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1巻
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こういう話題というのは、一度知られてしまえば死ぬまでいじられ続ける。ましてや俺達が住んでいるのは人口が百人いるかどうかという小さな村だ。一度広がった噂は鳥の羽ばたきよりも早く村人全員の耳に入る。それは到底許せることではなかった。
まぁ、俺はなんだかんだ言っても結局中身は大人である。たとえそうなっても諦めはつくのだが、一方でテッドの顔の青白いことといったらなかった。
彼はガキ大将である。人に弱みを握られては商売上がったりなのだ。
テッドは俺のことをしばらく見つめ、深呼吸をして、首をゆっくりと振り、それから手を差し出して握手を求めた。
俺はその手をとり、縦に振る。それはつまり、ここに同盟が結ばれたという証に他ならなかった。
お互い睨むような鋭い目線を交わしつつ、ぎりぎりと握手し合った。
「お前と俺は一蓮托生だぞ、テッド」
「……ったく。こんなことなら下手に避けたりしないで、お前のこと手下にしときゃよかったぜ、ジョン」
テッドの口から、俺の名前が出た。これは今世では初めての出来事だった。それ以前に、普通に会話してくれたことすら初めてだった。
懐かしい呼び名を聞き、一瞬、涙腺が緩んで視界が歪む。
けれど、こんなことで泣くのもおかしなことだろう。そう思って、俺は涙がこぼれ落ちないように努力した。
「……おい、ジョン。何で泣いてんだよ……悪かったよ、今まで避けてて。これからは、友達だ。な?」
なのに、その努力もむなしく、どうやら俺は泣いてしまったらしい。
テッドが慌てつつ、俺を慰めにかかった。流石はガキ大将らしく、慰め方も慣れている。
子供社会とはいえ、子供が泣いたら親が出張ってくる。そうなると、いかにテッドでも問題になるのは避けられない。
だからテッドは、たとえどれだけ強引に他の子供を従わせようとも、泣かせることはあまりなかった。
もちろん、どんなにうまく立ち回っても所詮は子供であり、泣かせてしまうこともある。
が、テッドはそういう時誰よりも早く、そして上手に慰めるのである。
ちなみにこの技術は、大人になった時、主に女の扱いに利用されることになるので、どことなく腹立たしい。この男、大人になるといかにも包容力のありそうないい男になって、モテるのである。
「友達……」
「あぁ、友達だ。なんだ、お前、そうしてると普通なんだな。もっと変な奴かと思ってたぜ」
俺の泣きはらした目を見ながら、乱暴に背中を叩きつつテッドは言った。変な奴、やっぱりそういう風に見られていたか。
「どうして、俺が変な奴だと思ったんだ?」
「どうしてって、そりゃあ……」
テッドは言いにくそうに親父の方を見つめる。
親父も豪快で適当だが、あれで空気が読めない訳ではない。仕方がないと肩をすくめて、自分の耳を塞いでくれた。
もちろん魔物がいつやってくるか分からないから、俺達のそばからは離れない。親父が魔物を感知する方法は音や空気、それに振動など、五感を使ったものから、魔力で走査するものまである。耳を塞いでも警戒を緩めることにはならないからこそ、そうしてくれたのだった。
そんな親父を確認してから、それでも声を潜めて、俺の耳元でささやくようにテッドは呟いた。
「お前、魔法使えるだろ?」
「……!?」
テッドはそんな風にして、俺に爆弾を放り込んだ。
第4話 魔物との戦い、そして……
薄暗い森の中を、歩く。
緑の深い森の中は、どことなくいい香りがする。
俺達三人の間には、先ほどとは異なる連帯と信頼の空気が流れていた。
けれど、俺とテッドの間には――というと語弊があるか。テッドはなんとも思っていないようだが、俺はテッドに対して少しの緊張を覚えていた。
――まさか、見られているとは思わなかった。
先ほどのテッドの言葉を反芻する。
テッドは、「お前、魔法使えるだろ?」と言った後にこう続けたのだ。
「別に誰にも言いやしねぇよ……そんな顔すんな」
よっぽど俺は深刻な顔をしていたのだろう。テッドは少し笑って更に言った。
「俺にも今度、魔法教えてくれよ」
「あ、あぁ。だけど、これも秘密だぞ」
「分かったぜ」
少し驚きつつも、俺はそう返したのだった。
この頃においてはまだ、魔法は秘匿された技術である。
ある程度以上の魔力を持つ者は、人が歩き方を覚えるように自然に魔力の扱いを覚えてしまう。だが、それ以上の体系的な、または高度な魔法――浄化・回復や、実戦レベルの攻撃魔法など――は、その理論的知識を学び、幾度もの実践を経なければ使えるようにはならない。だからこその魔術師適性調査であり、魔法学院なのである。
俺が隠れて修業に取り組んでいたのもそういう理由だ。しかしどうやら、テッドには見られていたらしい。
