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閑章 村人たちの暗躍
カレン③
しおりを挟む――そこには神の国があった。
村の森の最も奥地、柔らかな光輝を発している神聖な大樹が中心に聳えたまるで広場のような空間に四体の魔物が存在していた。
そのうちの一体は見上げるほどの巨体を持った、透明な水晶と赤い水晶の角を一本ずつ生やした狼だった。クリスタルウルフと呼ばれる強大な魔物。初めて間近で見たその姿は極めて美しく、精霊樹の下に伏せ、人間とは明らかに異なる強烈な意思を秘めている知性ある眼光をこちらに向けている様子は、まるで一幅の絵画のようですらある。
魔物にも関わらず私達と敵対する様子は一切なく、むしろ優しい目をしていて、魔物は凶暴で人となれ合う事は決してないと言う一般的な知識の間違いをそれだけで理解できた。
なれ合う事は、ないのかもしれない。けれど分かり合えないわけではない。そんな気のする、心穏やかな目であった。
けれどそれでも、私の心の中に恐ろしさ、というものが一切宿らなかったという訳ではない。
あれは優しい獣だ。けれど、人間とは違うものだ。そうも思ったのだ。
人を一撃で死に至らしめられる牙と爪と肉体を持つあの獣は、その全てを今はしまっておいてくれている。ただそれはあの獣の好意に過ぎない。やろうと思えばいつでも私たちを物言わぬ肉塊へと変えることができる、そういう力を持つものなのだと。
だから私は動けなかった。
ジョンに事前に、クリスタルウルフ自身が許可を与えてくれるまではその子供に触れようとしたりするなと注意してくれたけれど、とんでもない。
その存在だけで、私の足は止まってしまった。
赤い角を持つクリスタルウルフの足元には、幾分かサイズを小さくしたクリスタルウルフの子供が三体、じゃれたり嘗めあったりしながらころころ転がっていて、もだえるほどに可愛らしく、今すぐにそのもふもふワールドに飛び込みたい衝動に駆られたが、その衝動をもってしてすら、私の足は動こうとはしてくれなかった。
よく分かっていると思っていたことだが、こうやって突きつけられて初めて分かることもある。あの獣と拮抗するレベルで戦ったと言うアレンおじさんの実力に改めて驚いた。
ジョンは足を止めた私とは異なり、なんでもない様子でクリスタルウルフに近づき、挨拶して私のことを紹介した。
私はと言えば、何の覚悟もない状態でそうやって紹介されて、血の気が引いた。
自分で言ったこととは言え、どれだけ凄いことをジョンに頼んでしまったのだろうと、少しだけ後悔した。
けれど、そんな感情もすぐに霧散する。
クリスタルウルフは、優しかった。
その温かい目と同じような穏やかな声で私に子供たちと触れる許可を出してくれた。
張りつめていた緊張がふっと解ける。
そんな私の様子を見てジョンが笑っていたが、のちに確認するとそれは私がずっと手をわきわきしていたことに対してのものだったらしい。
そんな意識など全くしてなかったのだが、あれだけ怖がっていたのに私の体はもふもふに反応していたようだった。自分に少し驚いた。
私は許可をもらうと同時に走り出してクリスタルウルフの子供たちのもとへと飛び込む。
彼らは結構な勢いで走り込んできた私を避けようともせず、丸くなって三匹でクッションのようになって私を迎えてくれた。
すごいもっふもふである。
柔らかな白い毛に包まれて至福の時間を私は過ごした。
不思議と花のような匂いがして、なぜなのかと親クリスタルウルフに聞けば、子供たちは森のどこかにあるらしい花畑がお気に入りでそこで転がっていることが多いからだろうと返事が返ってきた。
いい匂い、もふもふ、あったかい。
私はそこに神の存在を感じた。こんな時間を与えてくれた運命を操る何者かに私は心からの感謝を込めて祈った。それが果たして通じたのかどうか分からないが、何となく何かが自分の身に宿った気がした。ただの気のせいかもしれないが。
それから、クリスタルウルフたちに名前が無いことを知り、名前をつけさせてもらった。
親クリスタルウルフ――ジョンがユスタと名付けた――が言うには、名づけと言うのは一種の誓約らしい。
