上 下
29 / 44
第六章 雨に濡れた髪

しおりを挟む
「わぁ、蘭ちゃん! 綺麗!」

 12月24日火曜日の定休日、クリスマスイヴ当日。本来なら誰もいないはずの店内に、涼子さんの嬉々弾んだ声が響き渡る。

「さすが龍之介さんね。蘭ちゃん、女優さんみたいよ」

「もう、お姉ちゃんっ! そんなにくっつかないでよぉぉ」

「いいじゃない! だって蘭ちゃん、本当に可愛いんだもの!」

 楽しそうな時雨姉妹を見ていると、なんだかこっちまで楽しくなってくる。改めて、蘭子ちゃんの等身大をチェック。うん、完璧だ。服装は以前買ったものをそのままに、メイクは涼子さんが担当してくれた。二人は顔立ちがよく似ているから、それこそ二人は双子姉妹のようであった。

 髪型に関しては、僕が担当した。長さは毛先を揃えて軽く梳いたぐらいで、どちらかと言えばヘアアレンジに力を入れることにしてみた。今回のコンセプトとしては、『フェミニン(女性らしさ)』を意識。中間から毛先にかけてヘアアイロンで巻き込み、全体的に緩やかなウェーブを作る。

 そして、イマドキ風のアレンジを取り入れることに。

「今回は、『濡れ髪』にしてみたよ」

「濡れ髪?」

 首を傾げる蘭子ちゃん。僕は頷いて、蘭子ちゃんの髪に瞳を向けた。

「濡れ髪ってのは、読んで字の通り濡れたような髪のことをそう言うんだよ。ツヤ感の出るワックスやオイルを髪に馴染ませて、敢えてしっとりとした感じに仕上げるの。ウェーブにしても、少し水っぽい方がカールが強調されてお洒落に見えるんだ。『水も滴る良い女』って、よく言うでしょ」

「名付けて、『龍ちゃん編み込み濡れ濡れスペシャル』ってところじゃな。今度メニュー付け加えておこうかのう」

 玉ちゃん、得意げにそんなおかしなネーミングを付けてくる。いややめて。そんなよく分からないメニューを担当しなきゃならないこっちの身にもなってよ。

「龍之介さん」

 かしこまった涼子が、僕へ向き直り優しく微笑んでいた。

「この度は、蘭ちゃんのためにありがとうございました」

「いえいえ、蘭子ちゃんにはいつもお世話になってますし、お安い御用ですよ」

「それでも、感謝しております」

 深々とお辞儀をする涼子さん。

「龍之介さんが来てからというもの、蘭ちゃん毎日楽しそうで、そんな蘭ちゃんを見るのは久しぶりだったから、私も嬉しくて」

「そうなんですか。でも蘭子ちゃんなら、僕がいなくたって楽しそうにやってそうですけどね」
 深い意味もなく僕はそう言った。ただなんだろう、いままで和やかだった雰囲気が一気に冷めていく感じがした。

 あれ、僕、なにか言っちゃいけないことでも言ったのかな?

「龍之介さん」

「はい?」

「実は、ずっと黙っていたことがあるのですが──」と、涼子は改まった態度で、僕になにかを伝えようしていた時。

「あーあーあーっ! お姉ちゃん、ほらっ、お店っ! 早くしないとお客さん来ちゃうよ!?」
 突然蘭子ちゃんが声を張り上げ、涼子さんの背中を押して店の外へ出そうとしている。

「蘭ちゃん、お店は午後からなんだけど、」

「あっ、じゃなくて! 開店準備っ! ほら、あたしも手伝うから! 行こ!」

 そんな二人のよく分からないやり取りを見送っていると、去り際にも蘭子ちゃんは振り返り、顔を赤らめお辞儀をしてきた。

「龍之介さま。本当に、なにからなにまで、その、ありがとうございました。今日のことは、一生忘れませんからっ!」

 そして、今度こそ本当に時雨姉妹は去っていった。その後も、二人のあれこれ言い合う声が店内へと聞こえてくる。うん、やっぱり仲の良い姉妹だ。そんな二人のことだから、この先何年経ってもその関係にヒビが入ることはないんじゃないのかなって、僕は改めてそう思わされていた。

「やっと行ったか」

 時雨姉妹がいなくなってすぐだった。二階から大吾が降りてきた。今更もう遅いんだけど。

「まさか、ずっと隠れてたの?」

「んなわけねぇだろうが、たまたまだよ」

「なにさそれ。蘭子ちゃんすごく可愛かったのに。ひと言ぐらいなにか言ってあげたら良かったのに」

「なんで俺がそこまでしなきゃならねーんだよ。大体、どんなに着飾ろうが蘭子は蘭子だ。変わらねーだろ」

「はぁ、全く……大吾らしいっちゃ、大吾らしいけどさ」

 とにかくはひと安心。あとは蘭子ちゃんのデートがうまくいくのを祈るだけだ。

「さて、用事も済んだし僕は帰るね」

「待て、なに勝手に帰ろうとしてんだよ龍之介。今日は俺に付き合え」

 と、僕の意思など尊重してくれない大吾さん。

「えっと、どっか行くの?」

「鎌倉、小町通りだ」

「え、えぇ……あそこ、人多いと思うんだけど。それに僕、今日サングラスもマスクも持ってきてないし」

「お前の事情なんて知らん。いいから、行くぞ」

 そう言って強引に僕を連れ出そうと羽交い締めにしてくる大吾。対して、僕は必死な抵抗を試みる。「行くぞ!」「行かない!」という、そんな押し問答が終わりなく繰り返されていた。

 その時だ。

「龍ちゃん。そんなに素性がバレたくないのなら、わっちに良い考えがあるぞ」

 ずっと静観していた玉ちゃんが、そんなことを言ってくる。しかもなぜか、悪そうな笑みを浮かべていた。こういう時の玉ちゃんとは、大抵ロクなことを考えていない。僕はこの数ヶ月間で、そのことをよく理解していた。

 だったらそうだ、余計このまま捕まるわけにはいかない!

「は、離してよぉお!」

「よし大吾、そのまま龍ちゃんを捕獲しておくのじゃ。なーに、すぐに済む」

「なに考えてるか分からねーが、頼りにしてるぜ玉藻」

「いつも喧嘩ばっかしてるくせに、こんな時だけ結託するなんて卑怯だぁ!」

 結局、抵抗むなしく僕はされるがままであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...