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第二章 淫紋をぼくめつしたい

キスしてほしい⑧

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「じゃあ、お願いします」
 
 寮監さんに頭を下げて、郵便物を渡した。明日の朝イチに郵送の手続きをしてくれるそうやから、一両日中にはお姉さんとこに着くはずや。
 俺は一安心して、笑顔でシゲルを振り返った。
 
「シゲル、帰ろか」
「うーん」
 
 シゲルは、むっつりと頷いた。尖らせた唇が、いかにも「拗ねています」と言わんばかりで、俺は苦笑した。
 
「どした。疲れたんか?」
「そういうわけやないけどぉ」
 
 つーん、と顔をそむけられて、弱ってまう。
 終わってから、ずっとこんな感じなんや。あの後――シゲルの体が治まるまで、抱き合って。そんときは、気持ちよさそうにしてたし、甘えてくれとると思っとったんやけど……。
 
「シゲル、こっち向いて」
「あっ」
 
 頬を包んで顔を合わせると、シゲルはとろりと目を潤ませた。……さんざん泣いたせいか、瞼がぽってりしとる。いつもの二割増し気だるそうで、漂う色香にどきりとした。
 
「――はっ!?」
 
 ふと周囲を見回せば――寮の玄関ホールにおる生徒達が、シゲルにちらちらと浮ついた視線を投げかけとるやないか。
 
 ――こんなに色っぽいシゲル、見せるわけにいくか!!
 
 頭がかっと熱くなり、急いでシゲルの手を引いた。
 
「わぁっ」
「と、とにかく部屋に帰ろう!」
「ちょ、何なん。急に――」
「ええから。心配やねん」
「晴海……!」
 
 繋いだ手をぎゅっと握り、部屋に向かってずんずん歩いた。
 しばらく目を白黒させてたシゲルやけど――ふいに「ふふっ」と笑いだす。
 
「どうした?」
「なんもないよっ」
 
 さっきまでと一転して、ご機嫌にニコニコしとるシゲルに、疑問符が頭に飛び交う。
 いったい、今の間に何があったんちゅうんや?
 訝しむ俺をよそに、シゲルは鼻歌を歌いながら、繋いだ手をぶんぶん振り回しとる。
 無邪気な仕草に、つい顔がほころんだ。
 
「晴海。おれ、がんばる。覚悟するんやで!」
「おう?」
 
 何やら意気込んどるシゲルも可愛い。
 俺はデレデレしとって、その理由を深く考えはせえへんかった。
 


 
 
 それから、数日後――
 俺はダウン寸前に追い込まれとった。
 
「はぁ~……」
 
 重いため息をついて、机に突っ伏す。
 
「有村、暗くね? どうしたんだよ」 
 
 のろのろと顔を上げれば、上杉やった。眼鏡の奥の目が、気づかわしそうにこっちを窺っとる。
 
「もしかして……テスト、悪かったのか?」
 
 上杉は、口元に手を当てて、ひそひそと囁く。 
 今日は中間テストの返却日や。
 昼休みの今までに軒並みテストが返ってきて、クラス中は悲喜こもごもの様相やった。
 勿論、俺の手の中にも答案は返ってきとる。上杉は、ひょいと俺の手元を覗き込み――バシン! と背を叩いてきた。
 
「あでっ!」
「めっちゃいいじゃん! 平均九十五とか、バケモンか!」
 
 平手の強さに比例して、上杉の安堵が伝わってくる。ええ奴やなあ。
 
「いやあ、ははは……。お前はどうやった?」
「赤点一個! 山田以上、竹っち以下の戦績だ」
 
 上杉はニカッと笑うと、今は空っぽのシゲルの席にどかりと腰を下ろした。
 
「テストの点じゃねえなら、何なのよ。恋の悩みか~?」
「うっ」  
 
 さらりと確信を突かれて、呻く。
 
「実はそうなんや……もう、俺は辛抱たまらん」
 
 重々しく呟けば、上杉が目を丸くした。
 今、シゲルは竹っちとトイレに行っとるから、ちょうどええ。 
 俺は、「ちょっと来てくれ」と上杉を廊下に連れ出した。
 
「んで、今井がどうかしたの?」
 
 当たり前について来てくれる友人の、なんと有難いことか。
 窓の桟に凭れて、俺は口を開いた。
 
「いや、実は……シゲルが……」
「おう」
「可愛いすぎるんや!」
「ほ?」
 
 俺はがばりと頭を抱え、この頃のシゲルの様子を思い返す。
 あの、授業サボってセックスした日からこっち――シゲルのかまちょ攻撃が凄すぎる。
 例えば、弁当を食おうとするとな。
 
