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第1話 プロローグ
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「お、お嬢様! お嬢様! お待ちください! そんなに走り回られては危険でございます!」
太陽の柔らかな日差しが萌始めた春の日の平原を照らす中、慌てた様子の女性の声が響いた。
格好から見るに、女性はどこかの貴族に仕える侍女であることがわかる。
そしてそれは事実であり、今、彼女はその職務の真っ最中であった。
彼女の声の先にいる人物は、年端も行かない貴族令嬢のようである。
五歳になったかならないか、それくらいの年頃だろうか。
艶のある黒髪に、赤い瞳、白磁のように白い肌は、その将来の美貌を約束しているようであった。
ただ、頬はまだぷっくりと幼く、顔に浮かぶ表情もまさに子供そのもの。
行動も同様であり、彼女は今まさに、とてとてと草原をかけて楽しそうにしている様子である。
「あははー。ちょうちょ、ちょうちょー!」
そう言いながら、中空に手を伸ばし、足下に全く気を払っていない姿は、彼女の侍女からすれば極めて不安でしょうがない光景だろう。
実際、侍女の心配は正しく、令嬢はその後、その辺に転がっていたらしい石か何かに足を引っかけて、思い切り倒れる。
それは、侍女には酷くゆっくりとした光景に見えた。
頭から、地面に倒れていく令嬢。
そのまま地面に頭をぶつけ、そして気を失った彼女に、侍女は顔を青白くし、慌てて駆け寄って、抱き寄せる。
「お、お嬢様! お嬢様!!! だれか、だれかお医者様を!! 早く」
侍女の叫び声を聞きつけ、護衛をしていた男が近づき、少女の様子を見て、走り出す。
医者を呼びに行ったのだ。
少女は気を失っていたようだが、男から見て、少女に目立った外傷はなく、額に少し擦り傷がある程度で、おそらくはしばらくすれば目覚めるだろう、という程度の見立ては立った。
けれど、稀にだが、何かに頭をぶつけた後、外側からはなにも問題ないように見えても、ほんの数時間で命を失ってしまうような場合があることも男は知っていた。
そのような場合、処置できるのは治癒魔術を修めた医者だけであり、今すぐにその診断が必要なこともわかっていた。
幸い、ここは屋敷のすぐ近くであり、男が走って医者を抱えてくれば早い。
少女を抱えていってもいいが、こういう場合、そういうことをすると却って症状が悪化する可能性があることも、男は知っていたのだ。
しばらくして、男が医師を連れてきた。
それから、すぐに少女の診断がなされ、治癒魔術がかけられた。
結果として、少女にはなにも問題はなく、当然、命に別状はないこと、そして、しばらく安静にしていれば回復するということも告げられた。
その結果を聞き、侍女も、護衛の男も心から安心した。
可憐であり、将来を嘱望される少女であり、そしてライエン聖王国における大貴族の一人、フライムート公爵家の長女でもある彼女に何かあれば、侍女と護衛の男の命程度では償えないのだ。
下手をすれば一族郎党が皆殺しにされてもおかしくないくらいの力を、フライムート公爵家は持っているのである。
しかし、それ以上に、侍女と護衛の男は、少女のことを心から心配していた。
周囲からは、あまりよく言われることのない少女であるが、二人の心をかつて救ったことがあったからだ。
だから、二人は、なにがあろうと、少女の味方になると決めていた。
たとえ、世界が敵になろうとも、少女の味方であろうと。
実際、少女は二人にしか心を許さず、他の者にはとにかく当たり散らしたり、酷い扱いをしたりして、好かれていなかった。
フライムート公爵家長女、ジゼル・フライムートは、つまりそんな少女である。
そのはずだった。
少なくとも、今日までは。
◇◆◇◆◇
「……ここは……?」
私はゆっくりと目を開き、そして周囲を見渡した。
見覚えのない部屋が、そこには広がっている。
……いや。
見覚えは、ある。
ただ、ここが自分の部屋だという実感が湧かない。
そういう感じだろうか。
そうだ、覚えている。
私は、フライムート公爵家の長女、ジゼル・フライムート。