一瞬、困った――と思ったのだが、よくよく考えれば、俺の目的は人類の持つ力をあらゆる意味で底上げすることである。
そう考えれば、テッドに魔法を教えるのも悪くない選択かもしれなかった。
彼が自分で口にした約束を破るような男でないことを、俺は知っている。
本当なら、魔法学院で実績を積み、それから俺の持つ前世の魔法知識や戦闘技術を広めていくつもりだった。それが少し早まるだけと考えればいいのかもしれない。
とはいえ、俺の持つ知識・技術には、国際的なパワーバランスを崩しかねないほどに有用なものが多い。俺一人で世界をどうこう、という訳にはいかないが、俺の持つ知識を基に国家ぐるみで取り組めば、世界征服も可能かもしれない。
それも当然である。全人類相手に拮抗し続けた魔族達と戦っている時期に、それこそ全世界の知識と技術の粋を集めて発明された技術ばかりなのだ。
回復魔法の使い手の量産方法にしても、戦争に用いれば、倒れた兵士を延々と治癒し続けられるようになり、少ない兵士で大勢の敵兵を相手取ることができる。
そんな技術や知識をある国が持っているなどと知れれば、魔族との戦争どころではなく、人間同士での泥沼の争いが起こる可能性すらある。
魔族はそんな人類の隙を突いて、嬉々として人類の殲滅にかかることだろう。そうなれば人類はおしまいだ。世界が手を取り合って対抗してすら滅亡しかけたのだ。人間同士で争った後の疲弊した世界情勢では、魔族と争うことなどできるはずがない。
だからこそ、俺の知識と技術は伝える相手をよくよく選ばなければならない。
その点、テッドは悪くない選択だ。
テッドはガキ大将らしく、一度こうと決めれば口が堅く、義理堅い男だ。それにまだ子供であるから、伸び代も十分だ。俺の持つ知識の中でも、若年であればあるほど有用なものが、基礎魔力量の増加法則をはじめ数多くある。
村に帰ったらテッドに魔法を教えるか――と覚悟を決めた。その時はしっかりと危険性も伝えよう。
問題はテッドの手下達だが、それはあとでテッドと相談して決めることにする。
そんな風に色々考えながら森を歩いていると、親父の怒鳴り声が響いた。
「来るぞっ!!」
どうやら、魔物のご登場らしい。テッドと顔を見合わせる。
彼は、この年にしては驚くほど腹が据わっていた。普通、こんな事態に至ればもっと青白くなり、怯えに満ちた表情になってしかるべきなのだが、テッドはかなり落ち着いているように見える。
もしかしたら心の中では怯えているのかもしれないが、それを表に出さないだけでも子供離れしている。彼はすぐに肩に掛けていた短弓を手に持ち、周囲を警戒し始めた。俺も腰に下げていたショートソードを抜いて構える。
もちろん、俺やテッドが武器を構えても意味はない。俺達が戦うことになった時はつまり、親父がやられた時であり、そして親父が勝てないような魔物に、俺やテッドが勝てる訳がないのである。前世の俺なら希望はあるかもしれないが、身体能力もその他の能力も格段に落ちている。これではいかんともしがたい。
だから、親父の力を信じて、俺達は魔物がどういう存在か、そしてどんな風に親父が戦うのかを見ていることしかできない。そもそもそれが今回俺とテッドが親父につれられて森に入った理由なのだから、それで問題ないのであるが。
大木茂る森林の向こうから、地響きが伝わってきた。親父が見詰めるその先からは、砂煙と木をなぎ倒す大きな音も聞こえてくる。
ここからではその大きさを想像することしかできないが、それでも人間を遥かに超える巨体を持っていることは明白だった。
人が勝てる訳がないと、普通なら思うはずだ。
なのに、親父は何かを推し量るようにした後、こう呟いた。
「……まぁ、あのくらいならなんとかならぁ」
それは、別に虚勢でも何でもない口調だった。ただ、事実を確認している、といった感じだ。
親父は背中に差した大剣を抜き放ち、構えた。盾は持たない。剣一本で戦う攻撃的な戦士なのである。
そうして、親父の体から魔力が立ち上るのが見えた。それらの大半は手に持つ大剣へと流れ込んでいく。魔力的強化を施しているのだ。
――魔剣士。
それが親父の力を表す名称であった。
己が武器に魔力を通し、身体能力を駆使して敵を屠る者。
それこそが魔剣士である。
魔法を放ちつつ、武器を持って戦う者は大勢いる。
しかし、特別な技術を持った鍛冶師が打った魔法武具や神具ではない、通常武具に魔力を直接浸透させられる者は少数である。またそれと同時に、身体強化を高いレベルで発動させられる者となれば、ほとんどいないと言っていいほどだ。
親父は、その少数のうちの一人であった。だからこそ、国内でも最大級の危険地帯と言われる魔の森の守護を任されているのだ。
やがて、魔物が目の前にやってきた。
考えられないほどの巨体だった。六メルテ、いや、七メルテはあるだろうか。大人五人を重ね合わせても足りないかもしれない、その体躯。
