうにみこくは十二の神によって統治されている。
 十二神とその神々を創造したした原初の神、天照大御神てんしょうのおおみかみを含め十三の神を十二神国で暮らす人々は信仰する。その中に時を司る神など存在しない。
「あぶれ者の神。信仰などとうの昔、魔王が現れるよりも昔に廃れてしまわれた。一度足を踏み込めば生きて戻ることができないといわれている迷いの森。其の奥地に眠るは、我が主神」

 男は五馬の視界から消失する。
 あたりを見渡すがその姿はなかった。

「古の神社で待っている。求めよ、さすれば与えられん」

 どこからともなく先ほどの男の声が響いた。
 口を開けて惚ける五馬だが、強風に煽られよろける。
 態勢を立て直し、孤児院を睨みつける。その目には決意が宿っていた。そして、おもむろに孤児院の敷地の外へと走り出す。
 その右手には携帯していた斧が強く握りしめられていた。
 強くなっていく吹雪に五馬は姿を消した──。



「仕事中なのにお時間いただきありがとうございました」
 そう言って孤児の世話をしてくれている修道女、麻里様に頭を下げる。
 五馬へのお願い、その返答は無言。これを了承と取るか、拒否と取るかは決めかねる。
 念には念を入れておく必要があると考え、修道女達に五馬に嫌がらせを受けてないか気にかけて欲しいとお願いをしていた。
 彼女達は人がいい。
 信仰心も教養もある。断る理由などあろうはずがない。
 凛子様、希里江様、杏様、麻里様へのお願いは完了したから、後はこの孤児院の経営を行う大修道女、絵里子様だけ。
 俺は彼女がいるであろう執務室へと足を向けた。

「おい、クソ詩乃」
 進行を阻んだのは五馬と仲のいい、背は高いが細身の玄馬であった。
 五馬と共に捨てられていたところ教会に拾われたらしく、兄弟のように仲が良い。もしかしたら本当に兄弟なのかもしれない、と言われているほどだ。言わずもがな、俺をいじめる主犯の一人である。
「珍しい。五馬とは一緒じゃないんだな」
「白々しい。テメェ、五馬に何吹き込みやがった?」
 胸ぐら掴まれ、上から睨みつけられる。
 踵が上がるくらい強い力で持ち上げられる。苦しい。
 俺は右手で玄馬の手を弾き、距離を開ける。こいつは五馬以上に手が出る。プライドが高く、こちらがやり返したら倍以上にやり返してくる。厄介だ。

「何も吹き込んでない。新奈をいじめるな、そんなにいじめたいなら俺を狙え。そう言っただけだ」
「嘘をつけ!」 
 怒号が廊下に響いた。
 玄馬の声に厨房にいた麻里様が「どうしたの?」と慌てて出てきた。
「大丈夫ですよ」
 愛想笑いで返すが、玄馬はこれに腹を立てたのだろう。
「大丈夫じゃねぇんだよ!」
 と怒気を強める。
「五馬が姿を消した。孤児院にゃいねぇから村を探していたら通り縋りの旅人が金髪と巨躯が言い争った後、村の外、森の方角に走っていったって!」
「……待て。その話は突っ込みどころが多すぎる。確かに多少の言い争いはしたけど、そもそも外に出て言い争った覚えはない。それに、こんな何もない農村に、こんな猛吹雪のなか旅人? あり得ないと思うけど」
「てめ、どの分際で俺を疑ってやがる!」
「落ち着け! そもそも、その旅人自体が怪しいって話だ!」
 指摘すると、玄馬は顎に手を当てて思案する。
 玄馬はプライドこそ高いし、すぐに手も出すが話が通じない相手ではない。現状、言い争いをしている暇はないため、俺の言葉を聞き入れてもらえるのは助かる。

「すぐに森に行くぞ。どういうつもりかは知らないが、五馬が森へ行ったのは本当だろう」
 これにすぐに制止に入ったのは俺らを傍観していた麻里様だった。
「駄目よ! 森は! 帰ってこれなくなるわ!」
「魔物が強力だから、奥地じゃないのに何故か大量の魔物が湧くから。だから帰ってこれない迷いの森と言われているんです。実力者が森から帰ってきた実例もあります。それに、五馬を見捨てるわけにはいきません」
「でもっ!」
 心配してくれているのだろう。
 だが。
「聖騎士団に救助依頼をしておいてください。おそらく五馬が森に向かったのは本当です。すぐに助けにいかないと間に合わない」
 本来、魔物は森の奥地に湧く。
 そのため、多少、森に踏み込んだところですぐに魔物に遭遇したりはしない。だが、村のすぐ近くにある百禍びゃっかの森は異例である。踏み込めばすぐに強力な魔物に襲われる。
 新月の夜なんかは大量の魔物が森から現れ村を襲撃する。聖騎士団に守られるおかげで死者は出ていないが。
 つまり──。

「あの森は少しでも踏み込んだら即命を落としてもおかしくありません! すぐに止めないと!」
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