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第二章 かっぱの頭
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自宅に戻ると、なぜか玉藻が俺の部屋で寛いでいた。しかも、俺がとっておいたプリンを美味そうに食ってやがる。畜生が、こいつには共同生活を送る上での遠慮なるものが存在しないのかよ。いつもなら小言の一つや二つでも言ってやりたいところだが、今日はどうもそういう気分じゃなかった。
「なんじゃ、随分と塩らしいではないか。らしくない」
「うるせぇな。なに言ったって、どうせ聞いちゃくれねーだろうが」
革ジャンをその辺に脱ぎ捨て、浴室へ向かう。今夜はさっさと寝て、嫌なことは全て忘れ去るのだ。
「聞かずとも分かる。また、龍ちゃんに余計なことを言ったのじゃろ?」
玉藻は、やはり俺の心を見透かしてくる。マジでうざってぇ能力だ。大妖怪だなんだか知らねーが、心の中を覗き見るなんてタチが悪過ぎる。
「ふん、勘違いするな。わっちとて、好きで覗いているわけではない。仕方なくなのじゃ」
知るか。
「また龍ちゃんの傷を抉りおって、可哀想じゃ。あんな優しい人の子をいじめるとは、お主は鬼の生まれ変わりか」
「うるせぇな。俺はただ、あいつに事実を突きつけただけだろうが。それをなに血迷ったか知らねーが、こんなクソ田舎にまで来てくすぶりやがって……」
玉藻は食べ終えたプリンの容器をゴミ箱へ投げ捨てながら、大きなため息を吐いた。
「なぜ、龍ちゃんが一度美容師を辞めてしまったか、知らぬのであろう?」
「けっ、知りたくもねえ」
「そうか。なら今から語ることは、そう、単なるわっちの独り言じゃ。聞きなくないのなら、勝手にするがよい」
「まどろっこしい言い方すんな。さっさと言え」
「素直じゃない男じゃ。まぁ、よい」
そうして、玉藻は独り言のようには語り出す──龍之介が美容師を辞めたという、俺には全く興味もない事実を──
「龍ちゃんの母君は、それはそれは教育熱心な厳しい親だったようじゃの。そんな母君だったから、もちろん龍ちゃんが美容師となることを猛反対した。その後はお主も知っている通り、龍ちゃんはカリスマ美容師と呼ばれるまでには成長した。相変わらず、仲違いをしたままの」
そんなことはどうだっていい。むしろ、親がいる時点であいつは俺よりもまだマシだ。
俺には、もう肉親は誰もいねぇ。たった唯一、見返したかった桐枝さえもういなくなっちまった。
だったら、俺にはもう──
「だが、一年前の話じゃ」
玉藻の声が、途端に低くなる。
「龍ちゃんの母親は、突然死んでしまったのじゃ」
その瞬間、心臓を拳銃でぶち抜かれたような、強い衝撃が襲ってくる。
「だが龍ちゃんは仕事を優先してしまったために、その死に目には会えなかったそうじゃ。その結果として龍ちゃんは美容師引退を決意したようじゃが……そんな自分が許せなかったのか、それともまた別の理由があったのか……はて、どうなんじゃろうな?」
知っているだろうに、玉藻は話をはぐらかす。
「いずれにせよ、龍ちゃんの中でなにかが大きく変わってしまったのは間違いない」
玉藻は一息はさんで、ごろんとソファに背もたれながら言った。
「似ている、とは思わぬか」
「似ている? 誰に?」
「大吾、お主にじゃ」
俺と龍之介が似ているだって?
