平兵士は過去を夢見る

丘野 優

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2巻

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 第5話 幻聴


 医務室にはノールを狙った貴族子息もいて、俺たちを憎々しげな目線で睨んでいたが、自業自得としか言いようがない。
 彼自身もそれは分かっているのか、俺やノールに睨む以上のことはしてこなかった。教師の目があるから、という理由もあったのかもしれないが、教室に戻っても特に何もなかったことからして、多少は反省しているのかもしれない。


 それから昼食を食べに、学院内にある食堂へとやってくると、そこでテッドとカレンに出会った。

「お前何やってんだよ……」

 呆れたような声で、出し抜けにテッドからそんなことを言われる。
 彼ら二人も別のクラスだったが、食堂でたまたま出会ったらしい。二人とも一人で食堂まで来たというので、もしかして友達ができないのかとさりげなく聞いてみたのだが……

「俺はジョンと違ってその辺はちゃんと心得てるからな。何も問題はない」
「わたしも大丈夫」

 こんな風に言われてしまった。
 むしろ、俺の隣にいるノールの姿に二人は驚いていた。軽く紹介を済ませ、先ほどの授業であったことの一部始終を俺が話し終えると、テッドが呆れたように言った。

「貴族と余計な揉め事を起こすなって、ここに来る前にあれほど言ってたのはお前だろうが。それを……今後、面倒なことになるんじゃないのか?」

 それを言われると辛いところがある。
 だがしかし他にやりようが……

「もうすこしうまく立ち回れたような気がしないでもないけど……」

 カレンまでこんなことを言う。
 実際、何もしなければモラードが止めてくれたのだろうが、俺はモラードの移動速度など知らなかった。見た目は老人のモラードにそこまでの力があるなど、誰が想像しようか。魔術師として強大だとは知っていたが、それは固定砲台として優秀なのだと思っていた。

「二人とも、あんまりジョンを責めないでやってくれよ。俺にとっては命の恩人なんだぜ」

 ノールがそう俺を擁護してくれると、テッドたちも彼の言葉には頷いた。

「まぁ、助けたこと自体に文句はねぇんだけどな」
「そうね。立派なことをしたと思うわ。ただ、その貴族の人がどう思うかは……」

 不気味に言葉を切って、カレンは気の毒そうな顔で俺を見た。
 往々にして、この手の予感は的中するものである。
 とはいえこのときの俺はそこまで深く考えず、談笑とご飯を楽しんだのだった。


 夕日が校舎を照らし、窓から見える範囲の全てをだいだい色に染めていた。夕日はどことなく、郷愁と恐れを感じさせる。かつて人間が野原を走り回り、狩りをしていた頃から、夜の訪れを予感させる夕暮れは、恐怖の象徴だったに違いない。だから、故郷が恋しくなるのだろう。恐ろしい夜が訪れる前に、家に戻らねばと。
 授業が全て終わり、寮に帰っているときのことだった。
 時間も時間なので閑散としている中、道の真ん中に突っ立っている三人組が俺の目に入った。
 気のせいか、そいつらは俺を見ているように思えた。
 足早に横を通り過ぎようとしたが、そのうちの一人が道を塞いできた。どうやら俺に用があるらしい。

「……なんだよ」
「いや、別に?」

 別に、ということはないだろう。何か用があるから道を塞いでるんだろうが。そう言ってやりたい気もしたが、一方でひどく面倒に思えた。こういう奴らはどこにでもいる。軍にだって、なくはなかった。
 だからとりあえず、用件を切り出されるまで待つ。やがて堪忍袋の尾が切れたとでも言うかのように、一人が怒鳴どなり出した。

「なんとか言ったらどうなんだ!」

 何についてだ。特にお前らと語ることはないのだが、と思っていると、一番賢そうに見える奴が静かに話し出す。

「ベルナルドについてのことだ。今日、魔法実技の授業であいつにちょっかいを出したんだろ?」
「ベルナルド? ……あぁ、あの馬鹿か。ちょっかいを出したかと言われると微妙なところだな。あいつが俺の友人にちょっかいを出していたから、止めただけだ」

 俺の答えに、そいつは疑問符を浮かべる。

「ん? あいつの話と違うな……それは本当か?」
「嘘ついてどうするよ。クラスの生徒全員が見てたんだぞ。他の奴らにも聞いてみれば分かることだ」
「……そうか。あいつ、嘘を……まぁ、それはそれとしてだ。とりあえず、お前には」