御年五歳になる、かわいい盛りの貴族令嬢だ。
実際、容姿も相当にいい感じで、将来は美女間違いなしだという事実も私は知っている。
何せ、毎日鏡で見ているのだから。
そう、毎日見ている……のだが、やはりというべきか、この顔と体が自分のものだという感覚が、いまいち湧いてこない。
そして、その理由は、実のところはっきりとしている。
私は、今日だか昨日だかわからないが、頭をぶつけた。
チョウチョを追いかけて、捕まえようと頑張っていたら、足を何かにひっかけてずっこけ、そして思い切り頭をぶつけ気絶した。
その記憶がある。
それだけなら、まぁ、普通だ。
子供の頃にだれもが経験する、ちょっとした危険行動の一つだと言うことになるだろう。
しかし、そうではないのは、私はこけて頭をぶつけた瞬間、色々と思い出したという事実があるからだ。
つまりなにがいいたいかというと、私は、ライエン聖王国のフライムート公爵家令嬢ジゼル・フライムートであると同時に、日本のS市に住んでいた一般的OLである早乙女小雪である、ということを思い出した、ということである。
「……転生か……マジであるとは……」
そんな、日本語のつぶやきが漏れた。
こんなもの、ジゼルが話せるわけがない。
聞かれたらことだ。
けれど、部屋には今、誰もいない。
どこかに出ているのか、それとも私なんかの看病をしたい人間など存在しないと言うことか、正確なところは分からない。
けれど、まぁおそらくは後者である、そうに決まっている、と今までのジゼルの記憶が若干の寂しさとこの年齢にしては苛烈な怒りの感情と共に教えてくれているが、とりあえずそれはいい。
それよりも重要なのは、今、自分が置かれている状況だった。
転生した。
前の人生でいつ死んだのかは全く思い出せないが、しかしここにいるということは私はどこかで死んだのだろう。
そして、ジゼルとして生まれ直した。
うん。
それは理解できる。
というか、理解せざるを得ない。
嫌だとか言ったところでどうしようもないし、日本に戻してほしいと思っても一体誰に主張すればいいのかわからない。
それに、この姿のまま戻ったところで一体誰が私のことを早乙女小雪だと認識してくれるのだろう。
考えるだけ、無駄だと私は切り捨てる。
そうなると、問題となるのは、私はこれから一体いかにして生きるべきか、ということだった。
ジゼルとして生きるしかない。
それは、わかる。
ただ、ジゼルとして生きるためには問題があることを、私は実は知っていた。
なぜなら、私の記憶が正しければ。
――ジゼルは、今日から数えてだいたい十二、三年後、死ぬからだ。
どうしてこんなに健康体でかわいいジゼルちゃんが死んでしまうのかといえば、それは端的に言えば、罪を処断されるから、ということになるだろう。
ジゼルは、将来、この国ライエン聖王国の第一王子の婚約者になるのだが、その婚約が破棄されるのだ。
その理由は、第一王子が恋をしている少女に酷い意地悪をし、最終的にはその命をすら脅かすようなことまで手を出すようになり、その事実が第一王子の耳に入るからだ。
結果として、第一王子は、自分の愛する人を守るため、証拠をいくつも突きつけて、ジゼルを断罪する。
結果、ジゼルと第一王子の婚約は破棄され、そしてジゼルはフライムート公爵家からも放逐されることになり、生きる手段を失って、街でひっそりと衰弱して死ぬ。
そういう筋書きである。
今、明らかに未来の話を私はしているが、なぜ、私がそんなことを知っているのかと聞かれれば、こう答えることになるだろう。
――実は、この世界は、あるゲームの世界に非常に酷似しているからだ。
と。
そもそもひっかかったのは、私自身の名前、ジゼル・フライムートだ。
これは、私の妹が好きだったゲーム『星の乙女と月の騎士』の登場人物の一人の名前である。
しかも、主人公である少女に酷い嫌がらせをする悪役令嬢のものだ、と気づいて、頭を抱えたくなった。
当たり前だが、その行き着く先が、死であるという点が、もっとも最悪である。
百歩譲ってただ没落するだけならよかったのだが、死ぬと言われると……。
そして一万歩譲って、本当にただ衰弱死するだけの未来しか待っていないというなら、まだいいだろう。
