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1話
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わたし達は近くの喫茶店に立ち寄り、ソウ兄達を待っていた。店内には落ち着いたジャズが流れていた。あれから少し時間が経ち、明日香さんも落ち着いたようであった。彼女は注文したブレンドを少し啜った。それだけでも、すごく大人っぽく見える。それに比べて、わたしはオレンジジュースで子どもっぽいと思えた。三つしか変わらないのに、どうしてこうも違ってくるのだろうか。少し羨ましい。静かにジュースを啜り続けた。
「ねぇ、あなたのこと、マナちゃんって呼んでもいいかしら」
「え、えっと」
「立原くんが、あなたのことを『マナ』って呼んでいたから。その、駄目かしら?」
「だ、駄目じゃないです」
初めて会った人から「マナ」と呼ばれるのは、うれしい反面少し照れくさい。彼女のうれしそうな笑みを浮かべると、つられて笑ってしまう。なんだかお姉ちゃんができた気分になる。一人っ子だからだろうか。姉妹に憧れはあった。明日香さんのような大人っぽくてお淑やかな人がお姉ちゃんだったらと考えてしまう。
「ねぇ、マナちゃん。あなたは自分の願いを叶えようとかは考えなかったの」
「わたしの願いですか。わたしの願いは…」
“普通の女の子”として、平穏な日常を送りたい。あのときから、ずっとそう願っていた。
『結びの力』で、それを平穏な生活を手に入れたとしても、きっと後悔をしてしまう。そんな気がした。だからこそ、未だにわたしは『結びの力』を手放せずことができていないのだ。
「ごめんなさいね。愚問だったわ」
「い、いえ、こちらこそすいません」
いつかわたし自身を受け入れられる日が来ることを信じるしかない。
カランコロンと扉のベルが鳴り、目を向けるとソウ兄と勇一さん、そして店長さんの姿があった。ソウ兄と勇一さんは、かなり気まずそうな表情を浮かべていた。店長さんにかなり叱りつけられたのだろう。穏やかの人程怒らせてはいけないってことだろうか。以後、気を付けよう。
「お嬢さん、うちの職人がごめんなさいね。事情も事情でイライラしてしまっていて」
「い、いえ、こちらも悪いところがあったので」
明日香さんは、申し訳ないように手を振った。店長さんはやさしげな微笑み、まるで聖母のようなまなざしで明日香さんを見つめた。その瞳に凄く見惚れてしまう自分がいた。嘘一つもないやさしい目。だからこそ勇一さんは苦しさを感じているのだろうか。職人として雇ってくれた彼女に恩を返したいという思い。そして介護を必要となったお父さんに対する思い。その二つの思いに板挟みになり、ずっと独りで抱えてしまっていた。そんな自分に苛立ち、周りの人を遠ざけてしまったのだろう。明日香さんと初めて出会った日も。好きなことをあきらめる悔しさを、ずっと感じて過ごしていくのだろう。そう考えると、心が締め付けられる。明日香さんにも勇一さんにも幸せになってほしい。わたし自身一歩踏み出さないといけない。
「あの! そ、その、て、提案なんですけれど」
「何かしら」
「さ、作品を、ご実家で創られて、お店で販売されるというのは、だ、駄目なんですか」
「もちろん、駄目というわけではないわ。だけれど、勇一くんのご実家は名の知られた老舗旅館を経営されているの。そう簡単にはできないことだわ」
「そ、そうですよね。す、すみませんでした」
肩を落とすわたしに彼女は「いいいのいいの。ありがとう」と囁いた。彼女は勇一さんの肩に手を置き「あなたからも何か言ってあげなさい」と諭すように促した。勇一さんは静かに呼吸を整えた。そして明日香さんに向け、言葉を発した。
「こないだもそうだが、さっきはすまなかった。あんな風に言う必要はなかった。不甲斐ない自分にイラついて、八つ当たりして、大人げないことをしてしまった。本当にすまない。許してもらえるだなんて思っていない。一生恨んだっていい。この通りだ」
勇一さんは、テーブルに付くぐらいに頭を下げた。彼の言葉に言い訳は無く、まっすぐなものだ。根っこから真面目でまっすぐな職人さん。やさしすぎる上に、板挟みになり情けなさから周りの人間を遠ざけてしまった。
明日香さんに目を向けると、やさしく微笑でいて、さっきまでの弱々しい印象が無くなり、たくましく凛としていた。
「勇一さん、顔を上げてください。あたしは、あなたのことを恨んでなんかないです。ましてや、許さないだなんて決してありません。だってあなたがやさしい人だって知っているんですから。あの日だって、遅い時間だからわざと冷たくしてくれたんですよね。わかってますから」
勇一さんを責めることもせず、やさしく言葉をかけた。本当は辛いはずなのに、彼女はそのような表情を浮かべることはしなかった。本当に勇一さんのことを愛しているのだろう。勇一さんは驚きを隠せず、見開いたまま言葉を発することができずにいた。
こんなにも人は、短時間で変われるものなのだろうか。三年間、変わることできなかったわたしにとって、すごいなと思うのと同時に焦りがあった。わたしは静かにうつむいた。落ち込むわたしに明日香さんはやさしく肩に手を置いてくれた。
「勇一さん、あなたにとって、あたしはまだまだ子どもです。たくさん迷惑をかけてしまうことがあるかもしれません。それでもいいのら、あたしと…。あたしと友人から始めてくれませんか」