地面を力強く掴む四本の足には刀剣にも似た、美しく透き通った鋭い爪が生えている。頭部は狼に似ているが、牙もまた透き通っており、頭頂部には水晶作りのような角が二本延びていた。体毛は白銀で、さわさわとして肌触りが良さそうに見える。けれどあれは高い抗魔力を持った毛皮なのだと、俺は知っている。
「クリスタルウルフ……」
「あれが……?」
俺の呟きを、テッドが継いだ。
「まさかこんな大物がこの森に棲んでいるとは思わなかったな。魔の森でも深いところに行かないといねぇんだぞ。お前等、運がいいな」
がはは、と笑って俺達を見る親父。
そんな化け物に出会うことのどこが運がいいのだ、と言わんばかりに顔をゆがめるテッド。
残念ながら俺もテッドと同じ気持ちで、とてもではないが運がいいとは思えなかった。
この化け物には、戦争の最中、助けられたことも、また反対に殺されかけたこともあり、なんとも言い難い存在である。
今のところこの世界では、魔物は低位魔族として認識されているが、実際は魔族ではなく、また必ずしも魔族と友好関係にある訳ではない。特に知能の高い魔物ほど、魔族とは異なる考え方をすることが多かった。
このクリスタルウルフもそのうちの一種で、人類と魔族の戦争にたまにやってきては両方を蹂躙したり、またどちらかに味方したりするなど、好き勝手やってくれたものだ。
なので非常に複雑な印象を持っているのだが、事この場面においては、クリスタルウルフが俺達の敵であることははっきりしている。
したがって、早く倒してくれ、親父、と言いたいところだ。
「んじゃ、まぁ……やるか!」
親父はギラリと光る大剣を構えてクリスタルウルフと睨み合うと、足下を思い切り踏みしめたあと、飛びかかった。
魔力により推力を増したその踏み込みは、恐るべき速度を実現している。
「すげぇ! 速えぇ!」
テッドが目を丸くしてそう叫んだ。
目にも留まらぬ早さで大剣を振り下ろした親父。けれどクリスタルウルフの毛皮を切り裂くには至らない。
「ぐるるる……」
うなりながらも理知的な目で親父の動きを捉えたクリスタルウルフは、親父の攻撃を避け、後ろへと跳んでいた。
そんな姿を見て、親父は驚いたのだろう。
「おいおい……やるじゃねぇか。クリスタルウルフに初撃を避けられたのは初めてだぜ!」
その台詞には、俺も驚いた。親父の真剣な攻撃を、このクリスタルウルフが避けたらしいからだ。
前世において、こんなことはなかった。そもそも何度も親父と森に入りはしたが、クリスタルウルフなどという大物に出くわしたことなどなかった。
前世と、今世。
起こることは、全く同じという訳にはいかないらしい。
俺がテッドに避けられていたこともそうだ。このようなズレが、これから先、どれだけ起こるのか。そしてそれはどんな規模なのか。慎重に見極めていかなければならない。もしかしたら、戦争の起こる時期もずれる可能性があるのだから……
今のところ、村での大きな出来事にズレは見られない。たとえばどこそこの子供が生まれた、とか、どこそこの家で小火が出た、とかそういったことについては、憶えている限りは同じ時期に起こっている。
しかし、今日の森への進入は、前世においてはなかったことだ。
親父はいつも帰宅した次の日に、俺を森へと連れて行ってくれたが、今日はよほど俺が物欲しそうな顔をしていたからか、帰宅して食事を終えるとすぐに森へと出発した。
もしかしたら、前世でもこの日、この時間に出発していれば、同じ出来事が起こっていたのかもしれない。そう考えれば、このズレもそれほど気にする必要はないのかもしれなかった。
とにかく、今は親父とクリスタルウルフとの戦闘である。
それはとても熾烈なものだった。
親父は激しく、疾風のように剣を振るうが、クリスタルウルフはそれをひらりひらりと避ける。
息もつかせぬ恐るべき戦いだった。
親父の技量もさることながら、クリスタルウルフの身体能力も目を見張るものがある。
そうして幾度ものぶつかり合いを経て、状況に変化が生じた。クリスタルウルフの体が、何やら奇妙な揺らめきに包まれ始めたのだ。
それは魔力の揺らぎ、体内魔力の発散。通常動物には見られない、魔物のみに見られる現象である。
クリスタルウルフの体中にある水晶部分は、今やクリスタルウルフ自身の魔力に呼応して、光り輝いていた。
これこそ、クリスタルウルフが他の魔物と一線を画す魔力使用能力。
「……魔力暴走!」
周囲にある、魔力の元となる「魔素」を持つもの全てを消滅させるほどの爆発を起こすと言われる、危険極まりない力だ。
それでいながら、クリスタルウルフ自身は全くの無傷なのだから、理不尽にも程がある。
ただ後の研究で、この力を振るったクリスタルウルフは寿命を減らし、また数カ月の間は能力のほとんどが減退することが分かっている。彼らにしてみても、諸刃の剣であるのは間違いない。
だからこそ、あまりこれを放つところを見る機会はないものなのだが、このクリスタルウルフは親父をそれに値する強敵と認めたらしい。
