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第二章 かっぱの頭
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「あ、龍之介さまっ! こんばんわー!」
言い争いの終わらない二人を尻目にそそくさと店を出た時だった。ここ最近で随分と白くなった息を吐く制服姿の蘭子ちゃんが、僕を見るなり笑顔で走り寄ってくる。相変わらず、彼女は明るく元気な子だ。
それはそうとして、なのである。
「蘭子ちゃん、ストップ」
「えっ!? なんでですか!? まさか私、なにか龍之介さまに嫌われることを……」
「いやそうじゃなくて、雨、降ったら困るかなって」
「あっ、そうですよね。毎度毎度、ご迷惑ばかりかけて申し訳ありません」
途端に塩らしく蘭子ちゃんである。別に攻めているわけではないんだけど、蘭子ちゃんの感情が高ぶったその瞬間にも、どこからともなく雨雲がやってくるのだから仕方がない。なぜなら蘭子ちゃんは女子高生という傍ら、その実はあやかしだったりする。そして、今僕のいる北鎌倉台商店街とは、あやかしたちが人間社会に紛れて密かに暮らす集落のような場所で、あやかしたちが商売をしながら生計を立てているとか。
この時雨蘭子ちゃんの実家も「雨宿り定食」という小料理屋さんで、学校終わりに配達用の原付に跨っているのを何度も見たことがある。
が、今日はどうも別件のようだ。
「あ、湖太郎くん。こんばんわ」
僕は蘭子ちゃんの背後に立っている男の子へ挨拶をするが、
「……話しかけんな」
彼はいつもと変わらない苛立った態度をあらわに、ぷいっとそっぽを向いた。
彼の名前は河野湖太郎くん、小学四年生の男の子だ。実家はこの商店街の一角にある寿司屋「河童お寿司」──その店名が表すように、湖太郎くんは「河童一族の末裔」とのことだ。髪で見えなくはなっているが、頭にはちゃんと皿のようなものがあるらしい。また泳ぎがめちゃくちゃ得意だとは風の噂で聞いたことがあった。
今はそうだ、スイミングスクールの帰りだったのだろう。まだ小さい湖太郎くんを、蘭子ちゃんがこうしてたまに送り迎えをしている。親御さんは寿司屋で忙しいから、姉代わりといった感じに。
そしてどうやら、僕はこの湖太郎くんに嫌われているみたいだ。
「こら湖太郎! 龍之介さまになんと失礼な態度を!」
「うるさい! だってこいつ人間だろ! 俺、人間きらい!」
湖太郎くんは僕に「あっかんべー」をして、そのまま一人駆け足で去っていった。
「あっ、待ちなさい湖太郎! ……はぁー、ったく。申し訳ありません。今度ちゃんと言い聞かせておきますので」
「いいよ、気にしないで」
「そういうわけにはいきませんよ。だって龍之介さまはなにも悪いことなんてしてませんし、むしろ龍之介さまが来てくれたおかげで商店街の活気も少し上がったくらいですし。それなのに、湖太郎ったら……まるで当てつけみたいに」
蘭子ちゃんはため息を吐いて、次に小さくなっていく湖太郎くんの背に目を向けた。
「あの子、スイミングスクールでいじめられてるみたいなんです」
「そうなんだ」
「はい。あの強がった感じだから、周りからはよく思われてないみたいで。だから湖太郎の人間嫌いは単なる八つ当たりなんですよ。どっかの誰かさんみたく、強情なんです」
「どっかの誰かさん?」
「大吾ですよ。湖太郎、昔のあいつとそっくり」
「ああ、大吾。確かに二人って、ちょっと似てるかもね」
大吾の幼い頃を想像すれば、自然と笑いがこみ上げてくる。
そんな僕を見つめる蘭子ちゃんの表情は、なぜか複雑そうであった。
「まだ、大吾はあんな感じですか?」
「うん、もう少し時間がかかるかもしれないね。でも仕方ないよ、僕は新参者だし」
