平兵士は過去を夢見る

丘野 優

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閑章 村人たちの暗躍

カレン⑧

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 王都の東に広がる森、人鬼の森。
 その場所は人の手の入らない魔物達の住処であった。
 用があるのは魔物の討伐をその専門とする冒険者達や、人鬼の森に存在する特殊な素材を回収する必要のある錬金術師、薬師など、特殊な職業に就いている者たちのみであり、一般的な人間はその深い暗闇の底に住処を構える凶悪な魔物達を恐れ、まず近づくことはない。

 しかし、今、そんな場所に向けて私は走っていた。
 あの星空望む屋根の上で幾度となく話をした、名も知らぬ大切な友人を救うために、私は走る。

 体に通る魔力の流れ。
 ジョンの魔法によりそれは途切れることのない身体強化魔法へと効果を変えていく。
 辺りの景色が物凄い速度で流れて行くのが見える。
 魔法によって強化された私の足は、人にはおよそ望むべくもない、とてつもない速度で地をかける権能を私に与えてくれていた。

 走りながら、人鬼の森に着くまでの少しの間、私の友人がその命を長らえていることを願う。
 運が悪ければ、立ち入った瞬間に魔物の群れに襲われ、その身体はただの肉の塊と見られて彼らの腹の中に収まることだろう。
 そんな事態は、想像もしたくは無かった。
 けれど、魔物と相対するという事は、彼らの住処に足を踏み入れると言うことはつまりそう言うことに他ならない。
 そのことを想像も出来ないような輩は、魔物の住処に等入るべきではないのだ。

 ロランたちは考えたのだろうか。
 いや、考えてもいないに違いない。
 ただ嫌がらせをしようと、その程度の感覚でこんな大それたことをしたに決まっている。
 そして全てが起こってしまった後に顔を蒼白にし、そして言うことだろう。
 こんなつもりでは、なかったのだと。
 それはただの馬鹿だ。
 想像力の無い阿呆だ。

 そんな者たちのくだらない陰謀に、友人の運命を潰えさせるわけにはいかなかった。

 ◆◇◆◇◆

 そうして、私はやっとのことで人鬼の森に辿り着く。
 深い森だ。
 森と、王都にまで続く平原との境界には、まるで一枚の壁があるかのように雰囲気がまるで異なっていることにまず肌をぞっとさせられた。
 あの向こう側に広がるのは、人の世界ではないという事を否が応でも理解させられるからだ。

 それに、タロス村の森とも異なっていた。
 村の森は、あくまで村人の生活に欠かせない場所として、人間にも開かれていたような覚えがある。
 もちろん、その中に入ることが出来るのは狩人やアレンおじさんのような高い技量を持った戦士のみであったが、それでも人間を拒絶するような気配はあの森には存在していなかった。

 それなのに、この森は、人鬼の森はどうだ。

 明らかに、人間を拒絶している。
 森のそこここから放たれる気配は人を獲物とのみ見ている魔の眷属のものだろう。
 よこしまで暗い人の敵対者たる彼らはあの森の中で日夜その牙を人類を襲うためにだけ砥いでいるのだ。

 そんな空間の中にいま、あの娘はいる。
 そのことを考えると胸が張り裂けそうだった。
 もしかしたら、今にもあの娘は魔物に襲われてその命を散らすところかもしれない。
 そんなことはとてもではないが許せることではなかった。

 森を目にして、その邪悪を感じた私は、しかしそのまま足を止めることなく、躊躇せずに森の中に突入したのだった。

 森の中は、暗かった。
 今にも沈もうとしている太陽の光は少しも森の中には入ってこようとはしない。
 それは暗黒が支配しているその異様なる空間を、太陽すらも避けようとした結果なのかもしれなかった。
 視界が悪く、人どころか周りに生えている木々の姿すらも視界に捉えることが難しい森の中では、普通なら人探しなど出来るはずもないに違いない。

 ただ、私にはジョンの魔法があった。
 この世界に一般的に広まっている詠唱式の、ジョンが旧式と呼んでいるその魔法よりも遥かに効率的で合理的な魔力使用方法。
 それは人探しすらも容易にする特殊な術式などにも及んでいる、広大な魔法体系だ。
 もちろん、私はその全てを知っている訳ではないが、いつか役に立つときも来るだろうと、人探しの魔法はジョンに教わっていた。
 厳密にいうなら、生物の気配を魔力を使って探知する特殊魔法の一つであり、森を歩くにはそれなりに重宝するものだ。
 ただ、この魔法を使って人や魔物を見つけられるかどうかには個人差があり、魔法に合わせて視覚を使って確認したり、さらには魔物についてはその縄張りや行動範囲の知識などを活用することによってその発見確率が上下する。
 テッドなどは猟師の息子らしく、もともと勘もよかったのかこの魔法によって森での探索については誰よりも得意になっていたから、個人差はかなり大きいとみていいだろう。
 私はと言えば、村の仲間たちの中で言うなら、平均的なところだろうか。
 テッドやジョンよりもうまくはないが、フィルやコウたちよりはうまい。
 その程度だ。