「これはやべぇな……!」
親父は冷や汗を一筋たらりと流して、そう呟いた。
「どうするんですか! アレンさん!」
「親父!」
俺もテッドも焦っていた。
クリスタルウルフの魔力の高まりは止まらない。
このままでは……
「逃げるしか、ねぇな。ジョン、テッド! 走れ! ……あぁ、いや、持ってくぞ」
走れ、と言っておきながら親父は首を振りつつ、俺とテッドを小脇に抱えて走り出した。
俺とテッドが走るより、その方がよっぽど速いという判断だろう。
クリスタルウルフは追いかけてはこなかった。このまま魔力暴走が発動すれば、逃げる俺達諸共森を灰燼に帰すことができると分かっているからだろう。
俺達にできるのは、この場からできる限り遠くまで逃げることだけ。
「……でも、このまま森を消し飛ばさせる訳にはいかないよな」
「あぁ!?」
俺の呟きに親父は叫んだきり、そのまま逃げ続ける。内容を聞いている暇がなかったのだろう。
親父に抱えられた状態で、俺は後ろのクリスタルウルフを見た。
魔力はもやは爆発寸前であり、キシキシと空間全体がゆがんでいる。
これはやばい。文句なしにやばい。
クリスタルウルフの魔力暴走は周囲数千メルテを荒野へと変える、恐るべき魔力災害なのだ。
町一つが、これによって破壊された光景を見たこともある。
だからこそ――
「止める手段があるなら止めないと」
するりと親父の腕から抜けた俺は、クリスタルウルフの元へと向かった。脇の下から俺が消えたことに気付いた親父は、振り返って叫ぶ。
「おい、ジョン! バカ野郎! 早く戻れ!」
しかし言われた通り戻るのなら、最初から親父の腕の中から抜けたりはしない。
巨木の根に足を取られながらも元来た道を戻った俺は、大いなる魔物、クリスタルウルフと対峙した。
目の前に、巨木と同等の力強さで立つその生き物。
強大な生命力が全身に宿っている。
赤く充血した眼。
鋭くとがった爪。
光輝く水晶部。
見れば見るほど恐ろしい存在だ。
前世では幾度となく対峙したが、それでも怖いものは怖い。
はっきり言って、叫び出したいところだった。
けれども、今はそういう訳にはいかない。事は一刻を争うのだから。
クリスタルウルフは、確かに危険な魔物だ。
ただでさえ高い戦闘能力を持ち、魔力暴走という能力もある。誰もが戦いたくないと思う魔物だ。
けれども、俺の知識によれば、それは彼らの生態が知られるまでの話にすぎない。
彼らがなぜ、魔力暴走などという自他共に危険な行為を行うのか。
未来において、その理由は明らかになっていた。
恐ろしき魔物を前に、俺は叫んだ。
「クリスタルウルフ! 聞いてくれ!」
第5話 誓約と竜の宝玉
この頃、魔物には知能などないというのが通説であり、高い魔力と知能を持つ高位魔族の魔人に従う低位魔族であると見なされていた。
しかし戦争が進むにつれ、兵士達の間に徐々に疑問が生まれてきた。
魔族の一部であるはずの魔物の中には、人を襲わないものがいたのだ。
襲ってこない魔物は偵察や諜報が目的なのだとか、魔族の支配を受けて初めて魔族の手足のように動く存在になるのだとか、様々な説が流れ、大きな議論を巻き起こした。
中々結論の出なかったこうした議論は、やがて大英雄の登場によって幕を下ろした。
彼らのうちの一人、大いなる知恵を持つとされる永遠の大賢者、大魔導ワイズマン・ナコルルが、この問題の正答を導き出したのだ。
すなわち、魔物はそもそも魔族とは異なるカテゴリに属する存在なのだ、という説である。
彼女によれば、魔人だけが人類と敵対する魔族と呼ばれるべき存在であり、魔物はそれとははっきりと異なるのだという。
この説は当初、学会でも与太話の一つに数えられるだけだった。
けれど、勇者と聖女が王都を魔族の襲撃から救った時、それが間違いなく真実であることが明らかになった。
勇者と聖女は王の前へと出るに当たり、一体の魔物を引き連れていた。
鋭い牙と白銀の毛皮、強大な魔力を魔物たる証明とする巨大な狼。幾度となく人類を窮地に陥れ、神の腕をも噛み砕いたと伝説に語られる存在だった。
国によっては神の一柱にも数えられる、白神狼と呼ばれるその魔物を、勇者と聖女はまるでペットのように扱っていた。両者が親しいことは、火を見るより明らかだった。
しかも白神狼が人の姿をとることもできるという驚くべき事実もその場で明らかになり、人化した白神狼自らの口から、魔物と魔族の歴史が国王に奏上された。この事件は、俺の前世の中でもひと際目立つニュースである。
魔物は確かに人を襲いはするが、それは基本的には必要にかられてのことであり、人類を滅ぼしてやろうとか、そういう意図はない。そして生態系の中に自分の役割を持っている、紛れもない自然界の一部である点も、魔族とは明確に異なる。知能を持つ持たないは種類によって異なるが、生き方の基本は同じである――白神狼はそう、国王に語ったという。