明日香さんの言葉に戸惑いながらも、勇一さんは「俺といたって、楽しくもなんともないぞ」と拒絶をすることはしなかった。二人の関係はこれから少しずつ築いていくのだろう。まだまだ知らないことだらけの二人の縁が、長い年月をかけて結ばれることを、心から祈るしかない。だけれど、きっと今の二人なら大丈夫だろう。どんな壁も乗り越えることができる。わたしはそう信じている。
「ねぇ、あなたのこと、マナちゃんって呼んでもいいかしら」
「え、えっと」
「立原くんが、あなたのことを『マナ』って呼んでいたから。その、駄目かしら?」
「だ、駄目じゃないです」
初めて会った人から「マナ」と呼ばれるのは、うれしい反面少し照れくさい。彼女のうれしそうな笑みを浮かべると、つられて笑ってしまう。なんだかお姉ちゃんができた気分になる。一人っ子だからだろうか。姉妹に憧れはあった。明日香さんのような大人っぽくてお淑やかな人がお姉ちゃんだったらと考えてしまう。
「ねぇ、マナちゃん。あなたは自分の願いを叶えようとかは考えなかったの」
「わたしの願いですか。わたしの願いは…」
“普通の女の子”として、平穏な日常を送りたい。あのときから、ずっとそう願っていた。
『結びの力』で、それを平穏な生活を手に入れたとしても、きっと後悔をしてしまう。そんな気がした。だからこそ、未だにわたしは『結びの力』を手放せずことができていないのだ。
「ごめんなさいね。愚問だったわ」
「い、いえ、こちらこそすいません」
いつかわたし自身を受け入れられる日が来ることを信じるしかない。
カランコロンと扉のベルが鳴り、目を向けるとソウ兄と勇一さん、そして店長さんの姿があった。ソウ兄と勇一さんは、かなり気まずそうな表情を浮かべていた。店長さんにかなり叱りつけられたのだろう。穏やかの人程怒らせてはいけないってことだろうか。以後、気を付けよう。
「お嬢さん、うちの職人がごめんなさいね。事情も事情でイライラしてしまっていて」
「い、いえ、こちらも悪いところがあったので」
明日香さんは、申し訳ないように手を振った。店長さんはやさしげな微笑み、まるで聖母のようなまなざしで明日香さんを見つめた。その瞳に凄く見惚れてしまう自分がいた。嘘一つもないやさしい目。だからこそ勇一さんは苦しさを感じているのだろうか。職人として雇ってくれた彼女に恩を返したいという思い。そして介護を必要となったお父さんに対する思い。その二つの思いに板挟みになり、ずっと独りで抱えてしまっていた。そんな自分に苛立ち、周りの人を遠ざけてしまったのだろう。明日香さんと初めて出会った日も。好きなことをあきらめる悔しさを、ずっと感じて過ごしていくのだろう。そう考えると、心が締め付けられる。明日香さんにも勇一さんにも幸せになってほしい。わたし自身一歩踏み出さないといけない。
「あの! そ、その、て、提案なんですけれど」
「何かしら」
「さ、作品を、ご実家で創られて、お店で販売されるというのは、だ、駄目なんですか」
「もちろん、駄目というわけではないわ。だけれど、勇一くんのご実家は名の知られた老舗旅館を経営されているの。そう簡単にはできないことだわ」
「そ、そうですよね。す、すみませんでした」
肩を落とすわたしに彼女は「いいいのいいの。ありがとう」と囁いた。彼女は勇一さんの肩に手を置き「あなたからも何か言ってあげなさい」と諭すように促した。勇一さんは静かに呼吸を整えた。そして明日香さんに向け、言葉を発した。
「こないだもそうだが、さっきはすまなかった。あんな風に言う必要はなかった。不甲斐ない自分にイラついて、八つ当たりして、大人げないことをしてしまった。本当にすまない。許してもらえるだなんて思っていない。一生恨んだっていい。この通りだ」
勇一さんは、テーブルに付くぐらいに頭を下げた。彼の言葉に言い訳は無く、まっすぐなものだ。根っこから真面目でまっすぐな職人さん。やさしすぎる上に、板挟みになり情けなさから周りの人間を遠ざけてしまった。
明日香さんに目を向けると、やさしく微笑でいて、さっきまでの弱々しい印象が無くなり、たくましく凛としていた。
「勇一さん、顔を上げてください。あたしは、あなたのことを恨んでなんかないです。ましてや、許さないだなんて決してありません。だってあなたがやさしい人だって知っているんですから。あの日だって、遅い時間だからわざと冷たくしてくれたんですよね。わかってますから」
勇一さんを責めることもせず、やさしく言葉をかけた。本当は辛いはずなのに、彼女はそのような表情を浮かべることはしなかった。本当に勇一さんのことを愛しているのだろう。勇一さんは驚きを隠せず、見開いたまま言葉を発することができずにいた。
こんなにも人は、短時間で変われるものなのだろうか。三年間、変わることできなかったわたしにとって、すごいなと思うのと同時に焦りがあった。わたしは静かにうつむいた。落ち込むわたしに明日香さんはやさしく肩に手を置いてくれた。
「勇一さん、あなたにとって、あたしはまだまだ子どもです。たくさん迷惑をかけてしまうことがあるかもしれません。それでもいいのら、あたしと…。あたしと友人から始めてくれませんか」
明日香さんの言葉に戸惑いながらも、勇一さんは「俺といたって、楽しくもなんともないぞ」と拒絶をすることはしなかった。二人の関係はこれから少しずつ築いていくのだろう。まだまだ知らないことだらけの二人の縁が、長い年月をかけて結ばれることを、心から祈るしかない。だけれど、きっと今の二人なら大丈夫だろう。どんな壁も乗り越えることができる。わたしはそう信じている。
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