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第2話 死なないために
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目に涙を浮かべつつ、駆け寄ってくる茶色の髪がかわいらしい小柄なその少女に、私は笑いかけつつ言う。
「ええ。アニエス。目が覚めたわ……」
実際、色々な意味で目が覚めている私である。
これが彼女に対する私の一言目にふさわしい台詞であるのは間違いないだろう。
そんな私に、アニエスは目をぱちくりとさせ、怪訝な様子で、
「……お嬢様。やっぱり、まだ何か、お体の調子がよろしくないのでは……?」
などと言ってくる。
それもそのはずで、いつもの私ならお気に入りの侍女であるはずのアニエスに対してさえ、もっと辛辣というか、怒ったような声を出しているところだからだ。
たとえば「アニエス! くるのがおそい、おそすぎるわ!」とか「どうして水差しももってこないの!?」とかそういう類の文句をだ。
今なら明らかに言いがかりだとわかるが、そのことを目覚める前の私はわかっていなかった記憶がある。
まぁ、わがままな令嬢だったというわけだ。
こんな大きな家に生まれて、蝶よ花よと育てられてきたことを考えればある意味仕方ない部分もあるのかもしれないが、それにしたってひどい。
しかし、幸いと言うべきか、それでも私はまだ五歳だった。
多少我が儘で、ちょっと暴力的で、頭が残念な感じだったのは事実だとしても、そこまで心底問題視されていた訳ではない。
成長していけば落ち着くだろう、今はまだ不安定な時期であって、こういう期間を乗り越えればもう少しマシな性格になるだろうと、でもちょっと機嫌のわるいジゼルちゃんには近付きたくはないな、と、家族や使用人たちからおおむねこういう見られ方をされていたようだ。
私はそういう周囲の態度に気づいていなかったようだが、記憶にある彼ら彼女らの行動や視線、言動を思い出すと、つまりはそういうことなのだと私には分析できた。
つまりだ。
前向きに捉えるなら、そういった諸々からわかるのは、まだ、私には挽回のチャンスが残されているということだ。
あのまま育っていたら、意地悪と嫌がらせの権化たる悪役令嬢まっしぐらだっただろうが、もはや私はそういう性格にはなり得ない。
とても優しくたおやかな大和撫子ならぬ清純派令嬢にはなれないにしても、そこそこ普通の令嬢にはおそらくまだ、なれる。
そして、そのことを、周りに理解してもらえるチャンスが、まだ私にはあるのだ。
完全に性格ができあがってしまってから、それを正反対に振り切ってしまうとさすがに怪しまれるだろうが、今のこの時期なら、性格がある程度変わっても、子供なのだからそういうこともあるだろう、大人になったのねと見てもらえるものと思われた。
このくらいの年齢で記憶が戻って本当によかったと、何かに感謝せずにはいられない。
そういうわけで、アニエスの反応は、つまり今までの態度とは違って、かなり軟化している私の言動に違和感を覚えているのだろうが、怪しんでいると言うよりも、頭をぶつけたことによってどこかおかしくなったのではないかという心配をしているようだった。
だから、私はこのまま押し切って、性格が穏やかになった、と言うことにできる。
というか、これからのためにそうしなければならない。
決意を胸に、私は口を開く。
「いえ、本当に大丈夫よ、アニエス。少し頭が痛むけれど……それだけだわ。それに、なんだかとてもいい気分なの……どうしてかしら」
だからこれから穏やかな子になってもおかしくないのよ、という布石だ。
それに気づいたのかどうか、まぁ、気づくはずないし、いずれ思い起こしてくれればそれでいいのだが、アニエスは首を傾げつつ、ほっとした様子で言う。
「そうですか……? それなら、よろしいのですが……。もし、何かありましたら、すぐにお申しつけください。私は、お嬢様に何かあったらと不安で不安で……あぁ、お嬢様。気絶される前のことは覚えていらっしゃいますか?」