今俺の前に立つクリスタルウルフも、知能を持つ理知的な魔物だ。それも、他の魔物とは一線を画すほどの、人間に匹敵する高い知能を。
だから、俺の呼びかけも通じる。
まぁ、俺はなんだかんだ言っても結局中身は大人である。たとえそうなっても諦めはつくのだが、一方でテッドの顔の青白いことといったらなかった。
彼はガキ大将である。人に弱みを握られては商売上がったりなのだ。
テッドは俺のことをしばらく見つめ、深呼吸をして、首をゆっくりと振り、それから手を差し出して握手を求めた。
俺はその手をとり、縦に振る。それはつまり、ここに同盟が結ばれたという証に他ならなかった。
お互い睨むような鋭い目線を交わしつつ、ぎりぎりと握手し合った。
「お前と俺は一蓮托生だぞ、テッド」
「……ったく。こんなことなら下手に避けたりしないで、お前のこと手下にしときゃよかったぜ、ジョン」
テッドの口から、俺の名前が出た。これは今世では初めての出来事だった。それ以前に、普通に会話してくれたことすら初めてだった。
懐かしい呼び名を聞き、一瞬、涙腺が緩んで視界が歪む。
けれど、こんなことで泣くのもおかしなことだろう。そう思って、俺は涙がこぼれ落ちないように努力した。
「……おい、ジョン。何で泣いてんだよ……悪かったよ、今まで避けてて。これからは、友達だ。な?」
なのに、その努力もむなしく、どうやら俺は泣いてしまったらしい。
テッドが慌てつつ、俺を慰めにかかった。流石はガキ大将らしく、慰め方も慣れている。
子供社会とはいえ、子供が泣いたら親が出張ってくる。そうなると、いかにテッドでも問題になるのは避けられない。
だからテッドは、たとえどれだけ強引に他の子供を従わせようとも、泣かせることはあまりなかった。
もちろん、どんなにうまく立ち回っても所詮は子供であり、泣かせてしまうこともある。
が、テッドはそういう時誰よりも早く、そして上手に慰めるのである。
ちなみにこの技術は、大人になった時、主に女の扱いに利用されることになるので、どことなく腹立たしい。この男、大人になるといかにも包容力のありそうないい男になって、モテるのである。
「友達……」
「あぁ、友達だ。なんだ、お前、そうしてると普通なんだな。もっと変な奴かと思ってたぜ」
俺の泣きはらした目を見ながら、乱暴に背中を叩きつつテッドは言った。変な奴、やっぱりそういう風に見られていたか。
「どうして、俺が変な奴だと思ったんだ?」
「どうしてって、そりゃあ……」
テッドは言いにくそうに親父の方を見つめる。
親父も豪快で適当だが、あれで空気が読めない訳ではない。仕方がないと肩をすくめて、自分の耳を塞いでくれた。
もちろん魔物がいつやってくるか分からないから、俺達のそばからは離れない。親父が魔物を感知する方法は音や空気、それに振動など、五感を使ったものから、魔力で走査するものまである。耳を塞いでも警戒を緩めることにはならないからこそ、そうしてくれたのだった。
そんな親父を確認してから、それでも声を潜めて、俺の耳元でささやくようにテッドは呟いた。
「お前、魔法使えるだろ?」
「……!?」
テッドはそんな風にして、俺に爆弾を放り込んだ。
第4話 魔物との戦い、そして……
薄暗い森の中を、歩く。
緑の深い森の中は、どことなくいい香りがする。
俺達三人の間には、先ほどとは異なる連帯と信頼の空気が流れていた。
けれど、俺とテッドの間には――というと語弊があるか。テッドはなんとも思っていないようだが、俺はテッドに対して少しの緊張を覚えていた。
――まさか、見られているとは思わなかった。
先ほどのテッドの言葉を反芻する。
テッドは、「お前、魔法使えるだろ?」と言った後にこう続けたのだ。
「別に誰にも言いやしねぇよ……そんな顔すんな」
よっぽど俺は深刻な顔をしていたのだろう。テッドは少し笑って更に言った。
「俺にも今度、魔法教えてくれよ」
「あ、あぁ。だけど、これも秘密だぞ」
「分かったぜ」
少し驚きつつも、俺はそう返したのだった。
この頃においてはまだ、魔法は秘匿された技術である。
ある程度以上の魔力を持つ者は、人が歩き方を覚えるように自然に魔力の扱いを覚えてしまう。だが、それ以上の体系的な、または高度な魔法――浄化・回復や、実戦レベルの攻撃魔法など――は、その理論的知識を学び、幾度もの実践を経なければ使えるようにはならない。だからこその魔術師適性調査であり、魔法学院なのである。
俺が隠れて修業に取り組んでいたのもそういう理由だ。しかしどうやら、テッドには見られていたらしい。
一瞬、困った――と思ったのだが、よくよく考えれば、俺の目的は人類の持つ力をあらゆる意味で底上げすることである。
そう考えれば、テッドに魔法を教えるのも悪くない選択かもしれなかった。
彼が自分で口にした約束を破るような男でないことを、俺は知っている。