それなら、私はそれこそ死ぬ気で頑張って、市井でも生き残れるように貯蓄するなり技能を身に着けるなり一人で生きていける方法を模索すればいいのだから。
しかし、実はそうではないのだ。
ジゼルは表向き、公爵家から放逐されたことによって、それまで貴族令嬢として生きてきたが故に一人ではなにも出来ず、ひっそりと衰弱死した、ということになっているのだが、現実にはむしろ積極的に殺される。
これは、乙女ゲームのスチルにはっきりと殺される描写があったことから、紛れもない事実であることが分かっている。
なぜ殺されるのか、というと、ジゼルはただ単純に主人公にいやがらせしていたのではなく、ある存在に操られ、妬心や怒りなど負の感情を増幅されて、結果、主人公を積極的に殺そうとしていたからだ。
そのことを知った王家と公爵家は、ジゼルを野放しにしておくのは危険と判断し、放逐だけでは不十分と殺害に動くわけである。
衰弱死とされるのは彼らの隠蔽工作というわけだ。
そして、そのある存在とは、"魔王”と呼ばれるこの世界の悪の権化である。
そう、この世界には"魔王”がいるのだ。
"魔王"が主人公を狙うのは、主人公が"星の乙女"と言われる魔王を消滅させうる特殊な力を持つ存在だからであり、その力が覚醒する前に殺してしまおうという、非常に理解しやすい理由であった。
当たり前の話だが、魔王でなくとも、自分をピンポイントで殺せる力を持っている奴がいたら、とりあえずどうにかしようと考えるものだろう。
やられる前にやれの精神、理解できる。
実際、ゲームではどんなルートを辿っても最終的に魔王は殺される。
主人公と、主人公と結ばれた攻略対象の奮戦によって、この世から完全に消滅させられるのだ。
そして、世界は平和になり、みんな幸せ大団円と、まぁこうなるのである。
主人公と、攻略対象の結ばれたその姿がストーリー最後のスチルになるわけだが、どれも青い闇の中に光り輝く星と月が背景に広がっていてまぁ、綺麗で幸せそうな様子なのがさわやかだった記憶がある。
が、少なくともジゼルと魔王はぜんぜん幸せではない。
ジゼルも魔王も、
やべぇほっとくと地位が脅かされる!
やべぇほっとくと殺される!
と慌てて行動した二人であり、ちょっと早とちり的な問題を抱えているのは確かにその通りなのだが、しかし、行動としてはわからなくもないだろう。
せっかくふつうに過ごしていれば好きな人と結ばれるはずだったのに、訳わからない闖入者にひっさらわれたらイラッとするのは当たり前だし、せっかく平和に生きていたのに唐突にピンポイント抹殺能力を持った存在が出現して自分を殺しに向かってくる運命がわかってしまったらどうにか避けたいと思うのが人情だ。
つまり、ジゼルも魔王もぜんぜん悪くない。
悪くない!
たぶん。
だから……。
というわけではないのだが、私はどうにかして、生き残れる道がないのか、探さなければならない。
なにせ、放置しておくと死亡だ。
この世界に果たして運命修正力的な何かがあるのかどうかはわからないが、なかったとしても、基本的にはゲームに近い形で運命が動いていくと考えておいた方がいい。
希望的観測を持って失敗するよりも、常に最悪を想定して動くべきだ。
少なくとも、今の私の中にある記憶は、ゲームの中のストーリーと整合性のあるもので、このまま日々生きていくと、ゲームと全く同じ展開になるような気がしてしまうようなものだ。
婚約者はまだ決まっていないようだが、父からそんな話があると聞かされているし、星の乙女さまもどこかにいるはずだが、見つかっていないと話しているのを聞いている。
魔王とその軍勢が徐々に世界をむしばんでいる、という話も耳にしているし、そのためには軍事力が……というちょっと血なまぐさい話も父と母がしているのを盗み聞いたりもしていた。
どう考えても、私の人生の先には暗雲しか立ちこめていない。
どうにか……どうにかしなければ……。
心の底からそう思って、目を泳がせて色々考えていると、
がちゃり、という音ともに部屋の扉が開かれ、そこから侍女の顔が覗いた。
確か彼女の名前は……そう、アニエスだ。
私の専属の侍女、アニエス。
彼女は目を見開きながらベッドで状態を起こした状態の私を確認すると、
