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5巻
5-2
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剣を握る手に徐々に力が入らなくなっていくのは、まるで死刑へのカウントダウンのようだったし、視界が徐々に白くなっていっているのは、天国への階段を上っているかのような不穏な感覚だった。
こんな綱渡りのような状態をいつまでも保っていられるとは、とても思えなかったし、実際そろそろ終わりが見えてきた……そんな気もしていたのだ。
だからだろうか。ケルケイロがふっと言った。
「……おい、ジョン!」
「なんだ!」
「これが最期かもしれねぇから聞いておくけどよ!」
「あぁ!」
「俺の妹と、どんな関係だったんだよ!?」
そう言われて、俺はむせそうになる。
俺はそれこそ死ぬ気で喉のいがらっぽいのを耐え、呑み込んで、それから不用意なことを出し抜けに言った友人に対して怒鳴る。
「いきなり何なんだ! 驚くだろうが!?」
確かに、俺は迷宮の中でケルケイロに前世の話をしたとき、彼の妹クリスティーナ――ティアナのことも口にした。
その話の最中、何かに感づいたケルケイロから「お前、未来で俺の妹と何かあるのか?」と聞かれたのだが、俺は黙ってやり過ごしていた。
「いやぁ……だって、お前、その話を聞いたとき、なんだか答えにくそうだったじゃねぇか! 俺も流したが……本当は何かあるんじゃねぇかと思ってさ!」
ケルケイロは限界に近いのに、さわやかな横顔でそう尋ねてくる。
「お前、よくこんなときにそんなこと聞けるな!?」
「こんなときだからこそだ! もやもやしたまんまで死ねるか!」
「だったら生き残れよ!」
「って言っても、もう、どうなるか分かんねぇだろ! 覚悟決めたわけじゃねぇが、教えてくれ!」
ほとんど口喧嘩のような口調でお互い話していたが、ケルケイロの言うことも分からないでもない。
死ぬつもりなど、俺にもケルケイロにもない。
だが、この状況で絶対に生きて帰れると言い切るなど、全く現実が見えていないことだと二人そろって分かっていた。
もちろん、やられるつもりで戦っているわけではないし、最後の最後まで諦める気はないのだが、しかし意識せずにはいられない死の足音が耳元で聞こえているのは間違いないのだ。
だからこその、ケルケイロの質問なのだろう。
俺も、どう答えるべきか少し考えた。
ティアナとのことを、今回生まれてから誰かに明確に説明したことなどない。
口にしたら、そこでそんな未来が消えてしまうような気がしていたからだろうか。
しかし、そもそも前世であの関係になれたこと自体が一種の奇跡のようなものだ。今世において、その可能性は皆無であろう。
だから、別に言ってもいいかもしれないと、俺はふと思った。
たとえそういう未来がなくなっても、あの時代――ティアナと分かち合った色々なものがなくなるわけではない。
俺の中だけの記憶になる――それだけの話なのだから。
そう思って、俺は腹をくくって口を開いた。
「よし、分かった、教えてやる! お前の妹と俺は、前のときは……」
「前のときは!?」
「……恋人だった!」
言った。
言ってやった。
実の兄貴に対してこんなことを言うのは覚悟がいるが、それ以上に、現在実現していないことをまるで事実のように言うには、並々ならぬ勇気が必要だった。
お前の妄想だろう、うちの妹がなぜ平民とそんな関係になるんだ、と言われたら、もうそれまでの話である。
しかしケルケイロは、やはり受け入れた。
「おいおいおい、マジかよ……お前の歯切れの悪い感じ、きっとそうだろうとは思ってたが……改めて本人の口から聞くとビビるなぁ!」
ケルケイロの表情は笑顔であり、別に嫌そうではない。
貴族が平民なんかとそんなことになって不快だ、という感覚もないようだ。
まぁ、ケルケイロだからそれも当然かもしれないが、しかし絶対に大丈夫と確信できるような話ではない。
だから少し不安だったのだが、そういうものが全部取り払われた。
「黙ってて、悪かったな……!」
「いや、別にかまわねぇよ! しかし、お前とティアナがねぇ……想像がつかねぇ! そもそも、ティアナが誰かとそういうことになるとは……!」
「そんなにおかしくないだろう。ティアナは魅力的だ!」
ケルケイロの言葉に少し反論っぽくそう叫んでしまった俺を見て、ケルケイロはにやりと笑った。
