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第六章 雨に濡れた髪
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「わぁ、蘭ちゃん! 綺麗!」
12月24日火曜日の定休日、クリスマスイヴ当日。本来なら誰もいないはずの店内に、涼子さんの嬉々弾んだ声が響き渡る。
「さすが龍之介さんね。蘭ちゃん、女優さんみたいよ」
「もう、お姉ちゃんっ! そんなにくっつかないでよぉぉ」
「いいじゃない! だって蘭ちゃん、本当に可愛いんだもの!」
楽しそうな時雨姉妹を見ていると、なんだかこっちまで楽しくなってくる。改めて、蘭子ちゃんの等身大をチェック。うん、完璧だ。服装は以前買ったものをそのままに、メイクは涼子さんが担当してくれた。二人は顔立ちがよく似ているから、それこそ二人は双子姉妹のようであった。
髪型に関しては、僕が担当した。長さは毛先を揃えて軽く梳いたぐらいで、どちらかと言えばヘアアレンジに力を入れることにしてみた。今回のコンセプトとしては、『フェミニン(女性らしさ)』を意識。中間から毛先にかけてヘアアイロンで巻き込み、全体的に緩やかなウェーブを作る。
そして、イマドキ風のアレンジを取り入れることに。
「今回は、『濡れ髪』にしてみたよ」
「濡れ髪?」
首を傾げる蘭子ちゃん。僕は頷いて、蘭子ちゃんの髪に瞳を向けた。
「濡れ髪ってのは、読んで字の通り濡れたような髪のことをそう言うんだよ。ツヤ感の出るワックスやオイルを髪に馴染ませて、敢えてしっとりとした感じに仕上げるの。ウェーブにしても、少し水っぽい方がカールが強調されてお洒落に見えるんだ。『水も滴る良い女』って、よく言うでしょ」
「名付けて、『龍ちゃん編み込み濡れ濡れスペシャル』ってところじゃな。今度メニュー付け加えておこうかのう」
玉ちゃん、得意げにそんなおかしなネーミングを付けてくる。いややめて。そんなよく分からないメニューを担当しなきゃならないこっちの身にもなってよ。
「龍之介さん」
かしこまった涼子が、僕へ向き直り優しく微笑んでいた。
「この度は、蘭ちゃんのためにありがとうございました」
「いえいえ、蘭子ちゃんにはいつもお世話になってますし、お安い御用ですよ」
「それでも、感謝しております」
深々とお辞儀をする涼子さん。
「龍之介さんが来てからというもの、蘭ちゃん毎日楽しそうで、そんな蘭ちゃんを見るのは久しぶりだったから、私も嬉しくて」
「そうなんですか。でも蘭子ちゃんなら、僕がいなくたって楽しそうにやってそうですけどね」
深い意味もなく僕はそう言った。ただなんだろう、いままで和やかだった雰囲気が一気に冷めていく感じがした。
あれ、僕、なにか言っちゃいけないことでも言ったのかな?