「お、お嬢様! 目がさめられたのですかっ!?」
と言って駆け寄ってきた。
太陽の柔らかな日差しが萌始めた春の日の平原を照らす中、慌てた様子の女性の声が響いた。
格好から見るに、女性はどこかの貴族に仕える侍女であることがわかる。
そしてそれは事実であり、今、彼女はその職務の真っ最中であった。
彼女の声の先にいる人物は、年端も行かない貴族令嬢のようである。
五歳になったかならないか、それくらいの年頃だろうか。
艶のある黒髪に、赤い瞳、白磁のように白い肌は、その将来の美貌を約束しているようであった。
ただ、頬はまだぷっくりと幼く、顔に浮かぶ表情もまさに子供そのもの。
行動も同様であり、彼女は今まさに、とてとてと草原をかけて楽しそうにしている様子である。
「あははー。ちょうちょ、ちょうちょー!」
そう言いながら、中空に手を伸ばし、足下に全く気を払っていない姿は、彼女の侍女からすれば極めて不安でしょうがない光景だろう。
実際、侍女の心配は正しく、令嬢はその後、その辺に転がっていたらしい石か何かに足を引っかけて、思い切り倒れる。
それは、侍女には酷くゆっくりとした光景に見えた。
頭から、地面に倒れていく令嬢。
そのまま地面に頭をぶつけ、そして気を失った彼女に、侍女は顔を青白くし、慌てて駆け寄って、抱き寄せる。
「お、お嬢様! お嬢様!!! だれか、だれかお医者様を!! 早く」
侍女の叫び声を聞きつけ、護衛をしていた男が近づき、少女の様子を見て、走り出す。
医者を呼びに行ったのだ。
少女は気を失っていたようだが、男から見て、少女に目立った外傷はなく、額に少し擦り傷がある程度で、おそらくはしばらくすれば目覚めるだろう、という程度の見立ては立った。
けれど、稀にだが、何かに頭をぶつけた後、外側からはなにも問題ないように見えても、ほんの数時間で命を失ってしまうような場合があることも男は知っていた。
そのような場合、処置できるのは治癒魔術を修めた医者だけであり、今すぐにその診断が必要なこともわかっていた。
幸い、ここは屋敷のすぐ近くであり、男が走って医者を抱えてくれば早い。
少女を抱えていってもいいが、こういう場合、そういうことをすると却って症状が悪化する可能性があることも、男は知っていたのだ。
しばらくして、男が医師を連れてきた。
それから、すぐに少女の診断がなされ、治癒魔術がかけられた。
結果として、少女にはなにも問題はなく、当然、命に別状はないこと、そして、しばらく安静にしていれば回復するということも告げられた。
その結果を聞き、侍女も、護衛の男も心から安心した。
可憐であり、将来を嘱望される少女であり、そしてライエン聖王国における大貴族の一人、フライムート公爵家の長女でもある彼女に何かあれば、侍女と護衛の男の命程度では償えないのだ。
下手をすれば一族郎党が皆殺しにされてもおかしくないくらいの力を、フライムート公爵家は持っているのである。
しかし、それ以上に、侍女と護衛の男は、少女のことを心から心配していた。
周囲からは、あまりよく言われることのない少女であるが、二人の心をかつて救ったことがあったからだ。
だから、二人は、なにがあろうと、少女の味方になると決めていた。
たとえ、世界が敵になろうとも、少女の味方であろうと。
実際、少女は二人にしか心を許さず、他の者にはとにかく当たり散らしたり、酷い扱いをしたりして、好かれていなかった。
フライムート公爵家長女、ジゼル・フライムートは、つまりそんな少女である。
そのはずだった。
少なくとも、今日までは。
◇◆◇◆◇
「……ここは……?」
私はゆっくりと目を開き、そして周囲を見渡した。
見覚えのない部屋が、そこには広がっている。
……いや。
見覚えは、ある。
ただ、ここが自分の部屋だという実感が湧かない。
そういう感じだろうか。
そうだ、覚えている。
私は、フライムート公爵家の長女、ジゼル・フライムート。
御年五歳になる、かわいい盛りの貴族令嬢だ。
実際、容姿も相当にいい感じで、将来は美女間違いなしだという事実も私は知っている。
何せ、毎日鏡で見ているのだから。