「……その反応、やっぱりマジなんだなぁ……兄貴には魅力的だとか言われても分かんねぇよ! で、今回も狙ってるのか!?」
最後に付け足された言葉に、俺は面食らう。
「そんなことは……考えたことも……!!」
今の時代で、貴族と平民がどうこうなんて、口にするのもはばかられることだ。
だからそんな返答をしたのだが、ケルケイロの反応は実にすがすがしいものだった。
「いやぁ、俺はいいと思うぜ! そうなれば俺とお前は友達どころか兄弟じゃねぇか! なんだ、男の兄弟ってやつがほしかったんだ! こりゃあ、何が何でも帰らなきゃならねぇな!」
そう言って笑う彼の剣を握る手には、再び力が戻っていた。
第3話 助け
「ジョン……生きてるか……?」
ケルケイロの声が聞こえた。
白い視界の中で、自分の手が未だに剣を振っていること、そしてケルケイロの気配が隣にあることが感じられる。
目の前には竜がいて、強烈な威圧感を放っているのだろうが、それさえも、もう希薄にしか分からない。
これが「戦い」と呼べるかどうかも疑問だが、俺たちは生きていた。
何度となく吹き飛ばされ、傷を刻まれながらも、それでもまだ、俺たちは生きていたのだ。
「……あぁ、まだまだ、ぴんぴんしてるさ。お前はどうだ……? ケルケイロ……」
「はっ……これから一刻の間だってダンスでも踊ってやれるくらいだぜ……」
「そうかよ……じゃあ、まだまだ……耐え、られる……な……」
言いながらも、本当に限界が近いことを俺たちは理解していた。
そしてそれは竜も同じだったらしい。
ふと見えた竜の表情は、まるでおもちゃに飽きたかのような、つまらなそうなものに見えた。
お前たちはもういい。飽きた。
そう言いたげな顔を、竜は俺たちに向けていた。
何をしても諦めようとせず、死力を尽くして戦おうとするような俺たちでは、竜の嗜虐心は満足させられないということだろうか。
そして、その予想が正しいとでも言うかのように、竜は思い切り腕を振り上げる。
先ほどまではもっと小さく、ただ引っかくように振り回していたその腕を、今度は思い切り高く掲げた。
一息にやってやろう、ということか。それは、性悪と言われる竜にすれば、温情と言えるものなのかもしれない。
「……くそ……ここ、までか……?」
ケルケイロが悔しそうに言った。
言いながらも、剣を握る手は諦めていないし、その瞳に宿る力もいささかも衰えていない。
ただ客観的に見て、あの大きく振り上げられた腕を、どうにかできる力が俺たちに残っていないのは明らかで――だから、絶望が心を過るのも仕方がないことだった。
そして、竜の腕が振り下ろされる。
大きな風切り音を立てて、まるで断頭台の刃が首に高速で向かってくるかのように、不気味な質量を伝えながら。
俺はそれをまっすぐに見つめていた。
もう少しで、あの腕が俺たちの命を散らすかもしれない。
そう思いつつ――だが、そんな未来は訪れないだろうと半ば確信しながら。
――がぎぃん!!
大きな音が鳴った。
俺たちの身体が吹き飛ばされた音ではない。
それは、俺たちの眼前で竜の腕が静止した音だった。
「……な、何だ……何が……?」
ケルケイロの、かすれた声が聞こえてくる。
その声は俺の耳に届くと同時に、俺たちの目の前に見えている存在にも伝わったようだった。
現れたのは、真っ白で巨大な何か。
背中には剣を高く掲げた剣士が乗っていて、俺たちに向かって下ろされていた竜の腕を、剣一本で支えていた。
「……来てくれたのか……」
俺もまた、ケルケイロとよく似た、かすれ声を喉から漏らした。
それに向かって、威勢のいい声が返される。
「あぁ、来てやったさ! 後でたっぷり感謝するんだね! このあたしエリスと、クリスタルウルフのユスタに、ね!」
『その通りだな』
そう、そこにいたのは、真っ白な体毛と大きな角を持った巨体の狼と、その背に乗って笑う剣姫エリスの姿だった。
◆◇◆◇◆
「本当に助けが来たんだな……もう、だめかと思ったぜ」
ケルケイロが意識の朦朧とした表情をしながらも、空元気を出しながらそう言った。
握力ももうほとんどないだろうに、剣を手放す気はないらしい。
その根性には尊敬の念が湧いてくる。
前世で今のケルケイロと同じくらいの年の頃、俺には彼のようなことはできなかっただろう。
「一晩中探した甲斐があるってもんさ。竜が変な動きを見せていたからね……まさか、本当にこんなところにいるとは思わなかったけどね」
がきぃん!
