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最終章
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しおりを挟む静まり返った地下8階層の街並みの、そんな夜道を歩く、漆黒の影が一つ。
物音の一切を殺して、その者の足が止まった。
締め切った扉の、何の変哲も無い建物の前。
その者はドアノブへと手を掛ける。
無論、開くはずはない。
分かっていた。
次にその者はボソボソと、魔法祝詞(のりと)を口ずさむ。
口ずさんだ直ぐ後、その者の掴んだドアノブが途端に回った。
その者は建物の中に足を進め、ゆっくりと扉を閉める。
そして、ドアノブを力任せにグニャリと曲げ捻(ねじ)る。
これで誰も侵入できまいーー
その者は、足を建物の奥へと向けて歩き出した。
廊下の突き当たりから、仄かな明かりと、男達の笑い声が多数。
その者の足は迷う事なく、その場へ吸い込まれるかの如く。
「よぉ、遅かったなグラジオ」
男達の中の、酒ジョッキを片手にした誰かは、その者に笑みを向けて言った。
また違う誰かは「一人か?」と、やはり笑みを浮かべていた。
その者、無言でコクリと頷いた。
数にして二十数人。
室内所狭しいった様子で、男達は宴の真っ最中であった。
そんな男達とは、フードを深々と被ったその者に対し、何ら警戒心はない。
彼はグラジオで間違いないと、その巨体を流し見には憶測のみで決め付けていたからである。
何より、その者とて否定はしなかった。
まるで自身はグラジオであるかのような佇まいで、おずおずとした足取りで空いたソファに座ったのである。
何だよグラジオの奴、機嫌でも悪いのか?
だんまりを貫くその者を視界先に、ひそひそと、数人の男達は囁き合う。
故にその場に居合わせた誰一人として、それ以上直接話しかけようとはしなかった。
それはグラジオという、乱暴な男の事をよく知っている彼等であるからこそ。
機嫌の悪いグラジオとはかなり達が悪い。
だったら、そっとしておくのが一番。
そんな暗黙の共通認識が芽生えていた。
そして、
「よし、皆揃ったな」
グラジオの訪れをきっかけに、一人の男が立ち上がる。
隻眼(せきがん)のその男の言葉を受けて、室内は一気に静まり返っていた。
会合の音頭をとるその隻眼の男とは、今夜の集まりの発起人にして、数ある裏組織を束ねる中心的な存在であった。
名をバンク。
皺の多い初老の、白が混じりの黒髪を一つに結った、並々ならぬ風格を醸し出す。
今現在も尚、ダイスボードの攻略組として一線級の働きを見せるその男、隻眼のバンクに対し皆の視線一切は集中していた。
余計な言葉を発する者は、誰一人としてない。
発してはいけないと、皆は分かっているのだ。
このダイスボードに於いて、バンクにだけは逆らってはいけない。
隻眼のバンクを目の前にすれば、誰だってそう思うだろう。
少なくともその場に居合わせた男達は。
故の畏敬の眼差しと、固く閉じた唇。
彼等は静かに、バンクの次の言葉を待っていた。
刹那、
その場に集まった男達の注目を浴びたバンクの口が、、ゆっくりと開いた。
「今日集まってもらったのは他でない。例の少女が、この8階層に訪れたとの情報が入った。喜べ、俺たちの活動が遂に日の目を浴びる時が来たのだ」
バンクの高らかに笑って、両手を大きく広げた。
「少女の名はヒポクリフト!なぁに、何の変哲も無い人間の少女さ!ただ言って、彼女には秘密がある!お前らだってよく知っているだろう?」
目線を焚(く)べるグラジオを眺めて、一同は無言で頷き答えた。
ああ、もちろん。よく知っているとも。
「……くくく、そうさ。その少女とは、ある至極の宝を所有しているという。だからさ、その宝さえあれば、俺たちは何もこんな場所でコソコソする必要なんてない。地上へと戻り、一国を築く事だって夢じゃない!そうさ、地上だ!」
集まる男達の歓声が、轟々と鳴り響く。
「……地上を追われ、逃げ込むように訪れたこのダイスボード。魔物と財宝、ただの其れだけしかない迷宮での日々。ただひたすらにじっと耐えて、力を溜めて、財宝を掻き集めて、いつか必ず地上の愚か者供に復讐してやろうと、俺はそのように我慢してきた。お前達とて、そうだろう?」
集まる男達の歓声が、怒号となって鳴り響く。
「ここに集まった者達とは、そんな土と血の味を知る者達だけだ。言ってそれは、屈辱。俺たちにその屈辱を齎した奴らは、今でも地上で幸せな日々を送ってやがる。なぁ……そんな幸せが許せられていいのか?許されちゃいけねぇよなぁあああああ!?」
叫ぶバンクの声。最早それは人間の声とは呼べない。
言うならば、野獣の咆哮に近い。
バンクとは、地上に恨み辛身を連ねた一匹の野獣と成り果てていたのだった。
バンクに呼応する男達もまた、同様に。
バンクの周りに、男達は立ち寄り集まった。
手には酒ジョッキではなく、それは劔。斧。ナイフ。
各々がこれまで屈辱の日々を共にしてきた、生きるために用いた凶器だ。
彼等は凶器を掲げ、一つに重ねた。
そんな凶器の中心で、バンクの愛刀がギラリと妖光を放っていた。
それが復讐開始の合図となって、
「行くぞ者共!!今宵、俺たちの時代が始まるのだ!!」
バンクの号令が、室内に木霊したーー
その時だった。
「おい」
冷めた声が鳴る。
「あぁ?」
バンクがその声にして、一同の視線が揺れ動いた。
動いた先に、ソファに座る巨体の、漆黒のローブ姿は映る。
彼だけが、決起する男達から離れていた。
「何だグラジオ?何かあんのか?あぁ!?」
一人俯(うつむ)いたその者に、バンクの矛が向く。
「なぁグラジオよ。貴様の実力はこの俺とて高く評価している。これまでも、そして今現在に至ってもだ…だからこそ、貴様の勝手を許してきてやったのだが……」
そろそろ、死んでみるか?
そう言ったバンクの言葉に、嘘二言は全くと言ってなかった。
次のその者の言葉次第では、バンクは本気で怒りの矛先を向けてしまうことだろう。
緊迫した空気が流れる。
バンクを除く一同は、固唾を飲んでその者の言葉を待っていた。
おい、余計な事は言うなーー
誰しもがそう思っていた。
バンクをこれ以上怒らせるなと、そうも思っていた。
それなのに、
「どこにも行かせない」
その者は、揺るぎない態度を貫き通していた。
そして、ゆっくりと立ち上がると、その巨体を揺らして、
「貴様ら蛆虫(うじむし)の愚行を、この俺が許すと思うか?」
そう言って、バンクの前に立ちはだかる。
その時になって、皆はやっと理解した。
違う、こいつは……
グラジオじゃない。
「まさかと思ったが。そうか……貴様、」
バンクが言った。
次の瞬間。
バンクの突き出した剣先が、その者のフード奥を捉え、貫く。
「おいおい、マジかよ……」
剣先で、ゆらゆらと、主人を失ったフードが、黒いローブが揺れる。
揺れるローブの奥に、その者は真の姿を現していた。
「…断罪だ」
その者ーー獣顔は一言、呟いた。
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