晴れた空に虹がかかる

雅川 ふみ

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4話

夏の日のキミ

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 七月に入って、初めての日曜日。わたしと駿人くん、そして藤堂くんは学校の体育館に向かっていた。今日は、ヒナちゃんの大切な試合があり、その応援へとやって来た。休みの日に学校にいるだなんて不思議なキモチになる。他校の生徒も来ていて、なんだかこちらも緊張をしてしまう。わたしと同じ小柄な子もいるけれど、バスケをやっているだけのこともあり、背が高い人が多い。二十センチぐらい離れている子もいるんじゃないかと思ってしまう。

「今日も一段と暑いね」

「駿人くん、それ何度も言ってますよ」

「そうだっけ? ごめん」

 駿人くんはおちゃらけたように言って、楽しそうに笑った。笑った顔が、あぁ男の子なんだなと思ってしまう自分がいる。信頼している人ではあるけれど、妙に緊張してしまう。傍にいると体温が上がって、胸が躍っている。野に咲く花のようにキレイだと言った彼の真剣な表情が、今でも思い出してしまうときがある。その度、息の仕方がわからなくなってしまう。もともと男の子と話すのは苦手ではあるけれど、それとはまた違う緊張だ。彼に対するキモチの正体は一体なんだろうか。友情とは違うこの感情。今までに抱いたことのない感情で、とてももどかしく思える。わたしは、駿人くんの顔を盗み見た。シュッと引きしまった輪郭でメガネで隠れているけれど、目は二重になっている。その上さっぱりとした表情を浮かべている。彼の目には、この景色が、どうのように見えているのだろうか。興味が湧いて来た。だけれど聞く勇気もなく、わたしはそっと目を閉じた。きっとわたしのことは、ただの友達としか思われていないのだろう。そう思うと、なんだかさびしく思えてしまう。そのことに気づいて、わたしの体温が急上昇して、頭の中がボッと沸騰した。

「だ、大丈夫、ハルちゃん?」

「は、はい。だ、大丈夫です」

「顔が赤いけれど、熱があるんじゃない?」

「い、いえ。今朝測ったら平熱でしたので」

「今朝測ったんだ。真面目だね。でも無理しちゃダメだよ。ハルちゃん、体力あるわけじゃないんだから」

 確かにわたしは体力があるほうではない。少し走っただけでも息を切らしているし、重たい荷物を運ぶにしても一苦労だ。それにまだ精神的に落ち着いていないときもある。たぶん駿人くんはそのことも心配をしてくれているのかもしれない。わたしは、駿人くんの袖を掴んだ。「ん?」と振り返る彼に対し、わたしは何も話せずにいた。沈黙が流れ、わたしは静かにうつむいた。用があったわけではなく、どうしてか手が勝手に彼の袖を掴んでいた。今、この状況をどうすればいいのだろうか。困惑をしていた。

「なぁ、俺、さきに場所取ってるから、少し、二人で話して来いよ」

 この沈黙を破ったのは藤堂くんだった。彼に目をやると藤堂くんが軽く頷いた。駿人くんもやさしい声音で「そうだね」と返答して、校庭近くにあるベンチに腰を下ろした。風がさぁと吹き、わたしの髪を揺らした。

「ハルちゃん、大丈夫かい」

「す、すみません。だ、大丈夫です」

「本当に? 急に深刻な顔になるし、うつむいたりするし。なんだか変だよハルちゃん」

「ごめんなさい。その、わたし…」

「いいよ、ゆっくりで」

「駿人くん、いつもやさしいし大人っぽいから、なんだか置いて行かれているキモチになるときがあるんです。出会って間もないのにおかしいですよね」

「そう。話してくれてありがとう。大人っぽいか。初めて言われたなぁ。いつもヒナとか他の奴らにガキとか子どもっぽいとか言われているから新鮮だな。でも僕からしたら、ハルちゃんのほうが先に走っている感じがするんだよね。絵に対する好きっていうキモチとか、描いているときすごく伝わってくる。だってすごくキラキラしているんだもん。このままだと、ハルちゃんに置いてきぼりにされちゃうってなるんだよ。って何言っているんだろ僕」

 駿人くんは切なさが混じった笑みを浮かべ、まっすぐ前を向いた。その様子を見ると、駿人くんも一人の年頃な男の子なのだと感じさせられる。彼自身も焦ったり悩んだりもするのだ。決してわたしだけではない。勝手に自分だけだと思い込んでいた。勝手な思い込みで、わたしは彼のことを傷つけてしまったのではないだろうか。わたしは、彼の手にそっと手を差し伸べた。