喋りながらも竜の腕とつばぜり合いをしていたエリスは、その大剣を返して竜の腕を弾いた。
とてつもない力で、魔剣士の人間離れした技というものを再確認させられた気分になる。
身体にも剣にも強力な魔力が通っていて、親父に勝るとも劣らない威圧感がエリスから放たれていた。
竜はエリスに弾き飛ばされて少し後退し、先ほどまでと状況が変わったことを理解したのか、空中に一旦浮かび上がった。
その間にエリスはユスタの背から飛び降りて、俺たちの方に向かってくる。
ユスタは空に浮いた竜を油断なく睨み、その一挙手一投足を見つめていた。
「さて……いろいろ言いたいことはあるんだけど、まず、大丈夫なのかい? あんたたち」
エリスはそう声をかけてきた。
俺もケルケイロも、とても「大丈夫」とは言えないような状態にあるが、それでも奇跡的に致命傷は負っていない。
エリスが確認したいのがそういう意味だと理解して、さらに未だ心が折れていないことを示そうと、俺たちは言う。
「まだまだ、何刻だって戦えたさ」
「あぁ、さっきだって……これからダンスでもしようかって話してたくらいだしな……余裕だぜ」
そんな俺たちの台詞に、エリスは呆れたような顔をした。
「……男って奴は、こんなときでも見栄を張らないと生きてけないのかい? まったく……でも、竜と実際に戦ってまだそんなこと言ってられる奴は、馬鹿か勇者かのどっちかだからね。嫌いじゃないよ」
エリスは快活に笑った。
「馬鹿のほうかもしれないな……」
俺は呟く。
「それならそれで、愛すべき馬鹿だろうさ。さて、いつまでもそんな話もしてらんないね……」
俺は振り返り、エリスの視線の先を見る。
すると、竜が急降下してユスタに向かってきているのが見えた。
逃げるべきかと思うが、エリスはその必要はないと判断したらしい。
急降下してきた竜のかぎ爪を、ユスタはその角でもって受け止めたからだ。
ユスタの角からはバリバリと電撃のようなものが放たれていて、それが竜の爪を焼き焦がしているようだ。
竜は驚いたように、再度空中に飛び上がった。
それを見たユスタは身を翻し、そして驚くべきことに空中を蹴って竜を追いかけ、今度はその爪で竜の鱗を引っかいた。
「やるじゃないか、あの魔物……ユスタ。あんたの友達なんだって?」
エリスは俺に言った。
「あぁ……そんな話を聞いたのか」
「まぁね。事情もある程度は……で、だ。これからどうするかだけどね、分かってると思うが、倒すか逃げるかだ。どうする?」
どうする、と言われても正直困る。
俺たちが、これからあれを倒せるとは思えない。
ただ、エリスとユスタがいるのだ。
俺としては、どうしてもこの場であの竜を倒しておきたかった。
俺の中に宿る、あいつのこともある。
再びこんな機会が巡ってくるということも、おそらくないだろう。
だから、ふっと言ってしまった。
「倒す……」
冷静に考えて、それは俺にできることではない。
誰だってそう判断するし、エリスだって同じはずだ。
しかし、そもそもエリスがそんなことを尋ねてくること自体、おかしな話だった。
この状況なら、俺たちをさっさと引っつかんで、ユスタの背中に乗って逃げるのが最善の選択なのだから。
けれど、彼女にそうするつもりはないらしい。
「よし、それなら、こいつを飲みな」
そう言って彼女は俺たちに瓶を投げた。
中身とラベルを見ると――
「……五級ポーション!? こんなものどこで……」
魔族と戦っていたあの時代ならともかく、現代において五級ポーションはかなり高価な部類に入る薬剤の一つだ。金貨が飛んでいく、と言えば分かりやすいだろう。
それを俺たちに投げてよこすなんて、正気の沙汰ではない。
しかしエリスは言う。
「気にしないで飲むといい。あたしの個人的なストックだからね。砦にも国にも軍にも迷惑は掛からない……」
エリスほど腕の立つ魔剣士なら、確かに五級ポーションくらいいくつでも買えるだろう。
ただ、問題はそこではなく、俺たちに与える意味があるのかということなのだが、エリスも俺たちに竜を倒せるほどの実力がないことは分かって言っているらしい。
今エリスの浮かべている表情には、そんなところがあった。