「はい、あーん。おれが食べさせたろっ」
「どええ!?」
 
 俺の箸を取り上げ、手ずからおかずを食べさせようとしてくるし。「自分で食えるよ」て言うたら、「勉強で疲れてるんやから、あかん!」て聞かへんねん。しかも、対面ならともかく、隣に座ってやってくるから、体が近くてなあ……。
 どぎまぎして、メシの味がわからんかったわ。
 
 勉強終わって、休憩しとったときかて。
 
「お疲れさま! 晴海、肩こってない?」
「うおっ!」
 
 ぴとっと背中にくっついてきて、熱心に肩を揉んでくれんねん。いや、気持ちええねんけどさぁ……疲れてるときやから、めちゃくちゃムラムラするやろ。「気持ちいい?」って笑顔で聞かれるから、普通に「おう」って答えるけど、後ろめたすぎるねんて。
 他にも、「背中流したろ」とか。「手相見たろ」とか。もう、「誘惑の宝石箱やぁ~!」と叫びたい有様や。
 一番つらいことに――そういう時に必ず、じーっと見つめてくるねん。あの綺麗なはちみつ色の目で。
 よこしまな心が見透かされそうで、俺はもう気が気やなくて。
 

 
   
「煩悩を断とうとしたら、勉強に集中するほかなくてやなあ。おかげで過去最高得点や」
「ぶははは!」
「笑いすぎだろ、上杉!」
 
 話し終わると、上杉は床に丸まって爆笑しとった。いつの間にか増えていた山田が諫めとるけど、当人もめちゃくちゃ顔が笑っとるし。
 憮然としとったら、二人はようよう笑いを治めた。
 
「悪い悪い。てーか、なんで悩んでんの? 普通に頂いちゃえばよくね?」
「うぐっ」
 
 上杉に不思議そうに言われ、言葉に詰まる。
 皆には、俺とシゲルが付き合ってるフリやってことを言うてへんから、当然の反応や。副作用のことが解決せんかぎり、バレるわけには行かへん。
 俺は咳払いし、釈明をする。
 
「いや……でも、あいつはそのつもり無いんやて。わかるやろ? シゲルがどんだけ純情か」
「はー、これだから童貞は」
「お前も童貞じゃん」
 
 山田が半眼で突っ込んだ。
 
「黙れし。いいか有村、お前らは付き合ってんだぞ。誘われたら、ガバッといくのが男ってもんだろ?!」
 
 上杉は拳を握り、熱弁する。その背に燃え盛る炎が見えるようで、圧倒されてまう。
 
「まあまあ、上杉。有村は今井にぞっこんだからさあ」
「えーっ」
 
 山田は不満そうな上杉の肩を抱き、俺に笑みを向けた。
 
「でもさ、有村。上杉の言う事も一理あるぜ」
「え?」
「たしかに、今井は奥手だよ? でも、女の子じゃねえからさ。自分の行動が、男から見てどんなもんか、それくらいわかってると思うぜ」
「――そ、それは……」
 
 息を飲んだ俺に、山田は力強く頷く。
 その表情には、長年男同士の色恋沙汰を見てきた、威風が漂っとった。
 さっそく、「シゲルと話せ」と送り出され、俺はひとり廊下を歩く。
 
「ホンマにそうなんか……?」
 
 夢心地に呟く。
 もし、シゲルが俺の気を引こうとしとるんやったら――どんだけ嬉しいことやろう。
 
「けど、シゲルやからなあ~」
 
 幼い頃から、ずっと見てきた。無邪気で、純粋で、甘えん坊のシゲル。
 たまたま、かまちょが爆発しとるだけで、何も考えてないっつー可能性のが高い。
 
「……やっぱ、慎重にいこ」
 
 勘違いで暴走して、この関係が崩れたら最悪や。
 そう思い直したとき――近くの空き教室で、華やかな笑い声が聞こえてきた。



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