そう、毎日見ている……のだが、やはりというべきか、この顔と体が自分のものだという感覚が、いまいち湧いてこない。
そして、その理由は、実のところはっきりとしている。
私は、今日だか昨日だかわからないが、頭をぶつけた。
チョウチョを追いかけて、捕まえようと頑張っていたら、足を何かにひっかけてずっこけ、そして思い切り頭をぶつけ気絶した。
その記憶がある。
それだけなら、まぁ、普通だ。
子供の頃にだれもが経験する、ちょっとした危険行動の一つだと言うことになるだろう。
しかし、そうではないのは、私はこけて頭をぶつけた瞬間、色々と思い出したという事実があるからだ。
つまりなにがいいたいかというと、私は、ライエン聖王国のフライムート公爵家令嬢ジゼル・フライムートであると同時に、日本のS市に住んでいた一般的OLである早乙女小雪である、ということを思い出した、ということである。
「……転生か……マジであるとは……」
そんな、日本語のつぶやきが漏れた。
こんなもの、ジゼルが話せるわけがない。
聞かれたらことだ。
けれど、部屋には今、誰もいない。
どこかに出ているのか、それとも私なんかの看病をしたい人間など存在しないと言うことか、正確なところは分からない。
けれど、まぁおそらくは後者である、そうに決まっている、と今までのジゼルの記憶が若干の寂しさとこの年齢にしては苛烈な怒りの感情と共に教えてくれているが、とりあえずそれはいい。
それよりも重要なのは、今、自分が置かれている状況だった。
転生した。
前の人生でいつ死んだのかは全く思い出せないが、しかしここにいるということは私はどこかで死んだのだろう。
そして、ジゼルとして生まれ直した。
うん。
それは理解できる。
というか、理解せざるを得ない。
嫌だとか言ったところでどうしようもないし、日本に戻してほしいと思っても一体誰に主張すればいいのかわからない。
それに、この姿のまま戻ったところで一体誰が私のことを早乙女小雪だと認識してくれるのだろう。
考えるだけ、無駄だと私は切り捨てる。
そうなると、問題となるのは、私はこれから一体いかにして生きるべきか、ということだった。
ジゼルとして生きるしかない。
それは、わかる。
ただ、ジゼルとして生きるためには問題があることを、私は実は知っていた。
なぜなら、私の記憶が正しければ。
――ジゼルは、今日から数えてだいたい十二、三年後、死ぬからだ。
どうしてこんなに健康体でかわいいジゼルちゃんが死んでしまうのかといえば、それは端的に言えば、罪を処断されるから、ということになるだろう。
ジゼルは、将来、この国ライエン聖王国の第一王子の婚約者になるのだが、その婚約が破棄されるのだ。
その理由は、第一王子が恋をしている少女に酷い意地悪をし、最終的にはその命をすら脅かすようなことまで手を出すようになり、その事実が第一王子の耳に入るからだ。
結果として、第一王子は、自分の愛する人を守るため、証拠をいくつも突きつけて、ジゼルを断罪する。
結果、ジゼルと第一王子の婚約は破棄され、そしてジゼルはフライムート公爵家からも放逐されることになり、生きる手段を失って、街でひっそりと衰弱して死ぬ。
そういう筋書きである。
今、明らかに未来の話を私はしているが、なぜ、私がそんなことを知っているのかと聞かれれば、こう答えることになるだろう。
――実は、この世界は、あるゲームの世界に非常に酷似しているからだ。
と。
そもそもひっかかったのは、私自身の名前、ジゼル・フライムートだ。
これは、私の妹が好きだったゲーム『星の乙女と月の騎士』の登場人物の一人の名前である。
しかも、主人公である少女に酷い嫌がらせをする悪役令嬢のものだ、と気づいて、頭を抱えたくなった。
当たり前だが、その行き着く先が、死であるという点が、もっとも最悪である。
百歩譲ってただ没落するだけならよかったのだが、死ぬと言われると……。
そして一万歩譲って、本当にただ衰弱死するだけの未来しか待っていないというなら、まだいいだろう。
それなら、私はそれこそ死ぬ気で頑張って、市井でも生き残れるように貯蓄するなり技能を身に着けるなり一人で生きていける方法を模索すればいいのだから。
しかし、実はそうではないのだ。