「ジョン、あんたは今、あれを倒すと言ったんだ。ケルケイロ……あんたも顔を見れば分かる。あいつをブチ落としてやりたいんだろう?」
その言葉に俺は頷き、またケルケイロも首を縦に振った。
「だったら、そいつを飲みな。まぁ、あんたたちなんてものの数にも入りゃあしないが、竜からしばらく逃げ切ったんだ。あたしとユスタが竜の相手をしている間、自分の身を守るくらいはできるだろう? そうすりゃ、あたしたちがあいつを倒してやるさ……」
エリスの言葉を聞いて、俺たちは納得する。
つまりは戦力にしようというのではなく、足手まといにならないように、せめて自分の身くらいは自分で守れということだ。
俺たちは頷いてポーションを飲む。
速攻で完治……というわけにはいかないが、先ほどと比べて相当に身体が楽になった。傷も急速にふさがり始め、これなら全く動けないということもない。
それを確認したエリスは、再度俺たちを振り返る。
「……よし、あんたたち、死ぬんじゃないよ」
そう言って走り出したので、その背中に俺は声をかける。
「エリス! あなたもだ!」
「……あたし? あたしが死ぬはずないじゃないか! そんなことより、あんたたちはあたしたちがあいつを倒すところをしっかりと目に焼き付けておくがいいさ! 後で砦の連中に自慢する予定なんだからね! 嘘つき扱いされたらたまったもんじゃないよ!」
そう言って剣を掲げながら、エリスは地面を蹴った。
空中に浮かぶ相手にどうやって戦うつもりなのかと一瞬思ったが、エリスは直後、ユスタの背中に着地する。
実力の高い者同士、すでに連携は完璧なのか、それとも即興であれだけのことができるということなのか――恐ろしいほどに息が合っている。
「……すごすぎんだろ……」
ケルケイロが、空を見上げながらそう言った。
ユスタが空中を蹴って竜に近づくと、エリスが剣を振るって竜の鱗を切り裂く。
俺が少し刺したくらいの小さな傷ではなく、遠くからも視認できるような大きな裂傷が竜に刻まれた。
「ぐるうぁぁぁぁぁ!!」
竜は巨大な鳴き声でもって痛みを伝え、一方でユスタとエリスを威嚇するも、一人と一匹は全く怯まずに竜に立ち向かう。
空を飛ぶ本物の竜と、それに立ち向かう巨大な狼に跨る女剣士の戦いが、月と星と暗闇を背にして繰り広げられていた。
まるで神話の名場面を見ているような気分になる光景だったが、飛び散る血や鱗、さらには竜が羽ばたき、地上を舐めるように飛翔して木々をなぎ倒していく際の轟音や暴風は、それが間違いなく現実であることを伝えていた。
エリスは魔法も使い、剣を振るいながら詠唱を重ねている。
それも一つや二つではない。
詠唱が終わると同時に、次の魔法の詠唱を口にしているのだ。
とてつもない速度の詠唱に、連発しても尽きない魔力。それに、剣を振るいながらそんなことが可能なほどの技術。
なるほど、確かにあれはケルケイロが呟いたように、「すごすぎる」としか言いようのない何かだと思わずにはいられなかった。
しかしそれでも――竜というのは恐るべき魔物だということだろう。
連続して叩き込まれるエリスの斬撃や魔法、ユスタのかぎ爪や牙や角の攻撃を振り払いながら、竜は徐々に高度を上げていく。
そしてエリスたちから離れた瞬間を見計らって、大きく口を開いた。
その口の中には、ある意味、見慣れてしまった光景がある。
「……吐息か!」
俺が叫ぶと同時に、それはエリスとユスタに向かって放たれた。
竜の口は俺とケルケイロのいる場所に向いてなかったので、こちらに特に害は及ばないが、遠くから見ても、その輝きは凄まじいものであることが分かった。
竜の口から吐き出された光の奔流は、エリスとユスタを一瞬で呑み込み、さらにその背後の森の木々を焼き尽くしていく。
絶望的な光景だった。
「……ジョン……!!」
ケルケイロが不安そうな顔で俺を見る。
しかし、俺は首を振った。
「いや……まだだ。この程度で、あの二人がやられるはず……!!」
それは、俺の願望から出た言葉だったのかもしれない。
しかし現実に、俺とケルケイロは、あれを一度受けて生き残っているのだ。
エリスとユスタほどの実力者が、たった一撃でやられてしまうはずがないと思うのは、決して希望的観測ではない。
そう、信じたかった。