本当なら、魔法学院で実績を積み、それから俺の持つ前世の魔法知識や戦闘技術を広めていくつもりだった。それが少し早まるだけと考えればいいのかもしれない。
とはいえ、俺の持つ知識・技術には、国際的なパワーバランスを崩しかねないほどに有用なものが多い。俺一人で世界をどうこう、という訳にはいかないが、俺の持つ知識を基に国家ぐるみで取り組めば、世界征服も可能かもしれない。
それも当然である。全人類相手に拮抗し続けた魔族達と戦っている時期に、それこそ全世界の知識と技術の粋を集めて発明された技術ばかりなのだ。
回復魔法の使い手の量産方法にしても、戦争に用いれば、倒れた兵士を延々と治癒し続けられるようになり、少ない兵士で大勢の敵兵を相手取ることができる。
そんな技術や知識をある国が持っているなどと知れれば、魔族との戦争どころではなく、人間同士での泥沼の争いが起こる可能性すらある。
魔族はそんな人類の隙を突いて、嬉々として人類の殲滅にかかることだろう。そうなれば人類はおしまいだ。世界が手を取り合って対抗してすら滅亡しかけたのだ。人間同士で争った後の疲弊した世界情勢では、魔族と争うことなどできるはずがない。
だからこそ、俺の知識と技術は伝える相手をよくよく選ばなければならない。
その点、テッドは悪くない選択だ。
テッドはガキ大将らしく、一度こうと決めれば口が堅く、義理堅い男だ。それにまだ子供であるから、伸び代も十分だ。俺の持つ知識の中でも、若年であればあるほど有用なものが、基礎魔力量の増加法則をはじめ数多くある。
村に帰ったらテッドに魔法を教えるか――と覚悟を決めた。その時はしっかりと危険性も伝えよう。
問題はテッドの手下達だが、それはあとでテッドと相談して決めることにする。
そんな風に色々考えながら森を歩いていると、親父の怒鳴り声が響いた。
「来るぞっ!!」
どうやら、魔物のご登場らしい。テッドと顔を見合わせる。
彼は、この年にしては驚くほど腹が据わっていた。普通、こんな事態に至ればもっと青白くなり、怯えに満ちた表情になってしかるべきなのだが、テッドはかなり落ち着いているように見える。
もしかしたら心の中では怯えているのかもしれないが、それを表に出さないだけでも子供離れしている。彼はすぐに肩に掛けていた短弓を手に持ち、周囲を警戒し始めた。俺も腰に下げていたショートソードを抜いて構える。
もちろん、俺やテッドが武器を構えても意味はない。俺達が戦うことになった時はつまり、親父がやられた時であり、そして親父が勝てないような魔物に、俺やテッドが勝てる訳がないのである。前世の俺なら希望はあるかもしれないが、身体能力もその他の能力も格段に落ちている。これではいかんともしがたい。
だから、親父の力を信じて、俺達は魔物がどういう存在か、そしてどんな風に親父が戦うのかを見ていることしかできない。そもそもそれが今回俺とテッドが親父につれられて森に入った理由なのだから、それで問題ないのであるが。
大木茂る森林の向こうから、地響きが伝わってきた。親父が見詰めるその先からは、砂煙と木をなぎ倒す大きな音も聞こえてくる。
ここからではその大きさを想像することしかできないが、それでも人間を遥かに超える巨体を持っていることは明白だった。
人が勝てる訳がないと、普通なら思うはずだ。
なのに、親父は何かを推し量るようにした後、こう呟いた。
「……まぁ、あのくらいならなんとかならぁ」
それは、別に虚勢でも何でもない口調だった。ただ、事実を確認している、といった感じだ。
親父は背中に差した大剣を抜き放ち、構えた。盾は持たない。剣一本で戦う攻撃的な戦士なのである。
そうして、親父の体から魔力が立ち上るのが見えた。それらの大半は手に持つ大剣へと流れ込んでいく。魔力的強化を施しているのだ。
――魔剣士。
それが親父の力を表す名称であった。
己が武器に魔力を通し、身体能力を駆使して敵を屠る者。
それこそが魔剣士である。
魔法を放ちつつ、武器を持って戦う者は大勢いる。
しかし、特別な技術を持った鍛冶師が打った魔法武具や神具ではない、通常武具に魔力を直接浸透させられる者は少数である。またそれと同時に、身体強化を高いレベルで発動させられる者となれば、ほとんどいないと言っていいほどだ。
親父は、その少数のうちの一人であった。だからこそ、国内でも最大級の危険地帯と言われる魔の森の守護を任されているのだ。
やがて、魔物が目の前にやってきた。
考えられないほどの巨体だった。六メルテ、いや、七メルテはあるだろうか。大人五人を重ね合わせても足りないかもしれない、その体躯。
地面を力強く掴む四本の足には刀剣にも似た、美しく透き通った鋭い爪が生えている。頭部は狼に似ているが、牙もまた透き通っており、頭頂部には水晶作りのような角が二本延びていた。体毛は白銀で、さわさわとして肌触りが良さそうに見える。けれどあれは高い抗魔力を持った毛皮なのだと、俺は知っている。
「クリスタルウルフ……」