まだそれを語っていないことに気づいたのだろう。
アニエスの質問に私は答える。
「気絶……ね。なにかに足をひっかけて頭をぶつけてしまった記憶はあるわ。それからずっと……?」
「はい。昨日のことです。それからお嬢様は一日眠っていらっしゃいました。お医者様にも見てもらったところ、お体には特に異常は見られないとのことでしたが……」
そのあとに続く台詞は、しかし何かおかしくなってしまったような気がする、だろうがはっきり面と向かって私にそんなことは言えないだろう。
当然だ。
それに、私は今のところ、普通に会話している。
これで問題がある、というのもそれこそ何かおかしな話だ、とアニエスも理解しているのだろう。
実際、体は何の問題もない。
ただ、頭とか性格とかがおかしくなったというか、変わっただけだ。
アニエスが抱いている疑問を押し流すように、私は話を進める。
「そう。私も、体におかしなところは感じないわ。このまま安静にしていればいいのかしら?」
「はい……念のため、二、三日はそのままで、とのことでした。ただ、無理をされなければ起きあがっても構わないともおっしゃっておられました。あとは……あっ、あ、あの、私、ディエゴ様とクラリス様を呼んで参りますね! お嬢様がお目覚めになったと」
アニエスはそこで初めて思い出したのか、そう言って慌てて立ち上がり、部屋を出ていった。
ディエゴとクラリスというのは私のこの世界での父と母だ。
弟もいたはずだが、記憶によると執念深くいじめているようで、呼んでくるのはちょっと待った方がいいと判断したのだろう。
アニエスは有能な侍女であるようだった。
それにしても、どうやら、私の傷は軽傷らしい。
ふと気になって、傷を負っていただろう、ぶつけた部分である額にゆっくりと触れてみるが、すべすべとした感触しか伝わってこない。
おそらく、医師が来た、ということだから治癒魔術をかけていったのだろう。
結果、私の額の傷は完全に治癒した。
腕のいい医師だったのだろうと思われた。
そう、この世界には魔法や魔術と呼ばれる力がある。
魔王がいる時点で、そういうものがあっても全く不思議ではないだろう。
人には魔力があり、その力が強ければ強いほど尊敬されるものだ。
熟達した魔術師は、貴族に匹敵する権力や発言力を持っていたりもする。
まぁ、これは魔術師が凄いというか、そういう強力な力を持つ魔術師を国が囲い込んだ結果、貴族と同等に扱うとか、彼らの意見を積極的に取り入れるとか、そういうことをしてきたという歴史的政策的なことが理由なのだが。
この魔法、魔術というものについて、私が使えるか、と言われれば、使える、ということになるだろう。
そもそも基本的に、貴族というのは魔術師が生まれやすい家系であるという事実がある。
これはなにも対外的にどう言っているかはともかくとして、貴族が神より選ばれし特別な存在だから、というわけではない。
そうではなく、魔術師を色々な国々が取り込み、重用していった結果、その血のほとんどは貴族との縁組みによって貴族に受け継げれてきたという歴史的理由に基づいている。
そして貴族は貴族で、より魔力の強い者との縁組みを求めて政略結婚を繰り返していった結果、強い魔術師が生まれやすい血筋の大多数が貴族となったのである。
ただ、これには例外もあり、貴族ではない者の中にも突然変異のように、強力な魔術師が生まれることがある。
なぜそんなことが起こるのか、理由は定かではないとされているが、遺伝子の妙というのはそういうものだろう。
遥か古代に、一人目の魔術師が生まれたことが、そもそも不思議なことなのだ。
平民に魔術師が生まれることくらい、何だというのだと思う。
しかし、そういう事実があるとしても、貴族至上主義者というのはこの世界には普通にいて、平民から魔術師が生まれればやれ汚れた血だの闇の魔術師になるだの世界の害悪となるだの言って罵る輩というのは少なくない。
そもそも、貴族の中ですら、強力な魔力を持って生まれた者に対して、そういうことを言う者はいる。