こんな綱渡りのような状態をいつまでも保っていられるとは、とても思えなかったし、実際そろそろ終わりが見えてきた……そんな気もしていたのだ。
だからだろうか。ケルケイロがふっと言った。
「……おい、ジョン!」
「なんだ!」
「これが最期かもしれねぇから聞いておくけどよ!」
「あぁ!」
「俺の妹と、どんな関係だったんだよ!?」
そう言われて、俺はむせそうになる。
俺はそれこそ死ぬ気で喉のいがらっぽいのを耐え、呑み込んで、それから不用意なことを出し抜けに言った友人に対して怒鳴る。
「いきなり何なんだ! 驚くだろうが!?」
確かに、俺は迷宮の中でケルケイロに前世の話をしたとき、彼の妹クリスティーナ――ティアナのことも口にした。
その話の最中、何かに感づいたケルケイロから「お前、未来で俺の妹と何かあるのか?」と聞かれたのだが、俺は黙ってやり過ごしていた。
「いやぁ……だって、お前、その話を聞いたとき、なんだか答えにくそうだったじゃねぇか! 俺も流したが……本当は何かあるんじゃねぇかと思ってさ!」
ケルケイロは限界に近いのに、さわやかな横顔でそう尋ねてくる。
「お前、よくこんなときにそんなこと聞けるな!?」
「こんなときだからこそだ! もやもやしたまんまで死ねるか!」
「だったら生き残れよ!」
「って言っても、もう、どうなるか分かんねぇだろ! 覚悟決めたわけじゃねぇが、教えてくれ!」
ほとんど口喧嘩のような口調でお互い話していたが、ケルケイロの言うことも分からないでもない。
死ぬつもりなど、俺にもケルケイロにもない。
だが、この状況で絶対に生きて帰れると言い切るなど、全く現実が見えていないことだと二人そろって分かっていた。
もちろん、やられるつもりで戦っているわけではないし、最後の最後まで諦める気はないのだが、しかし意識せずにはいられない死の足音が耳元で聞こえているのは間違いないのだ。
だからこその、ケルケイロの質問なのだろう。
俺も、どう答えるべきか少し考えた。
ティアナとのことを、今回生まれてから誰かに明確に説明したことなどない。
口にしたら、そこでそんな未来が消えてしまうような気がしていたからだろうか。
しかし、そもそも前世であの関係になれたこと自体が一種の奇跡のようなものだ。今世において、その可能性は皆無であろう。
だから、別に言ってもいいかもしれないと、俺はふと思った。
たとえそういう未来がなくなっても、あの時代――ティアナと分かち合った色々なものがなくなるわけではない。
俺の中だけの記憶になる――それだけの話なのだから。
そう思って、俺は腹をくくって口を開いた。
「よし、分かった、教えてやる! お前の妹と俺は、前のときは……」
「前のときは!?」
「……恋人だった!」
言った。
言ってやった。
実の兄貴に対してこんなことを言うのは覚悟がいるが、それ以上に、現在実現していないことをまるで事実のように言うには、並々ならぬ勇気が必要だった。
お前の妄想だろう、うちの妹がなぜ平民とそんな関係になるんだ、と言われたら、もうそれまでの話である。
しかしケルケイロは、やはり受け入れた。
「おいおいおい、マジかよ……お前の歯切れの悪い感じ、きっとそうだろうとは思ってたが……改めて本人の口から聞くとビビるなぁ!」
ケルケイロの表情は笑顔であり、別に嫌そうではない。
貴族が平民なんかとそんなことになって不快だ、という感覚もないようだ。
まぁ、ケルケイロだからそれも当然かもしれないが、しかし絶対に大丈夫と確信できるような話ではない。
だから少し不安だったのだが、そういうものが全部取り払われた。
「黙ってて、悪かったな……!」
「いや、別にかまわねぇよ! しかし、お前とティアナがねぇ……想像がつかねぇ! そもそも、ティアナが誰かとそういうことになるとは……!」
「そんなにおかしくないだろう。ティアナは魅力的だ!」
ケルケイロの言葉に少し反論っぽくそう叫んでしまった俺を見て、ケルケイロはにやりと笑った。
「……その反応、やっぱりマジなんだなぁ……兄貴には魅力的だとか言われても分かんねぇよ! で、今回も狙ってるのか!?」
最後に付け足された言葉に、俺は面食らう。
「そんなことは……考えたことも……!!」