「大切なものを失っても尚、大吾も龍ちゃんもここにおる。美容師として、あやかしの髪を切るためにこの場所におる」
「なんだ、それ……単なる、成り行きじゃねーか」
「それでも、同じ痛みを知っている者同士じゃ。そんな二人が手を取り合えば、今よりもっと良い美容室となる。わっちは、そう思うのじゃ」
「手を、取り合う……」
「そうじゃ。もっともっと、たくさんのあやかしがやってくるはずじゃぞ。それこそ、桐枝が生きていた頃のようにな」
桐枝が生きていた頃──思い返してみれば、もうかれこれ一年が過ぎた。あっという間だったようにも、えらく長かったようにも感じる。ただ時間の流れはそうとして、俺を取り巻く状況は激変してしまった。
桐枝一人がいなくなっただけで、多くのあやかしが「神結い」へ髪を切りに来なくなった。
それまでは、当然だと思っていた。店が続く限りは、なんだかんだ来てくれるだろうっていう、そんな慢心。でも現実がそう都合よくいかないことくらい、俺は既に知っていた。
たった一人の存在で、世界は変わる。
それは人間にしろ、あやかしにしろ──
「ふん、そこまで分かっておるなら少しは龍ちゃんと仲良くせい。龍ちゃんは、悪い子じゃない。そんなことは、お主が分かっておるじゃろうに」
今日の玉藻はなかなかに説教臭い。まるで、子供の頃にタイムスリップした気分であった。また、昔と同じでなにも言い返せない俺がいる。そもそも言い返す言葉すら持ち合わせてはいなかった。
なぜなら、悪いのは俺だからだ。
なにも知らないくせに、俺は龍之介に酷いことを言ってしまった。
そんな俺が、今更どんな顔して会えばいいんだって──
「素直が一番じゃぞ、大吾」
玉藻はそう言って、陽気な笑い声をあげる。
「悪いことをした時は、素直に『ごめんなさい』を言う。これで全てまるっと解決じゃ」
「……」
「ちゃんと謝れば、龍ちゃんはきっと許してくれる」
本当に、それであいつは許してくれるのだろうか?
「それすらも、やってみなきゃなにも始まらぬぞ」
それが最後の言葉となって、玉藻は3階の自室へと帰っていった。
一人残された俺は、ソファに寝転び物思いにふける。ふと、頭を傾ける。仏壇にある桐枝の遺影と目が合ってしまう。無性に、恋しくなった。
「なぁ、桐枝。俺は、どうしたらいいんだ」
返事は、もちろん返ってこない。分かってる。
桐枝はもうどこにもいない。今「神結い」を任せられているのは俺で、だとすれば俺がどうにかするしかない。
その夜は憂鬱で胃がきりきりと痛んだ。なかなか寝付けない。こんな思いは、久しぶりだった。
そうして夜が明けて、また今日がやってくる。
「なんじゃ、随分と塩らしいではないか。らしくない」
「うるせぇな。なに言ったって、どうせ聞いちゃくれねーだろうが」
革ジャンをその辺に脱ぎ捨て、浴室へ向かう。今夜はさっさと寝て、嫌なことは全て忘れ去るのだ。
「聞かずとも分かる。また、龍ちゃんに余計なことを言ったのじゃろ?」
玉藻は、やはり俺の心を見透かしてくる。マジでうざってぇ能力だ。大妖怪だなんだか知らねーが、心の中を覗き見るなんてタチが悪過ぎる。
「ふん、勘違いするな。わっちとて、好きで覗いているわけではない。仕方なくなのじゃ」
知るか。
「また龍ちゃんの傷を抉りおって、可哀想じゃ。あんな優しい人の子をいじめるとは、お主は鬼の生まれ変わりか」
「うるせぇな。俺はただ、あいつに事実を突きつけただけだろうが。それをなに血迷ったか知らねーが、こんなクソ田舎にまで来てくすぶりやがって……」
玉藻は食べ終えたプリンの容器をゴミ箱へ投げ捨てながら、大きなため息を吐いた。
「なぜ、龍ちゃんが一度美容師を辞めてしまったか、知らぬのであろう?」
「けっ、知りたくもねえ」
「そうか。なら今から語ることは、そう、単なるわっちの独り言じゃ。聞きなくないのなら、勝手にするがよい」
「まどろっこしい言い方すんな。さっさと言え」
「素直じゃない男じゃ。まぁ、よい」
そうして、玉藻は独り言のようには語り出す──龍之介が美容師を辞めたという、俺には全く興味もない事実を──