なぜなら、あまりにも強力な魔力を持つ者は、その魔力を制御できずに暴走させることがあり、そういうことを知っていると、強大な魔力を持つものと言うのはいつ爆発するかわからない爆弾のように見えるからだ。
面と向かって罵りの言葉を向けることは少ないが、陰口を叩かれたりすることは決して少なくないらしい。
その点、私はどうなのか、といえば、なにもしなければゲームの記憶によるとあと数ヶ月で魔力を暴走させて侍女を数人消し飛ばす予定だ。
つまりは、貴族からすらも嫌悪される強力な魔術師というやつなわけだ。
だからこそ、魔王に利用された。
無駄に才能があって、ちょうどよく主人公の近くにいて、わかりやすく嫉妬に燃えていたので、それに目を付けられたわけだ。
運の悪い女性である。
ちなみに、今回も魔力の暴走が起きるかどうかはわからない。
記憶を反芻してみるに、魔術の使い方は習っている。
しかし、使いこなせた記憶はなかった。
それが私の癇癪をさらにひどいものにさせていた、という記憶だけが胸の奥に存在する。
両親に申し訳なく、自分の才能のなさに悲しみ、そしてどうすればわからなくなって、人に当たることしかできなくなった小さな子供の記憶だ。
我ながら、ジゼルという人物は、そんなに元々は悪い人間ではないのかも知れない、と思った。
公爵家令嬢という下手に責任が求められる立場に生まれたことが、この少女の不幸だったのだろう。
まぁ、それはとりあえずおいておくとして、問題は今の私に魔術が使えるかどうかだ。
どうせなら使ってみたいものだが、才能がないなら使えないかも知れない。
ただ、私は知識で知っている。
大人になったジゼルは少なくとも普通にいくつか魔術を使っていた。
しかもかなり強大なものを、だ。
ということは、子供ジゼルは何らかの理由で使えなかったにしても、精神が大人である今の状態なら使えるのではないか、と思った。
魔術に必要なのはまず魔力、そして知識と知恵に、精神力だと言う話だから、最後の部分が子供の精神では不足だったのかも知れないと。
まぁ、ものは試しという言葉もあるし……。
そう思って私は、
「……来たれ"水"」
ぽつり、と家庭教師から習った初等呪文を唱えて人差し指を立てる。
頭の中で、小さな水滴が球体の形で浮かぶイメージをすると、体から僅かに何かが吸い取られたような感覚がした後、指先から少し離れた地点に、水の玉が出現した。
意外な結果に少し驚いたが、どうやら今の私は問題なく、魔術が使えるらしい。
以前は強力すぎる魔力を持て余していたのだろう。
まるで魔術など使えなかったのだが、記憶を取り戻したことによる影響か、使えるようになったようだ。
まぁ、そうは言っても初等魔術である。
魔術師として必要最低限の魔力がありさえすれば、それこそ子供でも使えると言われるものだ。
これが成功したくらいで、喜ぶのは時期尚早である。
けれど、前世日本人である私からすれば、魔法・魔術なんてものはファンタジーであって、これを使えるというのはもうすばらしいことこの上ないことだった。
楽しくなってほかにも学んだいくつかの初等呪文を唱えてみたが、すべて成功したので、才能がまるでない、ということもなさそうである。
これで、仮に公爵家を将来追い出されたとしても、ちょっとした魔術師として生きていく道はあるかもしれないと希望が見えてきた。
まぁ、それもこれもすべて殺されなければ、の話だが。
殺されないために、一体私はどうすればいいのだろう。
殺される原因は表向きにはジゼルが乙女ゲームの主人公である少女に嫌がらせをしてそれがエスカレートし、その命を脅かしたことだが、真実は魔王に精神を操られて星の乙女を殺しにかかったからと言う恐ろしいところにある。
ここから考えると、私が魔王に操られなければ殺されはしない、ということになるのだろうが、しかし魔王はまさに強大な力を持っていると言われる存在である。
果たして私にあらがうことができるのだろうか、という気がする。
しかしそうは言っても、できなければ死ぬのだ。
無理であってもやるしかない……。
そこまで考えたところで、がちゃり、と部屋の扉が開いた。