今の時代で、貴族と平民がどうこうなんて、口にするのもはばかられることだ。
だからそんな返答をしたのだが、ケルケイロの反応は実にすがすがしいものだった。
「いやぁ、俺はいいと思うぜ! そうなれば俺とお前は友達どころか兄弟じゃねぇか! なんだ、男の兄弟ってやつがほしかったんだ! こりゃあ、何が何でも帰らなきゃならねぇな!」
そう言って笑う彼の剣を握る手には、再び力が戻っていた。
第3話 助け
「ジョン……生きてるか……?」
ケルケイロの声が聞こえた。
白い視界の中で、自分の手が未だに剣を振っていること、そしてケルケイロの気配が隣にあることが感じられる。
目の前には竜がいて、強烈な威圧感を放っているのだろうが、それさえも、もう希薄にしか分からない。
これが「戦い」と呼べるかどうかも疑問だが、俺たちは生きていた。
何度となく吹き飛ばされ、傷を刻まれながらも、それでもまだ、俺たちは生きていたのだ。
「……あぁ、まだまだ、ぴんぴんしてるさ。お前はどうだ……? ケルケイロ……」
「はっ……これから一刻の間だってダンスでも踊ってやれるくらいだぜ……」
「そうかよ……じゃあ、まだまだ……耐え、られる……な……」
言いながらも、本当に限界が近いことを俺たちは理解していた。
そしてそれは竜も同じだったらしい。
ふと見えた竜の表情は、まるでおもちゃに飽きたかのような、つまらなそうなものに見えた。
お前たちはもういい。飽きた。
そう言いたげな顔を、竜は俺たちに向けていた。
何をしても諦めようとせず、死力を尽くして戦おうとするような俺たちでは、竜の嗜虐心は満足させられないということだろうか。
そして、その予想が正しいとでも言うかのように、竜は思い切り腕を振り上げる。
先ほどまではもっと小さく、ただ引っかくように振り回していたその腕を、今度は思い切り高く掲げた。
一息にやってやろう、ということか。それは、性悪と言われる竜にすれば、温情と言えるものなのかもしれない。
「……くそ……ここ、までか……?」
ケルケイロが悔しそうに言った。
言いながらも、剣を握る手は諦めていないし、その瞳に宿る力もいささかも衰えていない。
ただ客観的に見て、あの大きく振り上げられた腕を、どうにかできる力が俺たちに残っていないのは明らかで――だから、絶望が心を過るのも仕方がないことだった。
そして、竜の腕が振り下ろされる。
大きな風切り音を立てて、まるで断頭台の刃が首に高速で向かってくるかのように、不気味な質量を伝えながら。
俺はそれをまっすぐに見つめていた。
もう少しで、あの腕が俺たちの命を散らすかもしれない。
そう思いつつ――だが、そんな未来は訪れないだろうと半ば確信しながら。
――がぎぃん!!
大きな音が鳴った。
俺たちの身体が吹き飛ばされた音ではない。
それは、俺たちの眼前で竜の腕が静止した音だった。
「……な、何だ……何が……?」
ケルケイロの、かすれた声が聞こえてくる。
その声は俺の耳に届くと同時に、俺たちの目の前に見えている存在にも伝わったようだった。
現れたのは、真っ白で巨大な何か。
背中には剣を高く掲げた剣士が乗っていて、俺たちに向かって下ろされていた竜の腕を、剣一本で支えていた。
「……来てくれたのか……」
俺もまた、ケルケイロとよく似た、かすれ声を喉から漏らした。
それに向かって、威勢のいい声が返される。
「あぁ、来てやったさ! 後でたっぷり感謝するんだね! このあたしエリスと、クリスタルウルフのユスタに、ね!」
『その通りだな』
そう、そこにいたのは、真っ白な体毛と大きな角を持った巨体の狼と、その背に乗って笑う剣姫エリスの姿だった。
◆◇◆◇◆
「本当に助けが来たんだな……もう、だめかと思ったぜ」
ケルケイロが意識の朦朧とした表情をしながらも、空元気を出しながらそう言った。
握力ももうほとんどないだろうに、剣を手放す気はないらしい。
その根性には尊敬の念が湧いてくる。
前世で今のケルケイロと同じくらいの年の頃、俺には彼のようなことはできなかっただろう。
「一晩中探した甲斐があるってもんさ。竜が変な動きを見せていたからね……まさか、本当にこんなところにいるとは思わなかったけどね」
がきぃん!