「駿人くん、その、ごめんなさい。わたしが変な気を起こしたから、駿人くんに悲しい思いをさせてしまって。本当にごめんなさい」

「いいんだよ。別に悲しいキモチにはなっていないからさ。ハルちゃんが心病むことじゃないよ。そうだな。いい刺激になってるよって伝えたかったんだけどな。ごめん伝え方が下手くそで…」

「い、いえ…、その、わたしは…」

「さっ、行こうか。竜も待っているだろうしね」

「そうですね。急ぎましょう」

 お互いに顔を見合わせ、フッと笑みをこぼし、体育館へ足を進めた。



「あー! 悔しい!」

 おやつ時、わたし達は学校の近くにある『甘味処 すみれ堂』にやって来ていた。試合後のミーティングを終え、今からわたし達は、ヒナちゃんを慰める会を開くことになった。女子バスケ部の試合は、最初、点数を取られ続けてしまい、かなり点差が離れてしまっていた。ヒナちゃんもマークをつけられてしまいなかなかシュートを決められず、苦々しい表情を浮かべていた。第二クォーターの途中で、ヒナちゃんは三年生と交代させられしまった。その後というもの、さっきまでの状況がウソみたいに点差を縮めて行った。第三クォーターや第四クォーターも接戦となっていた。そして僅差まで近づいたところで、試合終了となってしまった。チームに貢献することが出来なかったことや試合に負けてしまったことが重なり、かなり落ち込んでいる様子であった。わたし達は静かにヒナちゃんを迎え入れ、一緒にすみれ堂へとやって来た。昔ながらということもあって、懐かしい雰囲気が漂っていた。でもそれが安心することが出来る。そのためが学生や子ども連れの主婦、そして仕事の休憩時間なのかOL風のお姉さん達が来ていた。お店の中が、とても賑やかで繁盛をしている様子だ。違うお店にしたほうがいいのかと思ったけれど、三人の行きつけで、楽しいときや悲しいときは、いつだってこのお店だそうだ。共通の思い出があるということは少しだけ羨ましく思えるけれど、今こうしてわたしも加えてくれているのがすごくうれしい。

「ヒナはとにかく目立ち過ぎなんじゃないか。だから相手チームにマークされるんだよ」

「だってうちだって勝ちたい。もっとチームに貢献したいよ。そのためにもパス回してもらいたい」

「だからって、あんなにパスを要求していたら相手チームにあたしをマークしてくださいって言っているものだろう」

「そ、そうだけれど…」

 藤堂くんの言葉に、ヒナちゃんは何も言い返せずうつむいてしまった。いつもだったら、もっと言い返しているのに、今回ばかりはかなり落ち込んいるようであった。『そんなにきつく言わなくても』と言おうとしたけれど、二人の関係性を考えると口にすることが出来なかった。新参者のわたしが口にしても、余計なお世話だし、ヒナちゃんのプライドを余計に傷つけてしまう。だからわたしは何も言えず、となりの席で口を開こうとすればすぐに結んでしまっていた。彼女のために出来ることがないことが虚しくて辛い。スカートをギュッと掴んでいる手をヒナちゃんがそっと添えてくれた。

「ハル、ありがと。何か言ってくれようとしたんでしょ。キモチだけで大丈夫。すごく嬉しいよ」

「でもわたし…」

「いいの。大丈夫。ハルはやさしいね。何か言おうとしても、うちのキモチを察してくれて堪えてくれたんでしょ。それだけでも十分だよ」

 ヒナちゃんは、悲しみをガマンした目で笑った。その目がどうにも堪えることが出来なかった。わたしは悲しむヒナちゃんを抱き締めた。彼女には泣くのをガマンしてほしくない。そしていつもみたいに明るくみんなを照らしてほしい。今はただそう願うことしか出来なかった。ヒナちゃんは声を殺しつつも大粒の涙を流した。存分に泣いたら、一歩前へ進めるように、また笑えるように、わたしはゆったりと彼女の背中を摩っていた。かつて楓ちゃんや駿人くんがやってくれていたように。わたしは泣いている彼女に対し微笑みを浮かべた。彼女の悲しみも悔しさもすべて受け入れよう。そして一緒に笑ってあげよう。だってわたし達は、楽しいときも悲しいときも共有し合える友達なのだから。