「龍之介さん」
「はい?」
「実は、ずっと黙っていたことがあるのですが──」と、涼子は改まった態度で、僕になにかを伝えようしていた時。
「あーあーあーっ! お姉ちゃん、ほらっ、お店っ! 早くしないとお客さん来ちゃうよ!?」
突然蘭子ちゃんが声を張り上げ、涼子さんの背中を押して店の外へ出そうとしている。
「蘭ちゃん、お店は午後からなんだけど、」
「あっ、じゃなくて! 開店準備っ! ほら、あたしも手伝うから! 行こ!」
そんな二人のよく分からないやり取りを見送っていると、去り際にも蘭子ちゃんは振り返り、顔を赤らめお辞儀をしてきた。
「龍之介さま。本当に、なにからなにまで、その、ありがとうございました。今日のことは、一生忘れませんからっ!」
そして、今度こそ本当に時雨姉妹は去っていった。その後も、二人のあれこれ言い合う声が店内へと聞こえてくる。うん、やっぱり仲の良い姉妹だ。そんな二人のことだから、この先何年経ってもその関係にヒビが入ることはないんじゃないのかなって、僕は改めてそう思わされていた。
「やっと行ったか」
時雨姉妹がいなくなってすぐだった。二階から大吾が降りてきた。今更もう遅いんだけど。
「まさか、ずっと隠れてたの?」
「んなわけねぇだろうが、たまたまだよ」
「なにさそれ。蘭子ちゃんすごく可愛かったのに。ひと言ぐらいなにか言ってあげたら良かったのに」
「なんで俺がそこまでしなきゃならねーんだよ。大体、どんなに着飾ろうが蘭子は蘭子だ。変わらねーだろ」
「はぁ、全く……大吾らしいっちゃ、大吾らしいけどさ」
とにかくはひと安心。あとは蘭子ちゃんのデートがうまくいくのを祈るだけだ。
「さて、用事も済んだし僕は帰るね」
「待て、なに勝手に帰ろうとしてんだよ龍之介。今日は俺に付き合え」
と、僕の意思など尊重してくれない大吾さん。
「えっと、どっか行くの?」
「鎌倉、小町通りだ」
「え、えぇ……あそこ、人多いと思うんだけど。それに僕、今日サングラスもマスクも持ってきてないし」
「お前の事情なんて知らん。いいから、行くぞ」
そう言って強引に僕を連れ出そうと羽交い締めにしてくる大吾。対して、僕は必死な抵抗を試みる。「行くぞ!」「行かない!」という、そんな押し問答が終わりなく繰り返されていた。
その時だ。
「龍ちゃん。そんなに素性がバレたくないのなら、わっちに良い考えがあるぞ」
ずっと静観していた玉ちゃんが、そんなことを言ってくる。しかもなぜか、悪そうな笑みを浮かべていた。こういう時の玉ちゃんとは、大抵ロクなことを考えていない。僕はこの数ヶ月間で、そのことをよく理解していた。
だったらそうだ、余計このまま捕まるわけにはいかない!
「は、離してよぉお!」
「よし大吾、そのまま龍ちゃんを捕獲しておくのじゃ。なーに、すぐに済む」
「なに考えてるか分からねーが、頼りにしてるぜ玉藻」
「いつも喧嘩ばっかしてるくせに、こんな時だけ結託するなんて卑怯だぁ!」
結局、抵抗むなしく僕はされるがままであった。
12月24日火曜日の定休日、クリスマスイヴ当日。本来なら誰もいないはずの店内に、涼子さんの嬉々弾んだ声が響き渡る。
「さすが龍之介さんね。蘭ちゃん、女優さんみたいよ」
「もう、お姉ちゃんっ! そんなにくっつかないでよぉぉ」
「いいじゃない! だって蘭ちゃん、本当に可愛いんだもの!」
楽しそうな時雨姉妹を見ていると、なんだかこっちまで楽しくなってくる。改めて、蘭子ちゃんの等身大をチェック。うん、完璧だ。服装は以前買ったものをそのままに、メイクは涼子さんが担当してくれた。二人は顔立ちがよく似ているから、それこそ二人は双子姉妹のようであった。
髪型に関しては、僕が担当した。長さは毛先を揃えて軽く梳いたぐらいで、どちらかと言えばヘアアレンジに力を入れることにしてみた。今回のコンセプトとしては、『フェミニン(女性らしさ)』を意識。中間から毛先にかけてヘアアイロンで巻き込み、全体的に緩やかなウェーブを作る。
そして、イマドキ風のアレンジを取り入れることに。
「今回は、『濡れ髪』にしてみたよ」
「濡れ髪?」
首を傾げる蘭子ちゃん。僕は頷いて、蘭子ちゃんの髪に瞳を向けた。
「濡れ髪ってのは、読んで字の通り濡れたような髪のことをそう言うんだよ。ツヤ感の出るワックスやオイルを髪に馴染ませて、敢えてしっとりとした感じに仕上げるの。ウェーブにしても、少し水っぽい方がカールが強調されてお洒落に見えるんだ。『水も滴る良い女』って、よく言うでしょ」
「名付けて、『龍ちゃん編み込み濡れ濡れスペシャル』ってところじゃな。今度メニュー付け加えておこうかのう」
玉ちゃん、得意げにそんなおかしなネーミングを付けてくる。いややめて。そんなよく分からないメニューを担当しなきゃならないこっちの身にもなってよ。
「龍之介さん」
かしこまった涼子が、僕へ向き直り優しく微笑んでいた。
「この度は、蘭ちゃんのためにありがとうございました」
「いえいえ、蘭子ちゃんにはいつもお世話になってますし、お安い御用ですよ」
「それでも、感謝しております」
深々とお辞儀をする涼子さん。
「龍之介さんが来てからというもの、蘭ちゃん毎日楽しそうで、そんな蘭ちゃんを見るのは久しぶりだったから、私も嬉しくて」
「そうなんですか。でも蘭子ちゃんなら、僕がいなくたって楽しそうにやってそうですけどね」
深い意味もなく僕はそう言った。ただなんだろう、いままで和やかだった雰囲気が一気に冷めていく感じがした。
あれ、僕、なにか言っちゃいけないことでも言ったのかな?