喋りながらも竜の腕とつばぜり合いをしていたエリスは、その大剣を返して竜の腕を弾いた。
とてつもない力で、魔剣士の人間離れした技というものを再確認させられた気分になる。
身体にも剣にも強力な魔力が通っていて、親父に勝るとも劣らない威圧感がエリスから放たれていた。
竜はエリスに弾き飛ばされて少し後退し、先ほどまでと状況が変わったことを理解したのか、空中に一旦浮かび上がった。
その間にエリスはユスタの背から飛び降りて、俺たちの方に向かってくる。
ユスタは空に浮いた竜を油断なく睨み、その一挙手一投足を見つめていた。
「さて……いろいろ言いたいことはあるんだけど、まず、大丈夫なのかい? あんたたち」
エリスはそう声をかけてきた。
俺もケルケイロも、とても「大丈夫」とは言えないような状態にあるが、それでも奇跡的に致命傷は負っていない。
エリスが確認したいのがそういう意味だと理解して、さらに未だ心が折れていないことを示そうと、俺たちは言う。
「まだまだ、何刻だって戦えたさ」
「あぁ、さっきだって……これからダンスでもしようかって話してたくらいだしな……余裕だぜ」
そんな俺たちの台詞に、エリスは呆れたような顔をした。
「……男って奴は、こんなときでも見栄を張らないと生きてけないのかい? まったく……でも、竜と実際に戦ってまだそんなこと言ってられる奴は、馬鹿か勇者かのどっちかだからね。嫌いじゃないよ」
エリスは快活に笑った。
「馬鹿のほうかもしれないな……」
俺は呟く。
「それならそれで、愛すべき馬鹿だろうさ。さて、いつまでもそんな話もしてらんないね……」
俺は振り返り、エリスの視線の先を見る。
すると、竜が急降下してユスタに向かってきているのが見えた。
逃げるべきかと思うが、エリスはその必要はないと判断したらしい。
急降下してきた竜のかぎ爪を、ユスタはその角でもって受け止めたからだ。
ユスタの角からはバリバリと電撃のようなものが放たれていて、それが竜の爪を焼き焦がしているようだ。
竜は驚いたように、再度空中に飛び上がった。
それを見たユスタは身を翻し、そして驚くべきことに空中を蹴って竜を追いかけ、今度はその爪で竜の鱗を引っかいた。
「やるじゃないか、あの魔物……ユスタ。あんたの友達なんだって?」
エリスは俺に言った。
「あぁ……そんな話を聞いたのか」
「まぁね。事情もある程度は……で、だ。これからどうするかだけどね、分かってると思うが、倒すか逃げるかだ。どうする?」
どうする、と言われても正直困る。
俺たちが、これからあれを倒せるとは思えない。
ただ、エリスとユスタがいるのだ。
俺としては、どうしてもこの場であの竜を倒しておきたかった。
俺の中に宿る、あいつのこともある。
再びこんな機会が巡ってくるということも、おそらくないだろう。
だから、ふっと言ってしまった。
「倒す……」
冷静に考えて、それは俺にできることではない。
誰だってそう判断するし、エリスだって同じはずだ。
しかし、そもそもエリスがそんなことを尋ねてくること自体、おかしな話だった。
この状況なら、俺たちをさっさと引っつかんで、ユスタの背中に乗って逃げるのが最善の選択なのだから。
けれど、彼女にそうするつもりはないらしい。
「よし、それなら、こいつを飲みな」
そう言って彼女は俺たちに瓶を投げた。
中身とラベルを見ると――
「……五級ポーション!? こんなものどこで……」
魔族と戦っていたあの時代ならともかく、現代において五級ポーションはかなり高価な部類に入る薬剤の一つだ。金貨が飛んでいく、と言えば分かりやすいだろう。
それを俺たちに投げてよこすなんて、正気の沙汰ではない。
しかしエリスは言う。
「気にしないで飲むといい。あたしの個人的なストックだからね。砦にも国にも軍にも迷惑は掛からない……」
エリスほど腕の立つ魔剣士なら、確かに五級ポーションくらいいくつでも買えるだろう。
ただ、問題はそこではなく、俺たちに与える意味があるのかということなのだが、エリスも俺たちに竜を倒せるほどの実力がないことは分かって言っているらしい。
今エリスの浮かべている表情には、そんなところがあった。
「ジョン、あんたは今、あれを倒すと言ったんだ。ケルケイロ……あんたも顔を見れば分かる。あいつをブチ落としてやりたいんだろう?」
