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第一章 あやかしのいる美容室
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翌朝の土曜日。カーテンの窓から差し込む陽光が眩しくて、僕は目をしかめた。その後は恒例の二度寝へと移りかけて、
「ああ、そうだ。お金を払いに行かないといけないんだった……」
本当に、予想外だった。確かにポケットに突っ込んでいたはず。自宅を出る前にも財布があるか確認もしたのだが、財布は玄関先に置き忘れたことになっていた。全く、不思議な話もあったものだ。それとも僕がおかしいのかなって、今となってはそれすらも分からない。
「お、いいとこに起きてきましたな桐生龍之介大先生。いやさぁ、久しぶりにコテを使ってみようと思ったんだけど、上手くセットできなくてさ~。ちょっとやってよ」
一階の洗面台に向かうと、スーツ姿のなな姉がヘアアイロンを手に鏡と睨めっこしていた。
なな姉は、これが結構のガサツな人だ。見た目こそ綺麗な感じをキープしているが、僕は普段のなな姉がどれだけズボラなのかをよく知っている。髪を肩の下まで伸ばしているのだって、「切るのが面倒だから」と言っていたし。まあ、別にいいんだけどね。
「なな姉。ごめん、ちょっとワックスだけつけさせて」
「ワックスぅ? 龍之介さんよ、ニートのくせになに言ってんだか」と、なな姉は僕の肩に手を回してくる。
こうなってしまったが最後、なな姉はこれがかなりの怪力なのである。いや、僕が非力過ぎるだけかもしれないけど。
「そろそろ自分でできないわけ?」
なな姉の髪をアイロンで巻いている最中にも、ついそんな心の声が漏れ出してしまう。
なな姉は「ふんふんふふ~ん」と鼻歌交じりに、
「いいじゃない。だって龍之介、ニートなんだし」
それはそうなんだけど、
「僕、これから行かないといけないところがあるんだけど」
「? どこ?」
「昨日行った美容室」
「どうしてよ」
「財布を忘れたから、払いに行かなきゃなの」
「怪しい……」
なな姉の瞳が、ぎらりと光る。
「さては、その美容室にいた女の子にたぶらかされてるんじゃないでしょうね!?」
「いやいや、そんなわけないでしょ!」
「本当のことを言いなさい! 嫁入り前の龍之介に手を出す不届き者なんて、お姉ちゃんが許しません!」
「いろいろ間違ってるから!? それに嫁入り前にって、僕男なんですけど!?」
なな姉とは昔からこうなのだ。お姉ちゃんと言うよりは、弱々しい妹を守る兄みたいなよく分からない庇い方をしてくる。小学生の時とはその最もで、今でも若干その気は続いているみたい。
このままでは本気で美容室に乗り込みかねない。ので、僕は仕方なく昨日の出来事一連をなな姉へと打ち明けていた。
「そう、龍之介が、またハサミをね」
話終わったあと、なんとか誤解は解けた様子。最悪の事態は免れたようだ。
僕は言った。
「やぶさかだよ。雰囲気的に、やるしかなかったんだ」
「とか言っちゃって。まんざらでもないんじゃないの?」
「まさか」
「どうだかね~」
そうこう話しているうちに、なな姉のセットが完成。うん、なかなかの出来栄えだ。
「でも、まあ……うん。お姉ちゃんは、それで良かったと思うな。きっとその女の子も喜んでる。だってほら、龍之介ってカリスマだし」
それに──と、なな姉はなぜか後ろからぎゅっと抱きしめてきて、僕の頭に顔を押し付けてくる。
「苦しいんだけど……」
「充電中~」
なんだそれ、やっぱりなな姉は意味不明だ。
そんなこんなで、毎朝の恒例通りの出社するOLなな姉をお見送りしている時だった。
「龍之介」
ハイヒールを履きながら、なな姉は言ってきた。
「やっぱり、また美容師やりなよ。お姉ちゃんは応援するよ」
そのまま、玄関を飛び出して行く。
「なんだよ、もう……」
僕がまた美容師か。いや確かに、昨日は流れでやってしまったけどさ。
「ねえ、どう思う?」
ふと、リビングの奥にある仏壇へと目を向ける。笑ったまま時を止めている父さんと母さんの遺影は、やはり僕になにも答えてはくれない。