 そう言って、くい、とそいつは首をしゃくる。同時に、三人組の中で一番大柄な奴が俺のわきの下に手を入れて動けないように固定し、さらに最初に怒鳴ったやや小柄な奴が、俺の腹に蹴りを入れてきた。こういうことをやり慣れていそうな印象を受ける、中々体重の乗った蹴りだと言えた。普通の子供になら、相当にきついことだろう。だが、俺にはそれほど痛くはなかった。腹筋は鍛えているしな。子供にあるまじき割れ方をしているくらいなのだ。
 ただ、そんなことを感づかせると、また面倒くさいことになる。俺は素直にダメージを受けたふりをして、咳込んでみた。すると俺を押さえていた奴の手が離れたので、地面に座り込んで咳込み続けた。
 そんな俺の様子を、下手人の二人は楽しそうな顔で見つめていたが、賢そうな奴だけは違った。

「……これに懲りたら、貴族に余計なことはするな、平民。一応上下関係ってものがあるからな。それを乱すと面倒なことになる……」

 そう言うと身をひるがえし、去っていった。
 最後の言葉に、俺は首を傾げる。

「……あいつ、もしかして制裁じゃなくて忠告に来たのか……?」

 けれど疑問に答えるべき人間は、もうすでにその場からいなくなっていた。
 オレンジ色の残光が照らす地面には、夕闇を飛び交うコウモリの影が映っていた。


 その後は特に、貴族連中から嫌がらせを受けたりすることはなかった。あの忠告で、とりあえずちゃらになったらしく、俺は至って平凡な生活を送れていた。
 ただ、ベルナルドだけは憎々しげな視線で俺を見つめるのをやめなかったが、まぁ、それはいい。
 ナコルルは忙しいらしく、入学から連絡を取れていない。
 学院長室の木製の扉には〝学院長出張中〟と書かれた札がぶら下がっているから、どこかに行っているのだろう。副院長のセリア女史の姿も見えないので、二人で行っていると予想が立つ。
 そのうちに入学から三日が経ち、今日は授業の見学をしていた。
 前にも説明したが、必修となる基礎科目以外に選択科目が存在し、どのような授業をとるかは生徒自身の判断次第だ。
 今の時間帯はその選択授業の時間であり、新入生たる俺たちは、学院内の様々なところを巡って授業風景を見学して回っている。
 かなりバリエーションに富んでいて、治癒・浄化魔法から、召喚術、符術に、呪術などの特殊魔術系、剣術、槍術、格闘術などの武芸系、数学、経済学、法律学、生物学、薬学などの学問系まである。見ているだけでおもしろいものだが、どれを選ぶのかと聞かれると難しい。フィルなんかは迷わず学問系をとれるだけとるのだろうなという感じがするが、俺は決めかねていた。
 今。目の前で行われているのは召喚術の授業である。
 特殊な触媒で描かれた召喚魔法陣を使い、異界の存在や人ならざる力を持つものをぶ――それが召喚術の基本である。魔法陣や魔術師の質によって喚び出せる対象に違いがあり、質が高ければ高いほど、強力な存在を喚び出せる。魔法陣は地面に描かれたものでも、羊皮紙に描かれたものでも、何らかの物に彫り込まれたものでも構わない。
 召喚術の授業では基本を教えているため、実習室の床に特殊な塗料で描かれた魔法陣を使用していた。
 その魔法陣の前で、生徒たちが教師の指示に従い、様々な存在を喚び出しているのを見ていると、なぜか心臓の辺りが熱くなった。
 鼓動が激しくなり、身体も熱くなっていく。
 ――でぐちが、あるね。
 声が聞こえた気がして、俺は慌ててその場から遠ざかる。
 ここにいてはならない。
 ここにいたら、戻ってくる。あいつが。
 そんな気がした。



 第6話 覚める


 そのまま何もなければよかったのだ。
 少なくとも、きっかけさえなければ、何も起こらなかったはずだ。
 いつかは、力を借りなければならない日が訪れるにしても、それはできるだけ後にしておきたかった。
 けれど、そうはならなかった。
 穏やかになったと思っていた。
 きっともうあの頃のように、心を黒く塗りつぶされることなどないと思っていた。
 けれど、それも間違いだった。
 俺の心はあの頃と変わらず、失った部分を埋めているのは黒い感情だったのだ。
 そのことを、俺は改めて知った。
 知りたくは、なかったのに。


 ◆◇◆◇◆


 出張から帰ってきたらしいナコルルが駆けつけたのは、少し経った後だった。
 彼女はそこに広がる光景を見て、目を見開くと、立ち尽くす俺をゆっくりと眺めて、うめくように呟いた。