 とは言え、それで不十分という事もないだろう。
 頻繁に場所を移動するような素早い魔物達を追いかけるにはまだまだと言わざるを得ない技能も、人間の、それも小さな女の子を探すには十分な力を発揮する。

 実際、私は魔法を発動して森の中を走り回った結果、三十分もしないうちに彼女を見つけることができた。

 三十分。
 それが早いか遅いかは状況的に何とも言えないところだ。
 魔物が人を襲って食い散らかすには十分な時間だと評価できる時点で、遅い、と言われても仕方がないかもしれない。
 けれど、ジョンやテッドたちを呼びに行っている暇もなかったし、探して呼ぶ時間をかけるくらいなら自分で探した方が早いような気もした。
 これはもしかしたら結果論になるかもしれないが、それでも今回に限ってはその判断は間違ってはいなかったという事になるだろう。

 私が見つけた彼女――カサルシィ家の令嬢は、そのとき、今しも巨大な魔物に襲われかかって腰を抜かしかけているところだった。
 あくまで腰を抜かしかけて、なのはその両脇に二人の少女をを庇って魔物と相対しているからだ。

 そのぐりんぐりんに巻いた特徴的な髪型をしている金髪の少女は、思いのほか度胸があるらしい。
 巨大な魔物――二本足で立つ、豚と人の融合したような醜悪な見た目をしている魔物、豚鬼オークの上位個体、さらに巨大な体躯を誇る、大豚鬼グランドオークと呼ばれる人鬼の森の支配者の一匹を目の前にしてすら、彼女はその貴族の大家の令嬢としての矜持を失うことなく、毅然として背後にいる少女たちを守っていた。
 その手には触媒が握られており、今にも魔術を放とうと、魔力光に輝いて大豚鬼グランドオークに向けられている。

「この子たちはやらせませんわ……絶対に!」

 その背後にいる少女たちこそが彼女をこんな事態に陥れることになった原因そのものであると言うのに、そう言い切る彼女の顔には美しさすら感じる。
 貴族はひどいものが多い、とジョンやフィルは言っていたが、良い意味で誇り高いそれというものもいるではないかと私は場違いにも感心していた。
 しかし感心してばかりもいられない。
 早く助けに入らなければ、あの少女も、そしてその後ろにいる少女たちもその命を散らすことになるだろう。
 瞬間、私は自分の体に流れる魔力量を調節し、大量の魔力を一瞬流して超加速すると、その手に持った棍棒らしきものを振り下ろそうとする大豚鬼グランドオークと少女たちの間に割り込んで、無詠唱で風の魔法を叩き込んだ。

 ジョンの魔法、その中で私の最も得意な属性、風の魔法『突風ブロヴェーゴ』。
 その魔法は確かに私の魔力により発動し、目の前の巨大な魔物に大気の圧力を殺到させ吹き飛ばすことに成功する。

 草むらの向こうへと消えていき、おそらくは倒れ込んだだろうその魔物の行く末を確認することなく、私は後ろに振り返って、そこで呆けた顔をしている三人の少女たちに急いで言った。

「逃げるよ!」

 もしかしたら頑張れば勝てるのかもしれないが、今はそんなことより重要なことがあった。
 とにかく、彼女たちの命を守ることだ。
 言われて、一番初めに我に返ったのは、やはりカサルシィ家の彼女だった。

「わ、わかりましたわ! 二人とも、行きますわよ!」

 金髪の巻髪の台詞にやっとのことで自分を取り戻した二人は、頷いて体の硬直を解いた。
 それから私は三人を先導して走り出す。
 無我夢中で走っているようなので、これなら、と思いこっそりとジョンの身体強化魔法をかけ、その速度を上昇させた。
 やはり、というべきか軽い興奮状態にあるらしい彼女たちはそのことに気づかずに、ただひたすらに森を抜けるために走った。
 これなら、あの大豚鬼グランドオークに追いつかれることもないだろう。
 豚鬼オークの特徴として、足が鈍い、というのがある。
 それはその上位個体とは言え、変わりはない。
 だからこそ、走って逃げる、という方法が最も合理的なのだ。

 そうしてしばらく足を止めずに走り抜けた結果、私たちは森を何物にも出くわすことなく抜けることができたのだった。

 森を抜けてしばらく歩き、完全に問題がないと確認して、地面にへたり込んだ三人の少女たち。
 疲れ切っている彼女たちを、体力がないなぁという目で見ているとカサルシィ家の令嬢が私をまじまじと見つめていった。