僕はため息を吐いて、いそいそと外出の準備を始めるのだった。
「ああ、そうだ。お金を払いに行かないといけないんだった……」
本当に、予想外だった。確かにポケットに突っ込んでいたはず。自宅を出る前にも財布があるか確認もしたのだが、財布は玄関先に置き忘れたことになっていた。全く、不思議な話もあったものだ。それとも僕がおかしいのかなって、今となってはそれすらも分からない。
「お、いいとこに起きてきましたな桐生龍之介大先生。いやさぁ、久しぶりにコテを使ってみようと思ったんだけど、上手くセットできなくてさ~。ちょっとやってよ」
一階の洗面台に向かうと、スーツ姿のなな姉がヘアアイロンを手に鏡と睨めっこしていた。
なな姉は、これが結構のガサツな人だ。見た目こそ綺麗な感じをキープしているが、僕は普段のなな姉がどれだけズボラなのかをよく知っている。髪を肩の下まで伸ばしているのだって、「切るのが面倒だから」と言っていたし。まあ、別にいいんだけどね。
「なな姉。ごめん、ちょっとワックスだけつけさせて」
「ワックスぅ? 龍之介さんよ、ニートのくせになに言ってんだか」と、なな姉は僕の肩に手を回してくる。
こうなってしまったが最後、なな姉はこれがかなりの怪力なのである。いや、僕が非力過ぎるだけかもしれないけど。
「そろそろ自分でできないわけ?」
なな姉の髪をアイロンで巻いている最中にも、ついそんな心の声が漏れ出してしまう。
なな姉は「ふんふんふふ~ん」と鼻歌交じりに、
「いいじゃない。だって龍之介、ニートなんだし」
それはそうなんだけど、
「僕、これから行かないといけないところがあるんだけど」
「? どこ?」
「昨日行った美容室」
「どうしてよ」
「財布を忘れたから、払いに行かなきゃなの」
「怪しい……」
なな姉の瞳が、ぎらりと光る。
「さては、その美容室にいた女の子にたぶらかされてるんじゃないでしょうね!?」
「いやいや、そんなわけないでしょ!」
「本当のことを言いなさい! 嫁入り前の龍之介に手を出す不届き者なんて、お姉ちゃんが許しません!」
「いろいろ間違ってるから!? それに嫁入り前にって、僕男なんですけど!?」
なな姉とは昔からこうなのだ。お姉ちゃんと言うよりは、弱々しい妹を守る兄みたいなよく分からない庇い方をしてくる。小学生の時とはその最もで、今でも若干その気は続いているみたい。
このままでは本気で美容室に乗り込みかねない。ので、僕は仕方なく昨日の出来事一連をなな姉へと打ち明けていた。
「そう、龍之介が、またハサミをね」
話終わったあと、なんとか誤解は解けた様子。最悪の事態は免れたようだ。
僕は言った。
「やぶさかだよ。雰囲気的に、やるしかなかったんだ」
「とか言っちゃって。まんざらでもないんじゃないの?」
「まさか」
「どうだかね~」
そうこう話しているうちに、なな姉のセットが完成。うん、なかなかの出来栄えだ。
「でも、まあ……うん。お姉ちゃんは、それで良かったと思うな。きっとその女の子も喜んでる。だってほら、龍之介ってカリスマだし」
それに──と、なな姉はなぜか後ろからぎゅっと抱きしめてきて、僕の頭に顔を押し付けてくる。
「苦しいんだけど……」
「充電中~」
なんだそれ、やっぱりなな姉は意味不明だ。
そんなこんなで、毎朝の恒例通りの出社するOLなな姉をお見送りしている時だった。
「龍之介」
ハイヒールを履きながら、なな姉は言ってきた。
「やっぱり、また美容師やりなよ。お姉ちゃんは応援するよ」
そのまま、玄関を飛び出して行く。
「なんだよ、もう……」
僕がまた美容師か。いや確かに、昨日は流れでやってしまったけどさ。
「ねえ、どう思う?」
ふと、リビングの奥にある仏壇へと目を向ける。笑ったまま時を止めている父さんと母さんの遺影は、やはり僕になにも答えてはくれない。
僕はため息を吐いて、いそいそと外出の準備を始めるのだった。
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