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第二章 淫紋をぼくめつしたい

お隣さんとの攻防⑮ (完)

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 ――はい、いえ……どうも……
 
 ぬくぬくとお布団に包まっとったら、少し遠いとこから晴海の声が聞こえてきた。微睡をゆらゆら揺さぶるように、ちょっとずつ意識が浮上する。おれは、ぱちりと目を開いた。
 
「んん……?」
 
 あら、お部屋の電気が点いとる。カーテンも引かれてて、すっかり夜みたい。
 ――あれから、晴海と一緒にお風呂に入って。精も根も尽きて、ふたりでベッドに潜り込んで。長い間、寝ちゃってたんやなあ。
 もぞもぞと寝返りを打ったら、ベッドの隣が空っぽで「あれっ」と思う。
 
「はるみー?」
 
 布団から目を出して、晴海を探す。
 と、ぴっちり閉まった部屋のドアの向こうから、話し声が聞こえてきとった。
 
「――はい、どうもすんません。お気遣いいただいて……」
 
 晴海、えらい畏まってしゃべっとるな。……誰か来とるんやろか? 気にはなるけど、体がおもくって、よう起きられん。お布団をギュッと握って、晴海のにおいを吸い込んだとき――ぱたん、と玄関が締まる音。
 ちょっともせんと、晴海がひょっこりと戻ってきた。
 
「おっ。シゲル、大丈夫か?」
「うん。どうしたん、それ?」
 
 笑顔で近づいてきた晴海の手には、何故か手ごろなサイズの両手鍋。晴海は「おう」と笑って、軽く持ち上げた。
 
「これは、頂きもんや。さっき、お隣さんが持ってきてくれてなあ」
「ええっ!?」
 
 おれは、びっくりしてガバリと身を起こした。――なんで、お隣さんがお鍋くれるん? きょとんとしとったら、晴海が説明してくれる。
 
「シゲルへの見舞いやて。あの人、お前が倒れたとき、傍に居たやんか。それで心配してはったみたいで――ほら、これ」
「わあっ」
 
 晴海が、ぱかっと鍋の蓋を取る。ふわん、とスパイシーで温かい匂いが辺りに広がった。野菜とほろほろの鶏肉がたっぷりのスープが、ほかほかの湯気を立てとる。
 きゅーっ、と空っぽのお腹が切なげに鳴った。
 
「なにこれ、めっちゃ美味しそうやん!」
「チキンスープ言うんやて。お祖母ちゃん直伝で、風邪のときに飲むとええからって、作ってくれはったんよ」
「ほんま? 嬉しい……」
 
 そない心配してくれてはって、親切やなあ。怖いと思っててすんません。
 感動しとったら、鍋をテーブルに置いた晴海が言う。
 
「そんでな、シゲル。さっきちょっと、お隣さんと話してんけどさ……あの人、普段ずっとイヤホンで音楽聞いとるから、うるさいと思ったことはないって」
「えっ」
 
 驚きに息を飲むと、そっと手を握られる。お鍋持ってたせいか、晴海の指は熱かった。
 
「軽音楽部で、パソコンで作曲する人らしくてな。むしろ、自分のほうが音漏れしてたらごめんって、謝られたわ」
「えっ、待って……じゃあ、怒ってへんの?」
「おう」
「……おれの声、聞いてへん?」
「……ああ、大丈夫。俺だけや」
 
 恐る恐る聞くと、晴海は目元を赤らめて、「うん」と力強く頷いた。おれは、ぱあっと目の前が明るくなる。
 
「晴海っ」
「おわっ!」
 
 おれはベッドから転がり出て、晴海に飛びついた。晴海はびっくりしつつ――慌てて腕を開いて、しっかりと抱き留めてくれる。
 
「シゲル。落っこちたら、危ないやんけ」
「へへへ」
 
 優しい声じゃ、叱っても怖くないもんな。スエットの首にほっぺをすり寄せると、晴海がくすぐったそうに笑う。おれも、笑った。

「晴海、お隣さんええ人やね。おれも、また喋ってみたいっ」
「おう、それはええ。スープのお礼もしたいしなあ」

 晴海が、優しくおれのほっぺを撫でる。おれも、硬い手の甲に手を重ねた。
 温かい手のひらに身を寄せて、うっとりと目を閉じる。

――良かった……晴海だけなんや。

 今回のことで、わかった。
 お隣さんに迷惑かけたのも辛かったけど……声、聞かれたんかなあって、すごいしんどかった。
 おれ、晴海やから大丈夫なんやね。
 晴海やなかったら、恥ずかしくて死にそうやもん。

「晴海っ……」

 嬉しさと安堵で、胸がいっぱいになる。
 この気持ちを伝えるのに、どうしたらええんやろ? おれは、もどかしい気持ちで晴海を見つめた。

「シゲル……」

 その答えを持ってるのか、晴海の顔が近づく。
 ドキドキしながら、おれは目を閉じた。


 


お隣さんとの攻防……(完) 
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