私と、名前をつけたクリスタルウルフの子供――グランダとリーディの間には、確かになんとも言い難いぼんやりとした繋がりのようなものが出来たように感じられた。
彼らの感情がなんとなく伝わってくるような、そんな細い糸が繋がれたような。
それが誓約、というものらしかった。
そしてそれが結ばれた以上、彼らはその相手方である私のために力を貸すだろうと言っていた。
クリスタルウルフは強力な魔物だ。その力を借りれるのは喜ばしいことだが、そのこと自体よりも、私はいつかこの子供たちと話を出来る様になることの方が楽しみだった。
クリスタルウルフは魔力の扱いを覚えたら人語を解するようになるらしい。今でも言葉を理解できていないというわけではないらしいのだが、発声ができないらしく、犬のように鳴き声で感情を表すことしかできないようだった。
それでもかわいいことには違いはない。私は帰る時間が来るまで、心行くまでモフモフワールドを楽しんだのだった。
その日、家に帰り着くと、擦り傷がいくつか出来ていることに気づいた。
森を歩いて、しかも魔物と戦ったりしたのだから、当然のことだ。
「……痕になっちゃうかなぁ……」
そんなことを呟きながら布団に入りつつ、そういえばジョンが治癒魔法を使えたという事を思い出した。
明日、それを使って綺麗に治してもらおうと思った。そうすれば、痕にならないかもしれないから。
それから、眠気が来るまで、ジョンがどんな風に治癒魔法を使っていたのかを思い出しながら、自分の腕に治癒魔法をかけるふりをしていたら、いつの間にか眠っていた。
次の朝、目が覚めると、腕にあったはずの傷が消えていた。
首を傾げて顔を洗うと目が徐々に覚めてきて、昨日、眠る前に自分に治癒魔法をかけるふりをしていたことを思い出す。
「……まさか」
そう思って、まだ残っている傷跡を服を捲って剥き出しにし、そこに昨日と同じように念じる様に手を添えてみた。
「……治って」
すると、ぼんやりとした光が私の手元に発生して、傷跡が少し輝く。
「治癒魔法……」
私は驚く。それはまさにジョンが使っていたそれと全く同じ現象だったから。
光の大きさは私のものの方が遥かに小さいが、それでも確かにこれは治癒魔法だった。
なぜこんなことが突然出来るようになったのか。
そう思って色々考えてみると、治癒魔法は神を信じる者に発現しやすい、という話をジョンがしていたことを思い出す。
そう言えば、私は昨日、もふもふの神に心から祈ったような――
そんなもので使えるようになってしまうのか、と思うと同時に、確かにあれだけ本気で祈れば使えるようになってもおかしくないのかもしれない、とも思った。
もしかしたら全く別の原因なのかもしれないが、事実として使えるようになったのだ。理由などなんでもいい。
ただ、私は頑なに信じていた。
これは絶対もふもふのお陰である、と。
私のもふもふへの信仰はそうして加速していった。
止まることのない狂信である。
それは治癒魔法すらをも獲得せしめるほどのものだ。
ジョンへは、とりあえず秘密にしておこうと思った。
いつか言うにしても、今のところは内緒で。
だって流石にはずかしいではないか。
あまりにももふもふが良かったから神に本気で祈ってしまった、なんて理由を説明するのは。
ただ、使える様になった以上は才能は伸ばさなければならないとこの二年間の訓練で身についた哲学が私に治癒魔法の習熟を求めていた。
だから遠回しにジョンに、治癒魔法について説明してもらった。
それによると、一度目覚めれば信仰がなくなろうともなんだろうと、使えなくなるということはないらしい。習熟の方法はただひたすらに使うこと。弱い治癒なら念じ、祈るだけで発現するらしく、特殊魔法の中に分類される魔法だということだ。ジョンの魔法理論に基づく一語詠唱用の起動語もいくつか教えてもらった。
ジョンはひたすら首を傾げ「なんでそんなこと聞くんだ?」と言っていたが、いつか使えるようになりたいからと言うと、なるほどと頷いて教えてくれた。
だましているようで申し訳ない気分になったが、そのうち明かすつもりであるから許してもらう事にしよう。なにか、目覚めたきっかけとして恥ずかしくない理由を考えておかなければ。
そんなことを思いながら私は治癒魔法を訓練する。
もふもふの神様。
本当にありがとうございます。
◆◇◆◇◆