「龍ちゃんの母君は、それはそれは教育熱心な厳しい親だったようじゃの。そんな母君だったから、もちろん龍ちゃんが美容師となることを猛反対した。その後はお主も知っている通り、龍ちゃんはカリスマ美容師と呼ばれるまでには成長した。相変わらず、仲違いをしたままの」
そんなことはどうだっていい。むしろ、親がいる時点であいつは俺よりもまだマシだ。
俺には、もう肉親は誰もいねぇ。たった唯一、見返したかった桐枝さえもういなくなっちまった。
だったら、俺にはもう──
「だが、一年前の話じゃ」
玉藻の声が、途端に低くなる。
「龍ちゃんの母親は、突然死んでしまったのじゃ」
その瞬間、心臓を拳銃でぶち抜かれたような、強い衝撃が襲ってくる。
「だが龍ちゃんは仕事を優先してしまったために、その死に目には会えなかったそうじゃ。その結果として龍ちゃんは美容師引退を決意したようじゃが……そんな自分が許せなかったのか、それともまた別の理由があったのか……はて、どうなんじゃろうな?」
知っているだろうに、玉藻は話をはぐらかす。
「いずれにせよ、龍ちゃんの中でなにかが大きく変わってしまったのは間違いない」
玉藻は一息はさんで、ごろんとソファに背もたれながら言った。
「似ている、とは思わぬか」
「似ている? 誰に?」
「大吾、お主にじゃ」
俺と龍之介が似ているだって?
「大切なものを失っても尚、大吾も龍ちゃんもここにおる。美容師として、あやかしの髪を切るためにこの場所におる」
「なんだ、それ……単なる、成り行きじゃねーか」
「それでも、同じ痛みを知っている者同士じゃ。そんな二人が手を取り合えば、今よりもっと良い美容室となる。わっちは、そう思うのじゃ」
「手を、取り合う……」
「そうじゃ。もっともっと、たくさんのあやかしがやってくるはずじゃぞ。それこそ、桐枝が生きていた頃のようにな」
桐枝が生きていた頃──思い返してみれば、もうかれこれ一年が過ぎた。あっという間だったようにも、えらく長かったようにも感じる。ただ時間の流れはそうとして、俺を取り巻く状況は激変してしまった。
桐枝一人がいなくなっただけで、多くのあやかしが「神結い」へ髪を切りに来なくなった。
それまでは、当然だと思っていた。店が続く限りは、なんだかんだ来てくれるだろうっていう、そんな慢心。でも現実がそう都合よくいかないことくらい、俺は既に知っていた。
たった一人の存在で、世界は変わる。
それは人間にしろ、あやかしにしろ──
「ふん、そこまで分かっておるなら少しは龍ちゃんと仲良くせい。龍ちゃんは、悪い子じゃない。そんなことは、お主が分かっておるじゃろうに」
今日の玉藻はなかなかに説教臭い。まるで、子供の頃にタイムスリップした気分であった。また、昔と同じでなにも言い返せない俺がいる。そもそも言い返す言葉すら持ち合わせてはいなかった。
なぜなら、悪いのは俺だからだ。
なにも知らないくせに、俺は龍之介に酷いことを言ってしまった。
そんな俺が、今更どんな顔して会えばいいんだって──
「素直が一番じゃぞ、大吾」
玉藻はそう言って、陽気な笑い声をあげる。
「悪いことをした時は、素直に『ごめんなさい』を言う。これで全てまるっと解決じゃ」
「……」
「ちゃんと謝れば、龍ちゃんはきっと許してくれる」
本当に、それであいつは許してくれるのだろうか?
「それすらも、やってみなきゃなにも始まらぬぞ」
それが最後の言葉となって、玉藻は3階の自室へと帰っていった。
一人残された俺は、ソファに寝転び物思いにふける。ふと、頭を傾ける。仏壇にある桐枝の遺影と目が合ってしまう。無性に、恋しくなった。
「なぁ、桐枝。俺は、どうしたらいいんだ」
返事は、もちろん返ってこない。分かってる。
桐枝はもうどこにもいない。今「神結い」を任せられているのは俺で、だとすれば俺がどうにかするしかない。
その夜は憂鬱で胃がきりきりと痛んだ。なかなか寝付けない。こんな思いは、久しぶりだった。
そうして夜が明けて、また今日がやってくる。
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