「あれが……?」
俺の呟きを、テッドが継いだ。
「まさかこんな大物がこの森に棲んでいるとは思わなかったな。魔の森でも深いところに行かないといねぇんだぞ。お前等、運がいいな」
がはは、と笑って俺達を見る親父。
そんな化け物に出会うことのどこが運がいいのだ、と言わんばかりに顔をゆがめるテッド。
残念ながら俺もテッドと同じ気持ちで、とてもではないが運がいいとは思えなかった。
この化け物には、戦争の最中、助けられたことも、また反対に殺されかけたこともあり、なんとも言い難い存在である。
今のところこの世界では、魔物は低位魔族として認識されているが、実際は魔族ではなく、また必ずしも魔族と友好関係にある訳ではない。特に知能の高い魔物ほど、魔族とは異なる考え方をすることが多かった。
このクリスタルウルフもそのうちの一種で、人類と魔族の戦争にたまにやってきては両方を蹂躙したり、またどちらかに味方したりするなど、好き勝手やってくれたものだ。
なので非常に複雑な印象を持っているのだが、事この場面においては、クリスタルウルフが俺達の敵であることははっきりしている。
したがって、早く倒してくれ、親父、と言いたいところだ。
「んじゃ、まぁ……やるか!」
親父はギラリと光る大剣を構えてクリスタルウルフと睨み合うと、足下を思い切り踏みしめたあと、飛びかかった。
魔力により推力を増したその踏み込みは、恐るべき速度を実現している。
「すげぇ! 速えぇ!」
テッドが目を丸くしてそう叫んだ。
目にも留まらぬ早さで大剣を振り下ろした親父。けれどクリスタルウルフの毛皮を切り裂くには至らない。
「ぐるるる……」
うなりながらも理知的な目で親父の動きを捉えたクリスタルウルフは、親父の攻撃を避け、後ろへと跳んでいた。
そんな姿を見て、親父は驚いたのだろう。
「おいおい……やるじゃねぇか。クリスタルウルフに初撃を避けられたのは初めてだぜ!」
その台詞には、俺も驚いた。親父の真剣な攻撃を、このクリスタルウルフが避けたらしいからだ。
前世において、こんなことはなかった。そもそも何度も親父と森に入りはしたが、クリスタルウルフなどという大物に出くわしたことなどなかった。
前世と、今世。
起こることは、全く同じという訳にはいかないらしい。
俺がテッドに避けられていたこともそうだ。このようなズレが、これから先、どれだけ起こるのか。そしてそれはどんな規模なのか。慎重に見極めていかなければならない。もしかしたら、戦争の起こる時期もずれる可能性があるのだから……
今のところ、村での大きな出来事にズレは見られない。たとえばどこそこの子供が生まれた、とか、どこそこの家で小火が出た、とかそういったことについては、憶えている限りは同じ時期に起こっている。
しかし、今日の森への進入は、前世においてはなかったことだ。
親父はいつも帰宅した次の日に、俺を森へと連れて行ってくれたが、今日はよほど俺が物欲しそうな顔をしていたからか、帰宅して食事を終えるとすぐに森へと出発した。
もしかしたら、前世でもこの日、この時間に出発していれば、同じ出来事が起こっていたのかもしれない。そう考えれば、このズレもそれほど気にする必要はないのかもしれなかった。
とにかく、今は親父とクリスタルウルフとの戦闘である。
それはとても熾烈なものだった。
親父は激しく、疾風のように剣を振るうが、クリスタルウルフはそれをひらりひらりと避ける。
息もつかせぬ恐るべき戦いだった。
親父の技量もさることながら、クリスタルウルフの身体能力も目を見張るものがある。
そうして幾度ものぶつかり合いを経て、状況に変化が生じた。クリスタルウルフの体が、何やら奇妙な揺らめきに包まれ始めたのだ。
それは魔力の揺らぎ、体内魔力の発散。通常動物には見られない、魔物のみに見られる現象である。
クリスタルウルフの体中にある水晶部分は、今やクリスタルウルフ自身の魔力に呼応して、光り輝いていた。
これこそ、クリスタルウルフが他の魔物と一線を画す魔力使用能力。
「……魔力暴走!」
周囲にある、魔力の元となる「魔素」を持つもの全てを消滅させるほどの爆発を起こすと言われる、危険極まりない力だ。
それでいながら、クリスタルウルフ自身は全くの無傷なのだから、理不尽にも程がある。
ただ後の研究で、この力を振るったクリスタルウルフは寿命を減らし、また数カ月の間は能力のほとんどが減退することが分かっている。彼らにしてみても、諸刃の剣であるのは間違いない。
だからこそ、あまりこれを放つところを見る機会はないものなのだが、このクリスタルウルフは親父をそれに値する強敵と認めたらしい。
「これはやべぇな……!」
親父は冷や汗を一筋たらりと流して、そう呟いた。
「どうするんですか! アレンさん!」
「親父!」
俺もテッドも焦っていた。
クリスタルウルフの魔力の高まりは止まらない。
このままでは……