それからの日々は怒涛のように過ぎていった。
まずある日突然、不思議な人がやってきた。
ローゼンハイム=ナコルルという黒髪の少女で、森の外で魔物に襲われかかっていた。
ジョンとテッドが結局魔物を倒してしまったので怪我一つなかったが、実はそのナコルルは魔法学院の院長だったらしい。
ローズちゃんと自分を呼べと言うので、私はそうすることにしたが、他のみんなはナコルルと呼んでいた。少し顔を膨らませていたが、幼い容姿をしているので可愛らしくしか見えなかった。
そんな彼女が、ある日突然村の広場で魔術師適性調査を始めた
ジョンが言うには時期がおかしいということで、それを追及されたローズちゃんは冷や汗を流しながらも苦しい言い訳で言い逃れをしていた。
結局ジョンが折れたが、この件でローズちゃんがかなり適当な性格をしていることが知れた。前の日でも大体明らかだったその事実だが、村中に広まったと言う意味である。
結果として、私達、ジョンの特別訓練を受けていた者たち、そしてジョンは問題なく適性調査に合格し、学院に通うことが決まった。
自分の適性のある属性なんて、ジョンの魔法を使っている私には関係のないことだったから気にしたことなど無かったが、改めて確認して見るとなんとなくうれしいものである。
私の適性は水と風。二属性に適性のある魔術師は珍しいらしい。三属性、四属性もいるにはいるが、適性のある属性が増えていくにつれ、その絶対数は減っていくとのことだった。
実際のところ、私は全属性の魔法を使用できるのだが、水と風に適性がある、と言われるとなんとなく好んで使っていたのはこの二つかもしれないと思う。
そういう無意識での好み、というものも適性にでるのかもしれないと思った。
適性調査に合格した私たちはその後、ローズちゃんから学院についての説明を受けて、王都に向かう日までその準備に奔走することになった。
とは言え、そんなにもっていくものがあるわけではない。
学院は至れり尽くせりで、家賃も食費も教科書代も授業料もただであるらしい。
服ですら支給されるようで、やろうと思えば一銭も持っていなくても生活ができる。
とは言え、嗜好品や遊びに行ったりするお金というものまで無料になるわけではなく、そうなるとどうしたって先立つものが必要になる。
村ではお金の稼ぎようがないし、向こうに行ってからどうしようかと思っていたのだが、そんな心配はする必要がなかったことが学院への旅立ちの日に明らかになった。
私達は、ジョンから伝授された魔法技術と鍛えた剣術で魔物を狩って村の収入にしていたのだが、そのお金が一銭も使用されないで私たちのために貯められていたことが明らかになったからだ。私達としては修行を兼ねて、少しでも村の役に立とうと思ってやっていたことだから、自分の懐に入れようとは思っていなかったのだが、大人からするとそれは当然私たちの収入になるべきものだという話だった。ただ、あまり大金を子供に渡すのも、と考えて貯めていたという。そして、王都に行くのならばお金も必要になるだろうと、渡すタイミングは未だと言うことで、それを等分にして私たちに手渡してくれたのだ。
それに加えて、アレンおじさんから、旅立つ私達全員――ジョンやテッドたち、それに私以外にもう一人、村から魔術師適性調査に合格した子が出たが、彼にも――に魔力触媒が贈られた。どれも衣装やついている宝玉が異なっているが、明らかに逸品であることは分かる。どれだけの金額がかかっているものかと震えるほどに。こんなもの受け取るわけにはいかないとみんなで固辞したのだが、しかしアレンおじさんは材料は自前だし、加工費も負けさせたからと言って取り合わなかった。それぞれに合わせて作らせたものだから、受け取ってもらわなければ全くの無駄になると言われるに至ってはもはや断ることもできない。
いつか必ずこの恩は返すと言うのが精いっぱいだった。
私たちはそんな風にして村を出た。
感無量、とはこのことを言うのだろう。
必ず立派になって帰ってくると誓った。
全員、同じ気持ちだった。
だからこのあまりにも立派過ぎる魔力触媒が騒動の種になるとはこのとき、夢にも考えていなかった。
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