「ねぇ、ヒナちゃん、ぜんざい頼まない? あとは…あっ、お汁粉ある。一緒に飲もうよ」

「…ハル、意外に渋いところあるわね…」

「う、うん。なんだか安心するというか。なんというか…好きなんだよね。」

 言葉に詰まらせていると、ヒナちゃんが思いっきり噴き出し、声を出して笑い始めた。やっぱり彼女は笑顔がとても似合う。太陽のように明るく暖かい笑顔をするヒナちゃんが、わたしは一番好きだ。彼女が笑うと不思議とこちらまで心が暖かくなる。わたしもつられて笑みがこぼれた。

「ハルちゃんはすごいなぁ。もうヒナのことを手懐けているよ」

「駿人くん、その言い方、女の子に失礼ですよ」

「ご、ごめん」

 謝る駿人くんに、わたし達は顔を合わせて笑い合った。こんな何げない日々が続いていい。心からそう思える。わたし達はぜんざいやお汁粉を追加し、ヒナちゃんの鬱憤を楽しげに聞いていた。みんな、笑顔でとてもキラキラとしている。今のわたしはどうだろうか。輝けているだろうか。いや、そんなことは関係ない。みんなが幸せに過ごせられるような環境を作りたい。そんな思いがわたしの胸に灯った。将来、どうなりたいかはまだわからない。だけれど、その思いが何かに繋がるかもしれない。その何かを見つけるためにもわたしは、今この一瞬一瞬を大切にしていこう。密かにそう心に誓うのだった。



 話し込んでいるうちに、日が落ちるころになってしまっていた。学校近くとは言えども、灯りが少ない地域だ。駿人くんと藤堂くんの計らいで家まで送ってもらうことになった。わたしには駿人くんで、ヒナちゃんには藤堂くんという組み合わせだ。少し言葉を交わしたあとに、わたし達はそれぞれに帰路に就くことになった。転校して来て、初めての寄り道だ。学校帰りというものの、部活動が異なったり、門限などがあり、なかなかする機会がなかった。こうして、制服で甘味処などに立ち寄れたことが夢みたいに思えてくる。楽し過ぎて仕方がない。少し憧れていた。わたしと親友は、お店に寄っておしゃべりしながら食べるのが苦手なほうだった。

「ハルちゃん、楽しそうだね」

「はい。こうやって友達とお店に立ち寄ったりするの初めてで。すごく憧れていたんです」

「そうなんだ。俺達、よくあそこで時間潰したりしているんだ」

「そうなんですね」

「うん。だからハルちゃんも来てくれたから、すごくうれしいよ」

 駿人くんは二ッと笑みを見せた。
 彼の笑顔がいつも不意打ちでズルイ。この頃、彼の笑顔を見ると、胸が落ち着かなくなってしまう。今でも胸が躍り出して、体が熱くなってくる。彼の笑顔に目が離せないでいる自分がいた。駿人くんは、わたしにとって初めての男の子の友達。それ以外はないと思っていた。わたしは彼に、友情以上の感情を抱いてしまっているのだろうか。まだその感情の正体を知るには、まだ勇気が足りない。それを知ってしまったら、今の関係のままではいられなくなってしまう。もう関係が壊れてしまうのがイヤだった。わたしはそっと心に蓋をした。それなのに彼はわたしを翻弄するのだ。

「今度は、二人で行こうよ。僕のねおすすめを教えてあげるよ」

「そ、そんなクラスの人に見られたらどうするんですか」

「へぇ、ハルちゃんもそういうの気にするんだね」

「し、しますよ! わたしだって年頃の女の子なんですよ」

「女の子って言い方、かわいいね。ハルちゃんらしい」

「しゅ、駿人くん。ご、誤解しちゃいますよ。それ」

「えっ、あ、そうだね。ごめんつい」

 慌てて手を合わせる駿人くんに対し、わたしはスンッと歩いて行った。彼は女心に疎すぎる。言葉に気をつけてほしいものだ。わたしは胸のあたりを触れつつ、足を進めて行った。赤くなった顔を見られたくはなかったから。知りたくない気づきたくない。そのキモチがいっぱいだった。わたしは彼のことを…。

――好きになってもいいのかな?