「逃げるしか、ねぇな。ジョン、テッド! 走れ! ……あぁ、いや、持ってくぞ」
走れ、と言っておきながら親父は首を振りつつ、俺とテッドを小脇に抱えて走り出した。
俺とテッドが走るより、その方がよっぽど速いという判断だろう。
クリスタルウルフは追いかけてはこなかった。このまま魔力暴走が発動すれば、逃げる俺達諸共森を灰燼に帰すことができると分かっているからだろう。
俺達にできるのは、この場からできる限り遠くまで逃げることだけ。
「……でも、このまま森を消し飛ばさせる訳にはいかないよな」
「あぁ!?」
俺の呟きに親父は叫んだきり、そのまま逃げ続ける。内容を聞いている暇がなかったのだろう。
親父に抱えられた状態で、俺は後ろのクリスタルウルフを見た。
魔力はもやは爆発寸前であり、キシキシと空間全体がゆがんでいる。
これはやばい。文句なしにやばい。
クリスタルウルフの魔力暴走は周囲数千メルテを荒野へと変える、恐るべき魔力災害なのだ。
町一つが、これによって破壊された光景を見たこともある。
だからこそ――
「止める手段があるなら止めないと」
するりと親父の腕から抜けた俺は、クリスタルウルフの元へと向かった。脇の下から俺が消えたことに気付いた親父は、振り返って叫ぶ。
「おい、ジョン! バカ野郎! 早く戻れ!」
しかし言われた通り戻るのなら、最初から親父の腕の中から抜けたりはしない。
巨木の根に足を取られながらも元来た道を戻った俺は、大いなる魔物、クリスタルウルフと対峙した。
目の前に、巨木と同等の力強さで立つその生き物。
強大な生命力が全身に宿っている。
赤く充血した眼。
鋭くとがった爪。
光輝く水晶部。
見れば見るほど恐ろしい存在だ。
前世では幾度となく対峙したが、それでも怖いものは怖い。
はっきり言って、叫び出したいところだった。
けれども、今はそういう訳にはいかない。事は一刻を争うのだから。
クリスタルウルフは、確かに危険な魔物だ。
ただでさえ高い戦闘能力を持ち、魔力暴走という能力もある。誰もが戦いたくないと思う魔物だ。
けれども、俺の知識によれば、それは彼らの生態が知られるまでの話にすぎない。
彼らがなぜ、魔力暴走などという自他共に危険な行為を行うのか。
未来において、その理由は明らかになっていた。
恐ろしき魔物を前に、俺は叫んだ。
「クリスタルウルフ! 聞いてくれ!」
第5話 誓約と竜の宝玉
この頃、魔物には知能などないというのが通説であり、高い魔力と知能を持つ高位魔族の魔人に従う低位魔族であると見なされていた。
しかし戦争が進むにつれ、兵士達の間に徐々に疑問が生まれてきた。
魔族の一部であるはずの魔物の中には、人を襲わないものがいたのだ。
襲ってこない魔物は偵察や諜報が目的なのだとか、魔族の支配を受けて初めて魔族の手足のように動く存在になるのだとか、様々な説が流れ、大きな議論を巻き起こした。
中々結論の出なかったこうした議論は、やがて大英雄の登場によって幕を下ろした。
彼らのうちの一人、大いなる知恵を持つとされる永遠の大賢者、大魔導ワイズマン・ナコルルが、この問題の正答を導き出したのだ。
すなわち、魔物はそもそも魔族とは異なるカテゴリに属する存在なのだ、という説である。
彼女によれば、魔人だけが人類と敵対する魔族と呼ばれるべき存在であり、魔物はそれとははっきりと異なるのだという。
この説は当初、学会でも与太話の一つに数えられるだけだった。
けれど、勇者と聖女が王都を魔族の襲撃から救った時、それが間違いなく真実であることが明らかになった。
勇者と聖女は王の前へと出るに当たり、一体の魔物を引き連れていた。
鋭い牙と白銀の毛皮、強大な魔力を魔物たる証明とする巨大な狼。幾度となく人類を窮地に陥れ、神の腕をも噛み砕いたと伝説に語られる存在だった。
国によっては神の一柱にも数えられる、白神狼と呼ばれるその魔物を、勇者と聖女はまるでペットのように扱っていた。両者が親しいことは、火を見るより明らかだった。
しかも白神狼が人の姿をとることもできるという驚くべき事実もその場で明らかになり、人化した白神狼自らの口から、魔物と魔族の歴史が国王に奏上された。この事件は、俺の前世の中でもひと際目立つニュースである。
魔物は確かに人を襲いはするが、それは基本的には必要にかられてのことであり、人類を滅ぼしてやろうとか、そういう意図はない。そして生態系の中に自分の役割を持っている、紛れもない自然界の一部である点も、魔族とは明確に異なる。知能を持つ持たないは種類によって異なるが、生き方の基本は同じである――白神狼はそう、国王に語ったという。
今俺の前に立つクリスタルウルフも、知能を持つ理知的な魔物だ。それも、他の魔物とは一線を画すほどの、人間に匹敵する高い知能を。
だから、俺の呼びかけも通じる。
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