「龍之介さん」
「はい?」
「実は、ずっと黙っていたことがあるのですが──」と、涼子は改まった態度で、僕になにかを伝えようしていた時。
「あーあーあーっ! お姉ちゃん、ほらっ、お店っ! 早くしないとお客さん来ちゃうよ!?」
突然蘭子ちゃんが声を張り上げ、涼子さんの背中を押して店の外へ出そうとしている。
「蘭ちゃん、お店は午後からなんだけど、」
「あっ、じゃなくて! 開店準備っ! ほら、あたしも手伝うから! 行こ!」
そんな二人のよく分からないやり取りを見送っていると、去り際にも蘭子ちゃんは振り返り、顔を赤らめお辞儀をしてきた。
「龍之介さま。本当に、なにからなにまで、その、ありがとうございました。今日のことは、一生忘れませんからっ!」
そして、今度こそ本当に時雨姉妹は去っていった。その後も、二人のあれこれ言い合う声が店内へと聞こえてくる。うん、やっぱり仲の良い姉妹だ。そんな二人のことだから、この先何年経ってもその関係にヒビが入ることはないんじゃないのかなって、僕は改めてそう思わされていた。
「やっと行ったか」
時雨姉妹がいなくなってすぐだった。二階から大吾が降りてきた。今更もう遅いんだけど。
「まさか、ずっと隠れてたの?」
「んなわけねぇだろうが、たまたまだよ」
「なにさそれ。蘭子ちゃんすごく可愛かったのに。ひと言ぐらいなにか言ってあげたら良かったのに」
「なんで俺がそこまでしなきゃならねーんだよ。大体、どんなに着飾ろうが蘭子は蘭子だ。変わらねーだろ」
「はぁ、全く……大吾らしいっちゃ、大吾らしいけどさ」
とにかくはひと安心。あとは蘭子ちゃんのデートがうまくいくのを祈るだけだ。
「さて、用事も済んだし僕は帰るね」
「待て、なに勝手に帰ろうとしてんだよ龍之介。今日は俺に付き合え」
と、僕の意思など尊重してくれない大吾さん。
「えっと、どっか行くの?」
「鎌倉、小町通りだ」
「え、えぇ……あそこ、人多いと思うんだけど。それに僕、今日サングラスもマスクも持ってきてないし」
「お前の事情なんて知らん。いいから、行くぞ」
そう言って強引に僕を連れ出そうと羽交い締めにしてくる大吾。対して、僕は必死な抵抗を試みる。「行くぞ!」「行かない!」という、そんな押し問答が終わりなく繰り返されていた。
その時だ。
「龍ちゃん。そんなに素性がバレたくないのなら、わっちに良い考えがあるぞ」
ずっと静観していた玉ちゃんが、そんなことを言ってくる。しかもなぜか、悪そうな笑みを浮かべていた。こういう時の玉ちゃんとは、大抵ロクなことを考えていない。僕はこの数ヶ月間で、そのことをよく理解していた。
だったらそうだ、余計このまま捕まるわけにはいかない!
「は、離してよぉお!」
「よし大吾、そのまま龍ちゃんを捕獲しておくのじゃ。なーに、すぐに済む」
「なに考えてるか分からねーが、頼りにしてるぜ玉藻」
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