 彼と出会って、間もないわたしが恋心を抱いてしまうのは軽薄ではないだろうか。そしてそれを口にしてしまったら、もうわたし達は今みたいに仲良くすることが出来なくなってしまう。今まで通り、わたし達は男女友達だ。それ以上もそれ以下もない。そう思い込むようにしていた。もう友達を失うのはイヤだ。それなのにどうしてこんなにも心が苦しくなるのだろう。彼にとっても、わたしは女友達の一人しか見られていないってわかっているのに、どうしてなのだろう。光が差しかかった心にモヤモヤと煙がかかって行った。速足で歩くわたしの手を駿人くんが掴んだ。

「ハルちゃん、ごめん。癪に障るようなことして。でも僕、本当にハルちゃんがかわいいと思ったんだよ。本当だよ」

「駿人くん、本当にわたしのことをかわいいって思っているんですか?」

「うん。初めて会ったときからね。かわいいとも思っているし、時にはキレイだと思うときがある。本当だよ。僕は
ウソがキライなんだ。特に人を傷つけるウソがね。お世辞に聞こえるかもしれないけれど、本心から僕はハルちゃんがかわいいって思っているよ」

「本当ですか?」

「本当だよ。ハルちゃんはもっと自分に自信を持っていいんだよ。だってハルちゃんは変わりたいって、努力しているし、どんどん明るくなって来ていると思う。僕はそういうところを認めているんだよ」

 駿人くんはわたしの手を引っ張り、体を受け止められた。とても大きく逞しい。あぁ男の子なのだなと思わされる。そしてやさしく包み込まれた。まるで雛鳥を守るように。わたしの体温が急上昇していく。わたしは言葉を発することが出来なくなっていた。わたしは、わたしは…。
 わたしは、駿人くんを力いっぱいに押し離した。キライではないのに、イヤなキモチになったわけではないのに。情報の処理が上手く出来ず、わたしは、その場から立ち去ってしまった。今のわたしの顔を、駿人くんに見られたくはなかった。わたしは、必死の思いで夜道を走った。街灯のない暗闇の道。わたしは何かに躓き、倒れるように転んでしまった。わたしの瞳から一粒二粒と泪が流れた。痛いからじゃない。はずかしいからではない。わたしは駿人くんのことが心の底から好きになってしまったのだ。それは友達としてではなく、一人の男の子に恋をしてしまったのだ。自分にはどうすることも出来ない感情に苦しくて辛い。わたしは声を殺しながら泣き続けた。

「ハルちゃん、帰ろう。楓さんが心配する」

 わたしを追いかけて来たのか息を切らした駿人くんに声をかけられた。わたしは、言葉を発することが出来ず、首を横に振った。駿人くんはその場に座り、わたしが落ち着くのを待ってくれていた。彼はやさしい。やさし過ぎる。それが辛く苦しい。わたしは、その場で泣き続けた。しばらくして、駿人くんが楓ちゃんに連絡を取ってもらい迎えに来てもらうことになった。今、わたしは楓ちゃんの車の車窓から外をぼんやり見ていた。真っ黒に染まった畑道。今、わたしは再び悲しみの海にいる。イヤなことをされたわけではないのに、わたしの心が不安定になり、駿人くん自身を傷つけ悲しいキモチにさせてしまった。いつもやさしくしてもらえているのに、一人にならないようにしてくれているのに、わたしは、彼を拒絶するような行為をしてしまった。次に会うとき、わたしは彼にどんな顔で会えばいいのだろうか。不安でしかなかった。一人の男の子に恋をすることも、これまでの距離を取り戻すことも。わたしは何一つ前には進めてはいない。

「ハル、大丈夫かい?」

「楓ちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

「謝らなくても大丈夫だよ。お互いに悪いところはない。たまたま今日が不安定なときだった、ただそれだけのことなんだよ。ハル自身も着実にいい方向に進めているし、駿人だってまだまだこれからの子だよ。大丈夫。ゆっくりでいいんだよ。ハルはハルのペースで。挫けそうなときはあたし達が全力で助けてあげる。だから、ハル、一人になろうとしちゃダメだからね」

「楓ちゃん、わたし…。わたし、駿人くんのこと傷つけちゃった…」

「大丈夫、あいつはあれぐらいでは傷ついたりはしない。だってずっとあんたのこと心配してたんだもん。最近、あんたの話題ばかりなんだよ駿人は。毎晩のようにハルの様子をメールで送って来てるの。ハルのストーカーかって言っているんだけどね」