「……ジョン、何があった? ここで、一体……」

 別に隠す意味はなかった。もう起こってしまったことだ。むしろ、一刻も早く対応を講じる必要がある。

「話すのは構わないが、その前に頼みがある」
「なんじゃ?」
「ソステヌーの……ブルバッハ幻想爵げんそうしゃくをここに呼んでほしい」

 俺の言葉を聞いた途端、ナコルルが焦るように言った。

「ソステヌーの奴を呼ぶじゃと!? しかも……幻想爵を。いや、来るはずがない。奴らが来るのは研究対象がそこにあるときだけじゃ。ここには……」
「いや、絶対来るさ。手紙でもなんでもいい。言ってやれ。あんたの研究対象との契約者がここにいるってさ」
「馬鹿な……あいつらの研究はほとんど狂気の沙汰に近いようなものばかりじゃぞ。それをお前は……」
「別に好きでやったんじゃない。仕方なかっただけだ。とにかく、呼んでくれ。じゃないと……」

 俺は少し離れたところに倒れている三人の少年の姿を目に収めながら、言う。

が、増えるぞ」

 その三人のうちの一人は、ノールに魔法を放とうと執拗しつように追い続けた、ベルナルドという貴族の少年だ。他の二人も、名前は知らないが、着ているものや顔立ちから判断して、やはり貴族だろう。
 彼らはいつも顔に張り付けていた退廃的で嫌みな表情を、完全にどこかに取り落としてしまったらしい。今はただ、表情も無く、目を見開いて痙攣けいれんを繰り返しながら、遠くを見つめ、たまに、うぁぁぁ、と呻き声を上げたりしている。治癒術師が回復魔法を唱えているが、一向に効果はなく、三人の様子はずっとそのままだ。
 死んではいない。ただ、精神が壊れてしまっている。そんな感じだった。
 ナコルルはそんな彼らを見ながら、眉を寄せ、ため息をつく。

「どうすれば人間をあんな状態にできるというんじゃ……」
「さぁな。ともかく、ブルバッハだ。できるだけ早く頼む」
「分かった……わしは今から学院に戻って連絡をつける。なに、ソステヌーの奴らには知り合いも少なくないからの……ここで何があったかは、学院長室で聞こう。ジョン、お前も来るのじゃ」

 ナコルルは介抱に尽力する数人の治癒術師や魔術師たちに二言三言話すと、学院の方へと歩き出す。

「ともかく、あいつらは、病院に運ばせるが……大丈夫なのかのう?」
「死んではいないが……そこは保証しかねる。ブルバッハ次第だな」
「本当に何があったんじゃ……」
「これから話す。とにかく急ごう」

 学院長室につくと、ナコルルは執務机の上で、猛然と手紙を書き始めた。書くべき内容はもう伝えてあるから、どう書くかはナコルルに任せる。
 やがて羽ペンを置いたナコルルは、その手紙を封筒に入れ、さらに魔法陣の形に封蝋をすると、呪文を唱えた。

「遙か遠くに我が声を届ける、あなたは受け取るだろう、風のささやきススッルス・デ・ウェントゥス

 すると、封筒はぼんやりと薄緑色の光を帯び、消失していった。きっと転送系の魔法だろう。生き物の転移は難しくても、無機物、それも小さなものであれば、ナコルルにはそれほど難しいことではない。

「……すぐ返事が来るといいがのう」

 そう呟いて、ナコルルはこちらを見た。

「まぁ、その前にお主の話を聞くか。ジョン……一体あの場で何があった。誰が、何をして、あやつらはああなったのじゃ。話してくれ……」

 まるで、開けてはいけない箱に手を触れかけているかのような顔をして、ナコルルは俺にそう言った。
 別にそんな大層な話があるわけじゃない。つまらない、本当にただつまらないことが起こっただけだ。
 そして俺に少し、こらえ性が足りなかったのだ。


 ◆◇◆◇◆


 俺は家路を急いでいた。いつもと同じように、夕日が照らす中、寮までの道を足早に歩いていた。
 そんなときだ。あの貴族少年、ベルナルドが現れたのは。
 彼は一人ではなく、二人の仲間らしき少年を連れて、俺の前に立ちはだかった。
 俺は首を傾げた。俺がこいつに楯突いたことはもう学院内に知れ渡っていたが、そのことに対する制裁もすでに終わっているという認識もまた、周知の事実だったからだ。
 だからこそ、俺はあれから貴族に何もされなかったし、俺も貴族に何もしなかった。子供の社会だとて、そういう部分はしっかりと機能していて、信用ができた。
 なのに、なぜこいつはここにいる。まるでこれから、俺に何かをしようとしているようではないか。それは、俺たち子供の社会においても許されざる、秩序の攪乱かくらんになるのではないか。
 けれど、向こうはそんなことは思っていないようだった。
 俺の困惑に歪む表情を恐怖の表れと勘違いしたのか、妙になれなれしく、余裕ぶった顔で、ベルナルドは言い放った。