「……なんで」
「え?」
「……だから、なんで龍之介さまはそんなに優しいんですか」
蘭子ちゃんの目は真剣である。
「大吾、嫌味なことばっかり言ってくるのに……少しは、怒っていいと思いますよ?」
「優しいってわけじゃないけど、どうも憎めないっていうか」
「それですよ、それ! そういうのが優しいって言うんですよ! ああ、もう、龍之介さま……あなたは神ですか!?」
と、蘭子ちゃんは言った後にも遣る瀬なさそうに頭を掻き毟る。どうやら、本気で僕のことを心配してくれているみたい。
「ありがとう、蘭子ちゃん。その気持ちだけで、僕は充分だよ」
「……あたしは、なにもしてません。してあげれて、ませんよ」
そう言って、口惜しそうに俯く蘭子ちゃん。僕のことを優しいとは言うが、僕からすれば蘭子ちゃんの方がよっぽど優しくて良い子に思えてしまう。
その証拠に、
「こうなったら、仕方ありませんね」
蘭子ちゃんが僕の手を握って、力強く頷いた。
「あたしが、ひと肌脱ぎます! 龍之介さまと大吾の仲を、取り持ってあげます!」
「え!? いや、迷惑だろうしそこまではっ」
「いえ、やらせてください! あたし、龍之介さまのためになにかしてあげたいんです!」
蘭子ちゃんはやる気満々と叫ぶ。どうして僕なんかのためにここまでしてくれるのか、いまいちよく分からない。僕がカリスマ美容師桐生龍之介だったから? 当時から僕のファンだったから? どうなんだろうか。
ただ、そうだな。僕のためになにかしてあげたいっていう蘭子ちゃんの気持ちは、素直に嬉しかった。
だったら、少しくらい頼ってみても、いいのかな?
「……じゃあ、うん。お願いして、みようかな」
遠慮ぎみにそう言えば、
「はい! 任せてください!」
嬉々として笑う蘭子ちゃんである。その笑顔が、とにかく眩しかった。
やっぱり、蘭子ちゃんは明るくて良い子だ。そこに、あやかしだどうかなんて関係ない。
みんなとも、こんな風に仲良くなれたらいいのにな。
言い争いの終わらない二人を尻目にそそくさと店を出た時だった。ここ最近で随分と白くなった息を吐く制服姿の蘭子ちゃんが、僕を見るなり笑顔で走り寄ってくる。相変わらず、彼女は明るく元気な子だ。
それはそうとして、なのである。
「蘭子ちゃん、ストップ」
「えっ!? なんでですか!? まさか私、なにか龍之介さまに嫌われることを……」
「いやそうじゃなくて、雨、降ったら困るかなって」
「あっ、そうですよね。毎度毎度、ご迷惑ばかりかけて申し訳ありません」
途端に塩らしく蘭子ちゃんである。別に攻めているわけではないんだけど、蘭子ちゃんの感情が高ぶったその瞬間にも、どこからともなく雨雲がやってくるのだから仕方がない。なぜなら蘭子ちゃんは女子高生という傍ら、その実はあやかしだったりする。そして、今僕のいる北鎌倉台商店街とは、あやかしたちが人間社会に紛れて密かに暮らす集落のような場所で、あやかしたちが商売をしながら生計を立てているとか。
この時雨蘭子ちゃんの実家も「雨宿り定食」という小料理屋さんで、学校終わりに配達用の原付に跨っているのを何度も見たことがある。
が、今日はどうも別件のようだ。
「あ、湖太郎くん。こんばんわ」
僕は蘭子ちゃんの背後に立っている男の子へ挨拶をするが、
「……話しかけんな」
彼はいつもと変わらない苛立った態度をあらわに、ぷいっとそっぽを向いた。
彼の名前は河野湖太郎くん、小学四年生の男の子だ。実家はこの商店街の一角にある寿司屋「河童お寿司」──その店名が表すように、湖太郎くんは「河童一族の末裔」とのことだ。髪で見えなくはなっているが、頭にはちゃんと皿のようなものがあるらしい。また泳ぎがめちゃくちゃ得意だとは風の噂で聞いたことがあった。