「わたしの様子を…? どうして?」

「ごめん白状するね。あたし、ハルが越して来る前に駿人に話したの。ハルがイジメに合っていたことやそのことで今ハルの心に傷を負ってしまったこと。すべて駿人に話した。ハルにはそのことを触れないでやってほしいって伝えてある。だけど、ハルが独りぼっちにならないように守ってあげてほしいって」

 だからいつもわたしの傍にいてくれていたのだろう。そしてわたしが一人にならないように藤堂くんのことも紹介をしてくれていたのかもしれない。わたしは守られていたのだ。楓ちゃんにも駿人くんにも。それなのにわたしは何も出来ていない。まだまだ心が不安定な女の子でしかない。そんなのはイヤだ。一刻も早く駿人くんに謝りたかった。そして守ってくれていてありがとうと伝えたい。感謝のキモチでいっぱいになる。これからも駿人くんと笑って行きたい。

「ハル、駿人に伝えたいことはあるのなら早いほうがいい。だけれど、今日はもう遅い。明日、早めにしたほうがいい。あたしから伝えたいことがあると言っていてあげようか?」

 楓ちゃんの提案に、わたしは首を横に振った。キモチはうれしいけれど、これは自分でやらないといけないことだ。楓ちゃんに甘えてばかりじゃダメだ。わたしは自身のスマホを取り出して、駿人くんに『明日、会って話したい』と短い本文のメールを作成し、送信をした。そしたらすぐに返信が来た。『わかった』とのことであった。明日になったら、きちんと謝罪をしよう。そしてこれまでのことをちゃんとお礼をしよう。もう守られてばかりの女の子から卒業をしよう。



 翌日、駿人くんはわたし達の家へと訪れた。
 わたし達は縁側に腰を下ろし、楓ちゃんが用意してくれたまんじゅうをつまんでいた。昨日の今日で、わたしの中まだ気まずさというのかあって、うまく話しを切り出すことが出来ないでいた。駿人くんはまんじゅうをかじりつつ庭をぼんやりと眺めていた。きっとわたしが話しを始めるのを待ってくれているのだろう。わたしは、そっと食べかけのまんじゅうをお皿に置いた。

「あ、あの、駿人くん…、その…」

「ん?」

「そ、その昨日はごめんなさい。わたし…あんなに泣いたりしてしまって…」
「いいんだよ。別に。そういう日もあるだろうし。僕はぜんぜん気にしてはいないよ」

「でも…」

「ハルちゃんはもっと泣いてもいい。ハルちゃんは目を離すと一人で抱え込んじゃうタイプだから。だからいつも僕はキミから目を離さずにはいられなかった。それにさ。僕、ハルちゃんに初めて会ったとき、一目惚れしたんだよね。なんてキレイな子だんろうって。だから余計にほっとけなかった」

「駿人くん…」

「付き合ってほしいとは言わない。だけど、ハルちゃん。これだけは忘れないで。キミは決して独りぼっちなんかじゃないんだから。昨日、ヒナにやっていたように、僕はハルちゃんのことを支えるよ」

 駿人くんは笑みを浮かべ、やさしくわたしの頭を撫でた。ごつごつとした大きな手。お日さまのように暖かく安心することが出来る。肩の力が抜け、頬が緩んだ。彼との間に置いた皿をどかし、わたしは彼に肩を寄せた。細い体型なのにとても逞しい。男の子だなと思わされる。駿人くんはわたしにとって初めて出来た男の子の友達。そして初めて好きになった人。少しだけ、希望が見えて来たように思える。楓ちゃんがこっちに越して来るように促してくれたから、彼と出会うことが出来た。そしてヒナちゃんや藤堂くんとの縁を結ぶことが出来た。それがどれだけうれしく尊いものなのか。わたしは笑う。ここにやって来て本当に良かった。心からそう思える。まんじゅうを手に取り、再び口へと運んだ。ふんわりとした香ばしい香りが口の中で広がり甘さが伝わってくる。

「ハルちゃん、幸せな表情しているね」

「幸せです。とっても」

「そっか。ならよかった」

 駿人くんもクスリと笑った。
 これから辛いことも苦しいこともたくさんあるだろう。でもこの幸せなキモチを忘れずにいたら、いつか道に迷ったとき道しるべになってくれるだろう。少しずつでもいい前に進んで行こう。今のわたしは、今までのわたしよりも強いわたしだ。挫けそうになったとき、支えてくれる味方がいる。もう独りぼっちの水森晴香はどこにもいない。わたしは前に進む。躓くことがあっても、わたしは歩いていく。みんなと一緒に心の底から笑い合えるために。
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