「おい……この間はよくも俺を虚仮こけにしてくれたな」

 分かりやすい負け惜しみだった。
 虚仮にしたどころか、むしろ救ってやろうと尽力したというのに、なんて言い草だ。
 まぁ。彼の前に立ちはだかった行為を、虚仮にした、と受け取るのは理解できる。俺の認識としては、ただルール違反してる奴を止めただけなのだが、こいつには通じないのだろう。
 こいつはこいつの世界だけで生きている。俺が何を言おうとも、こいつの世界に影響を及ぼすことはできないのかもしれない。
 でも、とりあえず言うだけのことは言っておきたい。もしかしたらこいつを変える一助になる可能性も、全くないわけではないのだから。

「別に虚仮になんかしてねぇよ。むしろお前が魔力を制御できないで死にそうな顔してたから、止めてやったんじゃねぇか。感謝されこそすれ、こうやって三対一で襲いかかられるようなことは一切してないつもりだぜ。そもそもは、お前が未熟だったのが悪いんだろ?」

 少し、言い過ぎだったかもしれない。俺の言葉に顔を赤くしたベルナルドは、「俺は未熟ではない!」と言いながら、杖を俺に向けてくる。
 冷静さをかなぐり捨てた今の様子のどこが未熟ではないのか、詳細に説明してほしいものだ。

「顔真っ赤にしやがって……どこからどうみても冷静じゃないじゃないか。そんな奴が自分を未熟じゃないと言い張っても、勘違いとしか言いようがないぜ? なぁ、そこの二人もそう思うよなぁ?」

 俺にこう言われた二人は、向こうの味方であるはずなのにもかかわらず、一瞬ベルナルドの顔を見て笑いそうになった。ベルナルドはそんな二人に鋭い視線を飛ばし、黙らせる。バツの悪そうな顔をした二人は慌てて、俺を睨んで黙り込んだ。

「まぁ、いい……どうせお前はこれから、俺に泣きながら謝るんだからな」

 急にベルナルドは妙な余裕を見せ、こう言った。
 どう考えてもありえない話だったが、自信ありげなベルナルドの様子に奇妙なものを覚えて、俺は首を傾げる。

「……随分と自信満々じゃないか。何か秘策でもあるのか?」

 俺がそう言うと、ベルナルドは貴族のくせに品のない笑みを浮かべて、俺に向かって何かを投げてきた。
 俺はそれを掴んで眺めた。そして、自分の表情が強張っていくのを感じた。

「……これは」

 それは、確かにカレンが身につけていたネックレスだった。俺たちが生まれた村の特産品の、鮮やかな装飾の施された木製のトップに、丈夫な魔物素材で作った糸を通したもの。
 なぜこんなものをこいつが持っている。
 そんな思いを込めて睨みつけると、ベルナルドは言った。

「お前の女のものだろう? 平民。何かされたくないなら、黙って俺についてくるんだな」

 そうして、ベルナルドは無言で歩き出した。
 俺もまた、無言で奴についていく。断れるはずが、なかった。



 第7話 よばれるもの


 ベルナルドたちが街の中を進んでいく。王都の中央通りは夕方になってもなお、人通りが絶えない。帰宅する人々、店を畳む店主たち、それに今からが仕事時だとばかりに裏通りへと消えていく娼婦たちに、酒場へと向かう荒くれども。
 こんなに平和で穏やかな都が、じきに戦火と絶望に彩られ、魔族の住処へと変貌してしまうなど、とても信じられない。
 数えきれない数の魔族、蹂躙じゅうりんされる人々、吹きすさぶ血の嵐、嵐、嵐。
 これほどたくさんの人が住んでいたのに、王都を生きて出ることができたのはその住人のほんの一部にすぎなかった。
 人の命など、一枚の銅貨よりも軽く、その辺の石ころと同じくらいの重さしか持たないのだということを、俺はあのとき知ったのだ。
 俺がそんな回想にふけっていると、前を行くベルナルドが一瞬振り返って首を傾げ、余裕を見せつけるような笑みを浮かべた。

「……何か企んでるのか? 何をしようと無駄だ」

 貴族らしい品と、権威主義的な考えの卑しさがにじみ出るその表情は、意外にも妙な魅力に満ちていた。ベルナルドの取り巻き二人は、もしかしたら彼のそんなところに惹かれているのかもしれない。
 それにしても、何か企んでいるなどと言われるとは思わなかった。むしろ、何も考えていないに等しい。ベルナルドが何を考えていようとも、俺にはその企みをはねのける力がある。企む必要など無かった。
 ベルナルドとて、俺を泣いて謝らせたいらしいから、殺す気ではないのだろう。その時点で、こいつの計画は俺にとってどうでもいいものなのだ。適当にいたぶられて満足してもらい、お帰り願おう、と暢気のんきに考えていた。
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