その言葉に俺は頷き、またケルケイロも首を縦に振った。
「だったら、そいつを飲みな。まぁ、あんたたちなんてものの数にも入りゃあしないが、竜からしばらく逃げ切ったんだ。あたしとユスタが竜の相手をしている間、自分の身を守るくらいはできるだろう? そうすりゃ、あたしたちがあいつを倒してやるさ……」
エリスの言葉を聞いて、俺たちは納得する。
つまりは戦力にしようというのではなく、足手まといにならないように、せめて自分の身くらいは自分で守れということだ。
俺たちは頷いてポーションを飲む。
速攻で完治……というわけにはいかないが、先ほどと比べて相当に身体が楽になった。傷も急速にふさがり始め、これなら全く動けないということもない。
それを確認したエリスは、再度俺たちを振り返る。
「……よし、あんたたち、死ぬんじゃないよ」
そう言って走り出したので、その背中に俺は声をかける。
「エリス! あなたもだ!」
「……あたし? あたしが死ぬはずないじゃないか! そんなことより、あんたたちはあたしたちがあいつを倒すところをしっかりと目に焼き付けておくがいいさ! 後で砦の連中に自慢する予定なんだからね! 嘘つき扱いされたらたまったもんじゃないよ!」
そう言って剣を掲げながら、エリスは地面を蹴った。
空中に浮かぶ相手にどうやって戦うつもりなのかと一瞬思ったが、エリスは直後、ユスタの背中に着地する。
実力の高い者同士、すでに連携は完璧なのか、それとも即興であれだけのことができるということなのか――恐ろしいほどに息が合っている。
「……すごすぎんだろ……」
ケルケイロが、空を見上げながらそう言った。
ユスタが空中を蹴って竜に近づくと、エリスが剣を振るって竜の鱗を切り裂く。
俺が少し刺したくらいの小さな傷ではなく、遠くからも視認できるような大きな裂傷が竜に刻まれた。
「ぐるうぁぁぁぁぁ!!」
竜は巨大な鳴き声でもって痛みを伝え、一方でユスタとエリスを威嚇するも、一人と一匹は全く怯まずに竜に立ち向かう。
空を飛ぶ本物の竜と、それに立ち向かう巨大な狼に跨る女剣士の戦いが、月と星と暗闇を背にして繰り広げられていた。
まるで神話の名場面を見ているような気分になる光景だったが、飛び散る血や鱗、さらには竜が羽ばたき、地上を舐めるように飛翔して木々をなぎ倒していく際の轟音や暴風は、それが間違いなく現実であることを伝えていた。
エリスは魔法も使い、剣を振るいながら詠唱を重ねている。
それも一つや二つではない。
詠唱が終わると同時に、次の魔法の詠唱を口にしているのだ。
とてつもない速度の詠唱に、連発しても尽きない魔力。それに、剣を振るいながらそんなことが可能なほどの技術。
なるほど、確かにあれはケルケイロが呟いたように、「すごすぎる」としか言いようのない何かだと思わずにはいられなかった。
しかしそれでも――竜というのは恐るべき魔物だということだろう。
連続して叩き込まれるエリスの斬撃や魔法、ユスタのかぎ爪や牙や角の攻撃を振り払いながら、竜は徐々に高度を上げていく。
そしてエリスたちから離れた瞬間を見計らって、大きく口を開いた。
その口の中には、ある意味、見慣れてしまった光景がある。
「……吐息か!」
俺が叫ぶと同時に、それはエリスとユスタに向かって放たれた。
竜の口は俺とケルケイロのいる場所に向いてなかったので、こちらに特に害は及ばないが、遠くから見ても、その輝きは凄まじいものであることが分かった。
竜の口から吐き出された光の奔流は、エリスとユスタを一瞬で呑み込み、さらにその背後の森の木々を焼き尽くしていく。
絶望的な光景だった。
「……ジョン……!!」
ケルケイロが不安そうな顔で俺を見る。
しかし、俺は首を振った。
「いや……まだだ。この程度で、あの二人がやられるはず……!!」
それは、俺の願望から出た言葉だったのかもしれない。
しかし現実に、俺とケルケイロは、あれを一度受けて生き残っているのだ。
エリスとユスタほどの実力者が、たった一撃でやられてしまうはずがないと思うのは、決して希望的観測ではない。
そう、信じたかった。
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