ジゼルは表向き、公爵家から放逐されたことによって、それまで貴族令嬢として生きてきたが故に一人ではなにも出来ず、ひっそりと衰弱死した、ということになっているのだが、現実にはむしろ積極的に殺される。
これは、乙女ゲームのスチルにはっきりと殺される描写があったことから、紛れもない事実であることが分かっている。
なぜ殺されるのか、というと、ジゼルはただ単純に主人公にいやがらせしていたのではなく、ある存在に操られ、妬心や怒りなど負の感情を増幅されて、結果、主人公を積極的に殺そうとしていたからだ。
そのことを知った王家と公爵家は、ジゼルを野放しにしておくのは危険と判断し、放逐だけでは不十分と殺害に動くわけである。
衰弱死とされるのは彼らの隠蔽工作というわけだ。
そして、そのある存在とは、"魔王”と呼ばれるこの世界の悪の権化である。
そう、この世界には"魔王”がいるのだ。
"魔王"が主人公を狙うのは、主人公が"星の乙女"と言われる魔王を消滅させうる特殊な力を持つ存在だからであり、その力が覚醒する前に殺してしまおうという、非常に理解しやすい理由であった。
当たり前の話だが、魔王でなくとも、自分をピンポイントで殺せる力を持っている奴がいたら、とりあえずどうにかしようと考えるものだろう。
やられる前にやれの精神、理解できる。
実際、ゲームではどんなルートを辿っても最終的に魔王は殺される。
主人公と、主人公と結ばれた攻略対象の奮戦によって、この世から完全に消滅させられるのだ。
そして、世界は平和になり、みんな幸せ大団円と、まぁこうなるのである。
主人公と、攻略対象の結ばれたその姿がストーリー最後のスチルになるわけだが、どれも青い闇の中に光り輝く星と月が背景に広がっていてまぁ、綺麗で幸せそうな様子なのがさわやかだった記憶がある。
が、少なくともジゼルと魔王はぜんぜん幸せではない。
ジゼルも魔王も、
やべぇほっとくと地位が脅かされる!
やべぇほっとくと殺される!
と慌てて行動した二人であり、ちょっと早とちり的な問題を抱えているのは確かにその通りなのだが、しかし、行動としてはわからなくもないだろう。
せっかくふつうに過ごしていれば好きな人と結ばれるはずだったのに、訳わからない闖入者にひっさらわれたらイラッとするのは当たり前だし、せっかく平和に生きていたのに唐突にピンポイント抹殺能力を持った存在が出現して自分を殺しに向かってくる運命がわかってしまったらどうにか避けたいと思うのが人情だ。
つまり、ジゼルも魔王もぜんぜん悪くない。
悪くない!
たぶん。
だから……。
というわけではないのだが、私はどうにかして、生き残れる道がないのか、探さなければならない。
なにせ、放置しておくと死亡だ。
この世界に果たして運命修正力的な何かがあるのかどうかはわからないが、なかったとしても、基本的にはゲームに近い形で運命が動いていくと考えておいた方がいい。
希望的観測を持って失敗するよりも、常に最悪を想定して動くべきだ。
少なくとも、今の私の中にある記憶は、ゲームの中のストーリーと整合性のあるもので、このまま日々生きていくと、ゲームと全く同じ展開になるような気がしてしまうようなものだ。
婚約者はまだ決まっていないようだが、父からそんな話があると聞かされているし、星の乙女さまもどこかにいるはずだが、見つかっていないと話しているのを聞いている。
魔王とその軍勢が徐々に世界をむしばんでいる、という話も耳にしているし、そのためには軍事力が……というちょっと血なまぐさい話も父と母がしているのを盗み聞いたりもしていた。
どう考えても、私の人生の先には暗雲しか立ちこめていない。
どうにか……どうにかしなければ……。
心の底からそう思って、目を泳がせて色々考えていると、
がちゃり、という音ともに部屋の扉が開かれ、そこから侍女の顔が覗いた。
確か彼女の名前は……そう、アニエスだ。
私の専属の侍女、アニエス。
彼女は目を見開きながらベッドで状態を起こした状態の私を確認すると、
「お、お嬢様! 目がさめられたのですかっ!?」
と言って駆け寄ってきた。
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