「あ、ありがとうございます……助かりました……」

 はじめに出てきたのは感謝の言葉だ。
 後ろの二人も同様の気持ちのようで、同じく切れた息の中、無理をしてでも言わねばならぬと言う謎の使命感を感じさせて同じように感謝の言葉を伝えられる。
 意外と礼儀正しく、ロランたちよりよほど好感のもてる対応だった。

「ううん。気にすることないよ。助けたくて助けたんだから。怪我はない?」

 そう言うと、カサルシィ家の令嬢は自分と、それから後ろの二人を確認していった。

「どうやら、何の怪我も無いようで……大豚鬼グランドオークなどに出くわしたのに、全く運のいいことですわ」

 息切れも治ったようで、貴族令嬢らしい、上品な口調でそう言った。
 けれど冷静になって改めて恐ろしくなったらしい。
 彼女は少し震えて言う。

「あなたが……あなたが来なければ、一体今頃私たちはどうなっていたことか。それを考えるだけで、恐ろしさに体が飲み込まれそうです。改めて言わせてください。本当に、本当にありがとうございます……!」

 泣き出しそうな顔でそんなことを言われた。
 三人で深く頭を下げられ、なんとも言い難い妙な空気になる。
 耐えられなくなった私は、空気を変えようとことさら明るく手を振りながら言う。

「だから、いいって。ほら、なんていうかな……私とあなたは、そう、友達じゃない?」
「……友達、ですか?」

 なんとなく言ってみたその言葉なのだが、カサルシィ家の令嬢は奇妙な表情で聞いてきた。
 何か間違ったことを言ったのか、と思った私は首を傾げて聞く。

「あれ……違ったっけ?」

 すると、彼女は物凄い勢いで首を振った。

「いえ……いえ! そう言っていただけるとは思っても見なくて。屋根の上だけの仲かとおもってましたから……学校ではあまり話しかけて頂けませんでしたし」
「それはいっつもその二人と一緒にいたから、邪魔するのも悪いかなって」

 そう言うと、彼女の後ろの二人もまた凄い勢いで首を振って、そんなことは全くない、と言い切った。
 その目には気のせいか、妙な迫力のようなものが宿っているように感じられ、少しだけ怖い。
 その光はカサルシィ家の令嬢の瞳の中にも感じられた。
 なので、これはこの場をすぐに離れた方がいいのではないかとそんな気までし始めた。
 だから私は提案する。

「じゃ、じゃあ……そろそろ帰る?」
「いえ、その前に、お礼をさせていただきたく……王都にちょうどいいカフェがありまして、そこで少しお茶をしましょう。二人もそれでいいですわよね?」

 カサルシィ家の令嬢はそういって振り向く。
 連れの二人も全く否やはない様で、ぶんぶんと首を振って同意を示した。
 断りずらい雰囲気に、私は仕方なく彼女たちに連れられて、王都に戻り、カフェへと連れられて行ったのだった。

 それからは大したことは何もない。
 後でジョンに友人を助けるためにジョンの魔法を使ったことを話した。
 その際には、魔法を使った状況について細かく聞かれた。
 ただ、それはどのような魔法をどのような態様で使用し、そしてそれをどの程度見られたか、ということであり、つまりそれはジョンの魔法理論が看破されたかどうかの確認だった。
 けれど、ジョンの魔法はそんなに簡単に使える様になるようなものではない。
 ジョンから直接の講義を受け、基礎理論を学び、その上で詠唱の意味を理解して、実践を幾度も経なければ使い物にならないようなものだ。
 ただ見たことがある、程度で使えるようになどなるわけがない。
 つまり、今回のことで披露したジョンの魔法については、

「まぁ、それくらいなら問題ないだろ」

 という話になったということだ。
 実際、カサルシィ家の令嬢たちは混乱していたからか、私の使った魔法が通常のものと異なるという事にすら気づいていなかった。
 詠唱していたかいなかったか、などということなどに気を遣っていられるほど状況は甘くは無かったからだろう。

 結果として、ジョンにはただ友達を助けるために使った、と説明することになり、どのような人間と仲良くなったか、つまり公爵家の令嬢とお友達になった、という点については話せなかったのだが、いつか話す機会もあることだろうということでよしとする。

 最近、ジョンは非常に忙しそうで、いつもローズちゃんや、最近学院の教授になったブルバッハ幻想爵という謎の人と話し込んでいるから、あまり接触する機会がないのだ。
 せいぜい、食事時くらいで少しさびしい気もするが、ジョンには何かやりたいことがあるらしいということは村にいるときから感じていたから、仕方のないことだろう。

 その後、私の触媒を巡る事件が起こったりもしたのだが、これを解決したのは私ではないので、その説明はまたいつかに譲ろう。

 そんな風にして、私の学院生活は過ぎていく。
 友達も増え、順風満帆であった。
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