どうやら、誰かが来たようだ。
先ほどアニエスが両親を呼びに行くと言っていたから、きっと両親だろう。
そう思って頭を上げると、やはり二人の顔が目に入った。
「ええ。アニエス。目が覚めたわ……」
実際、色々な意味で目が覚めている私である。
これが彼女に対する私の一言目にふさわしい台詞であるのは間違いないだろう。
そんな私に、アニエスは目をぱちくりとさせ、怪訝な様子で、
「……お嬢様。やっぱり、まだ何か、お体の調子がよろしくないのでは……?」
などと言ってくる。
それもそのはずで、いつもの私ならお気に入りの侍女であるはずのアニエスに対してさえ、もっと辛辣というか、怒ったような声を出しているところだからだ。
たとえば「アニエス! くるのがおそい、おそすぎるわ!」とか「どうして水差しももってこないの!?」とかそういう類の文句をだ。
今なら明らかに言いがかりだとわかるが、そのことを目覚める前の私はわかっていなかった記憶がある。
まぁ、わがままな令嬢だったというわけだ。
こんな大きな家に生まれて、蝶よ花よと育てられてきたことを考えればある意味仕方ない部分もあるのかもしれないが、それにしたってひどい。
しかし、幸いと言うべきか、それでも私はまだ五歳だった。
多少我が儘で、ちょっと暴力的で、頭が残念な感じだったのは事実だとしても、そこまで心底問題視されていた訳ではない。
成長していけば落ち着くだろう、今はまだ不安定な時期であって、こういう期間を乗り越えればもう少しマシな性格になるだろうと、でもちょっと機嫌のわるいジゼルちゃんには近付きたくはないな、と、家族や使用人たちからおおむねこういう見られ方をされていたようだ。
私はそういう周囲の態度に気づいていなかったようだが、記憶にある彼ら彼女らの行動や視線、言動を思い出すと、つまりはそういうことなのだと私には分析できた。
つまりだ。
前向きに捉えるなら、そういった諸々からわかるのは、まだ、私には挽回のチャンスが残されているということだ。
あのまま育っていたら、意地悪と嫌がらせの権化たる悪役令嬢まっしぐらだっただろうが、もはや私はそういう性格にはなり得ない。
とても優しくたおやかな大和撫子ならぬ清純派令嬢にはなれないにしても、そこそこ普通の令嬢にはおそらくまだ、なれる。
そして、そのことを、周りに理解してもらえるチャンスが、まだ私にはあるのだ。
完全に性格ができあがってしまってから、それを正反対に振り切ってしまうとさすがに怪しまれるだろうが、今のこの時期なら、性格がある程度変わっても、子供なのだからそういうこともあるだろう、大人になったのねと見てもらえるものと思われた。
このくらいの年齢で記憶が戻って本当によかったと、何かに感謝せずにはいられない。
そういうわけで、アニエスの反応は、つまり今までの態度とは違って、かなり軟化している私の言動に違和感を覚えているのだろうが、怪しんでいると言うよりも、頭をぶつけたことによってどこかおかしくなったのではないかという心配をしているようだった。
だから、私はこのまま押し切って、性格が穏やかになった、と言うことにできる。
というか、これからのためにそうしなければならない。
決意を胸に、私は口を開く。
「いえ、本当に大丈夫よ、アニエス。少し頭が痛むけれど……それだけだわ。それに、なんだかとてもいい気分なの……どうしてかしら」
だからこれから穏やかな子になってもおかしくないのよ、という布石だ。
それに気づいたのかどうか、まぁ、気づくはずないし、いずれ思い起こしてくれればそれでいいのだが、アニエスは首を傾げつつ、ほっとした様子で言う。
「そうですか……? それなら、よろしいのですが……。もし、何かありましたら、すぐにお申しつけください。私は、お嬢様に何かあったらと不安で不安で……あぁ、お嬢様。気絶される前のことは覚えていらっしゃいますか?」
まだそれを語っていないことに気づいたのだろう。
アニエスの質問に私は答える。
「気絶……ね。なにかに足をひっかけて頭をぶつけてしまった記憶はあるわ。それからずっと……?」