今はそうだ、スイミングスクールの帰りだったのだろう。まだ小さい湖太郎くんを、蘭子ちゃんがこうしてたまに送り迎えをしている。親御さんは寿司屋で忙しいから、姉代わりといった感じに。
そしてどうやら、僕はこの湖太郎くんに嫌われているみたいだ。
「こら湖太郎! 龍之介さまになんと失礼な態度を!」
「うるさい! だってこいつ人間だろ! 俺、人間きらい!」
湖太郎くんは僕に「あっかんべー」をして、そのまま一人駆け足で去っていった。
「あっ、待ちなさい湖太郎! ……はぁー、ったく。申し訳ありません。今度ちゃんと言い聞かせておきますので」
「いいよ、気にしないで」
「そういうわけにはいきませんよ。だって龍之介さまはなにも悪いことなんてしてませんし、むしろ龍之介さまが来てくれたおかげで商店街の活気も少し上がったくらいですし。それなのに、湖太郎ったら……まるで当てつけみたいに」
蘭子ちゃんはため息を吐いて、次に小さくなっていく湖太郎くんの背に目を向けた。
「あの子、スイミングスクールでいじめられてるみたいなんです」
「そうなんだ」
「はい。あの強がった感じだから、周りからはよく思われてないみたいで。だから湖太郎の人間嫌いは単なる八つ当たりなんですよ。どっかの誰かさんみたく、強情なんです」
「どっかの誰かさん?」
「大吾ですよ。湖太郎、昔のあいつとそっくり」
「ああ、大吾。確かに二人って、ちょっと似てるかもね」
大吾の幼い頃を想像すれば、自然と笑いがこみ上げてくる。
そんな僕を見つめる蘭子ちゃんの表情は、なぜか複雑そうであった。
「まだ、大吾はあんな感じですか?」
「うん、もう少し時間がかかるかもしれないね。でも仕方ないよ、僕は新参者だし」
「……なんで」
「え?」
「……だから、なんで龍之介さまはそんなに優しいんですか」
蘭子ちゃんの目は真剣である。
「大吾、嫌味なことばっかり言ってくるのに……少しは、怒っていいと思いますよ?」
「優しいってわけじゃないけど、どうも憎めないっていうか」
「それですよ、それ! そういうのが優しいって言うんですよ! ああ、もう、龍之介さま……あなたは神ですか!?」
と、蘭子ちゃんは言った後にも遣る瀬なさそうに頭を掻き毟る。どうやら、本気で僕のことを心配してくれているみたい。
「ありがとう、蘭子ちゃん。その気持ちだけで、僕は充分だよ」
「……あたしは、なにもしてません。してあげれて、ませんよ」
そう言って、口惜しそうに俯く蘭子ちゃん。僕のことを優しいとは言うが、僕からすれば蘭子ちゃんの方がよっぽど優しくて良い子に思えてしまう。
その証拠に、
「こうなったら、仕方ありませんね」
蘭子ちゃんが僕の手を握って、力強く頷いた。
「あたしが、ひと肌脱ぎます! 龍之介さまと大吾の仲を、取り持ってあげます!」
「え!? いや、迷惑だろうしそこまではっ」
「いえ、やらせてください! あたし、龍之介さまのためになにかしてあげたいんです!」
蘭子ちゃんはやる気満々と叫ぶ。どうして僕なんかのためにここまでしてくれるのか、いまいちよく分からない。僕がカリスマ美容師桐生龍之介だったから? 当時から僕のファンだったから? どうなんだろうか。
ただ、そうだな。僕のためになにかしてあげたいっていう蘭子ちゃんの気持ちは、素直に嬉しかった。
だったら、少しくらい頼ってみても、いいのかな?
「……じゃあ、うん。お願いして、みようかな」
遠慮ぎみにそう言えば、
「はい! 任せてください!」
嬉々として笑う蘭子ちゃんである。その笑顔が、とにかく眩しかった。
やっぱり、蘭子ちゃんは明るくて良い子だ。そこに、あやかしだどうかなんて関係ない。
みんなとも、こんな風に仲良くなれたらいいのにな。
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