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第32話 交渉の前に

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「お久しぶりです、博さん。それで、そちらの方が……?」

 会議室に入ってくるなり、腰を低くして博にそう尋ね、俺に控えめに視線を向けて尋ねた男。
 それこそが《スーサイド・レミング》の総長、岡倉恭司だった。
 見た目はライオンのような赤髪に、ピアスやら指輪やらとゴテゴテとアクセサリーをつけている、高級そうな黒スーツの男なので、なんだか不思議な感じを受けた。
 しかし、実際にそれぞれ自己紹介を終え、席についた時点で彼の印象は悪くなかった。
 俺も不良はそんなに得意な方ではないし、見かけだけからいうなら恭司はどう見てもそっち側の人間なのだが、内面はそれほど悪くなさそうだった。
 《真実の目》を使ってこの齟齬を正すべきか、と思ったりもしたが、これは俺にとっての不用品である釘バットの売買に過ぎない。
 その程度のことのために、相手の情報を丸裸にするほどの必要性は感じなかった。
 まぁ、《真実の目》はそれなりに調整も効くものではあるが。
 向こうに行って間もない頃はうまく受け取る情報を選別できずに頭がパンクしそうになって気絶したことも一度や二度ではないが、今となっては慣れたものだ。
 けれどそれでも、今は使おうと思わない。
 こちらの世界ではプライバシーの権利は守られるべきだ。
 俺の命に関わらない限りにおいて、の話だが。
 その意味で別にこの恭司の情報はそこまで今の段階で知らずとも問題ない、と俺は判断したのだった。

 そして、席について改めて博が言う。

「さて、それでは交渉の方を始めさせていただきたいのですが……」

 しかし、そこで恭司の方から、

「ちょっと待ってください」

 とストップが入った。
 隣に座っている如月桜花、という女性の方もこれについては事前に聞かされていたのか特に驚いている様子はなかった。
 博の方を見て、何かあるのか、と視線だけで尋ねてみるも、彼もこれについては予想してなかったらしい。
 だから恭司の言葉を待つ。
 すると、彼は言った。

「先ほど、ここで《聖女の祈り》の白亜聖と交渉をされましたね?」

 これについてはすでに情報として博が恭司に伝えていることで、博は特に驚くこともなく頷いて、

「そうですが……それが何か?」

 と尋ねる。
 恭司はそれに微妙そうな顔を一瞬するも、最後には覚悟を決めたような表情で、言った。

「大変申し上げにくいのですが……お二人は、《魅了》状態にかかっている可能性が高いです。ご存知ないと思いますが、あの白亜聖はスキルとして、そういった技能を持っています。ですから、今回の交渉においてそれを使った可能性が極めて高い」

 これには俺も博も少し驚く。
 なぜと言って、聖の使った《魅了》はこちらの世界においては極めてレベルの高いもので、練度も高かった。
 つまりはそうそうそれだと気づけるようなものではないのだ。
 それなのに、恭司はそういう技能を彼女が持っている、と知っていた。
 《スーサイド・レミング》は岡倉恭司をトップとする極めて能力の高いギルドだとは聞いていたが、その基本的な強みはその単純なる腕っぷしの強さにある、という話だったので余計に。
 向こうでもそうだったが、そういうタイプというのは極めて搦手に弱い。
 つまりは《魅了》などかけられたら速攻で陥落することが多かった。
 向こうの人間側の騎士団でも、《剛勇で知られた》とかが枕詞についてくる騎士団なんかは、精神系の魔物を密かに砦などに潜り込ませれば思っていた以上に簡単に落ちるということもザラだったのだ。
 だからこそ、恭司もそのようなタイプだと思っていたのに、これはいい意味で実力の目算を上方修正する必要を感じる。
 無言の俺と博の反応をどうとったのかわからないが、恭司は続けた。

「……そうだとすれば、外部さんは……いや、博さんも含めて、今回の交渉において冷静で公平な判断はできない、と考えています」
 
 これに博が、

「しかしそうは言われましても……どうすれば良いのでしょうか? 私も外部さんも、自覚がないようなのですが」

 そういう設定で行くことにしたらしい。
 外務省の察知能力を悟られないため、だろう。
 これについては俺が博に貸し一つ、だな。
 博の借りがどんどん増えていって俺としてはありがたい。
 まぁ、無理に取り立てるつもりはないが、博はそういうところ真面目だ。
 きっと一番大事なところで返してくれるはずだ。
 博の言葉に恭司は懐から瓶を二つ取り出してテーブルに置く。

「……それは?」

 博が首を傾げると、恭司はニヤリと笑って言った。

「我がギルドが十層で獲得した《状態異常回復薬》です。こいつを使えば、聖くらいの《魅了》であれば、完全に治癒することができる。お二人にはこれをぜひ、飲んでいただきたい」

「しかしそれは……一本二百万円ほどする品では? そう簡単に受け取るわけには参りません。特に、私と外部さんに自覚のないこの状況では……」

「俺がこの薬の料金をお二人に請求すると考えておられますか?」

「その可能性はあるとは。それにお金ではなかったとしても、他に対価を求めるかもしれないと。そうであればそれこそ公平な取引はできません」

 それはその通りなのだが、恭司からすれば今の俺たちこそが公平ではないのだ。
 どうするのか、と次のセリフを待つ。
 すると恭司は言った。

「俺はこの薬の料金を一切請求するつもりはありません。そして、これが何らかの……《魅了薬》などであると後々明らかになった場合、今回の交渉に関わる全ての権利を放棄する旨を誓約いたします」

「それは……よろしいのですか?」

「ええ。《魅了》とは、それだけ危険な力なのです。ですから、どうかお二人とも……こちらを」

 ここまで言われて、俺と博は顔を見合わせる。
 断っても後々魅了のせいにされそうな気がするし、ここは飲んでおくしかないだろう。
 たとえこの薬になんらかの毒などが入っていても、俺にも博にも効く事は無い。
 後で、協会の判定機で何の状態異常にもかかっていないことを検査ではっきりさせておけばいいだろう。
 そう視線で合意してから、博が恭司に言った。

「……わかりました。そこまで仰るなら。外部さんもそれでよろしいですか」

「ハイ。異論ハナイデス」

 そして、俺たちはその瓶を手に取り、ハッカ味のする液体を飲み切ったのだった。
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