「はい。昨日のことです。それからお嬢様は一日眠っていらっしゃいました。お医者様にも見てもらったところ、お体には特に異常は見られないとのことでしたが……」
そのあとに続く台詞は、しかし何かおかしくなってしまったような気がする、だろうがはっきり面と向かって私にそんなことは言えないだろう。
当然だ。
それに、私は今のところ、普通に会話している。
これで問題がある、というのもそれこそ何かおかしな話だ、とアニエスも理解しているのだろう。
実際、体は何の問題もない。
ただ、頭とか性格とかがおかしくなったというか、変わっただけだ。
アニエスが抱いている疑問を押し流すように、私は話を進める。
「そう。私も、体におかしなところは感じないわ。このまま安静にしていればいいのかしら?」
「はい……念のため、二、三日はそのままで、とのことでした。ただ、無理をされなければ起きあがっても構わないともおっしゃっておられました。あとは……あっ、あ、あの、私、ディエゴ様とクラリス様を呼んで参りますね! お嬢様がお目覚めになったと」
アニエスはそこで初めて思い出したのか、そう言って慌てて立ち上がり、部屋を出ていった。
ディエゴとクラリスというのは私のこの世界での父と母だ。
弟もいたはずだが、記憶によると執念深くいじめているようで、呼んでくるのはちょっと待った方がいいと判断したのだろう。
アニエスは有能な侍女であるようだった。
それにしても、どうやら、私の傷は軽傷らしい。
ふと気になって、傷を負っていただろう、ぶつけた部分である額にゆっくりと触れてみるが、すべすべとした感触しか伝わってこない。
おそらく、医師が来た、ということだから治癒魔術をかけていったのだろう。
結果、私の額の傷は完全に治癒した。
腕のいい医師だったのだろうと思われた。
そう、この世界には魔法や魔術と呼ばれる力がある。
魔王がいる時点で、そういうものがあっても全く不思議ではないだろう。
人には魔力があり、その力が強ければ強いほど尊敬されるものだ。
熟達した魔術師は、貴族に匹敵する権力や発言力を持っていたりもする。
まぁ、これは魔術師が凄いというか、そういう強力な力を持つ魔術師を国が囲い込んだ結果、貴族と同等に扱うとか、彼らの意見を積極的に取り入れるとか、そういうことをしてきたという歴史的政策的なことが理由なのだが。
この魔法、魔術というものについて、私が使えるか、と言われれば、使える、ということになるだろう。
そもそも基本的に、貴族というのは魔術師が生まれやすい家系であるという事実がある。
これはなにも対外的にどう言っているかはともかくとして、貴族が神より選ばれし特別な存在だから、というわけではない。
そうではなく、魔術師を色々な国々が取り込み、重用していった結果、その血のほとんどは貴族との縁組みによって貴族に受け継げれてきたという歴史的理由に基づいている。
そして貴族は貴族で、より魔力の強い者との縁組みを求めて政略結婚を繰り返していった結果、強い魔術師が生まれやすい血筋の大多数が貴族となったのである。
ただ、これには例外もあり、貴族ではない者の中にも突然変異のように、強力な魔術師が生まれることがある。
なぜそんなことが起こるのか、理由は定かではないとされているが、遺伝子の妙というのはそういうものだろう。
遥か古代に、一人目の魔術師が生まれたことが、そもそも不思議なことなのだ。
平民に魔術師が生まれることくらい、何だというのだと思う。
しかし、そういう事実があるとしても、貴族至上主義者というのはこの世界には普通にいて、平民から魔術師が生まれればやれ汚れた血だの闇の魔術師になるだの世界の害悪となるだの言って罵る輩というのは少なくない。
そもそも、貴族の中ですら、強力な魔力を持って生まれた者に対して、そういうことを言う者はいる。
なぜなら、あまりにも強力な魔力を持つ者は、その魔力を制御できずに暴走させることがあり、そういうことを知っていると、強大な魔力を持つものと言うのはいつ爆発するかわからない爆弾のように見えるからだ。
面と向かって罵りの言葉を向けることは少ないが、陰口を叩かれたりすることは決して少なくないらしい。
その点、私はどうなのか、といえば、なにもしなければゲームの記憶によるとあと数ヶ月で魔力を暴走させて侍女を数人消し飛ばす予定だ。
つまりは、貴族からすらも嫌悪される強力な魔術師というやつなわけだ。
だからこそ、魔王に利用された。
無駄に才能があって、ちょうどよく主人公の近くにいて、わかりやすく嫉妬に燃えていたので、それに目を付けられたわけだ。
運の悪い女性である。
ちなみに、今回も魔力の暴走が起きるかどうかはわからない。
記憶を反芻してみるに、魔術の使い方は習っている。
しかし、使いこなせた記憶はなかった。
それが私の癇癪をさらにひどいものにさせていた、という記憶だけが胸の奥に存在する。
両親に申し訳なく、自分の才能のなさに悲しみ、そしてどうすればわからなくなって、人に当たることしかできなくなった小さな子供の記憶だ。
我ながら、ジゼルという人物は、そんなに元々は悪い人間ではないのかも知れない、と思った。
公爵家令嬢という下手に責任が求められる立場に生まれたことが、この少女の不幸だったのだろう。
まぁ、それはとりあえずおいておくとして、問題は今の私に魔術が使えるかどうかだ。
どうせなら使ってみたいものだが、才能がないなら使えないかも知れない。
ただ、私は知識で知っている。
大人になったジゼルは少なくとも普通にいくつか魔術を使っていた。
しかもかなり強大なものを、だ。
ということは、子供ジゼルは何らかの理由で使えなかったにしても、精神が大人である今の状態なら使えるのではないか、と思った。
魔術に必要なのはまず魔力、そして知識と知恵に、精神力だと言う話だから、最後の部分が子供の精神では不足だったのかも知れないと。
まぁ、ものは試しという言葉もあるし……。
そう思って私は、
「……来たれ"水"」
ぽつり、と家庭教師から習った初等呪文を唱えて人差し指を立てる。
頭の中で、小さな水滴が球体の形で浮かぶイメージをすると、体から僅かに何かが吸い取られたような感覚がした後、指先から少し離れた地点に、水の玉が出現した。
意外な結果に少し驚いたが、どうやら今の私は問題なく、魔術が使えるらしい。
以前は強力すぎる魔力を持て余していたのだろう。
まるで魔術など使えなかったのだが、記憶を取り戻したことによる影響か、使えるようになったようだ。
まぁ、そうは言っても初等魔術である。
魔術師として必要最低限の魔力がありさえすれば、それこそ子供でも使えると言われるものだ。
これが成功したくらいで、喜ぶのは時期尚早である。
けれど、前世日本人である私からすれば、魔法・魔術なんてものはファンタジーであって、これを使えるというのはもうすばらしいことこの上ないことだった。
楽しくなってほかにも学んだいくつかの初等呪文を唱えてみたが、すべて成功したので、才能がまるでない、ということもなさそうである。
これで、仮に公爵家を将来追い出されたとしても、ちょっとした魔術師として生きていく道はあるかもしれないと希望が見えてきた。
まぁ、それもこれもすべて殺されなければ、の話だが。
殺されないために、一体私はどうすればいいのだろう。
殺される原因は表向きにはジゼルが乙女ゲームの主人公である少女に嫌がらせをしてそれがエスカレートし、その命を脅かしたことだが、真実は魔王に精神を操られて星の乙女を殺しにかかったからと言う恐ろしいところにある。
ここから考えると、私が魔王に操られなければ殺されはしない、ということになるのだろうが、しかし魔王はまさに強大な力を持っていると言われる存在である。
果たして私にあらがうことができるのだろうか、という気がする。
しかしそうは言っても、できなければ死ぬのだ。
無理であってもやるしかない……。
そこまで考えたところで、がちゃり、と部屋の扉が開いた。
どうやら、誰かが来たようだ。
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